2009年7月6日月曜日

長岡鉄男先生の思い出

大修館書店『英語教育増刊号』の年間書評をようやく脱稿した。(脱肛じゃないよ、脱稿だよ←まあ、お下品)

書いて、読み返してみたら、自分がオーディオ評論家の(故)長岡鉄男氏の文章にかなり影響を受けていることを痛感した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/長岡鉄男


長岡氏の文章は、簡潔で具体的。文章のリズムとテンポが快適だった。

自己を笑い飛ばすユーモアと、かなりラディカルな社会論評をちりばめるスタイルも私は好きだった。

評論する対象もおざなりな選択でなく、自分が良いと信じるもの、あるいは世間で過小評価されているものは、積極的に選んで評価していた。

主観的な言葉や紋切り型の表現を嫌い、即物的な記述と斬新な表現を好んでいた。

さらに論評の中で、オーディオ業界やレコード業界の構造にも言及し、提灯記事は決して書かなかった。

プラグマティズムに徹し、コスト・パフォーマンスや、趣味・目的の違いに配慮した論評をしていた。

最も有名なのは次々にスピーカーを自ら設計・自作し、それをどんどん公開していたことだ。

バックロードホーンがお好みだったが、それにはこだわらず、実際、晩年は共鳴管スピーカーを常用機にしていた。

合理性を追求した、でもそれまで誰も試したことのない設計(代表例、MX-1、スワン、ヒドラ等)は本当に驚きだった。通常のスピーカー設計でも、サブロク合板一枚での合理的な板取は、毎回見事だった。

複雑なネットワーク構成のマルチウェイを嫌い、シンプルなフルレンジ構成を好んだ。(私が一度聞いたことがある長岡氏のセミナーでの20cmフルレンジ片チャンネル8本+ヤマハのホーンツィーター・システムは本当に鮮烈な音を出していた)。

以来、私もフォステクス製のバックロードホーンを作ってしばらく愛用していた。現在も(長岡氏の設計ではないが)16cmフルレンジの後面開放型フェルトボックス・スピーカーをテレビ再生用に使ったりしている。


さばさばした性格で、面倒なことを嫌い、坊主頭に裸足のスタイルを好んでいた。

高度なオーディオ再生を自ら試みる一方、執筆中はテレビをかけっぱなしにして好奇心のチャンネルも開いているような人だった。

人嫌いではないがかなりシャイな人で、太宰治の「トカトントン」が好きだとも言っていた。含羞を知る人だったと言うべきか。


私は今でも長岡氏の出版物をかなりをもっているはずだが、今でもたまに読み返すことがある。漱石の『猫』と同じように、読んで、本の文章を頭の中で響かせることが純粋な快感だからだ。

中学生の頃から私は『週刊FM』を愛読していたが、それはほとんど長岡氏の文章を読むためだった。

やっぱ、中高生の頃の影響って大きいや。



文化勲章を受けるような人ではないけど、私は好きでした。


長岡先生、天国でいかがお過ごしでしょうか。

私はあなたのような文章も書けませんし、あなたのようなスタイルも貫けていないヘタレですが、あなたを今でも愛しています。


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