「なぜ指導要領批判か?」について
http://blog.livedoor.jp/cpiblog01676/archives/51216484.html
もう 30 年以上も前のことだが、ある県の英語研究会の講演で、「指導要領(英語)」の問題点を批判的に指摘したところ、後で、その会の会長から「先生は指導要領に恨みでもあるんですか」と言われて、返答に困ったことがある。会長は、文部省が決めたことは批判の余地などないと信じているようだった。こういう考えは現在でも根強く残っているように思われる。
「なぜ指導要領批判か?」(その2)
http://blog.livedoor.jp/cpiblog01676/archives/51219610.html
あらゆる場面で、格差が問題になっている現在では、指導要領は、A Course of Study の英名にふさわしいように、法的拘束力などない「指針を示すだけのもの」にすべきだというのが私の主張である。
私の蛇足コメントを加えます。
日本の英語教育関係者の中には、指導要領が変わる度に自分の意見をすっかり変える人がいます。
そのような人は「これからの英語教育はこうでなければいけません」と勇ましく現場を「指導」します。そのくせ、過去との整合性の説明を求められると「指導要領が変わったのですから、仕方ありません」などと恥じる様子もありません。まるで自分の思考力の欠如を誇っているようです(まあ、そういう人たちからすれば、「自分の頭で考えたい」という「我執」を捨てられない私のような人間の方こそ愚かなのでしょう)。
政府が言うことは何もかも反対という態度は愚かですが、政府が言うことには何もかも従うという態度も同様に愚かです。
いや、それぞれの思考放棄が引き起こしうる災厄という点では、前者よりも後者の方が深刻かと思います。
さらに生き方の姑息さという点でも、前者よりも後者の方に私は否定的な判断を下さざるをえません。
一人一人が独立して考え、その考えを互いに表明し合うことにより、批判的に連帯するという民主主義の方法は人類の遺産だと考えます。
少なくとも他のどの分野よりも正確さを必要とする科学という分野では、民主主義による真理追究を是としています。科学には権威主義は似合いません。
おそらくは他のどの分野よりも複合的で微妙な判断を必要とする政治という分野では、世界の多くの国が民主主義を選択し、発展させようとしています(日本もその途中の段階です)。政治は権威主義から民主主義へ移行しようとしています。
日本の英語教育にも権威主義は必要ないと思います。
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