以下は、ある官僚の方が、文系の研究者を前に行った講演の要旨です。旧ホームページを整理したら出てきたので、このブログでも再掲します。
世論のemotionalな暴走を牽制し、counterbalanceとしての長期的かつ抽象的思考を提供するのが「知識人」の役割である。現代日本では学者は自分の研究の蛸壷に逃げ込むか、大衆と同化し評論家になるかのどちらかに傾いていることが多く「知識人」としての役割を果たしていない。また日本にはquality paper等の知識人のforumもない。知的エリートが存在しない(もしくはその存在を認めない)のは、世界的な観点からすれば歴史的にも地域的にも極めて特殊なことである。実務家の一人としては、日本の学者----特に文系の学者----に頑張って欲しいと願わざるを得ない。しかし日本のアイロニーの一つとして、憲法で守られている分野の競争力が弱いということがある。皆さんの自浄作用を期待します。
この言葉からすると、私はとても知識人の役割を果たしていません。妙に世間に迎合した安直な言葉をウェブに垂れ流す評論家もどきになっているからです。「ウェブは基本的に自己顕示欲の巣窟」ということを私はこの10年余りのネット生活で感じるようになってきました。もっときちんとした学術的な仕事をしなければならないと思います。
ただ私はウェブも自己顕示欲も善用できると楽観もしています。ウェブという公共空間も、そこに集う各人の自己顕示欲も、うまく使いこなせば、良識ある知的共同体を日本の英語教育界に作り出すことに貢献できると信じています。ブログを続けている次第です。
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