私の学部ゼミ生の一人に、とても感性に優れ、深く考えることができる人材がいます(彼と映画や音楽について話ができるのは私にとって、とても楽しみです)。先日彼と話をしていて、彼がこれまでの学部生生活について思うことをいろいろと語ってくれたので、私は「もしよかったらその話を文章にまとめてくれないだろうか。まとめることはあなたのためになるし、その文章を共有してもいいのなら、その文章を読んだ人のためになるし」と提案しました。
彼は快諾し文章を書いてくれましたので、ここに転載します(もちろん彼の許可は得ています)。文章は彼が書いたままですが、タイトルだけ「学生生活が残っている皆さんへ」から、「目標に向かって一直線に進むことのリスク」へと変えました。
学生の皆さん、どうぞご参考に。
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目標に向かって一直線に進むことのリスク
目標に向かって一直線に進むことのリスク
揺るがない一つの目標があるとして、それに向かって真っ直ぐ進み続けることは、非常に大切なことであると思います。事実、その結果自分の夢を叶え、大成している人は数多くいます。私も、大学入学時から「英語教師になる」という一つの目標を持っていました。他の道には目もくれず、一つの大きな目標に向けて、一直線に進んできたつもりでした。
しかし、私が後悔していることが一つあるとすれば、その「リスク」を自覚しないまま、目標付近まで辿り着いてしまったことにあります。そのリスクとは、「狭めること」と「閉じること」です。これにもっと早く気づいていれば、大学生活をより有益なものにできたはずなのですが、「時すでに遅し」です。
私の大学生活は、まさに高校生の時に思い描いていた理想の通りでした。サークル、バイト、飲み、旅行等々、大学生としての生活は、本当に毎日が充実していました。
もちろん、勉強面も充実していたと思います。周囲には、同じ目標に向けて努力し助け合える仲間や先輩・後輩もいれば、熱心に指導してくださる素晴らしい教授の先生方もいらっしゃいました。短期ではありますが留学もできましたし、良質で実りある教育実習も経験することができました。入学して3年半経った今でも、教英は英語教師を目指すには最高に整えられた環境であると自信を持って言うことができます。
私は、高校の英語の教員を目指してこの教英に入学しました。この最高の環境の中で、一つの目標に向けて整備された道を真っ直ぐ進んでいけば、必ず成長できると確信していました。本棚に英語や英語教育に関する本が増えると、夢に近づいているような気がして、誇らしく思うようになりました。
その一方で、教英に在籍しているだけで学びの範囲は英語や英語教育に限定されやすくなります。これが「狭める」リスクです。本やニュース記事も、読むのは英語や英語教育に関するものが主で、他の分野や一般的な教養は疎かにしてしまっていました。自分の場合、「勉強した感」と妙なプライドだけが積み重なっていきました。そんな奇妙な満足感が崩れたのは、自分の「専攻」について考えていた時のことです。
―語彙や文法知識の少なさ、英語のスキルなどを考えると、「英語専攻」とは自信を持って言えない。「第二言語習得論」「言語学」「教育学」などはどれも基礎的な授業や概論を受けたに過ぎない。「英語教育学専攻」が一番近い気がするが、それも未知なことの方が多い。他にも、「CLTってどんなもの?」「M. Berlitzって誰?」と聞かれても、即座に回答できない。自分は、大学で何を勉強していたのだろう―
この悩みの原因は、自分の怠慢が原因であることは明らかです。きっと頭のどこかで、「真面目な良い子」になって授業を受け、いい成績を修めておりさえすれば、いい英語教師になれると考えていたのだと思います。与えられたものだけで満足し、学んだことを深化させて理解したり、自分に足りないものを自ら補完したりする努力を怠っていたことを認めざるをえません。
しかし、それに気づいてからも購入する本は英語教育に関する本ばかりでした。これが「閉じる」リスクでした。せめて自分の専門ぐらいは知識を得ようと、それに没頭しようとすればするほど、他の分野に対する興味までも閉じてしまったのです。しかし、それらの本でさえも全て理解できる訳はなく、自信や学びに対するモチベーションは一層低下していきました。そして、次第に他への興味を閉じつつ学びの範囲を狭め、その狭い範囲の分野でも自信が持てなくなるというスパイラルに陥りました。最悪なことに、そのうちに、ぶれないはずだった「一つの目標」さえも揺らぐようになってしまいました。
初めにも述べたように、揺るがない一つの目標があるとして、それに向かって直進し続けることは、非常に大切なことです。しかし、万が一その目標がぶれてしまった時には、何に頼れば良いのでしょうか。これは個人的な意見ですが、そんな時に頼れるのは、実は「寄り道」や「回り道」の経験だと思います。私は、小学校免許も取得しようと、副専攻として初等コースの授業も受講してきました。しかし、少し前までは小学校教員になるつもりはほとんどなく、なぜこんな大変な選択をしてしまったのだろうと考えることもありました。しかし、小学校実習を経験し、小学校なりのやり甲斐を発見することができてからは、小学校の教員も新たな選択肢として考えることができるようになりました。同時に、小学校との比較を通して、当初の目標や、自分が「高校でやりたかった授業」を再認識することができるようになりました。
今まで自分は、「忙しいから」「興味が無いから」「目標に関係ないから」という言い訳をして、多くの寄り道や回り道を回避してきました。その結果、自分が成長する機会や選択肢を自分の手で狭めてきてしまいました。目標とそこに至るための整備された道のりが「絶対的かつ確実なもの」だという思い込みが、自分をそうさせてしまったのだと思います。確かに、寄り道や回り道は今の目標には直結しないかもしれません。しかしその経験は、自信に繋がったり、自分自身が成長する契機となったり、追い詰められた時に選択肢を広げる助けとなったりします。
もちろん、自分の専門を深めることも大切です。しかし、自分の経験から言うと、やはりそれに固執して自分の学びを狭めたり、興味を閉じたりすることは賢明ではありません。大学の4年間はあっという間です。狭めたり、閉じたりせず、どれだけ寄り道や回り道ができるか。それが後悔なく、学びの多い4年間を送る秘訣だったのだと、今強く感じています。
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