2013年7月17日水曜日

「教師は学校の中で育つ」 -- 亘理先生のコメントを受けて





■ 教師集団としての成長と世代間継承の仕組み --それは複合的なものに決まっている!



静岡大学の亘理陽一先生が下記ブログ記事でコメントを寄せてくださり、上記で私が「教師は専門職であり、大学・大学院教育だけで十分な教育をすることは不可能で、在職中の研修が不可欠である」と表現したものの、それだけでは十分に意味が伝わらない(あるいは誤解・曲解されてしまう)点について詳しく補ってくださいました。亘理先生に感謝すると同時に、ここでその記事のURLを紹介します。




教員養成の「破綻」を引き寄せるもの

http://watariyoichi.blogspot.jp/2013/07/blog-post_17.html




その一部をここでも引用します(強調は柳瀬が加えたものです)。



「大学の『英語教育学者』の責任」を棚上げしたくて言っているわけではない。要するに,個々人に過度な期待を課すのではなく、「教師集団としての成長と世代間継承(の仕組み)」という視点も加えてこの記事を読んでほしいということだ。

「きちんとした発音指導ができず」「中学生が英語の文字・単語が読めないことを『こんなもんだ』と諦めてしまっている教師」や、「いいかげんな音読と直訳だけの授業)しかしない教師」はともかくとして,そもそも,新人教師が現場に加わるために必要な「力量」とはどのようなものか,コンセンサスがあるわけではない(実態としては「教員採用試験」というハードルがあるのみ。これは教師教育研究が引き取るべき課題だが)。

そして,新人教師が時間をかけて育ち,その成長を支援する中で中堅・ベテラン教員もまた自らを省みる。そういう仕組みを崩壊させてきた,あるいは継承可能な形で作ってこなかったのだとしたら,その責任は誰にあるのか(複合的なものに決まっている)。

パッチワークのように「研修」をつぎはぎしてどうにかなるというような発想も限界だと思う。細切れの研修を外から押し付けるのではなく,教師(集団)の取り組みを支援し,それが結果として「研修」となっているような仕組みが必要だ






この記事で亘理先生はご自身の過去記事にリンクをはっていますが、その記事の中にも共感する箇所がありましたので、そこも引用します。



むしろ教師集団として、年齢も経験も得意・不得意も異なる同僚とどう仲良くケンカしながら専門的文化を構築し、毎日の実践と職務に七転び八起きしながら成長し続けるか、その環境をどう作ろうとしているか、それこそを厳しく見ることが重要だと考える。現時点でどういう地平にいようと教師は教師であり、違う地平にいようと同僚は同僚なのだ。私は以前、学習者について以下のように書いたことがあるが、これは英語教師(集団)にも当てはまると考える(亘理 2010: 30。カッコ内は引用にあたって追加した)。

外国語としての英語(の教育)に関する能力は、それ自体が多面的で、人間の多様な能力・価値の一部に過ぎないのだから、それを学ぶ(そして教える)過程は、人間性やものの見方・考え方を豊かにするものではあり得ても、人を選別したり自尊心を傷つけたりするものであってはいけない。


この点でも、即物的完成品としての教師像は、専門職のダイナミックな成長についての考察を欠いており不毛だ。英語教師としてのfundamentalsの議論はあってもいい。叱咤激励もよろしくどうぞ(「ダメだ」とか「辞めろ」は叱咤激励にあらず)。しかしそれにしたって、色んな教師がいていいじゃないの。学習者の成長を温かく見守れるんなら、教師の成長も温かく見守ってよ。







■ 父性原理と母性原理のバランス

「教師は学校の中で育つ」と私も確信しています。私は大学・大学院で教師教育に全力を尽くしていますが、実際の学習者集団も同僚集団もいない大学・大学院という環境で実践家としての教師の力量が十全に育てられるわけはありません。

また、仮に「完成品としての教師モデル」(亘理先生の用語です)を厳しくして教員としての採用時の基準を高いものにしても、それはまさに新自由主義的発想であり、就職不安に怯える若者にさらに過剰な負担を求め、一部の「生き残り」と引き換えに、大量の脱落者を生み出す恐れがあると私は考えます。

新自由主義的発想を持つ人なら「生き残りのために死力を尽くすこそが当たり前ではないか!」とおっしゃるでしょうが、私はすべての子どもを育てようとする発想が強い学校(特に義務教育)の人間の採用に、(私からすれば)過度の競争的風土を導入することには賛成できません。

河合隼雄氏のことばを借りるなら「我が子は良い子」という包摂的な母性原理と、「良い子は我が子」という選別的な父性原理の両方がバランスよくあるのが理想なのでしょうが、新自由主義的発想はどうも父性原理が強すぎるのが気になります。と言いつつ父性原理が欠如してしまえば、これまたとんでもない事態になりかねないのが人間というものでしょう。

下の引用は毎日新聞の報道(2013年4月14日)ですが、この自民党の教員制度改革案も、下手をすれば教員志望の若者の多くの士気(そして健康を)深い所で損ないかねないものだと私は懸念しています。



公立学校教員の免許・採用制度改革を検討している自民党案の概要が13日、分かった。教員希望者に「准免許」を与えて学校に配属、「数年の試用期間」を経た上で「本免許」を与える「インターン制度」を導入し、指導力向上を目指す。本免許を与えた教育委員会が任免権を持ち、責任を負う。現在の制度を抜本改革する内容で、党の教育再生実行本部や政府の教育再生実行会議の議論を経て制度設計に入る。指導力向上を目指して民主党政権時代に打ち出された「教員の修士レベル化」は事実上、凍結される見通しとなった。

現在の教員免許制度では、大学などで教員養成課程の単位を満たせば、卒業時に免許が与えられ、採用試験に合格した自治体の学校で勤務する。1年間は試用期間になっている。中央教育審議会は昨年8月、指導力不足解消のため、教員を「大学院の修士レベルを修了する」とする内容を答申していた。これに対し、自民党内では「大学院で勉強すれば指導力が向上するものではない」と異論が出ていた。

 関係者によると、大学などで教員養成課程を満たした教員希望者に卒業後にまず「准免許」を与える。採用試験を経た上で、希望勤務地の教育委員会を通して学校に配属し、常勤講師と同じ待遇で勤務。場合によっては学級担任や部活動も受け持ちながら「試用期間(インターン)」として学校に所属する。期間は3年または5年を軸に検討が進む方向だ。 (後略)

http://mainichi.jp/select/news/20130414k0000e040122000c.html







■ 教員集団の自発的・自生的な連帯

さらに上記の自民党改革案では、教育委員会が研修によって教員の指導力向上をはかるとなっているようですが、制度的な研修(特に所属する学校という文脈から離れた研修)には明らかな限界があることは、佐藤学先生も指摘する通りです(参考記事: http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/06/blog-post_19.html)。







ですが、学校現場はどんどん多忙化し管理化され、教師は次々に相互扶助する時間も体力も気力も奪われてきています。

そんな中、著書を著す教員も多くいます。一例として私がこの9月に出る大修館の『英語教育 増刊号』の年間書評で取り上げた笹達一郎先生の言葉を引用します。


2010年代には、学校現場で働く数多くの教師が退職し、新しい教師が教壇にたちます。自治体によっては、この10年間で学校現場の半数が退職されるケースもあります。学校ではいったいどのようなことが起こるのでしょうか。

教師が教科指導の専門としてある程度一人立ちするまでに、10年近くかかります。ベテランの現象と若手の増加。専門的知識やジギュつは研修等でも伝達されるでしょうが、経験や観、コツなどの知恵の部分については学校現場での経験の中でないと継承が難しいものです。年齢構成のアンバランスな学校現場の中で、授業づくりの知恵はどうなっていくのか。これが私の心配していることです。 (笹 2013 3ページ)





同じような思いから大塚謙二先生(8/10のシンポにも登壇します)も下の本を出版しています。






また、大塚先生はさらに近刊でより英語教育に特化した『英語教師力をアップする100の習慣』も出版します。



さらに大塚先生も講師としてしばしば登場する「英語教育達人セミナー」(達セミ)は、18年もの長きにわたって全国で継続・展開している教師による草の根研修です(「自分たちの研修は自分たちの手で!」)。私は達セミ15周年お祝いメッセージでも書いたように、「達セミを語らずして、現代の日本の英語教育を語ることはできない」と心底思っています。まだ達セミ・メールマガジンを購読していない人はどうぞこれを機会にぜひ購読してください(無料ですし、購読によるなんの義務もありません)。




メールマガジン「英語教育の達人をめざして」

http://www.mag2.com/m/0000014984.html




しかしこのような教員による自助努力ができるのも、教員の身体と心(そしておそらくは魂)が健康に保たれてのことです。

教師をいたずらに管理し、教師の自主性・自発性を奪い、とても有益とは思えない書類仕事などで気力・体力を消耗させることは、教師の力量を損ない、ひいては次世代の子どもの潜在力までも損ねてしまいます。

言いたいことはいくらでもありますが、それこそ私の気力・体力(そして時間)が尽きて来ました。でもこの記事を書く気力・体力を与えてくれたのは、亘理先生が現職教員に対してもっているであろう連帯感・同僚性であり、それに喚起された私がもつ現職教員(特に卒業生)に対して感じている連帯性・同僚性です。教師・教育関係者の皆さん、連帯しましょう(←って、お前はチャップリンか! 笑)









I’m sorry, but I don’t want to be an emperor. That’s not my business. I don’t want to rule or conquer anyone. I should like to help everyone - if possible - Jew, Gentile - black man - white. We all want to help one another. Human beings are like that. We want to live by each other’s happiness - not by each other’s misery. We don’t want to hate and despise one another. In this world there is room for everyone. And the good earth is rich and can provide for everyone. The way of life can be free and beautiful, but we have lost the way.

Greed has poisoned men’s souls, has barricaded the world with hate, has goose-stepped us into misery and bloodshed. We have developed speed, but we have shut ourselves in. Machinery that gives abundance has left us in want. Our knowledge has made us cynical. Our cleverness, hard and unkind. We think too much and feel too little. More than machinery we need humanity. More than cleverness we need kindness and gentleness. Without these qualities, life will be violent and all will be lost....

The aeroplane and the radio have brought us closer together. The very nature of these inventions cries out for the goodness in men - cries out for universal brotherhood - for the unity of us all. Even now my voice is reaching millions throughout the world - millions of despairing men, women, and little children - victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.


To those who can hear me, I say - do not despair. The misery that is now upon us is but the passing of greed - the bitterness of men who fear the way of human progress. The hate of men will pass, and dictators die, and the power they took from the people will return to the people. And so long as men die, liberty will never perish. .....

Soldiers! don’t give yourselves to brutes - men who despise you - enslave you - who regiment your lives - tell you what to do - what to think and what to feel! Who drill you - diet you - treat you like cattle, use you as cannon fodder. Don’t give yourselves to these unnatural men - machine men with machine minds and machine hearts! You are not machines! You are not cattle! You are men! You have the love of humanity in your hearts! You don’t hate! Only the unloved hate - the unloved and the unnatural! Soldiers! Don’t fight for slavery! Fight for liberty!

In the 17th Chapter of St Luke it is written: “the Kingdom of God is within man” - not one man nor a group of men, but in all men! In you! You, the people have the power - the power to create machines. The power to create happiness! You, the people, have the power to make this life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.

Then - in the name of democracy - let us use that power - let us all unite. Let us fight for a new world - a decent world that will give men a chance to work - that will give youth a future and old age a security. By the promise of these things, brutes have risen to power. But they lie! They do not fulfil that promise. They never will!

Dictators free themselves but they enslave the people! Now let us fight to fulfil that promise! Let us fight to free the world - to do away with national barriers - to do away with greed, with hate and intolerance. Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men’s happiness. Soldiers! in the name of democracy, let us all unite!

http://www.charliechaplin.com/en/synopsis/articles/29-The-Great-Dictator-s-Speech




追記

ノリでチャップリンを引用してしまったけど(笑)、現代に"Dictator"がいるとしたら、それはおそらく特定の個人ではなく、現代社会を動かしている「システム」全体なんだろうなぁ。





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