1 人間概念の再検討
1.1 歴史的考察
1.1.1 ヨーロッパの歴史から
ここでは近代的な人間観がヨーロッパでいかに作られてきたかを簡単に概説する。その総括を通じて問わなければならないのは、おそらくは地球上で最も理性的であったはずのヨーロッパの人々が、なぜ第一次世界大戦、第二次世界大戦、ファシズムとコミュニズムの全体主義国家という最悪の人災を起こしてしまったのかという問いである。
哲学を時代の精神の表現とみるなら、私たちはデカルト(1596-1650)の哲学により近代的人間観の端緒を知ることができるだろう。デカルトは「真理」に到達するために「方法的懐疑」を行い、疑わしく思えるものはすべて排除していった。その時に疑い得ないものとして残ったのが、自分が何かを考えているという根底的な自己意識であった。かくして「精神」は物理世界とは異なるものと二元論的な枠組みが措定された。人間とは機械と異なり、心を持つとされた。
カント(1724-1804)は、その人間の特性である心の中の「理性」(Vernunft)に着目し、人間のすべての経験を可能にしている条件(超越論的制約)が純粋理性(reine Vernunft)にはあるとした(この認識において自明で疑い得ないはずの自我を考察の対象とするという、認識論の「コペルニクス的転回」は現在チョムスキーにも引き継がれている)。逆に言うなら理性が備えていない事態を私たちは認識(erkennen)できず、ただ思考(denken)するのみである。自由や神などは、これらはみな証明されえず、認識の対象ではない。だが実践理性(praktisch Vernunft)はこれらの概念を前提し、人間は「汝の意志の格律がつねに普遍的立法の原理として妥当しえるように行為せよ」という「定言命法」で、人間は道徳的に生きるという人間的な自由を得ることができるとした。かくして人間は「自分自身に責任を持ち、未成年の状態から抜け出ることである」ように啓蒙(Aufklärung)され、人間は自律(Autonomie)しながら他者に対しても適切に振る舞えるとした。
しかし1789年に始まるフランス革命という世界史的な出来事において、啓蒙思想から始まったはずの動きが、人々の予想を超えて暴走し、暴動や内乱そして恐怖政治(Terreur)、粛清へと至ってしまった。
ヘーゲル(1770-1831)は、このような混乱を「理性の狡知」と表現し、個々人が、情熱をもち、挫折し、落胆することも、また理想の敗退にしか思えないことも、すべては、人類の前進あるいは向上へのための、必要とも必然とも考えられる過程に過ぎないという発想をとった。彼は「理性が世界を支配し、したがって、世界の歴史も理性的に進行するという思想」を堅持した(『歴史哲学講義』上巻24ページ)。
ヘーゲルの影響を受けたマルクス(1818-1883) は、「哲学者たちは世界を色々な仕方でただ解釈してきた。しかし肝心なのは、世界の変革である」として共産主義・社会主義の創出の端緒となった。
ニーチェ(1844-1900)は、カント的な哲学構想を「僧侶的」として徹底的に批判し、それに代わる「騎士的・貴族的」なるものを賞賛した。彼の文章はある意味哲学と言うよりは檄文だが、その中の副産物は、カントの「コペルニクス的転回」を見方を変えようと欲することとして評価し、複数の見方を持つことを客観性へ到るために重要なことであるという「遠近法」的認識を主張したことである。だが、ニーチェは、認識の複数性よりは、認識を変えようとする意志に重きをおいたため、彼の作品は、恣意性を容認するものとして読まれやすくなっていた。ナチスによるニーチェ作品の利用にもこのあたりが絡んでいるのかもしれない。
要するに、このように決然と見方を変えること、見方を変えようと欲することは、知性が他日その<客観性>にたっするための小さからぬ訓練であり準備なのだ。--ここでいう<客観性>とは、<関心なき直観>と解されてはならず(こういうものは没理にして背理である)、むしろ知性の向背を意のままに左右し、これを自在に懸けたり外したりできる能力と解されるべきであり、それによってこそ人はさまざまな遠近法や情念的解釈の差異を認識のために役立てることができるのだ。(信太正三訳『道徳の系譜』第三論文12節、ちくま学芸文庫519-520ページ)
かくして「理性」を堅持しようとしたヨーロッパであったが、第一次世界大戦(1914-1918)によって以前には考えられなかった規模の破壊が他ならぬヨーロッパの人々同士によってなされた。この戦争中にロシア革命(1917)も起こり社会主義国家が誕生し、ヴェルサイユ条約(1919)によるドイツへの莫大な賠償要求は、ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)の政権奪取の一因となった。ここにおいて二十世紀の全体主義国家の動きは大きなものとなる。
ハイデガー(1889-1976)は、西洋哲学の伝統に精通したきわめて優秀な講壇哲学者であり、彼の『存在と時間』 (Sein und Zeit) (1927)は20世紀哲学の中で最も重要な書の一つと今でも考えられている。その中で彼は、人間の存在を分析し、それを世界に投げ込まれた「世界内存在」 (In-der-Welt-sein / Being-in-the-world)であり、世界との「関わり」(Sorge/care)によって人間は「現存在」(Dasein)であると規定された。彼の分析に他人は「共現存在」(Mitdasein)として登場するが、これらの複数の存在は「共現存在」としてひとくくりに捉えられている。さらに「世人」(das Man)という概念では、人々がひとくくりにされているだけでなく、それがいわば非自律的存在として描かれている。ハイデガー哲学では、複数の異なる人々という概念がほとんど出てこないように思える。
現実世界でのハイデガーにとって決定的だったのは、彼が非常に優秀な西洋哲学者であったにもかかわらず(あるいはそのゆえにこそ?)、ナチズムへ傾倒し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に入党したことである。彼はナチス入党直前の、フライブルク大学総長就任演説でも、ヒトラーの政策の礼賛ともとれるようなことを述べている。この政治的判断の愚かさは、西洋哲学の一つの帰結であるというのが後に述べるアレントの診断である。
やがて1935年にヒトラーのナチス・ドイツはヴェルサイユ条約を一方的に破棄し、1939年にポーランドに侵攻して、ヨーロッパにおける第二次世界大戦(1938-1945)が始まる。この戦争で原爆を頂点とする無差別爆撃、ドイツのホロコーストなどの民族大量虐殺がなされた。これらはそれまでの戦争と異なり、高度な合理性をもった人間のみが引き起こせる災厄であった。理性による啓蒙で、近代をリードしてきたはずのヨーロッパの人々は、その理性の暴走になんども苦しめられた。ひょっとすると近代ヨーロッパの理性的な人間観には、構造的な問題があったのではないだろうか。
戦後のヨーロッパの思想家は、当然のごとくこの理性の暴走の問題と向き合った。ハイエク(1899-1992)は、経済学者としてソビエトの中央集権的計画経済の問題を指摘した。彼はその後、思索を深め「進化的合理主義」((evolutionary rationalism)に通底する「自生的秩序」(spontaneous order)の概念を明確にした。理性の暴走は、一人あるいは少数者の限定的な知性が「構築者的合理性」(constructivist rationality)の発想によって、大規模な秩序を設計しようとすることに始まる。その結果、すべてが一様な全体主義社会が生じてしまう。複合性(complexity)の高い事象は、単独(あるいは少数)の人間の知性で統御できるものではない。彼は、デカルト以来の理性観と袂をわかち、心(mind)は単独で世界の外に存在するものではなく、環境および他の心との間の相互作用性と、その連続による発展の中に存在するものであるとした。ここにおいて、心は個人の枠組みを超えて、社会的-歴史的に考えられるべきものという発想が見られる。人間とは、一人で人間になるのではなく、社会的な関係において人間になる。
アレント(1906-1975)も複数性(plurality/Pluralität)を人間(men/Menschen)が人間であるための条件であるとした。人間を"Man/Mensch"という個人単位でしか考えないなら、私たちは公的領域(public sphere/Der Raum des Öffentlichen)を作り上げることが困難になってしまう。彼女は、カントの『判断力批判』(Kritik der Urteilskraft)の議論を拡充し、自分自身で考えること(啓蒙の格率)、首尾一貫性の格率(自分自身と一致して考えること)に加えて、他のすべての人々の立場にたって考えること(拡大された心性の格率)という判断の働きを重視した。これは一つの立場をすべてに拡張するのではなく、複数の異なる立場を想像力の働きによって、いわば他者の立場から吟味してゆくことである。ホロコーストが、アイヒマンといった悪人でもないような凡庸な人間が自分自身で「考えなかった」ことによって粛々と執行されたことに戦慄を覚えるアレントは、一人一人の人間が、それぞれに自分とは異なる立場のことを可能な限り想像しながら考え、それを自由に表明し合う公的領域の複数性を重視した。
ハーバマスは(1939-)は、目的合理的行為(zweckrationalem Handeln)とコミュニケーション行為(kommunikativem Handeln)を区別することで、私たちの生活が前者によって支配されることを防ごうとした。目的合理的行為は、ある目的達成を究極の価値とし、その達成を技術的な規則の適用でなそうとする。目的が固定されている限り、私たちはその論理演繹的行為を否定することも止めることもできない。しかし目的を問い直すことができるのがコミュニケーション行為である。これは複数の行為主体が理解と合意を相互に承認することで、複数的存在である私たちの針路を決めうる行為である。彼は目的合理的行為における目的合理性とコミュニケーション行為におけるコミュニケーション的合理性を区別し、後者に複数の人間の判断による賢慮を担保しようとした。
しかしハーバマスのコミュニケーション的合理性は、複数の人間から始まるものの、複数の人間が一致することによって成立するものであった。このように合意をコミュニケーションの前提とするハーバマスに対して、ルーマン(1927-1998)は差異をコミュニケーションの前提とした。ルーマンは、私たちの発話の中の「情報」(Information)と、その情報が示すもの「告示」(Mitteilung)の差異が私たちのそれぞれ独自の「理解」(verstehen)を生み出すことを明らかにした。コードモデルが前提とするようにコミュニケーションの参加者が同じ意味を共有すると考えるのではなく、私たちはコミュニケーションによって常に互いの差異を見出し、その差異がさらなるコミュニケーションを生み出すと考えるべきであろう。コミュニケーションという接続が社会という関係を創り出す。それは一致による合意というよりは、差異による接続を動因として、世界を編み上げる。コミュニケーションが社会を構成するという点で、社会は国境などの地理的要因によって規定されず、コミュニケーションの接続によって規定する。そうなるとどこかで何かがどのようにかしてつながっている現代において、社会とは世界社会のことである。
このルーマンの発想に強い影響を受けたネグリ1933-とハート1960-)は、<帝国>(Empire)という概念で現代をとらえようとしている。<帝国>とは、アメリカもどの国民国家も中心に立てないまま、経済・政治・社会・文化にわたるグローバルな連結が、私たちのあり方を強く規定している、という認識を示す概念である。旧来の「帝国主義」(imperialism)概念は、一つの国民国家が他の国民国家を支配統治する概念であったが、脱中心的・脱領土的に私たちがつながり合い、そのつながりが大きな力をもつ現代ではもはや適用できない概念である。コミュニケーションは、ネットワークを介して相互接続を多数多様化し構造化することによって、グローバル化の動きを組織化している。アメリカという国家も英語いう言語も、地球を支配しているわけではないし、その力も持ち得ない。なぜならば差異こそがコミュニケーションを生み出すからである。この<帝国>の住人は、ある国民国家の「国民」(nation)でもなく、一般的意志を共有する「人民」(people)でもなく、まとめてコントロールされうる「大衆」(mass)でもなく、無秩序な乱衆(mob)でもなく、烏合の群衆(crowd)でもない。<帝国>においては、「単一の同一性には決して縮減できない無数の内的差異」、「多数多様性」、つまり「単一の同一性には決して縮減できない無数の内的差異」を持つ「マルチチュード」(multitude)が、自らの特異性を肯定しながら、様々につながりあい、社会をグローバル化しているというのがネグリとハートの見立てである。
このようなグローバル化する現代社会においてあるべき言語教育の価値を明示しているのが欧州評議会(Council of Europe)の複言語主義(plurilingualism)である。英語のもつ強大な力を一方で認めながらも、言語そして文化における多様性を保つことこそが、社会の健全な維持と発展を導くものであるとして、複言語主義は、個々人が複数の言語を、それぞれに異なる習熟度でもって使い分け、使いこなし、社会的紐帯を紡ぎ出す力を重んじる。グローバル化した社会は、単一言語によって結びつけられたものでもなく、またそうなるべきでもなく、少数の強力な言語がありながらも(そして英語が現在最強の言語であるにせよ)、様々な言語がマルチチュードを多種多様に連結させている社会である。
ここまでの流れをまとめてみよう。デカルト、カント以来の理性概念は、ヨーロッパに「近代」をもたらした。しかしその理性が単一者の理性であると誤解されたときに理性概念は暴走し、数々の人間的災厄をもたらした。第二次大戦後のヨーロッパは、その反省を受けて、単一者の理性の限界を指摘し、人間が複数性においてはじめて人間であることを強く打ち出した。それは複数の人間の間のコミュニケーションの重視であり、しかも合意よりは差異を前提とするコミュニケーション観が表明された。差異によるコミュニケーションの多種多様な接続が、グローバル化しようとする社会の新たな紐帯である。言語教育も複数主義(pluralism)を前提とする複言語主義によって進められるべきであるというのが現代ヨーロッパの判断である。
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