ルーマンはブルックナーに似ているとも思います。両者ともにとても複雑なことをやっているようですが、実はいくつかの主要なテーマを回帰的に繰り返しているだけで、そのテーマを理解できれば彼らの言いたいことはずいぶんわかりやすくなるように思えます。しかし、彼らは複数の主要テーマを、フラクタルのように次々に展開していますから、その展開ばかりに目を奪われると、彼ら作品の基本構造を見失ってしまい、彼らが何を言いたいのかわからなくなってしまいます。ですがその多彩な細部の奥にある彼らの核さえ抽象的に理解できれば、細部の複雑さはなんとか理解できるのではないかと思います。
と、いきなり与太話で始まりましたが、以下はいつものように私の読書ノートです。私なりの誤解・曲解に基づき、私自身の言い換えもずいぶん入れていますので、少しでもルーマンに興味をもった人は実際にご自分で本を読んでください。(またもしルーマンの専門家の方で、私の以下の記述にあまりにひどい誤解・曲解などがあることを発見された方はお知らせいただければ幸いです。私としても自らの誤解・曲解の可能性に開き直って居座るつもりはありませんので)
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I 社会システムとしての社会■システム理論はある理想を追求するものではない
システム理論は、観察されたもの、記述されたものが、どのようにしてそうあるのか、他のようにはありえないのかを考える。ある事態を肯定するとか否定するとかいうのはフランクフルト学派の表現方法である。(18ページ)
■ルーマンの社会学が依拠しない三つの社会概念
(1)社会を人間の集合としてとらえ、一人ひとりの人間を(それ以上分割することのできない)社会の構成単位として考えること。(42ページ)
(2)社会を地域(地理的な広がり)の集合としてとらえ、一つ一つの地域を(それ以上分割することのできない)社会の構成単位として考えること。(43ページ)
(3)社会科学が社会の外部に存在し、社会科学はどの認識者にとっても同一な客観的世界を扱うものであり、主観性を消去しなければならないということ。(44-46ページ)
■社会とは何か、ではなく、社会はいかにして産出されるのか、という問い
社会とは社会を産出するものであるというオートポイエーシス的理解からすれば、社会に関する本質的仮定を排除し、社会が自身を産出する作動を記述することの方が重要である。ちなみにこのトートロジー的なオートポイエーシス概念は、「法とは法が語ることであり法であるところのもの」「政治とは政治が生じさせるもの」(あるいは「応用言語学とは応用言語学が応用言語学として認めるもの」(笑 ―「応用言語学」を「英語教育学」に換えるともっと笑える)といった理解にもみられるものである。(62-63ページ)
II コミュニケーション・メディア■コミュニケーションは社会的な作動である
コミュニケーションは社会的な作動として考えられるべきであるし、おそらく唯一の社会的な作動であろう。この作動が社会を生産・再生産し、(社会にとっての外部である)環境に対する環境を画定する。(102ページ)
■三種類のコミュニケーション・メディア
(1) 言語
(2) テクノロジー(文字、印刷、エレクトロニクスなど)
(3) シンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディア(貨幣や権力など) (102-103ページ)
■メディアと形式の区別
メディアとは膨大に現存し、相互に結合している一つの潜勢力である。メディアが「タイトなカップリング」を受けることにより形式になる。例えば音はメディアであり、そのメディアを使いこなすことにより音声言語という形式が生まれる。だがこのメディア/形式の関係は、重層的であり、音声言語はメディアとして使いこなされることにより、ある発話という形式を生み出す。いずれにせよ観察が可能(あるいは容易)なのは形式であり、メディアは観察が不可能(あるいは困難)である。 (112-114ページ)
■言語というコミュニケーション・メディアの空間的・時間的・社会的拡張
言語を口頭でしか使わない場合、互いによく了解している状況で言語を使うので人は自らの考えを精確に述べる必要はあまりなかった。(142ページ)
かろうじて文字に残っている古い時代の民衆叙事詩などの場合、特定の言語形式を繰り返し使用し、口述や想起、感情に対して周知性や確実性をもたらしてメディアの広汎性を広めた。(143ページ)
文字を記す媒体(粘土板や紙)が手工業や工業生産により普及し、加えて活版印刷が開始されると言語によるコミュニケーションは広範囲に流布するようになった。(143ページ)
■文字は当初は記憶補助のためでありコミュニケーションのためには使われなかった
進化は、それに先行する機能を利用しながら進行するものであり、現在からすると支配的・最終的に見える機能も当初は獲得されていなかった場合が多い。文字も当初は使節がメッセージを伝える際に持ち運んでいた粘土板に刻み込まれていただけであり、その粘土板が直接相手に渡されることはなく、メッセージはあくまでも使節が口頭で伝えていた。文字を直接的なコミュニケーション手段として使うことはその後次第に普及していった。(149ページ)
■文字の普及がコミュニケーションに与える影響
文字は直接対面している相互作用状況から離れて人々がコミュニケーションをとることを可能にした。だがこの新たな状況でのコミュニケーションには、目の前にいる相手のようにコミュニケーションを強く要求する人間が不在なので、メッセージを受ける人間は、読む・読まない、イエス・ノーを言う選択においてより自由になった。また二度、三度再読してはじめて解明できるような難解なテクストも生み出されるようになった。(159ページ)
■印刷術と市場
中国や朝鮮においてはヨーロッパより早く印刷術が発明されていたが、これらの地域では市場が発達しておらず、印刷術はもっぱら官僚機構が諸指令を周知されるために用いられた。(168ページ)テクノロジーだけが文明を進化させるのではない。
■印刷術と標準語
印刷出版は標準語成立と大きくかかわった。出版市場は広範囲に通用する語を求めるし、出版された印刷物はその広範囲で使用される語を普及させる。ドイツでは低地ドイツ語でなく高地ドイツ語がドイツ語の標準語化のために使われた。フランスではいわば学術的に標準化が行われラテン語の起源などがしばしば参照された。だがイタリアではダンテやペトラルカが書いていたフィレンツェの言語形式が印刷術より以前から普及していた。(169-170ページ)
■印刷物が促進した体系性
「体系」(システム)という言葉が多用されるようになったのは17世紀のはじめである。これには、目次や見出しなどで論理的な構造を秩序づけて提示できる印刷物の普及が大きく関わっている。その後、体系性は方法論化された。(171ページ)
■印刷物が促進した科学技術文献や新聞
詳細な情報を正確に伝えられる印刷物は科学技術文献を普及させた。目の前の人間を超えてコミュニケーションを図れる印刷物はまた、社会全体に対して提供される政治的パンフレットや新聞を登場させた。(172-173ページ)
■シンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディア
シンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディア(例、貨幣・権力・真理・芸術)とは、かなりの確率で起こりうるノーをイエスに変換することに役立つ仕組みである。例えば貨幣は交換の成立可能性を高める。権力は秩序形成の可能性を高める。真理は学術的テキスト生成を促進する。芸術は美の生成を促進する。(181ページ)
■多数のシンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディアが宗教の力を弱める
宗教はかつてすべての頂点に立つ意味論(ゼマンティク)であった。しかしシンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディアが複数台頭し、それぞれがそれぞれの観点でコミュニケーションを促進するようになると、社会つまりコミュニケーションの総体は宗教では統一できないことが明らかになっていった。(199ページ)
■メディアの二分コード
メディアはしばしば二分(バイナリー)コードをもつ。コミュニケーションをアナログ的にではなくデジタル的に促進する[例えば貨幣なら支払う/支払わない、権力なら従う/従わない、真理なら真/偽、芸術なら美/美でない、だろうか]。このコミュニケーション過程の単純化により、コミュニケーションが促進され、さらにコミュニケーションを容易にする仕組み(プログラム)が発達する。(212ページ)
III 進化■進化理論は段階説をとらない
進化理論は(聖書的な)創造説と異なるだけでなく、変化の明確な転換点を求める段階論とも異なる。歴史学でも、古代、中世、近代の間の明確な転換点をもつ普遍的過程という観念を放棄した。例えば近代は、一つの明確な転換点 ―アメリカ発見、書籍印刷、フランス革命、ロマン主義文学、など― をもって開始されたと断定することはできない。(243ページ)
■一般的な形式の進化理論
進化理論は一般的な形式性を備えたものとしてとらえるなら、生命システム、社会システム、心理システムなどにおいても適用され、それぞれに応じて違った実現の仕方をする。(247ページ)
■進化理論の三概念
(1)変異:何かが別様になる。
(2)選択:変異に対する肯定的ないし否定的な介入
(3)(再)固定化:選択の結果の受容あるいは拒否
■偶然と進化、そしてシステム理論
変異・選択・再固定化において偶然は大きな役割を果たす。これをシステム理論で言い直せば、進化はシステムに即して生じるが、同時に[システムを包含する]環境の中でも生じる。環境は、システムが支配も組み込みもできない外部であるから、この外部からの影響は偶然とみなされる。(249-250ページ)
■進化理論は非計画的な構造変動を説明する。
人工的で意図的な計画は、進化の中の一要因に過ぎない。計画はもちろん計画通りの結果ももたらすが、同時に予見されない未調整の効果つまり偶然効果をもたらし進化に作用する。人は計画を好むが、その人が何かを達成するかどうかは別の問題であり、その人が計画を貫徹するときでさえなお進化が起こる。進化理論は計画より幅の広い理論である。計画がなされたときでも非計画的な構造変動がありうる。(250-251ページ)
■進化には飛躍的な変化、相対的停滞、後退もある。
進化は必ずしも漸次的な変化ではない。(258-259ページ)
■偶発性の必然性もしくは必然性の偶発性
進化理論の特徴を説明するのには、神学的概念である「偶発性の必然性もしくは必然性の偶発性」が適切かもしれない。(260ページ)
■進化的普遍態
ある進化の獲得物は、いったん効力をもち使用されるようになると大きな射程で使われるようになり別の形式を駆逐してしまう。これを民俗学では「支配的な類型」(dominant types)と呼ぶが、パーソンズは「進化的普遍態」と呼んだ。貨幣、文字、政治的官職、複式簿記、組織の技術、機械などが例としてあげられる。これらが普及した後、以前の形式に戻ることはまずない。(277-278ページ)
IV 分化■環節的社会
環節的社会が形成されるために必要とされる前提は、土地に人が住めること、人々が再生産できることぐらいである。(319ページ)環節的社会では、互酬性原則・感謝・扶助を通して安定している。(329ページ)
■中心/周辺分化
複数の環節的社会が何らかの形で接触し始め、それらの間の不平等が大きなものになったら、中心/周辺分化が生じる。都市と村落という形に分かれるが、中心である都市には、改めて別の分化が生じるだけの蓄積がなされる。(319ページ)
■階層分化
社会が、貴族といった上流階層とそれ以外の下流階層に分化する場合がある。ヨーロッパでは中心/周辺分化よりも階層分化の方が多く見られたが、これはヨーロッパの地理的・言語的多様性が関係していたのかもしれない。(321ページ)
■機能分化
社会がさらに複雑になると、経済や政治などの機能でも社会が分化されるようになる。機能分化したそれぞれのシステムは「非同等なシステムの同等性」を有している。つまり機能システムの間の互換関係は非同等性により妨げられているが、他方機能システムはどれも他の機能システムに対する社会優位を要求することができないという点で同等なシステムである。(322-324ページ)政治システムが経済システムを制御できないという考え方は社会主義の崩壊がそれほど昔のことでないことからすれば無条件に自明なことではないかもしれないが。(342ページ)
■機能分化と近代社会
機能分化の観点からすると、近代(モダン)社会と脱近代(ポストモダン)社会の間に断絶を認める必要はない。近代社会の実現から200年かそれ以上たった今日、私たちは何位巻き込まれたのか、私たちに何が起こっているのか、いくらかよく見通せるようになっただけである。(332ページ)
■機能主義理論を目的概念ではなくシステム概念で理解する
機能システムが目標達成のために存在していると考えるなら、目標が達成されたあとのシステムの存続が説明しにくくなる。他方、機能システムをオートポイエティック・システムの理論に転換すると、システムは二分(バイナリー)コードおよび二分コードのプラスマイナスの決定する基準であるプログラムにより作動するものと説明できる(プラスは作動をより簡単にし、マイナスは作動に対して再帰的・反省的な態度をとることを促す)。(332-336ページ)
V 自己記述■自己記述と自己観察
自己記述とは、あるシステムが自分自身の作動によって自分自身の記述を行うことである。記述は観察と異なり、テクストといった繰り返し適用できる同一性を生み出す。システムは自己記述により、自らを説明し、環境から継続的に区別する。(360ページ)
■自己記述は循環的であり、終結しない
システムが自己記述を行うなら、その自己記述するシステムは自己記述される前のシステムと異なる。その自己記述を含んだシステムを自己記述しようとするなら、さらに自己記述がなされなければならない。システムと自己記述は循環している。この循環は終結しない。(361ページ)
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『リフレクティブな英語教育をめざして』を、言語コミュニケーションの理論的理解には
『危機に立つ日本の英語教育』をぜひお読み下さい。ブログ記事とちがって、がんばって推敲してわかりやすく書きました(笑)。