2010年11月14日日曜日

証し

以下は、私が本日(2010/11/14)東広島めぐみ教会でおこなった「証し」(=神様と自分の関係に関する告白)です。


約6年前、それまで教会にはほとんど足を踏み入れたことのない私はおそるおそる、しかし藁にもすがりたい気持ちでこの教会の今日のような特別伝道集会に参加しました。私は離婚の痛手と少しずつ悪化するうつ病で追い詰められていました。苦しむ自分を受け止め肯定してくれるものを探し求めていました。

しかしその一方で私は自らを直視していませんでした。今から思えば離婚もうつ病も、私の中に巣食っていた「自己中心的な偽りの正義」から生じたものと考えられます。

大学に職を求め博士号も取得した私は、世間的には向上心を備えた仕事熱心な社会人でした。しかし内面的には、若い頃から自分の中に充たされない虚空―虚ろな空間―を抱え、それを世間からの評価で埋めてしまおうとあがいていました。

以前の私は、世間からの評価を求め、その移ろいやすい世評で自らを「正しい」と必死に証明したがっている者でした。それほどに自らの正しさを求めたのには、心の中でどこか自分が正しくないことを知っていたからでしょう。しかし私は、自分の不完全さ・過ち・愚かさ・弱さ―「神様の御心から離れている」というキリスト教的な意味での「罪」―を認めず、ごまかし、それが誰であれ相手を批判し否定することによって自らの偽り「正しさ」を誇示しようとしていました。いやおそらく今の私も、依然としてそのような者であるかもしれません。

世間の人の中にはそれを本当の「正しさ」とか「強さ」と勘違いする方もいらっしゃいます。しかし私の偽りの「正しさ」と「強さ」に真っ先に痛めつけられたのは、私の高慢な自我の最も身近なところにいた元妻と私の心身でした。妻の苦しみは離婚という形に、私の心身の苦しみはうつ病という形に結実しました。離婚とうつ病は私の罪を知らせるメッセージでした。

しかしそのメッセージを受けても私は自分の「罪」を認めず、自分を肯定してくれるものばかりを求め続けました。うつ病に関する本も、医者による客観的な記述は「この人達はわかっていない」とはねのけ、数々の本の中から自分の都合のよい記述だけを抜き出し、自分がうつ病になったのは「誠実で繊細で優しい、いい人」だからだと言い聞かせていました。それほどに心身ともに力を失い弱くなっていたのでしょう。

この教会に来たのも、うつ病の症状が重くなっても病院の薬が増えるばかりで、打つ手をなくしていたからでした。『マタイによる福音書11章28節』の「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」の言葉に惹かれて教会に来ました。

実際、教会は私の重荷を少しずつ降ろしてくれました。何よりも人々が集い、静かに祈る姿が私を理屈抜きに救ってくれました。イエス・キリストは、私のような人間に、自らの罪深さを諭し悔い改めさせるためにこの世に降り立ち、それでもぬぐい去れない私たちの罪―原罪―を贖い、父なる神からの赦しを得るために十字架にかかったのだということが、これも理屈抜きに実感できるようになりました。

アダムとイブの末裔として、いや、他ならぬ私のこれまでの人生を生きていた私自身として、私は罪深く醜い存在です。しかしそのような私でさえイエス・キリストは愛し、諭し、悔い改めを促してくださいます。私は恥ずかしい人間です。しかし私は愛されています。少なくともイエス・キリストに。私はようやく自分の不完全さ・過ち・愚かさ・弱さを少しずつですが受け入れられるようになってきました。そうやって少しずつ偽りでない強さも身につけることができるようになりました。少なくともうつ病の再発はなくなりました。離婚の苦しみからも少しずつ解放され、自らを悔い改めようとする心を得ることができました。今ようやく私は自分が良き夫でなかったことを心から認めることができます。私は償いようのない過ちを数々犯してきた人間です。私はその罪を認めます。そしてその罪を悔い、イエス・キリストが示された道を一歩でも歩もうとすることに私の人生の可能性と希望を見出しています。

『コリントの信徒への手紙一 1章19-20節』にはこう書いてあります。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか」

私は世間的には教師であり「学者」「論客」かもしれません。しかし神様はそれを打ち砕いてくださいました。そして同時に救ってくださいました。この恵みが私の人生です。一切に感謝します。アーメン。









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