2007年8月24日金曜日

「生きる」ためのタイムマネジメント

タイムマネジメントの考え方に、"URGENT"と"IMPORTANT"の軸を交差させて、四つの象限を作るものがあります。つまり平面を、直交する二直線("URGENT"と"IMPORTANT"の軸)で区切って、次の四つの部分を作るわけです(図は省略します)。


I +URGENT, +IMPORTANT


II +URGENT, -IMPORTANT


III -URGENT, +IMPORTANT


IV -URGENT, -IMPORTANT



ここでの教訓は、毎日の仕事の大半がI(至急やらなければならない重大な仕事)ばかりだと、とにかく急き立てられるだけで、もう自分で何をやっているかわからない状態になってしまうということです。あまり大きな仕事をどんどん引き受けてしまうと毎日がIばかりになりますし、また、本来はたいしたことのないIIの仕事も、溜めてしまうと締め切りの関係でIに転化してしまいます。私たちはIとIIの管理をしなければなりません。

しかしそれだけでは、人生にとって大切ですが特段急を要することではないIIIが、ついついないがしろになってしまいます。例えば私の場合でしたら健康のための運動をすること、教養の深化のための英語および日本語での読書などといったことがIIIにあたります。ですから私は日頃からIとIIの管理は当然の前提として、意識的にはできるだけ毎日の時間の中でIIIを確保しようとしてきました。

しかし、そこには落とし穴がありました。IVの時間を失ってしまうのです。「急ぎでもなく、重要でもないのだから」と私はIVの時間をほとんど皆無に近いような生活をしてしまいました。その結果、私はバーンアウトしてしまいました。この夏はIの仕事を入れすぎたのがバーンアウトの直接の原因ですが、それでもIIの仕事は変わりなくありますし、「自分を高めよう」とばかりにIIIの時間もできるだけ入れておりました(もっとも運動は止めてしまったのですが)。そうしますと、私は忙しさの中で、憔悴してしまい、意欲と感情を大きく失いました。判断力も損ない、必要のないことに躍起になったりもしました。気づく力も大きく後退して、大切なことを見逃したりしてしまいました。疲労困憊してしまっているのですが、かといって仕事以外のことができず、きちんとした睡眠も取れず、ますます自分を追い込んでしまうような状態になりました。

恥を忍んで申し上げますと、私はこのようなバーンアウトを就職して二、三年目に最初に経験して以来、何度か経験しています。いずれも自分を追い込み、しばらくは自分でも信じられないぐらいに仕事がはかどり、調子づいているうちに、バーンアウトしてしまうというパターンです。なんとか私も学習して、このパターンを繰り返さないようにしなくてはいけません。

そんなことを思いながらの盆休みに、長い間本棚においてあったデイヴィッド・クンツ著『急がない!ひとりの時間を持ちなさい』主婦の友社を読みました。とても啓発的でした。次の逆説的とも思えるような引用を読んだとき、私は膝を叩かんばかりに得心し、この本を読めたことを感謝しました。

わたしはとても充実した多忙な生活を送っているが、時にこう尋ねられることがある。「スコットさん、どうしてそんなにいろいろなことができるのですか」。それに対して、私はこう答えることにしている「一日に少なくとも二時間は、何もしないでいるからですよ」。
M.スコット・ペック

 この本では「立ち止まる」ことを次のように定義しています。


「立ち止まる」ことは、自分本来の姿を十分に自覚するために、一定期間(一秒間から一ヶ月間)できるだけ何もしないことである。(24ページ)

 立ち止まることが必要なのは、IやIIのための休息のためだけではありません。立ち止まるためのIVの時間を持つということは、むしろIやII、あるいはIIIの意味を問い直し、日頃自分が"URGENT", "IMPORTANT"と信じて止まないことを再吟味することなのです。IVは、IやIIやIIIをひっくり返すことや大きく修正ができるぐらいの偉大な意味をもった行為なのです。


立ち止まってみれば、あなたは自分本来の姿に目覚め、現在という瞬間を意識できるようになる。同時に、自分の一生を貫いている糸を見つけるのも容易になる。自分がどういう人間なのか、どこから来たのか、どこへ行こうとしているのか、そしてどこへ行きたいのかを思い出すのにも役立つ。さらには自分が求めている目標、理想、夢を思い出し、自分がいま実際にやっていることをなぜ始めたのか、それを思い出すのにも役立つ。その結果、いまやっていることが本当にやりたいことなのか、その見きわめがつくようになる。たとえこうした大問題すべてに明快な答えがでないとしても、自分が疑問に思っているのが何か、それを頭においておくのは大事なことだ。自分の疑問を忘れるのは、自分の生きる道を失うに等しいのである。(59ページ)

 ただ気をつけておかなければならないことは、IVがすべて「立ち止まること」ではないということです。テレビをだらだらと見たりすることや酒を飲んで酩酊することは、IVであり気分転換でもあるとはいえましょうが、上のような意味での「立ち止まる」ことではありません。IVの時間は、ミヒャエル・エンデの小説『モモ』岩波書店に描かれているような世界では、とても豊かに過ごされていますが、現代社会では消費文化や競争心によって、IVの過ごし方はずいぶん歪められてしまっているように思います。私たちはIVの過ごし方、「立ち止まる」ことの大切さを意識的に学習する必要があるでしょう(そう考えますと坐禅なんて、すごい文化ですね)。

 仕事のためのタイムマネジメントでは、I>II>III>IVの順で考えるべきでしょう。しかし生きるためのタイムマネジメントでは重要度はIV>III>II>Iであるべきでしょう。これら二つの正反対の重要度をバランスよく暮らしの中に統合することが職業人にとって必要なことではないでしょうか。

 私は、盆休みに上の本を読んでも、それだけでは、生きるためのタイムマネジメントがなかなかうまく習得できていないことがわかったので、このような文章をしたため、自らの学びを少しでも確実なものとしようとしました。おそまつ。

矢部正秋『プロ弁護士の思考術』PHP新書

私は自分自身大学教育の現場で判断をしなければならないことも多いですし、小・中・高の現場での実践的な判断の助言を求められることもよくあります。そのような時に、私が決してやらないように努めているのが、自分の考えだけに拘ることです。いわば理性的態度をできるだけ崩さないようにしているつもりです(実際はどうなのかはわかりませんが)。

現実は、理性的な態度より、声高あるいはヒステリックに自分の主張だけを語り続け、異なる意見には揚げ足取り的あるいは無駄に言葉数多い反論ばかりをして、他の人間に議論を続ける気を失わせてしまうような人の意見が通ることが多いのかもしれません。ですが、そのような人の意見ばかり通してしまえば、その組織あるいは共同体は早晩駄目になるだけでしょう。

自らきちんとした現実的思考をし、意見はどのように非現実的になるのかを分析できることは、「現場」できちんとした実践をするためには不可欠なことのように思います。

そういう問題意識が私にはあったので、出張先のコンビニでこの本を見つけたらすぐに購入し、その晩、ホテルで読みました。読みやすく、さまざまな洞察を得ることができた本でした。この本の内容は、目次が明瞭に語っていますので、ここではそれを紹介します。アンダーラインを引いた箇所が、著者が言う、「ビジネスや私生活に共通する『考え方の基本』(3ページ)」です。⇒の後の言葉は、それぞれの章の中の印象的な言葉です。


第1章 話の根拠をまず選りすぐる―具体的に考える
⇒時間の許す限り具体的事実を解明しよう(24ページ)


第2章 「考えもしなかったこと」を考える―オプションを発想する
⇒私は、依頼者からの相談には、最低三つのオプションを提示するようにしている。(56ページ)

第3章 疑うことで心を自由にする―直視する
⇒直視思考は、しばしば社会から危険視され、誤解されるから、懐深く隠しもち、時と場所に応じて用いることが大切である。(114ページ)


第4章 他人の正義を認めつつ制する―共感する
⇒若いときには「私の考える自分」と「他人の目に映る自分」のギャップに気がつかない。(138ページ)


第5章 不運に対して合理的に備える―マサカを取り込む
⇒いかに正しい判断をしたところで、偶然が介入する余地が30パーセントはある。(165ページ)


第6章 「考える力」と「戦う力」を固く結ぶ―主体的に考える
⇒(1)関連する事実(証拠)を確認する。(2)自分の判断の「根拠」を吟味する。(198ページ)


第7章 今日の実りを未来の庭に植える―遠くを見る
⇒「局所最善」が「全体最悪」になることがあるのが、ビジネスの難しさである。(225ページ)


私も少しでもこのような「考え方の基本」を徹底し、自らが参画する組織に良い貢献ができるように努めたいと思います。「現場での判断」をする必要がある方にはお薦めします。少しでも興味がわいたらぜひお買い求めください。


⇒アマゾンへ

2007年8月17日金曜日

栄 陽子 『留学で人生を棒に振る日本人―“英語コンプレックス”が生み出す悲劇 』扶桑社新書


 この本の著者も言うように、日本では、「多くの人にとって『英語』は自分の人生をステップ・アップさせるためのオールマイティな切り札」(45ページ)と誤解されています。「英語さえできれば・・・」という願望と現実の取り違え(wishful thinking)により、英語という切り札を得るためのとっておきの切り札としての「留学」という言葉に飛びつきます。

 しかし「留学」にはピンからキリまであるのが現実です。「留学」という言葉に過剰反応しがちな保護者、および「留学」の相談を受ける英語教師は、この書に書かれているような情報を知っておくべきでしょう。「第一章 これが"留学!?"知らなかったその実態」、  「第四章 各国の教育システムさえ理解できない人達」、「第五章 危ない留学仕掛人」の数々のエピソードは、「留学」に関する誤解や過剰な期待を打ち壊すことでしょう。

 とはいえ著者はすべての留学を否定・批判しているわけではありません。また著者の「中三レベルの英語教育を充実させ、『英語で何をするか』を考えさせること。それがこれからの英語教育に欠かせない視点ではないでしょうか。」(174ページ)という主張も正論と言えるでしょう。

 ⇒アマゾンへ