2016年1月8日金曜日

オープンダイアローグにおける「愛」 (love) の概念



前の記事(オープンダイアローグにおける情動共鳴 (emotional attunement))で、オープンダイアローグでは「愛」 (love) が重要概念として使われていることに言及しました。この「愛」という用語は、以下にもありますように恋愛的 (romantic) なものでも性愛的 (erotic) なものでもないのですが、やはり強い表現なので不必要な誤解を招きかねません(そういった誤解を避けるため、翻訳としては「友愛」や「情緒的な絆」などを使用することも考えられますが、私はとりあえず「愛」と訳しています)。

以下の論文では、「愛」という用語が非常に重要な箇所で使われています(最後の引用は、論文の最終段落です)。この概念を自分なりにきちんと理解するため、また翻訳をしてみました。

自分の翻訳と齋藤先生の翻訳 と比べてみると、後者のこなれた日本語にさすがと思わされますが、翻訳は私にとって理解・学習の手段ですので、拙い訳しかできなかったとしても、それはそれで意義があったと自分では思っています。

ともあれ、人間が関係する事象についての研究でも「愛」といった概念をきちんと考えるべきではないかという問題提起も含めて、興味のある方は以下をお読みください。明日の小学校英語教育シンポジウムでも、こういった問題提起を誤解されないように注意しながらできればと思っています。






Seikkula J and Trimble D. (2005)
Healing elements of therapeutic conversation: dialogue as an embodiment of love
Family Process, 44(4):461-75.







Observing and reflecting on his experience participating in scores of network meetings, the first author began to recognize an emotional process that, when it emerged in a treatment meeting, signaled a shift out of monologic into dialogic discourse and predicted that the meeting would be helpful and productive. Participants' language and bodily gestures would begin to express strong emotions that, in the everyday language used in meetings, could best be described as an experience of love. As in the meeting with Ingrid and her social network, this was not romantic, but rather another kind of loving feeling found in families -- absorbing mutual feelings of affection, empathy, concern, nurturance, safety, security, and deep emotional connection. Once the feelings became widely shared throughout the meeting, the experience of relational healing became palpable.  (p. 469)

この論文の第一著者であるSeikkulaは、当事者同士の集まりに何十回と参加した経験をもっていますが、その経験を観察し振り返るにつれ、ある情動的な作用に気がつき始めました。その情動的作用が集まりの中で生じると、当事者の語り方が独り語りから対話へと変化してゆきます。そしてその時点で、その集まりが当事者を力づける前向きなものになることが予測できます。参加者のことばと身ぶりが強い情動を表現するようになります。その情動表現は、集まりの中使われている日常的なことばで言うなら、愛の経験と呼ぶのがもっとも適切でしょう。イングリッドと彼女とつながりをもつ当事者の集まりの場合でもそうでしたが、この愛は恋愛とは別種の、家族の中で見られる愛の感情です。つまり、優しさ、同感、思いやり、育み、安心感、心強さ、そして深い情動的なつながりを、お互いが感じて、それを全身で受け入れることです。この感情が、語り合いを通じて広く共有されると、人とかかわることで癒されるという経験を実感できるようになります。




LOVE AS A MARKER OF MOMENTS OF HEALING

The process of healing and change in Open Dialogue meetings is subtle, embedded in the familiar language of network members as they talk about getting through their lives together. We have learned that by supporting dialogue in the conversation, encouraging free expression of emotion, and facilitating the emergence of new joint language in the community formed for the treatment, we can witness networks discovering what they need to get through extremely difficult and distressing situations and go on. Certain experiences have come to mark for us turning points in the healing process. They include strong collective feelings of sharing and belonging together; emerging expressions of trust; embodied expressions of emotion; feelings of relief of tension experienced as physical relaxation; and, perhaps surprisingly, ourselves becoming involved in strong emotions and evidencing love. Some others might like to call it a deep trust or some other more neutral term. For us, shifting the focus in a network meeting from an intervention to generating dialogue, we also take a step from applying some specific therapeutic method toward more basic human values.
Maturana (1978) wrote, “the only transcendence of our individual loneliness we can experience arises through the consensual reality that we create with others, that is, through love” (pp. 62-63). The feelings of love that emerge in us during a network meeting are neither romantic nor erotic. They are our own embodied responses to participation in a shared world of meaning cocreated with people who trust each other and ourselves to be transparent, comprehensive beings with each other. Tschudi and Reichelt (2004), whose use of network conferencing parallels Open Dialogue meetings in many ways, invoke Buber's (1923/1976)“I-Thou” relationship, a wholehearted encounter in which one engages with the other with all of oneself. Our highly focused attunement to the words and feelings of network members resonates with the most fundamental of human relationships, a relationship that developmental psychologists now recognize to be truly reciprocal and dialogical from birth. As we become fully absorbed in the profound exchanges of mutual attunement in a network meeting, we access the feelings that hold us together as relational beings and that make us truly human.  (p. 473)



愛が癒やしの瞬間を示す印となる

オープンダイアローグの集まりでの癒やしと変化の作用はさりげないもので、当事者が共に人生を共有することについて語り合う時のことば遣いの中に見え隠れしています。私たちは当事者に、会話では対話をすること、情動を自由に表現すること、互いに助け合い相補って語り合うことを勧めます。すると当事者は、現在の極度に困難で苦痛な状況を切り抜けるために何が必要であるかを発見し始め、なんとか前に進んでゆきます。この癒やしの作用の中には、ある種類の経験があり、ますがそれが転換点を示す印となっていることが明らかになってきました。その経験は次のようなものです -- 共有感と連帯感の強い感情を集団で経験すること。信頼感が形となって現れること。情動を身体で表現すること。身体がほぐれるのと同じように、緊張がほぐれることを感じること。そして驚くべきことに、療法家である私たちも強い情動に巻き込まれ、愛を感じること -- です。この経験に対して、「深い信頼感」などのもっと中立的な用語を使うことを好む方々もいらっしゃるでしょう。しかし当事者の集まりにおいて、大切なのは介入であるという考え方から、大切なのは対話の創出なのだという考えへと変わっていった私たちは、特定の療法の実施という考え方から退き、もっと基本的な人間的価値へと一歩近づいていったわけです。

Maturana (1978) は、「私たち個々人の孤立感を乗り越えることができる唯一の経験は、私たちが共に創り出して感じる実在感を通じての経験、すなわち愛の経験である」 (pp. 62-63) と述べています。当事者の集まりの中で私たちの中に現れてくる愛の感情は、恋愛的なものでも性愛的なものでもありません。共に信頼しあう人々と療法家自身が、お互いに正直にまるごとの人間であろうとする中で共に創造する意味が共有される世界が現れてきます。その世界に参加すると、私たちの身体は反応します。その身体反応こそが愛の感情なのです。Tschudi and Reichelt (2004) での当事者の集まりは、多くの点でオープンダイアローグと共通していますが、そこで思い起こされるのはBuber (ブーバー)(1923/1976)の「私-あなた」(我-汝)の関係です。この関係で、人は他者と心のすべてを込めて出会い、その他者と自分のすべてをかけて関わります。私たちはできるだけ当事者のことばと感情に共鳴しようとしてきましたが、この共鳴は、人間関係の中でもっとも基礎的な関係と重なり合うものです。それは誕生以来の関係ですが、現代の発達心理学者は、その関係こそが本当に互恵的で対話的な関係だと考えています。私たち療法家は、当事者の集まりでの相互共鳴の深いやり取りを全身で受け入れます。そのことによって私たち療法家は、関係的存在としての私たちをつなげ、私たちを本当の人間にしてくれる感情にたどりつくことができるのです。





関連記事


オープンダイアローグの詩学 (THE POETICS OF OPEN DIALOGUE)について
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/12/poetics-of-open-dialogue.html

オープンダイアローグでの実践上の原則、および情動と身体性の重要性について
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html

オープンダイアローグにおける情動共鳴 (emotional attunement)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/01/emotional-attunement.html

オープンダイアローグにおける「愛」 (love) の概念
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/01/love.html

当事者研究とオープン・ダイアローグにおけるコミュニケーション (学生さんの感想)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/03/blog-post_7.html

飢餓陣営・佐藤幹夫 (2016)「オープンダイアローグ」は本当に使えるのか(言視舎)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/05/2016.html

浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』(2005年,医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2005.html

浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(2002年、医学書院)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/07/2002.html

当事者が語るということ
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_4103.html

「べてるの家」関連図書5冊
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/11/5.html

綾屋紗月さんの世界
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

熊谷晋一郎 (2009) 『リハビリの夜』 (医学書店)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/04/2009.html

石原孝二(編) (2013) 『当事者研究の研究』医学書院
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/04/2013.html



 

0 件のコメント: