教師が日々の授業で行う「小技」も「塵も積もれば山となる」のようにいつしか大きな力となります。しかし小技には小技としての限界があることは、小技を地道に改善してきた中堅教師が感じることでもあります。
それでは、と、国などがやる「大技」に期待しますが、国などの「大技」は一律に実施を求められる融通の効かないものが多いのも周知の通りです。国などが「研究開発校」を指定して教育における実験を依頼しても、それは路線が定まった後のことです。
しかし、文部行政のみの現象ではありませんが、研究開発を行う時点で、ある施策の施行は決定済みと考える慣行があります。調査費がついたということは、実行することを意味するのが「常識」です。たとえば、小学校における外国語活動の導入には、60校を超える協力校を設けて、「実験」を試みました。けれども、この結果を踏まえて導入の可否を考えた、とは思えません。むしろ、実施にあたっての留意点などについて情報収集するために使ったと言えるのではないでしょうか。こうなると、研究開発こうにおける実験は本当の意味での実験では言えず、ほとんど決まった政策の後押しをするためのものになってしまいます。(171ページ)
かくしてこの本の著者は「本当の意味での学校単位の実験」 ―「小技」「大技」に類して称するなら「中技」― の導入を試みます。それが「633システム」、つまりは中学英語を1年生から3年生まで毎年4時間ずつ教えるのではなく、1年生で週6時間と集中的に教え、2年生と3年生ではそれぞれ週3時間ずつ教えるという方法です。(著者によりますと、この改革は現行の指導要領下で十分可能なものだそうです)
「しかし、それではかえって英語嫌いを生まないか」、「授業数が減る2年生で成績がガタ落ちしないか」、「保護者の理解をどう得るか」、「そもそも週6時間で何をするべきなのか」等など、疑問や不安はつきません。著者の教師集団は、これら一つひとつを丁寧に検討し、具体的に手立てを打ってゆきます。本書は、その試みで教師がいかに考え、いかに行動していったかの記録ともなっています。
ここではその過程と結果の詳細は割愛します(ぜひ本書をお読みください)。ですが、どうしても紹介したいのは金谷先生の報告の第二点です。
2つ目に感じたことは、教育効果の測定の難しさです。この本をお読みになればわかるように、「633システム」が「444システム」より生徒の成績(テストの点数)を非常に上げたという形跡は見当たりません。しかし、質的評価のところ (第4章) で明らかにしたように、実際に中学で教えている先生たちの実感では、生徒の伸びや自信などがはっきりと感じられているのです。 (149ページ)
確かに教育効果が上がったことは、私も読者として実感できるところです。しかしそれが明確な数字ではなかなか現れない。金谷先生も次のページで言うように、私たち教育関係者は教育の細かな(質的)エピソードを日頃から具体的に記録しておき、自らの欲目をどう抑えながら現場の実感を記述するかが、「教育研究上の急務」だと思います。(この夏に行った「英語教師が書くということ -日本語あるいは英語による自らの実践の言語化・対象化-」も、この急務に対する一つの試みとご理解ください)。
何度も言いますが「質的研究を認めるか認めないか」のような時代遅れの考えにとらわれずに、質的研究のあり方を他分野から広く豊かに学ぶことは日本の英語教育界にとって未だ課題です。(頭の固い方々が、質的研究について勉強することもなく、質的研究をする者の足を引っ張ろうとすることは、本当に残念なことです。私は時に激しい怒りすら感じます。「学者」を名乗るなら勉強していただきたい、と私は思っています)。
と、私憤が出てしまいましたが、この本の意義は「633システム」という改革を具体的に検討するだけでなく、教師を政策の「請負業専門」から、政策の「請負プラス提案者」にすることの意義を説いたことにもあります。
例えば先日(8/28)に出された中央教育審議会の答申は、「これからの教員に求められる資質能力」の第一点として次のように述べています。
これからの社会で求められる人材像を踏まえた教育の展開、学校現場の諸課題への対応を図るためには、社会からの尊敬・信頼を受ける教員、思考力・判断力・表現力等を育成する実践的指導力を有する教員、困難な課題に同僚と協働し、地域と連携して対応する教員が必要である。「思考力・判断力・表現力」というのは、文部科学省が昨今連呼する用語です。私も「生きる力」同様、この「思考力・判断力・表現力」は次の世代にとって不可欠なものだと思います。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/08/30/1325094_1.pdf
しかし私見では、文部科学省は、教師自身が思考力と判断力をもつことを促進・歓迎していないように思えます(この見解が誤りであれば、それを示すエピソードなどをぜひご教示下さい)。文部科学省が求める教師像とは、自らの思考や判断は放棄し、文部科学省が求める教育政策を豊かに教育現場で表現する人材であるようにすら思えます。思考力と判断力なしに、表現力だけを言われたように発揮する人材が文部科学省に求められているようにすら思えます(繰り返します。この見解が誤りであれば、ぜひそれを示すエピソードなどをご教示ください)。
本書も次のように締めくくっています。
自分で考え、自分で決断を下し、他者を説得するという過程を経ることによって、人はよりよく、より深く考えるようになるのです。
「考える生徒を育てたい」と教師は思います。しかし、このことは、教える教師も考える教師でなければ、達成しにくいことです。学校ぐるみの改革への努力は、一種の副産物として、教師を考える人に変えていきます。こうした意味においても、学校単位の改革努力を試みることを、どの学校にも勧めたいと考えています。(173ページ)
今や若い世代の受難が厳しく、8/28の朝刊では「大学卒の4人に1人が安定した仕事に就いていない」ことを文部科学省の学校基本調査が明らかにした」とのニュースが入ったかと思うと、8/30には「30代男性の非正規労働者の75.6%が未婚で、正規労働者(30.7%)と2.5倍もの差のあること」が厚生労働省の調査で判明したとのニュースが入りました(共に毎日新聞より)。
現在、次世代が幸福な人生そして社会を築いていける力をつけることは、学校教育の急務です。実際、学校単位などで改革を検討しているところも多いと思います。
もしそうでしたらぜひこの「中技」の実践記録をぜひお読みください。いや、そうでなくても、もしあなたが自ら考えることを放棄したくなかったなら。
追記
この本は一般書店での取り扱いがなく、直接東京学芸大学出版会(http://www.u-gakugei.ac.jp/~upress/)に注文するか、アマゾンで注文するかしか入手方法がないそうですので、ご注意下さい。
4 件のコメント:
柳瀬先生、詳しいご紹介を有り難うございました。先日、東京駅すぐの「八重洲ブックセンター」では、この本を見かけたように思います。その時は大荷物だったので購入はしなかったのですが、なんとか、入手したいと思います。
松井先生、
わざわざのコメントをありがとうございます。この本が一般書店では入手不可というのは、金谷先生のことばでしたが、大型書店などでは例外的に扱っているのかもしれません。
ともあれ、現場教師集団がどう考え、どう行動してゆくかという視点でも面白く読める本でした。
教師個人が教育改善を目指すだけでなく、教師が集団として教育改善を目指す文化も普及させたいと思います。
「一般書店での取り扱いがない」と追記にはありますが、先日、大阪の大型書店で平積みにされているのを見かけました。「一般書店での注文に応じない」ということと解釈いたします。
yoshi_motto さん
ご指摘をありがとうございました。
たぶん、yoshi_motto さんのご指摘どおりだと思います。感謝します。
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