2007年12月6日木曜日

田尻科研シンポに寄せられた感想(その6)

I県O先生のご感想

柳瀬陽介様

先日田尻先生のシンポジウムにI県から参加させていただいたOと申します。とても濃密で、濃い時間をすごさせていただき、ありがとうございまし た。

一番胸に残ったのは、田尻先生の「プロとしてのすごみ」とでも言うべ き厳しさです。

人を愛して、子どもを愛するからこそ、出会った子どもたちとの時間を 少しでも無駄にすまいというようなお気持ちが伝わって参りました。

それを自己犠牲的に破壊的に突き進めるのではなく、(本当の事は見え ないのですが)田尻先生ご自身が自然体で子どもたちに安心感を与える存在でありつづ けている、という事も、大きな魅力なのだと気づかされました。

私事ではありますが、以前企業で努めておりましたとき、体を壊す程無理をして要求に応えようとしていた際に、「君の働き方は趣味的だ。自己犠牲は言い訳だ。無理の無いように、楽しみながら、先を見て、頭を使ってこなして当たり前。大変だ、という事を見せびらかして、他人に心配させるのは、プロでは ない」と上司にきつく釘を刺された事を思い出しました。

「会社のためと思ってやっているのに」、と当時は反発しましたが、結果を出している人はみな自然体である事の不思議にも思いあたりまし た。

つねに努力は必要ですが、柳瀬先生のお言葉にあったように「自己同一 性が壊れない程度の部分変動」をしていく事で、プロとして安定したクオリティの教育を保証しうるの だと考えさせられました。

しかしこのような自己犠牲的でない、体育会系(しごき的な盲目の努 力)でない努力のあり方を、私たちはモデルとして見せてもらった事があるでしょうか。

田尻先生がおっしゃった、「大人の生き様を見せる」というお言葉は、「子どもたちが将来仕事をしていく時のモデルを見せる」という事でも あり、やはり、悲壮感を漂わせて仕事をしてはいけないのだと痛感いたしまし た。

現在非常勤講師として英語を教えておりますので、1つ1つのお話が、「自分には何ができるだろう」という問いとなって 残りました。

これから少しずつ、目の前の子どもたちを見ながら、答えを探していき たいと思います。小悟郎ではなく、子どもたちにとってのベストの自分自身の姿を目指し て(笑)


今回私は、「良い教師とはどのように生まれ得るのか」という問いも抱 いてこの会に参加しました。

私は現在、広島大学大学院の難波博孝先生の「国語科解体/再構築」という活動を手伝わせていただいています。

以前未熟ながら通訳兼アシスタントとしてカナダの小学校視察に同行し、そこで衝撃を受け、
転職し教師になりました。その後もカナダに行き、「良い教師が生まれ る教員養成」について考え、その追求はずっとつづいております。

「目の前の子どもを見て、必要な事を考え、すべき事をカリキュラム、 教科書内外から必要に応じて再構築できる」

「教科を通じて、人とつながる、人生を考える、人と生きる事を体験さ せる」

良い教師とは、どの教科であってもこのような視点と実践力をお持ちな のではと感じています。

教育改革は、上から与えられるものではなく、一人一人の教師が、子ど もたちと作り上げていくものではと、改めて考えさせられました。

教科の枠を超えて、目の前の子どもに必要な学びを充実させるにはどう したらいいのかを、
今後も考え続けていきたいと思っております。

長くなってしまいましたが、すばらしい時間を下さったみなさんに、お 礼申し上げます。
またこのような機会がありましたら、ぜひ参加させていただきたいと思 います。
ありがとうございました。

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HP 
国語科解体/再構築
http://kokugoka.com/
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