K県S先生のご感想
柳瀬先生
先日はシンポジウムお疲れ様でした。
本当にシンポジウムに参加してよかったです。
このような機会を与えてくれた多くの関係者の方に感謝しています。また,このような試みを全国のより多くの方が知って,日本の英語教育がもっとよいものになっていくことを心から願っています。300人だけの記憶として残すのはもったいので,シンポジウムの記録をなんらかの形で残し,発信していただければ幸いです。大変だとは思いますが・・・
自分なりの感想を書いてみました。
添付ファイルにて送ります。長いので・・・。
***以下、添付ファイル***
たまたま柳瀬先生のHPで田尻科研のシンポジウムが開催されることを知った。
参加者を見ると,大津先生,柳瀬先生,田尻先生と夢のような組み合わせ。驚いた。実は,3人の先生方には,大学4年生のときに大きな影響を受けたのだ。
田尻先生の授業を知って本気で教職を目指し,大津先生の本を参考文献に小学校英語についての卒業論文を書き,卒論のコミュニケーションの定義の部分で柳瀬先生の本を参考に・・・と思ったが,コミュニケーション論だけで,別の論文が書けそうだったので,断念。すみません,柳瀬先生。そんな出会いから1年余り,3人の名前を見たときは,勝手に運命的なものを感じてしまった。
しかし場所は広島。遠い。同じ日には地元で別の勉強会も開かれる予定。行こうかどうか悩む。メールを見て,1週間,2週間・・・悩む。このチャンスを無駄にすると一生後悔してしまう気がして,参加を決意。返事が来たのはシンポジウム前日の夕方だった。間に合ってよかった。
当日,前から3番目に座った。周りは,京都,新潟,山形,鹿児島と全国から熱心な先生方が集まっていた。熊本⇒広島間で遠いなぁ・・・と思っていた自分が恥ずかしくなる。全国から先生方が集まっていると知っただけでも,いい刺激になり,参加した意義があった。
では,このシンポジウムの参加を「あぁ~,よかった。やっぱり先生方はすごかった。」という感想だけで終わらせないためにも,自分なりにシンポジウムで得たことをまとめてみたい。
大津先生・柳瀬先生・横溝先生の発表
内容に関して
どの先生方も田尻先生の表面的な凄さではなく,田尻先生の芯の部分を捉えようとさせていると感じた。さすが。大津先生は,「田尻技を表面的に真似すると失敗する,心を読み取ろう」と言われた。まさにその通りだ。学生時代にも大学の先生から,田尻先生の技を真似するのではなく,心を真似しなさいといわれたのを思い出した。やはり教師として自分の信念に基づいて,生徒と向き合い,授業をしていかなければ意味がない。自分が「どんな生徒になってほしいのか」「どんな力をつけさせたいのか」をはっきり持っていなければ,どんなすばらしい先輩教師の技を真似しても失敗する。学生の頃は,その言葉の意味を頭では理解していたつもりだが,実際教壇に立って,授業をするようになって改めて実感している。もっと田尻実践の奥に隠された心を読み取りたい!自分はまだteacher’s beliefが確立していない。
これを書いていて…以前『ゆかいな仲間たちからの贈りもの』を読んだときに,菅先生,中嶋先生,田尻先生がアプローチは違うけれど,みんな根っこは同じと書かれていたことを思い出した。
3人の先生方に共通していたこと
人を惹きつける力をもっている。明快な論理展開(わかりやすい!)と合間に入る心地の良い「笑い」。なんて話すのがうまいんだ!と思った。勉強になることが多かった。
田尻先生の授業
やっぱり田尻先生は宇宙人かもしれない。どうして体験授業があの内容だったのかと考えてみると・・・中学生向けの授業を,うまく対先生用にアレンジできると考えられたからではないか。まさに体験させて気付かされた!という感じ。教師に必要な力,教師としての心構えのようなものを,楽しく体験させながら,伝えていたように思う。
以下教師に必要な力,教師として大切なことをまとめてみる(自分が気付いたもの)
○ 知っている知識と結びつける(学びの磁界)ことが必要。
→知っていたことに戻る→仕掛けが必要⇒廊下で予習するな!
後の春原先生との対談にも関連する話が出てた。(この活動と○月の活動を入れ替えよう)
その場その場の授業ではなく,しっかりと1年間,そして3年間,あるいはその先の目標と計画を持っていなければならない。自分はそのような長いスパンで授業ができているのか?NO!
○ comfortableな環境を。生徒同士が自然に話したくなる環境。
生徒を指名するときも一工夫。これも体験させられた。しかも自然な形で。自分の身をもって体験しないと普段の生徒のプレッシャーはわからない。生徒の立場になって考えなければ。
○ 言語感覚
誰かが(菅先生?)訳読は薬毒だと言っていた。田尻先生も日本語に訳したらもったいないとおっしゃっていた。実は,自分はなぜ日本語に訳したらだめなのかはっきりわかっていなかったのではないか。今日その意味が少しわかった気がする。いままでは,日本語に訳さなければいいと思っていた。ただ日本語に訳することを避けて満足していたのかもしれない。そんな問題ではない。問題は言葉の感覚。
○ 教師の英語力。
参加者はほとんどが英語の先生(とてもきれいな発音の先生もいた)のはずなのに,うまく桃太郎の絵を英語で表現できない。田尻先生の生徒の解答をきくと,中学生の英語の方が上だなと感じた。教師がどれだけシンプルかつわかりやすい英語を使うか。その点で田尻先生の英語はシンプルでわかりやすい。実は自分も中学レベルの英語を使いこなせていないと思った。教師としてトレーニングが必要。自分もできないのに生徒に求められるはずがない。
3文字カルタ文章版でも,前半で生徒がguessできるようにヒントを出してやることが教師の力だとおっしゃっていた。簡単なようだが,やってみるとなかなか難しかった。田尻先生の例を聞いて,驚いた。When you are walking in a forest, you have to be careful not to walk on …は挑戦したくなるような説明だった。
教師に必要な英語力と海外でばりばりに活躍するのに必要な英語力は違うのかもしれない。
○ 深い知識。
本当は自分が生徒に「おーっ」「そうだったのかー」という声を上げさせる存在でなければならないのに,田尻先生に「おーっ」と言わせられてたのでは,同じ教師として恥ずかしい。まだまだ勉強不足。「あぁ、あれね!」と思えるくらいまでもっていかなきゃ。授業の技術は追いつかなくても,知識は勉強すれば増える。
○ テンポ
授業のテンポが抜群。時間が経つのを忘れてしまう。ときどき入る心地よい笑いが,メリハリを与えていた。
○ レディネス
生徒が学びたい!と思ったときに,すっとわかりやすい説明で頭に入れてやる。
思わず知りたいと思ってしまう環境をつくられていた。これは学びの磁界,レディネスとも繋がるかもしれない。
自分でもそれを感じたことがある。一方的に教えるより,生徒からの質問があったときに教えた方が生徒の集中力,くいつきがいい。
○ 脱線を意図的に。
自分で脱線ネタをいくつかスットックしておいて,「ここだ!」と思ったときに話しているとおっしゃっていた。
自分の脱線はどうだろう?本物の脱線だ。話しているうちに本筋から離れていくこともしばしば。以前,上手く脱線が+αの知識に繋がったときは生徒も楽しそうだったのを思い出した。
○なにより先生が楽しそう。
生徒を楽しくするためにはまず自分から!
自分の未熟さを実感させられた一日だった。自分が教壇に立つのに耐えうる人物なのかわからなくなるときがある。しかし,少しずつ,日々の授業で自分を高めて生徒と共に成長していきたいと強く思った。
最後に・・・
このような機会を与えてくれた多くの関係者の方に感謝しています。会場の設営から,参加者へのメール大変な苦労があったと思います。本当にありがとうございました。
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