2018年1月5日金曜日

ケヴィン・ケリー著、服部桂訳 (2016) 『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』 NHK出版


雑誌Wiredの初代編集長であるケヴィン・ケリー氏の近刊についてまとめました。私は翻訳書を読んだだけで原著をチェックしていませんが、この翻訳は非常に読みやすく、読者の一人として大変ありがたく読みました。

私は20年前にホームページを始めた頃、情報革命で時代が大きく変わっていることを痛感していたつもりでしたが、情報革命ということばから新鮮さが失われた今頃になって、この革命の大きさを再び痛感しています。革命期に重要なのは、考え方を根底的に変えることです。その困難なことを少しでも行うために、このお勉強ノート(プラス私の駄言(⇒印))を作成しました。



 


この本は現在の大きな流れを12の法則にまとめて解説していますが、翻訳書はその流れをすべてカタカナで表記しています(もっとも、前書きに訳者なりの訳語は書かれていますが)。私個人は、「翻訳においてはできるだけカタカナ語を排すべき」「英語の知識を前提とした日本語訳は翻訳としては不十分」といった信条をもっていますが、これほどに世の中の流れが早いと、この翻訳書のように(あるいは落合陽一先生のように)カタカナ語を多用することも仕方がないのかなとも思えてきます。ある程度の知識を得るための日本語使用には、英語の知識が前提とされている時代に入ってきたのかもしれません。改めて日本の言語教育について考えなければと思います。

参考記事
水村美苗『日本語が亡びるとき ―英語の世紀の中で』筑摩書房
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/08/2008_16.html
橋本治(2010)『言文一致体の誕生』朝日新聞出版
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2010/09/2010.html
福島直恭(2008)『書記言語としての「日本語」の誕生 ―その存在を問い直す』笠間書院
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2010/08/2008.html


ともあれ、以下は私なりのまとめ(と駄言)です。12の法則は、私なりに漢字に翻訳してみました。


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1 過程化 (Becoming)

 今や製品は(たとえばデジカメでも)、買ったら終わりではなく、買った後もアップデートが続き、製品は過程化している。変化は止まらないので、変化していることが当たり前となる。

 インターネットも創造されてから8000日程度だが日々変化し、私たちはその変化になかなか気づかなくなってしまっている。しかし20年前のインターネットと現在のインターネットは別物と言っていいぐらいである。しかしこの変化の多くは、コンテンツの運営会社というよりも利用者がさまざまな入力をしたからだ。2050年の人間が今の状況を見たら、現在は可能性のフロンティアが広がっている時代に思えるだろう。

⇒「変化し続けることが常態」という前提を受け入れ、なおかつ変化に対して鋭敏であることが必要だとしたら、学校教育はそういった考え方と感性を教えているのだろうか。むしろ抑圧していないだろうか?


2 頭脳化 (Cognifying)

 私たちが気づかないうちに、さまざまなAIが製品やサービスに組み込まれて、それらの作動を改善している。今後は「XにAI機能をつける」という形でいくらでも事業計画が立てられるだろう。

 グーグルも、当初から「検索エンジンを作る」というより「AIを作る」ことを目指していた。グーグルはAIを使って検索機能を改良しているのではなく、検索機能を使ってAIを改良している。あらゆるものの頭脳化は、クラウド・コンピューティングによって強化される。クラウド・コンピューティングはネットワーク効果(収穫逓増の法則)に従う。

 AIはますます強力になるだろうが、それらのAIの99%は、特定機能だけをこなす「弱いAI」であり、自意識をもつような「強いAI」はほとんど作られないだろう(むしろ私たちは進化するAIに自意識が生じないように設計するべきなのかもしれない)。AIが人間とは異なる思考をすることは短所でなく長所であるととらえるべきだ。AIということばは、Alien Intelligenceの略号となるかもしれない。AIによって私たちは「人間とは何か」という洞察を深めることができる。

 これからの仕事を、私たちとロボットの関係から分類すると次の4つに分けられる。

(1) 人間ができるが、ロボットの方が上手にできる仕事
(2) 人間にはできないが、ロボットができる仕事
(3) 我々が想像もしなかった仕事
(4) まずは、人間にしかできない仕事

 私たちはロボットと競争するのではなく、ロボットと協調して働くことが求められる。

⇒「外国語学習にAI機能をつける」とはどういうことだろう。スマホでもできるDuolingoのアプリぐらいしか今のところ思い浮かばない自分の想像力の貧困さが嘆かわしい。

上の四種類を教師の仕事でいうなら、(1)として採点業務が、(4)として個々の学習者に寄り添うことがすぐに思い浮かぶが、(1)をすぐにスタートさせることもできず、かといって(4)に大きな自信をもっているわけでもない。想像力を働かせ、自分の人間らしさを開拓しなければと思わざるを得ない。


3 流動化 (Flowing)

 インターネットは、データを瞬時に複製し世界的に流通させることができる。私たちは今、コンピュータ化の第三段階にいる。

(1) 古いメディアの模倣をする段階(例、「デスクトップ」「フォルダー」「ファイル」)
(2) ウェブの原理での体系化が始める段階(例、ファイルはページとなり、ページはフォルダーでなくウェブに並べられる)
(3) 流れとストリーミングが主流になる段階(例、瞬時の反応や決済。多くをリアルタイムで処理)

 この流動化の傾向が強まるにつれ、コピーできないもの(例、信用)の価値が高まり、データは他のデータとリンクされ協働的な生成の流れに乗ることが重要になった。

⇒私はホームページ・ブログを始めて20年になるが、まだ十分に流動化の波に乗れていない(というより、英語圏の潮流には入り込めてすらいない)。もっと自分の活動を流動化して、折々にその流れの勢いを論文という形に結晶化しなければと思う。


4 投映化 (Screening) 

 グーテンベルグの印刷革命は世界を変えたが、今や私たちは50億を超えるデジタルスクリーンが世界を変える過程の中にいる。デジタルスクリーンではことばと画像・音声が徐々に融合している。また「本」も完成・完結したものから、編集されタグ・リンク付けされシェアされ書き足されたりする(ウィキペディアのことを考えてみよう)。言い換えれば、デジタルスクリーンへの投映化へと移行するにつれ、本も過程化・頭脳化・流動化する。科学でも同じことが起こっている。

 またデジタルスクリーンは私たちに見られるだけではなく、私たちを見ることもできる。私たちの行動を観察して即時にそれに対応することもできる。このことによってさらに革命的な変化がもたらされるだろう。

⇒この点、学校教育の中心媒体が印刷本と黒板というのはいかにも時代遅れだと思う。と言う私とて、板書をパワポで投映しその形で学生に配布し、学生からの感想をBb9に書かせているぐらいだから、私のコンピュータ化もまだ「古いメディアの模倣をする段階」にすぎない。もっとコンピュータ化を進めなければ。


5 共有資産化 (Accessing)

 ウーバーは一台も車を所有せず、フェイスブックは一つもコンテントを作っていない。エアビーアンドビー (Airbnb https://www.airbnb.com/) は一軒も不動産を所有していない。だがこれらの企業は、資産を共有資産に変えて、それにアクセスするプラットフォーム(制度基盤)を作り上げて繁栄している。私たちの行動様式が「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用 (subsription)」へと転換している。

 プラットフォームは、組織と市場に続く、人間の仕事を体系化する第三の方法である。プラットフォームは組織よりも自由で、市場よりも制限されている。プラットフォームの制度基盤の上に参加する人や組織は、互いに一種のエコシステムを作り競争と協調が混じり合った形で共存共栄している。プラットフォームを提供する会社はAPIを公開し多くの人や組織を自分のプラットフォームに招いている。

⇒下のサイトは、小規模のプラットフォームを作ったつもりだったが、まだ十分に機能してはいないし、もっともっと作業を効率化できるはずだ。

広大教英生がお薦めする英語動画集
http://kyoeivideoselection.blogspot.jp/
広大教英生がお薦めするGraded Readers
http://kyoeigradedreadersselection.blogspot.jp/

 また、自分としてはSNSのプラットフォームをうまく使いこなしたいが、Twitterもまだうまく使いこなせていないし、Facebookはどうも好きになれずほぼ放置している。LinkdInやACADEMIAも放置したままだ。このブログは、少しは知的資産の共有化に貢献しているかもしれないが、ブログ内の検索精度が悪く自分でも使い勝手を改善したいと考えている。


6 共有社会化 (Sharing)

  現在、世界にはデジタル版の社会主義のようなものが発生し始めているのかもしれない。これは中央集権主義で統制経済を行ったソビエト型の社会主義とはまったく異なり、国境のないインターネットの上で分散的なネットワークを形成している。ブログやYouTubeやSNSを見ても、コンテンツの作成者はそれを無償で提供しそれが共有されることを臨んでいる。またクラウドファンディングに参加する者は創造的な人を育てるために協働している。

 こうしたテクノロジーによる共有は、分散した人々の協調という新しい政治のOSなのかもしれない。編集者やキュレーターに相当する媒介・介入があれば、大衆の創造力はすばらしいものを生み出し、それは共有されるだろう。

⇒「社会主義」ということばにはアレルギーをもつ人も多いかもしれないが、私たちがますます「社会」(つまりは異なる人々のつながり)の力を実感しているのは事実だろう。もちろん悲観論を述べるなら、私たちはますます同好の士とばかりつながることを求めてエコー・チェンバー効果にやられていることになるが。



7 自動選別化 (Filtering)

 莫大な量の情報は、うまくフィルターで選別されないととても人間には処理できなくなる(Herbert Simon "a wealth of information creates a poverty of attention and a need to allocate that attention efficiently among the overabundance of information sources that might consume it")。フィルタリング(自動選別)システムは頭脳化され、共有資産・共有社会化され、流動化されて永遠の過程となるだろう。そのシステムはどんどん洗練され、うまく工夫すればフィルターバブルの悪影響からも逃れられるかもしれない。

⇒フィルタリングシステムとして以前はRSSを使っていたが、今はそれがTwitter(のList機能)になっている。しかし肝心の自分の専門の分野については、出版社からのメールぐらいで、後は昔ながらの口コミぐらいである。これも改善しなければ。


8 再編創造化 (Remixing)

 リミックスとは何も新しい現象ではなく、私たちはこれまでも古いものを組み合わせては新しいものを作ってきた。デジタルテクノロジーは、古いデータを再編し新たなものを創造することを飛躍的に容易にした。映像文化の中心にいるのは、もはやハリウッドのプロデューサーというよりは、世界各地に分散しているYouTubeへの投稿者であろう。その製作時技術は日々進化している。

⇒極端なことをいえば、論文を書く時もこのリミックスが重要。この過程を機械化して効率をあげないととても論文が書けないような気がする。これは早めに行動に移そう。


9 相互作用化 (Interacting)

   機械と人間の相互作用は、ますます洗練され多感覚的になる。VR (Virtual Reality) の精度は現時点でも相当に高い(William Gibsonの "The future is already here — it's just not very evenly distributed." ということばは、1990年に彼が20を超えるVRのデモを徹夜で見た翌朝に語られた)。また、現実世界に映像を投影するAR (Augmented Reality) も日々進展している。やがて機械と人間の相互作用は、コンピュータを脳に直接つなぐことにいたるだろう。

 VRは、パソコン、モバイルに並ぶ破壊的変化を起こすプラットフォームとなるかもしれない。

⇒VRについては私の理解・経験は完全に欠落している。今後注目しなくては。


10 自動記録化 (Tracking)

  自分のあらゆるデータを自動的に測定し記録し続けるセルフ・トラッキングのシステムは、被験者一人 (N=1) の実験といえるかもしれないが、それは自分という固有の人間にとっては貴重なデータ (quantified self) となる。このデータがフィードバックされれば、自分の身体は以前なら感じることができなかった感覚を感じることを学ぶことができるかもしれない。

⇒iPhone/iPadの環境だと、興味あるサイトはすぐにEvernoteに入れられるが、デスクトップPCだとそれが少し(数秒)の手間がかかり、その手間のせいで記録を怠り、後で悔やむことが多々ある。せめて自分の知的関心に関するデータは半自動的に記録できるようなシステムを作っておきたい。


11 発問化 (Questioning)

  インターネットとAIによって質問の答えを得るコストが劇的に下がった今では、答えを得るよりも良い質問を発することの方が大切になってくる (Pabro Picaso "Computers are useless. They can only give you answers.")。すぐに答えが出ずに、新しい思考やイノベーション、ひいてはさらなる発問を生み出す発問をすることを私たちは学ぶべきだ(それはひょっとしたら機械が最後までできないことかもしれない)。

⇒これに関してはまったくその通り。学校教育はここに力を入れなければならないが、試験制度改革を見ているとその方向を目指しているとはとても思えない。


12 新生化 (Beginning)

 後世の歴史家からすれば、現在は、人類が初めて互いにリンクし一つの大きなものとなった時代の始まりと思えるかもしれない。私たちはそのつながりに頭脳化した物体も加え、そのつながりを一つの超知能にしている。これは地球史上もっとも驚くべき出来事なのかもしれない(ケリー氏はこのつながりを「ホロス (holos)」と呼んでいる)。

 ホロスは、おそらく人類を支配するような「強いシンギュラリティー」とはならず、人間と機械が複雑に相互依存するシステムとなるだろう。

⇒この歴史観は妄想といえば妄想といえるかもしれないが、私はこのような大局観は重要だと思う。少なくとも自分がいる時代を遠くから眺める想像力は大切にしたい。





落合陽一 『魔法の世紀』『これからの世界をつくる仲間たちへ』『超AI時代の生存戦略』


私は複数の友人が口にする著者の本はできるだけ読むようにしています。落合陽一先生のこの三冊の本(この記事の一番下に掲示しています)もそうやって読みました。読んでみて、現代とはどういう時代なのかについての理解が深まったような気がします。以下は、私なりのまとめですが、いつものように私の誤解や偏りにみちた要約で、しかも今回は自分の考えも混ぜ込みましたので、興味をもった方は必ずご自身で本をお読みください。


■ 魔法の世紀とデジタルネイチャー

落合先生は、現代という時代を「魔法の世紀」(=ほとんどの人にとっては魔法としか思えない技術が当たり前に使われる時代)として、世界を「デジタルネイチャー」(計算機自然)としてとらえます。

デジタルネイチャーとは、「物質、精神、身体、波動、あらゆるものをコンピュータの視座で統一的に記述していくような 計算機的自然観」です(『これからの世界をつくる仲間たちへ』 (Kindle の位置No.1355-1357))。この自然観に基づいて創られ進化する世界は、 「人間とコンピュータの区別なくそれらが一体として存在」 する世界となります。(『魔法の世紀』 (Kindle の位置No.1851-1853))。


■ 人間とコンピュータの共生

このデジタルネイチャーの考え方の根底には、「人間とコンピュータはどちらがミトコンドリアなのか」(『これからの世界をつくる仲間たちへ』 (Kindle の位置No.1329))という問いがあります。ミトコンドリアは、もともとは独立した生物でしたが、(人間を含む)真核細胞生物はミトコンドリアを飲み込んで、以来、真核細胞生物とミトコンドリアは共生しています。それでは人間とコンピュータでは、コンピュータの方がミトコンドリアなのかといえば、落合先生はそれほど簡単な話ではないと考え、人間とコンピュータの上位概念としてデジタルネイチャーを設定したわけです。

このデジタルネイチャーの考え方によれば、人間とコンピュータは入り混じり共生していることになります。これはそれほど突飛な考え方ではなく、私たちがEメールやSNSを使いこなしているようでいて、実はかなりそれらに追われ巻き込まれていることを思い起こせば、今の私たちはデジタルネイチャーの中に生きているという考えもそれほど無理なく受け入れられるでしょう。


■ 人間とコンピュータの間の対話

人間とコンピュータが共生するとなると両者がどのように対話をするのかという話になります。もちろんその対話(あるいはインタラクション)も、人間がもっぱらコンピュータが提供するサービスの受益者・消費者として振る舞う場合は、人間の直感に近い形で対話ができます(すぐれたサービスはそのように作られていますから)。それでも、いろいろなアプリを思い出してくださればいいのですが、人間はそれなりにコンピュータの論理に基づく操作法を学ばねばなりません。

ましてや人間がコンピュータ(サービス)を作り出すことになれば、究極的にはプログラム言語を学ばねばなりません。もちろんプログラミング言語を操るのは一部のプログラマーだけでしょうが、そのプログラマーに作ってもらいたいプログラムのアイデアを語ったり、それ以前に自分がやりたいことを整理する時には、多くの人も、論理的に思考しなければなりません。ブルーナーの言い方を借りるなら、論理-科学的 (logico-scientific) ・科学規範的 (paradigmatic) 様式で考え、言語を使用しなければならないとなるでしょう。

関連記事:J. Bruner (1986) Actual Minds, Possible Worlds の第二章 Two modes of thoughtのまとめと抄訳
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/10/j-bruner-1986-actual-minds-possible.html

論理-科学的様式の言語で語れるように物事を解釈し説明する力を、落合先生は「言語化能力」としています。

言語化能力とは解釈力や説明能力のことであって、 語学力のことではありません。どんなに英語が流暢でも、解釈が低レベルで説明が下手なのでは、話を聞いてもらえない。重要なのは語学力ではなく、相手が「こいつの話は聞く価値がある」と思えるだけの知性です。(『これからの世界をつくる仲間たちへ』 (Kindle の位置No.1506-1508))

この落合先生の見解は、同じく計算機科学の新井紀子先生の見解にも重なります。

単に流暢な英会話ができたとしても、国際社会を生き抜けるわけでも尊敬を集められるわけでもありません。実はそこで語られているのは、数学をベースにした科学技術言語なのです。そのことを日本人はもっと自覚すべきでしょう。

関連記事:新井紀子 (2010) 『コンピュータが仕事を奪う』 日本経済新聞出版社
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/09/2010.html

英語教育においても、ただとにかく喋れる・書けるようになることーーいわゆる「語学力」の向上ーーを目指すのではなく、論理-科学的様式で語り・書くことーー「言語化能力」を目指すことを目指すことが重要となるでしょう。

もちろん論理-科学的様式で言語を使うことは、英語といった第二言語の教育だけで訓練するものではなく、第一言語で訓練することでしょう。また、その訓練は国語だけでなく数学や理科や社会などの教科、およびそれらの教科を超越したプロジェクトで行われるべきでしょう。

極端な話をすれば、第一言語で論理-科学的様式をマスターしたら後はなんとかなると言えるかもしれません。実際これまでも「語るべき内容をもっていれば、後は通訳を雇えばいいだけのことだ」といった意見もありましたが、いかんせん通訳を雇う費用が大変でした。しかし、現在では、標準的な言い方・書き方ーー多くの場合、論理-科学的様式の言語使用ーーを入力すればスマホの翻訳アプリでもかなり信頼できる翻訳が無料でできます。

人間中心の世界観に基づき人間と人間の間のコミュニケーションだけを考えていたこれまででは、論理-科学的様式の言語使用は科学者やエンジニアといった一部の人だけのものだったのかもしれません。ですが、仕事や生活でコンピュータと共生が前提となる時代では、論理-科学的様式の言語使用の重要性は非常に高くなるでしょう。


■ 論理-科学的様式の言語と物語様式の言語の間の翻訳

それでは言語教育は論理-科学的様式の言語だけに集中すればよいのかといえば、そうではないでしょう。なぜならどんどんと新しいコンピュータ(サービス)を作り出そうとすれば、今のところは論理-科学的様式の言語では表現できないが、人間としては確かに感じている「意味」を語ることーーブルーナーの用語なら物語様式の言語で語ることーーも重要になってくるからです。(少なくとも今のところの)コンピュータは物語様式で思考することが不得手です。デジタルネイチャーに住まう魔法の世紀だからこそ、逆説的に物語様式が重要になるわけです。

そうして物語様式の言語使用を進化させたら、その言語使用を論理-科学的様式に翻訳することが重要になるでしょう。同時に、コンピュータ(サービス)を商品として普及されようとしたら、その商品の論理-科学的様式の論理を物語様式の語りに翻訳することも重要になるでしょう(アップルのプレゼンテーションがその例でしょうか)。

参考記事:スティーブ・ジョブズのプレゼン術を徹底分析!〜歴史的名演「iPhone」とベストプレゼン10選〜
http://conlabo.jp/stevejobs-presentation-556

こうなると、これからの言語教育は、論理-科学的様式の言語使用、物語様式の言語使用、両者間の翻訳の3つが柱になるのかもしれません。さらに言語教育を第一言語教育と第二言語教育に分けて考えますと、それぞれの言語教育での3つの柱に加えて、第一言語と第二言語間でそれぞれの様式で翻訳することという第4の柱も加えられます(異言語・異様式での直接翻訳は困難なので、まずは言語間次に様式間、あるいはまず様式間次に言語観という順序で間接的に翻訳をすることが現実的でしょう)。しかしこの第4の柱である異言語間同様式翻訳のうち、論理-科学的様式間の異言語翻訳は、コンピュータによってずいぶん支援(あるいは代替)できるものとなるでしょう。この言語教育の整理を図示したのが下の図です。





■ 人間の意欲(モチベーション)

物語様式の思考・言語使用を人間がコンピュータに補うべきなのは上で述べた通りですが、人間はコンピュータに意欲(モチベーション)も補う必要があります。現時点でのコンピュータは自らの意欲をもたないからです。「私はこれがコンピュータでできるようになってほしい」という意欲がなければ、コンピュータは「何でもできるはずだが何にもしない箱」になってしまいます。

しかしコンピュータに人間の意欲を教える時にも、最終的には論理-科学的様式の言語使用に落とし込む必要があります。コンピュータをプログラミングする前に、まずはプログラマーなどの協働者に人間言語でその意欲に価値があるを伝えなければならないからです。落合先生によれば、その際に大切なのが、5つの問いあるは3つの観点からの言語化です。

5つの問い
(1)  それによって誰が幸せになるのか。  
(2)  なぜいま、その問題なのか。 なぜ先人たちはそれができなかったのか。  
(3)  過去の何を受け継いでそのアイディアに到達したのか。  
(4)  どこに行けばそれができる のか。
(5)  実現のためのスキルはほかの人が到達しにくいものか。
『これからの世界をつくる仲間たちへ』 (Kindle の位置No.1150-1154)

3つの観点
(1) モチベーション:なんでそれやるの?
(2) 抽象化した意味:それはどういう意味があるの?どんな機能なの?
(3) 使った結果:それを使うとどんないいことがあるの?今後どうやって使ったらいいの?
『超AI時代の生存戦略』 (Kindle の位置No.993-998)

このようにして自らがもつ意欲を形にすることが重要ですが、もちろんそもそも自分に意欲があることが前提です。これも逆説的に聞こえるかもしれませんが、デジタルネイチャーにおいて、ヒューマンネイチャー(人間の自然=身体)の重要性はますます高くなるでしょう。


■ クリエイティブ・クラス (the Creative Class)

こうして言語化能力を、論理-科学的様式の言語と物語様式の言語でも、第一言語と第二言語でも、両様式間でも両言語間でも高め、人間の意欲をコンピュータに教え、デジタルネイチャーでより快適で幸せな生活を可能にするなら、その人は決して仕事を失うことはないでしょう。そのような人は、クリエイティブ・クラス (the Creative Class 創造者階級) という社会階層に属すると呼ばれるでしょう。

参考記事:the Creative Class
https://en.wikipedia.org/wiki/Creative_class
https://www.questia.com/library/120081994/the-rise-of-the-creative-class-revisited

私たちは人工知能 (AI) のことを考えると、「AIに仕事を奪われる」といった恐怖感に襲われ「AI 対 人間」という構図で考えがちですが、実はそれは「クリエイティブ・クラス 対 非クリエイティブ・クラス」という構図、あるいは落合先生のことばを借りるなら「機械親和性の高い人間」とそうでない人間の「戦い」(『超AI時代の生存戦略』 (Kindle の位置No.187-188))として考えるべきなのかもしれません。

ここで公教育の責任もより重大になってきます。機械的親和性が高く、言語化能力に富み、創造的な人間を育てないと、デジタルネイチャーが生み出す豊かさを享受することができない人を増やしてしまうかもしれないからです。

落合先生の本からは、(言語)教育についてもいろいろと考えさせられました。

落合先生の講演(約40分)は下でも見ることができます。






■ 三冊について

私見に過ぎませんが、一番読みやすいのが『これからの世界をつくる仲間たちへ』、読み応えがあるのが『魔法の世紀』、挑発的なのが『超AI時代の生存戦略』でしょうか。1月末には新刊も出るようです。


『これからの世界をつくる仲間たちへ』



『魔法の世紀』



『超AI時代の生存戦略』





2018年1月4日木曜日

松尾豊 (2015) 『人工知能は人間を超えるか』、松尾豊・塩野誠 (2016) 『人工知能はなぜ未来を変えるのか』



これからの教育を考える上で、人工知能との共存という視点は欠かせないと考えますので、まったくの素人レベルで人工知能について少しずつ勉強しています。この記事は松尾豊先生の入門書を読んで作ったお勉強ノートの一つです。文系の悲しさで、肝心のディープラーニングについての理解が不十分で、初歩的あるいは派生的な話題について少しまとめただけです。それでも、私の誤解も入っていると思いますので、ご興味をもった方は必ず原著をご参照ください。

■印は私なりのまとめ、⇒印は私の蛇足です。なお、私は両書ともにKindle版で読みましたので、以下にはKindle版の位置番号を書いています。


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■ 3つのAIブーム (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.44とNo.633とNo.960)

第一次ブーム(1956-1960年代):推論・探索で特定問題を解く。しかし、いわゆる「トイ・プロブレム」しか解けない。
第二次ブーム(1980年代):コンピュータに「知識」を入れる(エキスパートシステム)。しかし人間からの知識抽出が大変だし、知識の数が増えると相互矛盾が生じるなどの問題が起きた。
第三次ブーム(現在):ビッグデータとディープラーニング(「特徴表現学習」)。「ライトウィエイト・オントロジー」でコンピュータにデータから自動で概念間の関係性を見つけさせる(例、IBMのワトソン)。

⇒現在、AIがブームになっている背景要因の一つは、ウェブでビッグデータが集まったこと。私の身近な経験でいっても、SpotifyGoodreadsのお薦め機能は非常に適確だったが、それには多くの人々の嗜好データが入っているから。そのビッグデータを活用できるようになったのはディープラーニングという方法が開発されたため。



■ 科学的前提 (『人工知能は人間を超えるか』  Kindle の位置No.450)
「人間の知能は、 原理的にはすべてコンピュータで実現できるはず」

⇒多くのコンピュータ科学者は、この前提で仕事を続けている。ただ、シンギュラリティといった「強いAI」がすぐに到来すると考える人は、実際に人工知能開発に携わっている科学者・エンジニアには多くない模様(もちろん専門家というのは大きく誤りうるものだが・・・)。


■ 人工知能の4つのレベル (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.530-No.553)
レベル1: 人工知能と呼ばなくてもよい制御プログラム。制御工学やシステム工学で実現。
レベル2: 古典的な人工知能。推論・探索や知識ベースで入力と出力を関連づける。
レベル3: 機械学習を取り入れた人工知能。パターン認識をベースにビッグデータで進化。
レベル4: ディープラーニング(「特徴表現学習」)を取り入れた人工知能。機械が特徴量自体を学習する。

⇒レベル3から4への発展は、私のような素人にはピンとこないが、専門家にとっては衝撃的なこと(その認識の差を少しでも埋めるため、私はこのように恥ずかしいお勉強ノートを作っています)。


■ 「特徴量」とは (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.772)
特徴量とは「データの中のどこに注目するか」ということであり、それによってプログラムの挙動が変化する。

⇒この「特徴量」が重要概念の一つ。特徴量を設計する科学を「フィーチャーエンジニアリング」と呼ぶが、日本語訳には「素性工学」、「特徴量工学」、「素性設計」があるが、松尾先生は「特徴量設計」という訳語を選んでいる。(『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置1407-1408)。以下のインタビューとスライドも参照のこと。

松尾豊:人工知能テクノロジーの現状と可能性
https://www.worksight.jp/issues/607.html
松尾豊:人工知能は人間を超えるか(スライド)
https://www.ipa.go.jp/files/000048577.pdf


■ これまでの機械学習の難点 (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.1333-No.1349)
どんな特徴量を入れるかという「特徴量設計」 (feature engineering) は、人間が考えて行うしかなかった。

⇒下のWikipedia解説も参考のこと
Wikipedia: feature engineering
https://en.wikipedia.org/wiki/Feature_engineering


■ ディープラーニングとは (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.1442-No.1773)
ディープラーニングとは、機械が自ら特徴量をつくり出す機械学習であり、多階層のニューラルネットワークで実現される。

⇒ディープラーニングについては、松尾先生の本を読んで私なりにまとめを作りましたが、そのようにあやふやな理解を書くよりも、下の動画解説を見た方がはるかによいので、動画を埋め込んでいます(英語ができる人なら、『人工知能は人間を超えるか』を読めばこの動画のあらましは理解できるはずです)。


But what *is* a Neural Network? | Chapter 1, deep learning



■ 人間の仕事 1 (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.2317-2330)
人工知能が発展する中で、人間の仕事として重要なものとして残るのは、「大局的でサンプル数の少ない難しい判断」と「人間に接するインターフェース」、および「人間と機械の協調」であると考えられる。

⇒これらのうち、多くの人が選べる仕事は「人間に接するインターフェース」として働くことだろう。だが、もちろん人間と機械の間のインターフェースであるので、機械の考え方を理解し「人間と機械の協調」を志向しなければならない。全員がプログラマーになるわけでもないのに、プログラミング教育 ("Learn to code") が推奨される理由の一つはここにあるだろう。


■ 人間の仕事 2 (『人工知能はなぜ未来を変えるのか』 Kindle の位置No.2663-2665)
定型的な問題の解決は機械に任せるにせよ、ある問題には答えが出るのか出ないかを調べるとか、答えが出ない時にどう対処するかとか、答えがある問題にどう変えるかといったところもこれから大切になるだろう。

⇒これは相当に高度な知性だが、今後の教育はそういった知性の涵養を目指さねばならないだろう。


■ 人間が得意なこと (『人工知能はなぜ未来を変えるのか』 Kindle の位置No.666-708)
人間は、生物として少ないデータからいかに人より早くパターンを見つけるかという競争をやっている。また、人間は目的に応じて判断の基準を変えている。自分の興味に基づいて生き物的な関心に基づいて順位をつけているとも言える。

⇒ "How much you learn"に関して人間は機械に敵うわけもないが、"How fast you learn"なら勝負できるかもしれない(素人的妄想)。ちなみに、"How fast you learn"ということの前提は"How fast you unlearn"ということ。いわば自分の古いOSを捨てて、アップデートする、あるいは新しいOSをインストールするようなことがますます重要になってくるのだろうか。


■ 人間の癖 (『人工知能はなぜ未来を変えるのか』 Kindle の位置No.835-906)
人間は、相関関係よりも因果関係で物事を捉えようとする。人間は言語的に何らかの理由をつけてストーリを作って納得しがち。

⇒これはよく知られた人間の特性。私たちは下手をすると相関関係ですら因果関係として解釈しがち。


■ ストーリーを作るとは (『人工知能はなぜ未来を変えるのか』 Kindle の位置No.986-993)
機械学習的に言うなら、ストーリーを作ることは、別のドメイン(領域)の知識を持ち込むこと。転移(トランスファー)によって、学習速度を高める技術とも言える。

⇒「ストーリー」とは、部分的情報から抽象化された素材と筋書きの相互作用のパターンだが、機械はまずこの抽象化が不得手。さらに、ある現在進行中の事象に対して、別の分野でのストーリーをもちこんで、それなりにうまく予測を立てることは機械はもっと不得手。


■ ストーリーによる学習 (『人工知能はなぜ未来を変えるのか』 Kindle の位置No.2702-2706)
人間は、幼い頃から聞き語りや本や映画などで多くのストーリーに接しているがそうした経験を転移させることによって、今・ここという特異な状況の理解を効果的に行っている。この人間的な力は今後とも伸ばすべきだろう。

⇒安直な言い方だけれどこういった「人間的な知恵」「人文的な素養」について、物語論を勉強することによって理解を深めたいというのが私の現在の目標の一つ。

関連記事:J. Bruner (1986) Actual Minds, Possible Worlds の第二章 Two modes of thoughtのまとめと抄訳
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/10/j-bruner-1986-actual-minds-possible.html


■ 人間の言語 (『人工知能はなぜ未来を変えるのか』 Kindle の位置No.2680-2681)
人間の言語は、一単語に多くの意味が入っており、話し手のニューロンの発火の状態を、5-10分程度の時間である程度、聞き手に伝えることができる。機械の観点からすればこれは相当すごいことである。

⇒ルーマンの用語を借りるなら、「現実性」に「可能性」が統合されてこその意味。人間の意味には可能性があるからこそ、上のような離れ業ができる。しかし、現在では意味の可能性の側面がどんどんないがしろにされている。

関連記事:意識の統合情報理論からの基礎的意味理論--英語教育における意味の矮小化に抗して--全国英語教育学会での投映スライドと印刷配布資料
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/08/blog-post_9.html


■ 大局的予測 (『人工知能はなぜ未来を変えるのか』 Kindle の位置No.1072-1080)
数年単位の動き(例、中国の動向)は、原理的に数十年でもサンプルが10回しか取れないから、他の事象からの転移による予測が有効。こういったサンプル数が少ない中のストーリー予測は人間の方が得意

⇒ただし言うまでもなく、このような大局観を得るのは相当に困難。しかし、だからこそ得る価値があるのであり、教育も短期間で獲得・測定できる項目の教え込みばかりでなく、このように長期的に培うしかない知恵の習得を目指すべきではないのか。


■ 「意識」とは (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.591)
機械が特徴量を生成する段階で、自分自身の状態を再帰的に認識し、機械が考えていることを機械自体がわかっている「入れ子構造」が無限に続く場合に、そこには「意識」と呼んでよい状態が出現するのではないか。

⇒「意識」については私が個人的に興味をもっているのでここに短くまとめた。


■ 意識の存在理由 (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.1403-1407)
自己意識の存在理由は、人工知能に世界をシミュレートする装置を入れることで説明できる。人工知能が何かを行おうとする際は、世界のモデルを自己の中にもつ方がよいが、この世界のモデルの中には自己という存在が要請される。この自己の中の自己を観察することが自己意識となる。

⇒この考え方はJulian Jaynesの考え方と似ている。
関連記事:Consciousness according to Julian Jaynes
http://yosukeyanase.blogspot.com/2010/03/consciousness-according-to-julian.html


■ 記憶とは (『人工知能は人間を超えるか』 Kindle の位置No.1546)
記憶とは、何らかの実体を引き出しの中から取り出すような単純な話ではなく、膨大な情報から何を抜き出すかを決める特徴量を抽出することだと考えられる。ゆえに、特徴量の異なる人からは違う記憶が生み出されるのではないか。

⇒これも個人的興味でのまとめ。「意識」も「記憶」も松尾先生にとっては派生的なテーマであると私は理解している。