2011年12月8日木曜日

木村敏(2010)『精神医学から臨床哲学へ』ミネルヴァ書房

私は2009年から2010年にかけての冬に集中的に木村敏の著作を読んだのだけれど、きちんとまとめる機会を失ったまま今日に至っている。私の場合は、本を読んだらこのようにブログに書くか、自分専用のノートにまとめないとどうもわかった気にならない。

だから後日この自伝的な『精神医学から臨床哲学へ』が発刊され読んだ時には、せめてこの本ぐらいはまとめておこうと思っていたのだけれど、これも機会を失い続けてしまっていた。しかし今度の日曜日の翻訳シンポジウムの準備をしていて、この本から多く引用したくなったので、ついでにこのブログ記事も書くことにする。

といってもここではその本の中で翻訳に関するところをまとめるだけである(音楽論についてもぜひまとめておきたいのだが、今は時間がない)。

翻訳と自作については、最近では村上春樹のように両方を行いその2つを相補的に働かせている小説家もあるが、研究者ではやはり「一般論として、翻訳の多い人は自説を展開した著書をあまり書かず、逆に独創的な思想をもって何冊も本を書いている人は翻訳をほとんどしない」(298ページ)とされている。しかし木村敏は、オリジナルの著作を多く出版しながら翻訳書も20冊近くある(298ページ)という点でまさに異例ともいえる存在である。木村は言う。


これは結局、私は翻訳が好きなのだということらしい。原著者が外国語で表現しようとしている思索の内容を日本語で表現し直すとどうなるか、それをあれこれ考えるのはなかなか魅力的な仕事だし、外国語の勉強というだけでなく日本語の訓練にもなる。若い人の教育に読書会を利用するという私の昔からの習慣も、その延長上にあるのだろう。(298-299ページ)


だが、これを木村の個人的嗜好だけの問題として語るのはあまりにももったいない。というのも以下に一部を紹介するように、木村の翻訳論は豊かな経験と鋭い洞察に満ちているからである。

若き日の木村に翻訳の何たるかを教えたのは、木村が学ぶ京都大学の教養部でドイツ語を教えていた佐藤利勝である。佐藤との共同翻訳を振り返り、木村は次のように翻訳についてまとめる。


この翻訳の共同作業を通じて、私は佐野先生から、外国語を日本語に移すというのはそもそもどういうことなのか、それを徹底的に勉強させていただいたという気がする。なによりもそれは、外国語の語学力の問題であるよりもはるかに、日本語の表現力の問題である。著者が自らの言語で表現しようとした、それ自体は言語以前の思想を、原文の言語表現を歪めることなく、つまりいわゆる「意訳」することなく、そのまま忠実に日本語に移しながら、しかもそれが日本語として読めるものとならなくてはならない。原文の言語構造を導きの糸にしながら言語以前の思想を別の言語で表現する、これは紛れもなく立派な創作である。(68ページ)


こうして翻訳の意義を実感する木村は、教師として着任した名古屋市立大学で若い医局員を育てる際に、「自分が若いとき京大精神科で精神病理学を勉強したのと同じ方式で、つまり外国文献を逐語訳しながら著者の思想を学ぶという読書会形式」(215-216ページ)を選ぶ。このような翻訳による学習の意義について木村は次のように論じる。


精神病理学で重要なのは、結論として何が言われているかであるよりも、その結論が導き出される思索の過程である。それを知るためには、著者が書いた一語一語についてその辞書的な意味の背後を「読む」ことによって、その思索に「同行」しなければならない。これは、精神科で患者を診るときに、患者の症状からその表面的な意味の底にある深い動きを読み取る心がけともつながっている。(中略)フロイトはドイツ語の原文で読まなければだめだということをラカンもいっているようだが、私もまったく同感である。日本語の翻訳で読んだり、英語版で読んだりしてフロイトを論じているのは、それこそ論外だと思う。それにフロイトのドイツ語は、ゲーテ賞を受賞しただけあって非常に名文である。そのドイツ語の見事な書き手であるフロイトが、たとえば「快原則の彼岸」などであちこち言い淀んだり不明瞭な書き方をしたりしている箇所にこそ、彼が本当に言いたくて十分に表現しきれていない重大な意味がひそんでいる。それを掘り出す喜びは、ドイツ語の原文からでなければ味わえない。(216-217ページ)


木村は自らの著作を、翻訳家によってドイツ語やフランス語に翻訳された経験も持つが、その時の洞察は次のようなものである。


私の本のフランス語への翻訳のときもドイツ語への翻訳のときも、私はいつも訳者といっしょに仕事をして、訳文や個々の訳語を検討することにしている。この作業は私自身にとっても、ときに思いがけない発見をもたらしてくれるいい勉強になった。その一例を挙げると、私は自分が日本語で書く自己論に「自我」という表現をほとんど使わない。「自我」というのはドイツ語のIch、フランス語のmoi、英語のegoなどの翻訳語であって、日本語の日常用語には含まれていない、というのがその理由である。日本語でものを考えるときには、純粋な日本語を使わなければならない。「自我」という用語を書いたとたんに、その思索は西洋的思索の圏内に引きずり込まれてしまう。これに対して「自己」というのは、中国から仏教を通じて古くから伝わって、すでに完全に日常語になっている由緒正しい日本語とみなすことができる。

ところが、私が自分の書いたもので「自己」と表現しているところを、これらの翻訳者はみな、Ichやmoiを使って訳してくる。あなたが「自己」と書いているところは、われわれの言葉にすれば「自我」なのだ、と言ってゆずらない。ドイツ語で「自己」というのはSelbstである。しかしこの語には元来、一人称的な「私」の意味はない。英語のselfでもフランス語のsoiでも同じことである。それはせいぜい、「それ自身」の意味しかならない。これに対して日本語の「自己」は、一人称的な意味を強く備えている。この違いをはっきり認識したのは、自分の本の外国語への翻訳を通じてだった。西洋との思想交流というものは、小さな言葉一つにこれほどまでに強く縛られている。(230-231ページ)



もちろん木村は、自ら外国語で書くことも行う。それには印象的なエピソードがあった。木村が若い時にピアノを習った中瀬古先生が語ったエピソードである。


先生がドイツへ留学してヒンデミットに入門されたときのこと、まず提出したのは日本古来の旋法を使った曲だったらしい。ところがヒンデミットはそれを聴いて、異国趣味で効果を狙うのは邪道だ、西洋音楽の作曲を学びたいのなら、ハイドンの音楽を徹底的に勉強して、ハイドンの書き方で曲を書いてみなさい、と言ったそうである。この逸話は、のちに私が外国語で精神病理学の論文を書くことになったとき、自分自身に対する戒めとしてよみがえってきた。あとからも書くことになるだろうように、私がそこで試みたのは、日本的ないし東洋的な思考法や言語表現を導入することによって、従来の西欧中心的な精神病理学を脱構築しようとすることだった。私の試みが西洋の同僚たちに単なる異国趣味やもの珍しさで受け入れられるのではなく、そこに真の意味での革新をもたらしうるためには、私もひとまずは徹底的に西欧的な思考に同化した上で自説を展開するのでなければならないと考えた。そんなことを考えているときにいつも念頭を離れなかったのが、中瀬古先生がヒンデミットから受けた忠告だった。(40ページ)


かくして木村は、西欧的思考をマスターした上で日本的概念を導入したドイツ語論文を書く。その時のエピソードが以下である。


そのような趣旨のことをドイツ語で書いてマイヤーさんに見せたら、非常に面白がってくれた。ドイツ語についても、ドイツ人だったらこんなドイツ語は書かないだろうが、日本人が日本の考え方を踏まえて書くのなら大体これでいいだろうと言ってくれて、この生まれてはじめて、しかもドイツ語で書いた精神医学論文を、当時ドイツでもっとも権威のあった『ネルフェンアルツト』という学会誌に載せてくれることになった。それだけではなく、彼は数年後に、自分の手で古今の有名な離人症論文を集めて編纂した『離人症』という学術書に、私のこの論文を収録してくれた。(99ページ)


19世紀後半から20世紀後半にかけての日本の人文系知識人は、異質な西洋言語による思想を翻訳する中で新たな日本語を創り出すことを課題とした。その後、人文系知識人は理系研究者が次々に英語などの西洋言語で業績を出すのを横目で見ているだけだった。非西洋語である日本語の思考をを西洋語に載せて表現するのは困難だからだ。

無論、人文系知識人の中でも英語で業績を出す者もいたが、その多くは業績の思考を、日常的な日本語の思考とは無関係の、英語での学術的論文での思考に合わせただけのものだった。理系研究者と同じように、日本語的な思考をいったん忘れて英語で書いていた。学術的業績の思考と日々の暮らしの思考は切断されたままだった。

だが少しずつだが、日本人人文系知識人の中にも、単に英語世界に同化した論文を書くのではなく、自らの日本語世界の思考や感情を英語表現に導入した論文を書く人間も現れはじめた。

現代のグローバル社会では、英語を使うことがますます当たり前になってきている。「ネイティブ並に英語を話す」だけの価値はどんどん下がっている。価値は話す英語の内容の方に移ってきている。

そんな中、木村敏は、「西洋化」という近代の論理を習得した上で、自らが根ざす非-西洋文化(日本文化)を西洋の論理で理解できる形で導入し、そのことによって西洋・近代を脱構築しようとする。木村敏こそは、21世紀日本の人文系知識人の一つのあるべき姿であるとは言えまいか。



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