2007年10月10日水曜日

「英語科における論理的思考力」とは何か

仕事の上で敬愛する指導主事の先生から、以下のような問いかけをいただきました。

中学校で英語科授業に対して助言を求められるとき、「英語科における論理的思考力」とは何か、という質問をよく受けます。
私たちはこの問題について、どのように考えていけばよいですか。
このことは、私たちのよく使う表現である「思考力、判断力、表現力」とも関わってくる部分だと思います。
簡単なことばで御教授ください。よろしくお願いいたします。


このような根源的な問いかけは、やはり重要なことだと思います。私が決定的な回答をできるとは全く思いませんが、私なりの考えをここに仮説的に提示し、皆さんのお考えを促す一助とさせてください。

私の回答は以下の通りのものです。


「英語科における論理的思考力」とは、相手の発話を、自分の先入観に惑わされずに、第三者にも納得してもらえるような理解ができるように聞き取り・読み取ること、および、相手の考えを読んだ上で、相手も第三者も納得するように話し・書くことであるとここでは定義します。決して、自分勝手に相手を曲解して聞き・読むことでも、自分が思うがままに話し・書くことではありません。相手の心を読み取った上で、相手が納得するような談話(discourse)ができることが、「英語科における論理的思考力」だと考えます。

この際のキーワードの一つは「納得」です。納得とはコミュニケーションの当事者だけでなく、コミュニケーションを横で見守る(かもしれない)第三者(他者)にも共有されるものでなくてはなりません。そのように共有される納得とはどのようなものかを知るためには、現代社会の人々は英語でのコミュニケーションを通じて、どのように納得しようとしているかという言語使用の実際を知り、その知を自らの言語使用においても創造的に使いこなせることが必要になってきます。「英語科における論理的思考力」を指導するために、英語教師は自己研修として、現実世界の英語を通じての相互理解の実態を観察し、可能な限り、その相互理解のためのコミュニケーションに参画するべきでしょう。教師のその実践知を背景にしながら、英語の文法・語彙・ディスコース・社会文化的知識・語用論的知識などを生徒に統合させ、相互の納得を目指した英語使用を促進してゆくことが英語科での「思考力、判断力、表現力」を育てることであり、「英語科における論理的思考力」を指導することではないでしょうか。

この「納得」とは、第三者も含んだ相互理解、客観的な相互理解、あるいは共同主観的な相互理解、コミュニケーション実践の共同体で認められる理解、などとも言い換えられるかと思います。いずれにせよ大切なことは、独りよがりの理解でもなく、密室状態での当事者間だけでの理解でもなく、開かれて共有されうる理解であるということです。「納得」してもらえる英語使用をするためには、英語コミュニケーションの実践共同体を想像し、その想定から反省的に思考し、判断して、表現を決めることが必要となります。ちなみにこのような「納得」は、従来のaccuracyとfluencyといった評価の枠組みでは適切に扱われていません。ただ文法的に正しく、饒舌にペラペラと自分の言いたいことだけを言いたいように話すだけでは、英語コミュニケーションの実践共同体での認知と尊敬は得られません。もっと地球規模までに広がる英語コミュニケーションの実践共同体の実態を踏まえた「英語科における論理的思考力」を構想することが重要だと私は考えます。


できるだけ「簡単なことば」で書こうとしたつもりですが、これまた単なる自己満足の作文になっているのかもしれません。まあ、ですが、とりあえず文章をアップロードする次第です。

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