この本は「世界のエリート」という表現にひっかかりながらも、何となく気になって購入して電車の中で読み始めたら「当たり」でした。以来、親しい人には事あるごとに薦めていますし、この本に共感できるような人とできるだけ一緒に仕事をしたいと個人的には願っています。
非常に面白く、説得力があり、かつ引用も多いので値段以上の価値がある本だと思います。その主張のほとんどに私は賛成ですが、ただ一つ、この本では「感性」と「理性」を対立概念として扱っているところが気になります。私でしたら、「感性」(Sinnlichkeit, sensibility) の対立概念は「知性」(Verstehen, understanding) だと思うのですが、まあ、それは細かなこととして、以下に私のお勉強ノートを掲載します。※印は私の蛇足です。なおこの本はキンドルで読んだので、参照した箇所の紙の本でのページ番号がわからず、キンドル独自の位置番号を掲載しています)。
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■ VUCA
要約: Volatality, Uncertainty, Complexity, Ambiguity(変転性、不確定性、複合性、多義性)を表すVUCAが、今日の世界の状況を表している。(Kindle の位置No.142)
※ ここで私は、著者が使っているのとは異なる訳語を使っている。
■ KPIの限界
要約: 現在、企業活動の「良さ」はさまざまな評価指数=KPI (Key Performance Indicator ) で計量されているが、これは企業活動のごく一部の「計測可能な側面」に限定されている。しかし複合的な全体的システムのパフォーマンスは計測可能な側面だけで測れない。(Kindle の位置No.222) また、VUCA的な状況で合理性を過剰に求めると「分析麻痺」に陥る。 (Kindle の位置No.152) さらにいうなら、昨今、コンプライアンス違反を犯す企業の共通項は、KPIで現場の尻を叩く「科学的マネジメント」に傾斜していたという共通項をもっている。 (Kindle の位置No.890)
※ 残念ながら私が勤務している広島大学でも、今、しきりにKPIによる管理を推進している。以前、私は蟷螂の斧を承知で下のような小文を書いたが、もちろんこれだけで流れが変わるわけではない。
関連記事:「研究力強化に向けた教員活動評価項目」への回答前文
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html
■ 直感の効用と限界
要約: 論理で考えても決着がつかない問題については、美意識的な直感を頼った方がいい。(Kindle の位置No.371) だがこれは論理が不要というわけではない。論理を踏み外していていくら直感や感性を働かせてもダメである。(Kindle の位置No.392)
引用: 「高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。そして、それは結果的に正しく、しかも効率的である」。(羽生善治氏のことばのまとめとして)(Kindle の位置No.946-947)
※ これは将棋指しだけでなく、数学者や実践者もしばしば言っていることである(デザイナーにいたっては言うまでもない)。もちろんこの場合の「美」とは、抽象的な理念であり、それは必要十分条件として言語化できずに、感受性でもって感知されるだけである(詳しくは別項で述べるが、ボームのいう感受性 (sensitivity) は、カントのいう感性、知性、理性のどの水準でも働くものである)。
■ アート、サイエンス、クラフト
要約: サイエンスとクラフトは非常にわかりやすいアカウンタビリティをもっている一方、アートはアカウンタビリティをもてない。 (Kindle の位置No.555) だがアカウンタビリティを過剰に重視すれば、誰でも出せるような答えしか出せないようになる。(Kindle の位置No.677) 一番いいのは、アートをトップに据え、左右をサイエンスとクラフトで固めることだ。(Kindle の位置No.684)
※ だが日本の英語教育界も含めて、現在は、サイエンスをトップに置き、クラフトを軽んじ、アートにいたってはその存在すら忘れているような人々が権力的な立場に立ち英語教育の「改革」をしている。その一方で、学習者に慕われ、教員集団と保護者に頼られる優れた実践者は、独自の美意識に基づきアートとして実践を開拓し、それをクラフトとして熟成させ、サイエンスとして得られるデータで時折チェックもしている。私は実践は、「サイエンス > クラフト >アート」という順序意識から「アート > クラフト > サイエンス」という順序意識に変わるべきだと考えている。
■ 経営とデザイン
要約: 最近、デザイナーを重用する経営陣が増えてきたが、経営とデザインは「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」という本質において共通している。(Kindle の位置No.831)
※ 経営とデザインは、さまざまな現実的制約(サイエンス的な物理的制約やクラフト的な技術的制約)の中でいかに美(アート)を追求するかという点でも似ているだろう。企業も最終的に残るのは、人々に美的な感動を与え続けている企業であろう。デザインでも、最終的に残るのは、物理的特性や使い心地で一定水準を超えているだけでなく、美しさを感じさせるものであろう。
■ ビジョンと目標・命令は異なる。
要約: 「アジアで売上トップ」などはビジョンではなく、単なる目標や命令でしかない。そこには人を共感させるような「真・善・美」がない。(Kindle の位置No.996)
この「真・善・美」とは「客観的な外部のモノサシ」で測られるもの以上に「主観的な内部のモノサシ」で測られるものである。その一例として、前田育男氏のリーダーシップでデザイン面で躍進し業績を回復しているマツダがある。前田氏は、マツダのデザインのキーワードを「動」「 凛」「 艶」の三つとし (Kindle の位置No.2102) それをさらに「魂動: Soul of Motion」という理念にまとめている (Kindle の位置No.2106)。前田氏の判断基準は、「歴史に残るデザインなのか」「魂動デザイン哲学を実現できているか」 (Kindle の位置No.2174-2175) というきわめて抽象度の高い審美眼によるものである。
※ これまたきわめて残念ながら、私が勤務する大学でしばしば繰り返されているのは「世界の大学トップ100に入る」ということばである。このスローガンを聞いて鼓舞される人もいるのかもしれないが、私のような人間はそんなことばではいっこうに心が踊らない。
■ マッキンゼーの変遷
要約: 戦略系コンサルティング会社のマッキンゼーは、それまでクラフトに偏重していた企業組織の意思決定(グレイヘアコンサルティングアプローチ ) (Kindle の位置No.1135-1136) に、サイエンスによる事実と論理に基づく意思決定 (ファクトベースコンサルティングアプローチ)を導入して発展した。 (Kindle の位置No.1135)。しかしこのアプローチは、ある程度の知能をもつ人には誰でもコピーできるため、「正解のコモディティ化」 (Kindle の位置No.1154-1155) という事態が到来し、コンサルティングは過当競争にさらされるようになった。そんな中、マッキンゼーは2015年にデザイン会社のLUNARを買収したがこれは示唆的である。(Kindle の位置No.1122) コンサルティングの世界にアートを盛り込もうとしていると解釈できるからである。 (Kindle の位置No.1202)
※ この変遷は、日本の英語教育界にもあてはまる(というか、当てはまってほしい)。英語教育方法論については、当初は経験豊かな人(たいていは中高教員から指導主事などを経て大学に職を得た人)が指導するというものだったが(舶来の教授法を伝えるいわば輸入代理店的な人は除く)、1980年代から比較実験でのデータに基づく推測統計の結果を教えるやり方が普及し、少なくとも学会誌ではそのやり方が標準的なものとなった。このやり方は一定の知能があれば(最近は一定のソフトがあれば)誰でもできるものでありますます普及した。
その中で一部の人は差別化を図り、(ざっくりとした言い方だが)1990年代は多変量解析、2000年代は構造方程式モデリング、2010年代はメタ分析などの手法で研究を始めた。だが、私の主観的な見立てに過ぎないが、多くの研究者はそういった手法の高度化に限界を感じ(あるいは単についてゆけず)、そういった「科学的」アプローチは停滞している。実践者の殆どはそんなアプローチに相変わらず無関心である(というか興味がもてない)。
本書の趣旨からすれば、英語教育方法論についても、独自の美意識に基づくアート的な実践を重視し、それをクラフト的に整備・洗練させ、サイエンス的データでも検証するという方向に進むべきだろうが、私なりに公正を期すなら、その方向にきちんと進んでいるのかについては安心できない。
美意識を獲得するには、幅広い教養と深い専門的献身が必要で、人間としても専門家としても長年の修養が必要である。また、アート的な成長だけではだめで、そのビジョンをクラフトの技巧とサイエンスの論理で補強するための勉強が必要である。私はそのような稀有な存在を何人か直接に知っているので、まったくの悲観はしていないが、そのような人のことを語り始めると「あの人は特別だから」などと、そんな人を目標とすることを頑なに拒む人が少なくないことには閉口している。
ここでは「美」という理念について十分な説明はしていないし、実際、それは非常に困難だが ーこれは理念の特徴であるー、それが単なる表面的な華美さではないことはわかってもらえると思う。理想論を言うようだが、自然や芸術作品だけでなく、身の回りの道具や、日常の立ち居振る舞いや、日頃の人間関係から、抽象的な論証などのいたるところで「美」を感じるように人間的に成長しながら、英語教師という専門家としても美的な基準を求めるべきなのだろう。
簡単なことではないが、方向性がはっきりしていることは私たちに希望を与えてくれる。
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