2017年4月17日月曜日

教英入学式での挨拶

以下は、4月3日に教英の入学式で私がした挨拶です。学生さん共々、初心を忘れないために掲載します。






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学部新入生への挨拶


新入生の皆さん、「ご入学おめでとうございます」ということばを聞き飽きてきていませんか?

確かに大学合格をゴールとしか考えていない人たちには、大学入学はめでたいことでしかないでしょう。しかし、私のように大学入学から卒業までの学生さんの姿を長年見てきた大学教師にとっては、大学入学はスタートでしかありません。

このスタートをうまく活かせるか活かせないかはまさに皆さん次第です。

大学の教師も施設も、皆さんがこれから作る友人も、あるいは保護者も、皆さんの代わりに皆さんそれぞれの人生のレールを引いてくれません。(いや、むしろ、引かせてはいけません)。だから、今は、入学を嬉しく思いながらも、気を引き締める時期だと私は思っています。

とりわけ私が懸念している新入生は、高校卒業までの生活で、自分の「からだ」と「こころ」の実感を忘れてしまった人です。

よく高校の先生などには「大学入学までは我慢をしろ。入学したら好きなことをすればいいから」と言う人がいます。

若い人の中には、そんなことばを鵜呑みにして、自分が「からだ」や「こころ」で感じるさまざまな想いを抑圧してしまった人がいます。「勉強とは自分の嫌いなことを我慢してやること」などと思いこんでしまっています。

そんな人は、大学に入学しても自分は本当は何がしたいのかがわかりません。感性をつぶされてしまったからです。いや、少し厳しい言い方をすれば、自分の感性を他人につぶされてしまうことを許してしまったからです(ここで「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という茨木のり子さんの詩を思い出す人もいるかもしれません)。

そんな人も、しばしば自分は好きなことをやっていると思い込んでいます。ですが、実際は、周りの人がやっていることを、「みんなやっているから」という理由だけでやっているだけです。

だから「みんな」に合わせて、「みんな」の顔色をうかがってばかりです。自分の「からだ」と「こころ」で感じること、そしてその感じたことを表現することができません。表情ですら自分で自由に出せません。自分の考えはひたすらに隠そうとすらします。

だから、一見楽しそうな顔をしていても、実は不安です。あるいはたまにある例ですが、人前では過剰なまでに「幸せな自分」という役を演じて、実際のところは疲れ切っています。

そんな人は、自分の「こころ」--言語以前の未分化な感情-- と「からだ」-- 感情以前の身体内での細かな蠢き-- を忘れてしまっています。そんな人には、身体の底からの意欲は湧きません。心の底からの情熱も出てきません。だから深い知性も身につきません。

だから皆さん、一人になること (solitude) を怖れないでください。

教英は先輩後輩の「縦のつながり」と同級生同士の「横のつながり」に恵まれた素晴らしい場所です。

しかし、自分の個性を大切にしてください。

自分の「からだ」で感じたこと、「こころ」で想ったことを大事にして、それをことばにしてください。流行りのことばをうまく使いこなすのではありません。自分にぴったりのことばが見つかるのを辛抱強く、しかし貪欲に待ち続けて下さい。それこそがことばを学ぶことだと私は考えています。

大学時代に、自分の「からだ」と「こころ」を取り戻してください。あるいはそれらを忘れないまま入学した人は、それらをどんどん育てて下さい。

そして自分のことばを見つけてください。さらには、そのことばで他人に語りかけてください。また、そんなことばで語りかけてくる他人に耳を傾けてください。深い友情を築いてください。今は漠然としか感じられていない自分の可能性を実現させて下さい。

もし皆さんがそんな学生生活を送ることができたら、私は卒業式に心から「おめでとうございます」と言います。

だから今日はおざなりな「おめでとう」は言わず、こう言います。

互いに自分の「からだ」と「こころ」を大切にしましょう。そこから出てくる深いことばで語り合いましょう。

深いことばで学ぶ大学へようこそ。







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大学院新入生への挨拶



大学院に進学された皆さん、ご入学おめでとうございます。

大学院では、学問という古来からの営みにこれまで以上に真剣に従事します。
この営みは、お上手を言い合ったりする世渡りや、巧みに忖度を行う保身や出世とは異なります。

もちろん出世はともかく、世渡りや保身は大切ですから、それらはそれらでうまく行ってください。

しかし、こと学問の時間、研究の場においては、人間関係や利害関係や権力関係よりも、自分自身の納得を大切にしてください。

研究において、自分でどうしても納得できないことに対しては、怖れずに「わからない」と言って下さい。そして自らの疑問を口に出して下さい。納得できていないことに対して "Yes" と言わないでください。

逆に自分が納得できないからといって、その内容をむやみに "No" で否定しないでください。それは現在のあなたの知的限界によって理解できないだけであり、その内容が間違っているわけではないかもしれないからです。

納得できないことに対しては、"Yes" とも "No" とも言わず、疑問を表明してください。疑問すら出ずに不全感ばかり感じる時は、それを肯定も否定もせずに自分の中に静かに留めておいてください。そして数週間後、数ヶ月後、数年後、ひょっとしたら数十年後に「ああ、こういうことか」と膝を打ってください。

人類は有史以来、紆余曲折はあれど、学問(およびそこから派生した科学)と民主主義を大切にした流れでこれまでの歴史を作ってきました。学問(科学)においても民主主義においても、人間関係や利害関係や権力関係とは独立に、お互いの納得を求める営みです。私はそんな人類の歴史を大きく肯定する人間として大学に勤めています。

現在、世界各地で民主主義の後退が懸念されています。その中には学問や科学の成果をあからさまに権力が否定しようとする動きすらあると思われます。こんな時代に、大学・大学院が、研究を世渡りや保身や出世の道具にしてしまってはいけません。それは人類の歴史に対する冒涜だとすら私は考えます。

お互い学問という営み、研究という精神を大切にしてゆきましょう。

それが世界中に二千年以上にわたって存在し続けた数え切れない先達と、私たちの後に続くこれまた無数の人々に対して私たちがもつ義務であり、喜びだと考えます。

と、偉そうなことを言いましたが、実は私自身が一番、きちんとした研究ができずに心苦しく思っているというのが現実です。

皆さん、互いに切磋琢磨して学びましょう。

大学院へようこそ。


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