2015年8月20日木曜日

伊藤和夫先生の『英文解釈教室』を使った授業の感想



以下は、私の授業『英語教育文法入門』(学部2年生用)の感想の一部です。教科書として、伊藤和夫先生が書かれた『英文解釈教室』(研究社出版)を使っています。今となっては、英文が少し古いようにも思えますが、しっかりと構文理解するための知恵にあふれた本としてとても優れているので、教科書として使っています。

英語学習についての何らかの参考になればと思い、ここに転載します。「教英」や「初等」は学生さんの所属講座名です。


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■ KY君 (教英)

  この「英語教育文法入門」の授業では、伊藤和夫先生の『英文解釈教室』をもとにしてCh1 「主語と動詞」からCh14 「共通関係」まで、さまざまな英語の文法について学びました。内容は非常に濃いもので、教科書の例文はとても難しかったですし、高校ではあまり見かけないような構文にも出会いました。大学一年生の英語の授業では、英文学や音声学、コミュニケーションなど、高校でやらなかったような新しい英語の学習に触れることが多かったために、高校までの英語の文法についての知識が薄れつつありました。そこへきての今回の「英文解釈」の授業は、高校での文法学習内容を思い出せる絶好の機会でしたし、英文法の楽しさを久々に思い出すことが出来ました。

  しかしこの授業のポイントは、ただ単に教科書を読んで文法を勉強するという学生視点の学び方だけでなく、その文法解釈を「将来生徒に教えることになったときにどう教えるか」という教師視点での学びをすることでした。物事を「自分が理解する」のと「それを人に教える」というのは全くとは言いませんが、別の次元の話になります。この視点で今までやってきた英語文法をもう一度見直すと、かなり景色が違ってきました。自分で理解はしているつもりなのに、それを人にどうわかりやすく教えるかとなったときに、上手く説明できないということが何回かありました。それは結局自分でもきちんとその事項を理解していないということでした。

  この授業で私が学んだのは、英文法についてはもちろん、これからの人生で英語、またはいろんな物事を「学んで」いく上で大切なことでした。授業で言っておられた言葉を使うと、「学び方を学んだ」ということです。ここでは、私が学んだ「学び方」も含めて、学んだことについてまとめたいと思います。
 
1 読んだ順に則して解釈する

 まず1つ目は、英語を読んでいく際は読んだ順に則して解釈していく、ということです。とかく関係詞だとか比較構文だとかをやっていると、その部分から考えていく、つまり左→右という流れを無視して解釈していく癖がつきがちです。しかし、よく考えるとこれは遠回りをしているようなやり方で自分にとっても混乱をまねきますし、他の人に教えるとなったときも教えにくいです。私達が当たり前のように日本語を左から右へと読んでいくのと同じように、英語も自然な流れで読んでいくとわかりやすいということを学びました。

 また、これに関連したことなのですが、I suggested…ときたらその目的語が来ることを予想する、soがきたらその後のasやthatなどを予想する、といったように英語を自然な流れで読む過程で次に何が来るのか予想する、今出てきた構文がどういう働きをするのかを予想するといったことも学びました。これは、複雑な立体構造をもつ英文になってくると活かされてくるスキルだと思います。
 
2 頭の中で絵を描く

 2つ目は、読んだ英文からイメージを思い浮かべる、頭の中で絵を描くということです。この手順を英語の和訳のステップに加える事で、より訳出が簡単になってきます。つまり、(1)左から右へとそのままの流れで読んでいく、(2)読んだイメージを頭の中に思い浮かべる、(3)そのイメージを表す適切な日本語を考える、という手順でやっていくわけです。絵を描くのが難しい抽象的なことを言っている英文だったり、理解し難い英文法の場合はその例を考えてみるということも授業でやりました。記憶に新しいのは、no more than~とnot more than~の違いです。この違いをただ単に「noのほうが強い感情的否定」「notのほうが冷静な論理的否定」と堅苦しい言葉で説明していては、生徒は理解できません。わかりやすくするために、それらを使った例文を考えて、その違いを教える方が自分にとっても分かりやすくて建設的な方法です。

 この「頭の中で絵を描く」「例文を考える」というやり方は斬新でしたが、よく考えれば私達は英語を読む際に、無意識にこの手順を踏まえているのではないかという気もします。ただ、やはり意識してやるほうが当然正確でしょうから、この学び方を学べたのはとても大きいです。
 
3 構文が分かりやすいように音読する

 3つ目は、英文解釈をする際に、ただ英文を頭の中だけで考えるのではなく、「声に出してみること」そこから転じて「難しい構文の音読を工夫すること」です。これはどこかで聞いたのですが、物事を考える、覚える際にはなるべく体のいろんな器官(目、口、耳、とか)を使ったほうが効果的だというのです。英単語を覚えるときとかは、まずその単語を見て(目)、聴いて(耳)、口に出す(口)ということをやると覚えやすいそうです。ですから、構文解釈の際に、その英文を口に出して考えるとやりやすいというのは納得でした。

  授業で、「脳内でその英文がネイティブによって再生されているようにする」とも言われました。音声情報というのは、自分が思ってる以上にいろいろな効果をもっているんだなと私は思いました。

  音読の工夫とは、これは他者を想定したもので、いかに複雑な構文の英文を人に分かりやすく音声で伝えるかということです。会話には、コンマやピリオドなどは存在しませんから、声のトーン、強調、速度、間などを工夫して相手に伝える必要があります。また、これも将来教壇に立って英語の音読をするときにも役立つスキルです。先生の音読が平坦調では面白く無いでしょうし、英文の意図するところをきちんと生徒に伝えられて、なおかつ良い発音を目指した音読ができるようなるのが理想です。

  あと、音読の工夫をするということは、必然的にその英文の構文を自分が把握していなければなりません。この授業で「構文が分かりやすいように音読する」という言葉はそれこそいやというほど目にしましたが、この問には「構造を把握せよ」という意図もあったわけです。音読の工夫ができている状態というのは、英文解釈理解度レベルは相当上の方にいちするのではないでしょうか。
 
4 なんだかんだで読書

  4つ目は、読書をするということです。なぜここで殊更に読書について挙げるかというと、大きく2つの点からです。

  1つは教養的な視点です。「英文解釈教室」に出てきた英文は、言われている内容もかなり専門的なものが多く、多少は知識がないと分かりづらいこともありました。英語というのはあくまで言語ツールであり、重要なのはそこから伝えられる知識、内容であると以前先生は仰ってましたが、その内容というのはいわゆる教養的なものから専門的なものまで様々です。これを理解するにはどれだけ英語を勉強しても意味がありません。本を読んで教養をつけ、知識をつけることで、これから出会う英文の彩りも変わってくるでしょう。

  2つ目は、きれいな日本語訳をするにはまずきれいな日本語に触れろということです。「英文解釈教室」で私がとても勉強になったことの1つに「日本語訳」があります。伊藤先生の訳し方は、私では思いつかないようなとても綺麗で上手い訳で、いつも感嘆させられていました。きれいな訳というのは見ていて気持ちが良いですし、なにより内容がストレートに伝わって分かりやすいです。この「きれいな訳」というのは「翻訳」というフィールドに入ってくるので、「英文解釈」とはまた違ってくるのですが、自分もこのような訳が出来るようになりたいなと授業を通して思いました。そこで私は、私がそのようなきれいな訳ができないのは、そもそも私がそのようなきれいな日本語にあまり触れてないからではないかと思いました。まず私は英語を勉強する以前に日本語を勉強する必要があるのではないかと。もちろん、上手い訳に必要なのはそれだけではありませんが、差し当たって私は読書をすることによって日本語の感性をより高めるということの重要性をこの授業から学び取りました。

  なぜこんなに読書を挙げるかについては、実は根底には、あれほど柳瀬先生が読書をすすめているにもかかわらずこの一年私が全く読書をしていないということがあります。授業で先生が「大学四年間詰め込みで知識だけつけるよりも、『学習』『読書』の習慣を身につける方がその後の人生を豊かにする」と言っていたのが印象的です。読書の習慣だけは最低でも大学にいる間につけていきたいなと思います。

以上4点が私がこの授業で学んだおおまかなところです。英文法について学んだことを上げていくとホントにきりがないのでここではあえて書きませんでした。先程も言いましたが、大学四年間で身につけるべきは、知識よりも「学び方」、「学ぶ習慣」だと私は教えられました。これからの人生の中で、この授業で学んだことは確実に役に立つと私は確信しています。


■ TK君 (教英)

  今学期の「英語教育文法入門」を通して英語学習において本当に必要なこと、英語教員として身につけておかなければならないことを学びました。現在の学校教育において重要視されている「Communication」。しかしCommunicationだけを重視していても意味が無いということはすでにわかっていることだと思います。「話すこと」の本当の意味を理解した教育をしている学校はあるのでしょうか。

  もちろん僕が知らないだけできちんと生徒のことを考えて意味のある英語教育を展開している学校、教員の方々もたくさんいらっしゃると思います。したがってこれはあくまで僕自身の経験だけに基づいて考えていることなのですが、現在学校で取り扱われているspeakingの分野において、「実生活で使えるようにするための教え方」をしている先生はいらっしゃらなかったです。教科書の単元にそって一つの例文を生徒に暗記させてそれをひたすら復唱させた結果、生徒同士で会話させても決められたパターンでしか話せないため、結局は何のためにもなっていないというのを僕は経験しました。

  学校の教科書に載せられている会話表現は日常英会話において使うことができる表現の一つに過ぎず、それだけで会話ができるようになるわけではありません。しかし、だからといってもっとたくさんの会話表現を教えればいいというわけでもありません。

  問題なのはその教え方だと思います。ひたすら暗記、復唱を繰り返すような教え方をしているから実際の会話では使いものにならないし、英語を楽しいと感じることもできません。英語学習において大切なのは「身体で実感すること」だと思います。英語を何の意味も考えずに口に出して読んでいては、その英語にどんな意味を込められているのか、何を相手に伝えたいのかを話者が感じることはできません。そんなことできなくてもテストには関係ないじゃないか、と認識してしまうのが現在の「テスト至上主義」教育です。教科書を読むときに大切なのは「情感を伴って読むこと」です。この欠如が現在の教育における大きな問題であると考えています。
 

■ TMさん(初等)

  あっという間に、最後の授業まで終わりました。この4か月間は、私が「学習者」として成長できるきっかけとなった本当に有意義な時間でした。柳瀬先生は私たちに「1つの単語に1つの意味を当てはめて暗記するやり方の否定」や「英語をそのままの語順で読むこと」「英英辞書を引くことの大切さ」「例文にストーリーをつけて考えること(実の場の英語」「聞いてそのまま理解できるような音読のやり方」など「文法入門」としての学びはもちろん、より良い「学習者」としての学びをしてくださいました。

  私は、柳瀬先生が『言語学の教室』を紹介してくださった時に、実際にその本を購入して読んでみました。内容は想像以上に難しく、最後まで読み上げること自体がまず難しかったのですが、そこから私の「読書」に対する敷居が低くなりました。

  それをきっかけに、児童虐待や新任教師の小学校の学級崩壊を題材に扱った『君はいい子』という映画を見に行き、原作の本を購入し、これから児童虐待などについてもっと学び、多様な子どもたちについて勉強したいという意欲を高めたり、『ブタがいた教室』のモデルとなった『いのちに触れる』という本を読んで、動物を殺して食べるということを実際に子どもたちに学ばせるという授業を通して人間の営みを理解させることについて学んだりと、大学の授業以外の場面で「本」を通して積極的な学びを行えるようになってきました。

  また、TED(私は日曜日の深夜に放送されているスーパープレゼンテーションを毎週録画して、気に入ったものを繰り返し見てました)からも学ぶことが多かったです。英語の音に慣れ、英語を読むときに声として読めるようになったこと、小学校教師のプレゼンで参考にしたい授業があったことなど、TEDからもたくさんのことを吸収できています。

  最後の授業で柳瀬先生は「君たちの時間をお金を払ってもらえるものなら、いくら払ってでももらいたいものだ」とおっしゃいました。私は、今まで、この時間のある大学生活の間にいかに遊べるか、ということを考えてきましたし、先輩からも、「時間のある今のうちに遊んでおけ」とう言われていましたが、柳瀬先生は先輩たちよりもさらに人生の先輩です。先生の言葉は、私にとってとても心に響くものでした。遊ぶことももちろん大事ですが、実習も教採もない、今、この時間のある時に、たくさんの本を読んだり、いい教材に触れ、吸収できるものすべて吸収し、さらに上のレベルの学習者へと成長したいです。この授業では、予習復習と、大変ではありましたが、それ以上に得たものがありました。素晴らしいテキストと、素晴らしい指導者のおかげで、テキストの内容以上に深い、深い学びができました。これからも精進していきます。本当にありがとうございました。
 
 
■ NMさん (教英)

  4ヶ月この英語教育文法入門を受講して、英語を読む意識が大きく変わりました。抽象的な言い方になってしまいますが、英語にもっと近づいたと思います。一対一の訳語、平坦な音読、日本語の語順での解釈など、今までこれが英語の勉強の仕方だと思っていたものが勉強のための勉強でしかなく、英語を味わったり、使えるように英語を教えたりすることとは遠く隔たっていたことが今はわかります。気づけば、コミュニケーションの授業で論文を読んでいたのですが、単語がわからないことはしょっちゅうでしたが、文構造は4月当初と比べるとずっと楽に読めるようになったと思います。あまり行ったり来たりせずに読むようにもなりました。

  これからも英英辞書を引くのを習慣にして、語順そのままに解釈し、頭のなかで絵を描くという英語の読み方を大切にしたいと思います。


■ IT君 (初等)

  私は本授業を受講する前は「音読」というものにそこまで意識をむけたことがありませんでした。英語の音読は中学校や高校の英語の授業で先生に言われて何の気なしに教科書に綴られた英文をお経のように読んでいただけで、また悪い言い方になりますが、先生もそれをよしとしてきたので自分も音読に関して特になにか思うような機会がありませんでした。しかしこの講義を受けていてわかったのは音読というのは相手に伝えるような気持ちでするのが重要であり、そのためにアクセントを置く位置を考えたりどのような強弱でどのように文に抑揚をつけるかを考えたりするのが必要と知ることができました。また、そのような考察をするためにはその英文をなんとなく理解しているだけではだめできっちりと解釈していないといけないわけで(自分が完全に咀嚼できていないものを他人にきっちり伝えるなんてことは不可能である。)そういった意味でも音読は英語教育に必要不可欠なものだと知りました。
 
 
■ FO君 (教英)

  授業全体の振り返りですが、予習復習の時間も含めて、今セメの中で最も中身の詰まった時間であったともいます。まずテキストのレベルの英語の文章を読む機会というのは自分一人では確保できず、仮に出来たとしてもそのモチベーションを維持することはできなかったと思います。それがテキストを与えられ、自分でわからないなりにも時間をかけて予習をし、解説を聞いて新たな発見ができた時に達成感をかんじることができ、英語を楽しいと感じることが出来ました。それでも今セメ中ずっと高いモチベーションを維持できたわけではなく、だらけて予習をなあなあにしてしまうこともありました。

  しかしそのおかげで再度認識できたのは、自分で考えなければならない、ということです。先ほど書いたようにわからないなりにも自分で考えて授業に望めばそれが解決した時かなりの達成感を感じることができたのですが、予習で考えていない時には問題が解決しても、それが他人ごとのように感じることがありました。また、予習をしっかりした箇所なら、授業中でも覚えていたり、授業後にも記憶に鮮明に残っていたります。自分で考えるという段階を踏むだけでこうも学びの深さが違うのだなと感じています。これから夏休みに入りますが、英語に対するモチベーションは高まっています。夏、それからこれから続くセメスターも自分で考えて主体的に英語を学んでいきたいです。


■ ASさん (教英)

授業で学んだ三点についてまとめます。

1 英英辞典

  ほとんど毎回の授業で柳瀬先生がおっしゃっていたことのうちの一つは、「とにかく英英辞典を引きなさい」ということだ。最初にその言葉を聞き実践してみた時は、調べた単語の意味の部分に書いてある単語が更にわからない、という現象がおきてしまい、どんどん単語を調べていくことになり、もともと自分が調べたかった単語の意味を把握するのに、いつも以上に時間がかかったことを記憶している。

  しかしそのうち気づいたことは、専門的すぎる単語に英英辞典を使うのではなく、簡単な単語に英英辞典を使うべきということだ。実際、最初の頃はとにかく英英辞書を引かなければならないという思いで、専門的な単語を調べさらに専門的な単語に遭遇するということがあった。
  慣れないうちは、英英辞典を引くのに時間がかかり、正直きついと感じることもあったが、今となっては英英辞典の方が、単語がもつ細かな意味がわかり、頭にスーッと入ってきやすくなった気がする。英英辞典を引くことの良さや大切さが分かってきたので、これからも根気強く英英辞典を引いていきたいと思う。

2 絵を描く

 英文を読む時にその英文から「絵を描く」ことの大切さに気付くことができた。今まで英語を勉強してきて、長文読解などで英文を日本語に訳していく際に、頭では大雑把な内容は理解したつもりでいた。授業で、「絵を描くようにしなさい」という言葉を聞き、実際に理解できていると思っていた文を頭の中で描こうとすると、ぼんやりとしか描けず、そこで自分がしっかり理解できていなかったことに気づいた。まだ、絵を描くことが習慣的にはなっていないので、速く英文を読んでいきたいときは特に、絵を描くことが忘れがちになってしまう。絵を描くことは、自分が本当に理解できているかを確認するための重要な方法だと思う。これからも意識的に絵を描き、自分の理解度を把握していきたい。
 
3 ストーリーをつける

 「小学生や中学生も理解できるように、例文にストーリーをつける」ということを、授業でする機会は多々あった。例文をそのまま提示するのではなく、例文が使われそうな文脈を自分で考え出して、それをストーリーで語った上で例文を提示するやりかただ(ストーリーは英語で語る方がよいが、日本語でもよい)。

 私はいまだにこのことがとても苦手で、柳瀬先生はもちろん、当てられた人もストーリーをつけてわかりやすくすることができているのを見ると、すごいなと感心してしまうし、自分ができないことにもどかしさを感じたりした。ストーリーをつけるには、正確に英文を理解することと発想力が必要なのだと思う。私は、パッとすぐに考えを思い浮かべることが得意ではないため、まだまだ苦戦してしまうが、できる人に感心するだけでなくその人たちに少しでも近づけるよう、訓練していこうと思う。


■ MAさん (初等)

学習方法についてまとめます

1.読書

  日本語も私たちは日本語を日ごろ読んだり話したりすることで、書いたり話せたりできるようになった。携帯電話の予測変換等により書けない漢字が増えたり、普段敬語を使わないと正しい敬語が咄嗟に出てこないこともある。英語も継続的に触れないと単語やその綴りを忘れてしまったり、正しい文章をつくることが困難になってしまう。英文を一日30分でも継続することで、英語に触れられるだけでなく、発想も豊かになりエピソードを思い浮かべる力もつくし、質のいい文を読むことで深いことが言えるようになる。

2.音読

  日本語でもただ淡々と話されるだけでは内容が頭に入ってこなかったり、話に興味がもてなかったり、講義中に起きていたくても睡魔に襲われてしまうこともある。内容に合わせて声や表情を変えることや、単語の役割によって弱く読んだり(at,whenなど)、対比などの意味によって本来のアクセントとは別の位置にアクセントを置いたり(happy,unhappyなど)することも重要である。また、同じ文章でも読み方により意味が変わってくるものまである。音読の力はTEDの視聴や映画でも養われ、文章を読んだだけで、抑揚のついた「声」が聞こえるようになることもある。しかし、当たり前のことであるが聴くばかりではなく自分の口で発音する練習をしなければならない。わかるとできるは違うのだ。

3.教科書だけでは不十分

  教科書は商品であり、「使いやすい」ということに要点を置いている教科書が多くの学校で使われるということも少なくないだろう。実の場を大切にし、子供の実生活に基づいた発話練習や例文を使用するべきである。ポートフォリオを書きながら、子どもの間で流行っている歌を英訳してみんなで歌えたら楽しそうだと思った。別の授業のお話でもあったが、教科書で使われている話の原文をクラスで配り、原文も丁寧に解読していけば自分たちでも解けるのだ、という自信をつけたり、その話の映画を見せるとイメージもしやすく、内容もわかりやすく、楽しく勉強できる。また、授業中でもあったように、教科書の説明している解釈よりもより納得のいく解釈もある。大切なのは、教科書に頼りすぎないことだ。

4. 英英辞典の活用

  英和辞典で日本語の意味だけを覚えていることの危機感を感じた。単語の意味はひとつではないからだ。また、英和辞典で調べた場合はわかった気になっているだけで終わってしまう傾向があるように感じた。多くの場合、文章の意味を解読することが目的になっているからだ。一方、英英辞典を活用した場合は、英語の説明の中から文章において相応しい意味を見つけることで、他の意味も理解できる。また、意味の説明に使われている英単語から驚きを得られる。実生活からもわかるように、感情を伴うことによりそれらは記憶に残りやすい。そして英英辞典を活用する場合、その単語の理解を深める、ということが目的として大きくなるのだと考えた。

5.イメージしながら読む

 thinkがきたら「何を?」、meetがきたら「誰?」と、というように、全体をみて意味を考えるのではなく、書いてある順に意味を考えることは大切である。これはリスニングや速読に関連する。また、TEDや人の話を聞くときにもこのことの必要性が感じられる。そして、頭の中でイメージする心がけが大切だ。単語の意味がすべてわかっていても、イメージできなければその文章を本当に理解しているのか、怪しいところである。また、短すぎる文章や抽象的な文章には特に、ストーリーをつけるという作業が効果的であると感じた。


■ TK君 (教英)

  授業全体について一言でまとめると「高校で習った英語は、英語の序の口程度のものだった」ということを学びました。高校で習ったのはガチガチの文法だらけで、大学受験で点数を稼ぐためのものばかりでした。習っている当時はそれでいいのだと思っていました。しかしその「テストのための英語」でさえ、テストで点数をとるためには不十分なものだったと思います。文構造を理解するとき、高校では一つの文を何回も読みながら解釈していくという方法を教えられましたが、実際その方法ではテストで点をとれていた生徒は少なかったように思います。この授業で習ったように「英文は頭から読んでいって後ろには返らない」ことが大切だと思います。

  また、読み方によって文構造を伝えることの難しさを痛感しました。しかし、読み方で文構造を表現できれば、テストの長文もサクサク読めるようになると思います。英語学習において、トレーニングばかりしていては英語力はつかないし、嫌いになっていく一方です。大切なことは「実感をもってからだで感じながら学習すること」だと思います。学校で英語を学ぶときは、座った状態ではなく、立ち上がって身振り手振りで表現しながら、頭のなかでイメージを膨らませていく。これが最もやるべき学習方法だと感じました。自分が数年後に先生になったとき、つまらない授業をするような先生にはならないように、これからも頑張っていこうと思います。


■ YAさん (教英)

  最初この授業を受け始めたころは、読んでないも同然の状態で予習の欄に投稿していた。しかし授業のペースは自分にとってはかなり速く、それでいて内容は難しいため、「今の説明はどういうことなのか」、「質問で何を問われるだろうか」ということで頭をフル回転させて授業を受けていた。その分学べることも感じることも多かった。しかしこのままだとついていけなくなるし、何よりも自分がその授業の間、苦痛な時間を過ごしていると感じてしまったことが嫌だった。そこでどうしたらよいか考えることで、授業に対する意識が変わったことが自分でも実感される。

  まず、予習でとことん探る。わからない単語はすべて調べる。自分だけで読んでも分からないところは友達に相談する。先生から学べることはもちろんあるが、先生とは違った視点から同じ学習者として学べることもある。

  このようにして読み込んだつもりでも授業で当てられたときになかなか答えられず、また悔しい思いをした。そこで、2回以上本文に目を通すことにした。そして先生も頻繁におっしゃっていたことだが、英文を、またはその内容をイメージすることを心掛けた。すると理解度も一気に上がり、授業中に当てられた際、短文だったにしろするすると答えることができた。

  小さなことかもしれないが、今まで口ごもってしまったり自信が持てなかった分、そんなひょっとしたことで嬉しくなり自信を持つことが出来た。それだけで自分の授業に対するモチベーションも一気に上がったし、「苦痛」ではなく、ほどほどの程度緊張感のあるワクワクする時間となった。

  また、授業後すぐに復習をした。そのとき手に入れた感覚を忘れないうちに書き込んだ。そして今回のポートフォリオでは、自分が一番苦手としていた比較の項目についてまとめられたのでとてもスッキリしている。しかし授業最終日が近づくにつれて、予習と復習を出さなかった日があったので、そこでは自分の忍耐力の無さを痛感するとともに、大きな後悔が残った。


■ ONさん (教英)

  現代っ子は「ポイント制」にするとやる気が出る。敵を倒してコインや経験値を貯めるゲームにのめり込んだ経験は誰しもあるだろうし、ポイントを集めて限定グッズがもらえるのなら何度も店に足を運ぶ。自分の行った努力が視覚的な数値になって表れると進捗状況が見えてやる気が増すのである。

  柳瀬先生に勧められたGraded Readers (GR)の英語読書もこの類で、なんと30ポイント貯めれば単位のグレードが上がるのだ。かつ自分の英語学習にもなるのだと思うとデメリットがない。そこで火曜3コマが終わったら控えに行って本を借りるというのを日課にしたところ、いつも3日坊主の私にしては思った以上に続けることができた。

  伊藤先生の『英文解釈教室』を通して読んだ文章のように、頭をひねって、解釈を加えて、それでも分からないような難解な文章を読む経験とはまた違った意味があった。私が読んだものは主にLEVEL2~4だったので、英語なのに頭にスッと入ってくるものばかりだった。簡単な英語だが、洋書に毎週触れたことで長文を読むことに対する抵抗はかなり少なくなった気がする。その中で英語独特の印象的な表現(His mouth dropped open.で驚きを表す、'Curiouser and curiouser!'でアリスの不思議な世界観を表現しているなど)を学んだり、会話で使われる表現なども学んだりすることができた。さらに、すらすら読めるので英語をそのまま理解できている感覚が心地よかった。

  継続することは難しい。GRとTEDは毎週の提出締切日があるためここまで続けられた部分はかなり大きいと思う。英語文法教育入門の授業が終わってから、夏休み、4セメ…と今後も継続できるかどうかで、今まで蓄積したものがコップから溢れる水のように、結果として自分に返ってくるかどうかが決まる。もともと私は読書が好きだったため、Readersのほうは完全に習慣化され、継続するのに労力が要らなくなった。そこで夏休みにも読めるように、そしてせっかくのまとまった休みなのでLEVEL5、LEVEL6の本を一度集中してしっかり読んでみようと思い、小野先生の英文学の授業で映画を見ながら原文を読んだ"Oliver Twist"と"Wuthering Heights"を借りた。一度映画を見て内容を確認しているので読みやすいだろうし、純粋にその映画が非常に面白かったのでそれを文章でも触れることができることにわくわくしている。早くレポートを終わらせて読みたい。

  一方TEDはある程度目標がないと続けられないと思う。リスニングはあまり得意ではないので、10分間のスピーチの間ずっと集中しなければならない。大抵5分を超えたあたりで集中力が途切れてしまう。しかし1年生の後期から毎週続けてきた習慣なので、ちょっと頑張って、やってみようと思う。GRと同様、習慣化してしまえばよいのだ。


■ ST君 (教英)

 この授業を通じて、自分が今働きもせずに大学に来ているのは数年後英語教師になるために、なってから困らないようにするために学力や様々な指導技術を身に付けるためなんだと悟ることができたとともに、自分にはまだまだその意識や実力が足りない、ということを実感することができた。最後の授業になっても音読で柳瀬先生に「いいですね」と言わせることもできず、たまに投げかけられる問いかけに対してもなかなか論理的に説明できなかった。

 しかし、勝負はこれからだと私は思っている。この授業で教えられた勉強法をどう継続できるかが重要であり、遅れはいくらでも取り戻せる。下に居れば上が見える。上を見た下の者はグレるか努力して這い上がろうとするもので、私はなんだかんだ今までずっとその後者であった。もう二年の半ば、されど二年の半ばであり、時間はまだまだ在る。部活やバイトを他の人よりしている分英語に当てられる時間は他の人より少ないかもしれないが、意識一つでそんなものはどうにでもなると私は思う。卒業するまでに少しは立派になれるように努力していきたい。


■ IYさん

  授業の導入の際に柳瀬先生がおっしゃっていた、「人のいいところを見つける」「変なプライドを持たない」ということにとても共感しました。実際に私もこれができずに損をしたり様々な機会をのがしてしまったことがあるからです。人の悪いところを見つけている間は自分ができるやつになったような気がする、というのも自分のことを言われているようでドキッとしました。頭ではわかっていたつもりでいましたが今一度考えてみるとそれがどれだけ時間と労力のムダであることかと思います。逆に高いところを見てこの人に近づくためにはどうしたらよいか、何がこの差を産んだのかを認めて追いかけるという姿勢を持つことはそう簡単なことではありませんが、ぜひぜひこれからの自分のためにも行っていきたいです。



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上の感想の中にも言及されていましたが、学生さんが見た英語動画(TED中心)と読んだGraded Readersを紹介するサイトを作って運営しています。特に英語動画集は皆様にとっても利用価値があるかとも思います。ぜひご活用ください。



広大教英生がお薦めする英語動画集


広大教英生がお薦めするGraded Readers

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