今年度も、組田幸一郎先生(千葉県立成田北高校教諭)に英語教育について語っていただく機会を得ることができました。今回で4回目となりますが、これまでも教育現場の現実を真摯に語っていただきました。教育現場に出る前の学生さんにはぜひお話を聞いていただきたいと思います。
参加はもちろん無料ですので、この記事の下にある申込サイトで登録した上で、どうぞ会場にお越しください。また、講演の後、懇親会も開催します(こちらは有料です)。大切なことは、しばしば、肩肘はらない語り合いから学ばれます。こちらもお誘い合わせの上、どんどんご参加下さい。
■ 講演概要
自分なりの授業を作り上げればいい
組田幸一郎
「かには甲羅に似せて穴を掘る」という諺は「教師は自分の英語の理解に似せて授業を作る」と応用ができるのではないだろうか。自分が教科書の英文をどのように理解し、その英文をどのように定着していくかということを意識して授業は作り上げられていく。リスニングから入るのか、知らない単語を調べてから本文に入るのか、Top-Downなのか、Bottom-upなのか、どうやって単語を覚えるのか、そして英文を自分のものにする(定着)ためにどのような学習をするのか。このような自分なりの英語への理解・定着方法の道筋が、授業のベースとなる。
新人教師と呼ばれているときには、授業をどのように進めていくのかがなかなか定まらないことは当然のことだ。自分のことを思い返しても、学校の仕事に慣れなかったり、新人ということで多くの仕事が回ってきたりして、授業作りに集中できないという事情も確かにあった。しかしそれだけではく、教師になるまでは、英語を勉強していたものの、学生時代は自分がどのように英語を理解するかというメタ認知を働かせる機会がなかったということもあった。そのため、何を意識して授業を組み立てるかに悩む=授業の進め方がなかなか定まらなかった。これは授業を意識的に考える経験を重ねることで、授業の進め方のパターン化=自分の英語理解の客観視が可能になっていく。これは、「出汁」といえる部分である。
どのように授業を進めていくかということは、どのように生徒に授業内容を定着させたり、英語力を伸ばしたりするか、ということの自分なりの答えでもある。これは、自分の英語理解・英語力上昇の方法をなぞるだけではうまくいかない。教師は一定の年齢に達しているし、英語力もあるが、生徒はまだ若いし、英語力もまだまだである。モチベーションも、教師よりも低いことが多い。教師にとっての英語は「そのもの」だが、生徒にとっての英語は多くの教科のうちに1つにすぎない。これらの事情を踏まえて、授業を組み立て方や、授業への「惹きつけ方」を意識して、授業を作り上げていく。この根底にあるものは「(英語)教師力」とも呼ばれるもので、生徒の状況を客観的に理解する必要があるだけでなく、授業以外での生徒とのコミュニケーションも大切になってくる。ほかの先生の「まね」をしてもなかなかうまくいかないことは、この「教師力」には個性があるからであるからだ。
統計を取ったことがないので分からないが、若いときには教えすぎる傾向があるのではないかと思う。あれも必要だ、これも必要だ、と教えるべきところがどんどん見えてくるので、生徒を理解すればするほど、彼らが不足しているところが見えてきてしまう。すると、どうしても教える量が増えてくるからだ。往々にしてこの結果は良いものではなく、「これ、授業でやったのに。あれも授業でやったのに」と定期考査などの結果に落胆することが多くなる。そして、「教師が教えること=生徒が理解すること」という図式が間違っていることに気づき、どうすれば生徒が理解するのかを考えるようになっていく。
自分なりの授業とは、自分の人となりをベースとして、生徒を観察し、自分の英語学習をメタ的に観察することでできあがっていくのではないか。
■ 講師
組田 幸一郎 先生 (千葉県立成田北高校教諭)
著書に『高校入試短文で覚える英単語1700』、『高校入試フレーズで覚える英単語1400』、『基礎からのシグマベスト 高校これでわかる基礎英語 (新課程版)』、『高校入試スーパーゼミ英語』(文英堂)など(アマゾン一覧)
共編著に、『英語教師は楽しい―迷い始めたあなたのための教師の語り』、『成長する英語教師をめざして - 新人教師・学生時代に読んでおきたい教師の語り』(ひつじ書房)
ブログは「英語教育にもの申す」(http://rintaro.way-nifty.com/tsurezure/)
■ 日時
2014(平成25)年12月5日(金)17時から18時半まで
■ 場所
広島大学教育学部K棟108教室
■ 参加申込
参加料は無料ですが、お申し込みは必要です。下記のサイトからお申込みください。締切は11月末です。
■ 懇親会
希望者を対象に、19時から2時間程度の懇親会を広大付近の会場で行います。会費は3000円以内に留める予定です。後日、会場や会費などが決まりましたらご連絡を差し上げますので、上記のサイトで懇親会への参加希望を表明しておいてください。
追記 (2014/12/08)
学生のKR君が講演会の感想を書いてくれましたので下に掲載します。
組田先生から受けた印象は着飾らない実直な教師であった。
私は非常勤先の私立高校でしばしば「もっと教師らしく振る舞ってください」と注意を受けることが多い。その背景には「私の持つ教師としての哲学では許される姿」と「学校(ないしベテランの教師)があるべき姿」が一致しないことが挙げられる。しばしば注意を受ける中で、私は「教師としての体裁を保つ」というために何を隠すべきで何を隠さなくて良いのかがわからなくなってきている。結果的に、自身の哲学に合わない制約が多くあるために非常にストレスを感じると同時に、自身の哲学からズレた指導をしがちになってきている。すなわち、自身の教師像と学校のスタイルが混合し、だが混じり合わず、要所にそれぞれが滲み出てしまう、一貫していない教師に陥ってしまっている感覚がある。
組田先生が強調しておっしゃっていたことに、「達人の技は必ずしも個々に適応するとは限らないので、表層的に取り込むことは危険を孕んでいる」ということがある。達人の技を良い、と感じる際には2つのパターンがあるのではないだろうか。1つはその達人の持つ哲学に共感し、その上で方法論である指導法に共感を覚えるものである。この場合、その教師と達人の哲学は共通項を持っており、この際にはテクニックの盗用は功を奏する可能性がある。もう1つのパターンは達人の表層的なテクニックとその授業を受けた生徒の様子に感銘を受け、その表層的な様式だけ盗用するものである。この場合、その教師の哲学に基づいた普段の授業と、その達人のテクニックは根底が異なる。よって、授業の活動の中での齟齬が生じ、生徒はその違和感に気づく、もしくはその異様な雰囲気から参加をためらう可能性がある。趣味の麻雀に例えるなら、私はじっくり手を高める打ち筋を好み大きく勝つという哲学のもとで麻雀を打つが、早上がりの達人の鮮やかな上がりに感化され、中途半端にその様式だけ取り込んでも、根幹の哲学が合っていないためその打ち筋に齟齬が生じ、試合に勝つことはできないだろう。すなわち、自身の哲学と一致しないテクニックは、そもそも根底としている方向性が共通していないため、効果を発揮し得ない。組田先生は教師に自身の哲学を持つこと、それを貫くこと、そして達人の技を盗むことは自身の哲学と一致しない可能性があることを伝えたかったのかと感じた。この話は上記で述べた私の非常勤での悩みに共通しているだろう。
また、組田先生は他者の理解に関して非常に柔軟であり、その点に関して寛容であると感じた。先述した「自身の哲学を貫く」と聞くと、通常は「頑固であり、他者を考慮せず、柔軟性に欠ける」というマイナスな側面を連想してしまうかもしれない。しかし、組田先生にはその点が感じられない。組田先生がおっしゃっていたことに「良い教師が良い生徒を育てるとは限らない」「瞬間的な支配に意味は無い」という話があったのだが、これは他者という切り離された存在を個別として認識しているからこそではないだろうか。自らの哲学を貫く大切さを強調すると同時に、それを他人に伝えることの難しさを熟知しており、しかし諦めず徹底的に挑戦し続ける姿勢を強く感じた。達人と呼ばれる人の中には、特に中学生を教えている方には、そのパーソナリティが凄まじく、生徒との心の距離感を認識せずとも強引に引っ張って行けるカリスマ性を持つ教師が存在するような気がする。一方で、高校になるとこの手の教師は珍しい。これは、高校生がある程度自己を確立していることから、その生徒と教師(個人と個人)との間の距離感を認識しなければ、思いが伝わらないのを表しているのではないだろうか。この点において、組田先生は個人に対する認識がはっきりとしており、尚且つ単に割り切るわけではなく伝える部分を諦めず追求し続けているのではないかと感じた。
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