2012年10月3日水曜日

インターネットは魔法でありその呪文は言語である。そして魔法界の務めはつなぐこと。




この記事は「メディア・リテラシー」の補遺であり、学部一年生を対象に書かれた文章です。


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先日「メディア・リテラシー」を書いた時、私はもっとも根源的な意味生成媒体としての身体の重要性を訴えた。周囲の変化に即応して身体内部に微細微妙な変化(=「情動」(emotion))を感じること(=「感情」(feeling))がなければ意味は生じないのだし、そのような変化を感じられないほどに身体が凝り固まっていれば、それはそのまま心・知性の鈍化・劣化につながるといったことを述べようとした(参考:「3/4京都講演:「英語教師の成長と『声』」の投影資料と配布資料」)。

いくら最新のコンピュータを購入しても、それを使う身体つまりは心が頑なではそのコンピュータも無駄な投資にすぎないというのはその記事で述べた通りなのだが、書いた後で、この書き方ではコンピュータの可能性について否定的になりすぎる解釈をする読者もいるのではないかと思い始めた。

というより先日の記事では、単体のコンピュータ(「スタンド・アロン」(stand-alone))とインターネットにつながったコンピュータの区別をしていなかった。

インターネット接続を前提としたスマホやタブレットというコンピュータが、デスクトップパソコンよりも人気が出ている昨今、「スタンド・アロン」ということばも最近はあまり聞かれなくなったけど、メールと時折のネット検索以外はほとんどスタンド・アロンでしかパソコンを使っていない人は時にいる。しかしスタンド・アロンでは、コンピュータの可能性の何百分の一、いや何千分の一も実現できない。スタンド・アロンのコンピュータとインターネットに接続されたコンピュータはまったく別物である。



物心ついた時にはインターネットが既にあった現代の学生さんにとっては実感はないかもしれないが、インターネットはやはり魔法である。

インターネットが、グーグルといった検索技術、さらに近年のSNS (Social Networking System)によって、世界中のサイトを廉価でほぼ一秒以内につなぐことができるようになり、地球にはまったく新しいコミュニケーション空間が生じた --といってもこの全地球的コミュニケーション空間は、コンピュータの利用が経済的・政治的・社会的に不可能な人々を排除しているものであり、その事の問題は非常に重要なのだが、その件に関してはここでは割愛する。

自分が欲する情報に、たとえそれが地球の裏側にあろうともあなたは瞬時に到達することができる。何千キロも離れた所にいる見知らぬ他人が、あなたが寝ている間にもあなたのサイト(あるいはツイート)にたどり着く。私の世代の感覚からすればやはりこれは魔法である。



だが魔法を作動させるには呪文が必要だ。その呪文とは何か。

秘密がしばしばそうであるように、インターネットという魔法を働かせる呪文も、きわめて日常的なものの中にある。多くの人が「ええっ、そんなことだったの」と驚くほどに当たり前のことが実は偉大なる秘密であったりする。

インターネットの呪文、それは言語である。

インターネット検索をする時、あなたが適切な言語を使えば、有益な情報が多く得られる。それは固有名詞であったり専門用語であったり数値データであったり、あるいはそれらの組み合わせであったりする。逆に焦点の定まらない凡庸なことばで検索すれば、時に無益な情報の山に辟易としなければならない。

ブログであれツイッターであれ、インターネットにあなたが書き込みをする時、あなたが平々凡々のことばしか使われなかったら、あなたのブログやツイッターはせいぜい既知の友人にしか読まれない(いや時に友人にすら読まれない)。あなたがインターネットによってオフラインでは考えられないほどの豊かな交流をしようと思えば、あなたは具体的な情報、抽象的な概念を、的確なことばで表現しなければならない。

明確、精細、適切な言語 ― これがインターネットの呪文である。

さらには日本語だけでなく、英語も的確に使いこなすこと。

呪文を英語にすると、インターネットの魔法の威力は、しばしば数十倍、数百倍になる。

だからインターネットという魔法を使いこなそうとしたら、日本語と英語(さらには他の外国語)という言語の力をつけてほしい。そして言語の力をつけるには、言語の源泉である意味を豊かに身体に感じなければならないのは先日の記事でも言ったとおりだ。



ついでに述べておくならば、インターネットの魔法界にもいくつかのルールがある。掟という程に厳しいものは、悪事をしないといったごく当たり前のこと。警告としては、インターネットを自我肥大のために使わないこと。しばしば匿名などで、現実世界の自分とはかけ離れた自己像を作り出し妄想世界の中に浸ったり、他人を罵り侮辱し貶めてそれほどに他人の低さを指摘できる自分は(少なくともその他人よりは)偉いのだという憐れむべき自我防衛を続けたりする者は、残念ながらやがて悲惨な運命をたどることになる。インターネットという魔法を乱用してはいけない(関連記事:「片田珠美(2010)『一億総ガキ社会 ―「成熟拒否」という病』光文社新書」「正義が「呪い」に転ずるとき ―あるいはネット上での発言についての注意―」)。

だがここで述べておきたいのは、インターネットの魔法界の務め、努力目標である。やらなければ罰せられるとか自らひどい運命を招いてしまうとかいうのではないが、やるとそれだけ魔法界全体が豊かになり、その結果自分も他人も幸せになれるという務めである。

インターネット魔法界のその務めとは、つなぐこと。

自分がよいと思ったことを、できるだけ他人にも伝えようと、自らがよき媒体になる手間を惜しまないことである。

私が1997年に旧ホームページ「英語教育の哲学的探究」を始める時に、私は何冊かネット文化についての本を読んだが、その中にあったのが「自分のサイトをデッド・エンドにしない」ということだった。自分の事ばかり書いて、そこからどこにもリンクしないようなページは、インターネットのネットワークを豊かにしない。グーグルや各種SNSも人々のリンク行動により、ネットワーク構造を把握・構築している。あなたが呪文を一言唱えただけでで魔法のようにすばらしい情報を得られるのも、世界中の人々が「これはいい」と思った情報をリンクという形で表現し続けているからだ。

だからあなたもこの魔法界の務めに励んでほしい。いいサイトがあったらリンクしてほしい。SNSで紹介してほしい。さらに書き込みをすれば、インターネットだけでなく、サイト作者という生身の人間をも励まし、さらにネットを豊かな空間にすることができる。いいツイートがあればリツイートしてほしい。さらに書き手にメッセージを送り、書き手とあなたとその二人をフォローしている人々の間に新たなつながりを作ってほしい。



"Computer for Communication and Community"というのは、ネット活動開始時からの私のモットーだ。インターネットは公共のものである。自分のためだけに使わないでほしい。ましてやその公共財を損ねることはしないでほしい。そのような者には災厄が訪れることは上で述べたとおりだ。

インターネットという現代の魔法を、的確な言語という呪文を使いこなすことで、あなたそしてあなたの周りの人々さらにはネットを通じてあなたとつながる数多の人々を幸せにしてほしい。そのために日々、善きものと善きものをつなぐという務めを果たしてほしい。これが私が「英語教師のためのコンピュータ入門」を開始するにあたって言いたいことの一つです。




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