2008年1月25日金曜日

出来の悪いコンピュータシステムと戦う方法

■怒りを抑えよ

あなたの組織が、グーグルやアマゾンやアップルで働くようスマートな人々に、コンピュータシステム構築を依頼したなどと思ってはいけない。あなたの組織にそのようなお金はない。

システム自体やマニュアルに「わかりやすさ」が欠けていることが日本では常態だと考えよう。「デザイン」や「ライティング」に関する教育を日本は怠っているのだ。その大状況に対して怒って机を蹴飛ばしても問題の解決には至らない。


■システムの癖を学べ

したがって、コンピュータシステムが人間の直観や常識に合わせてくれることをあなたは期待してはいけない。あなたの方がコンピュータシステム固有の癖を学ばなければならない。癖を学ぶことは汎用性の低い学習かもしれないが、当座の仕事をすませるためには確実に役立つ(もしかしたらそのような偶発的な学習もいつかは何かに結晶するかもしれない!)。

グーグルやアマゾンやアップルのシステムでは、マニュアルやヘルプ画面を参照することは例外的なことであるが、あなたの組織が構築してもらったシステムでは、最初にマニュアルを速読し、ヘルプ画面の使い方を学ぶべきだろう。もちろんマニュアルやヘルプ画面自体がわかりにくいということは前項で述べた通りである。


■システムエンジニアを味方と考えよう

あなたのコンピュータシステムを作ったシステムエンジニアは、あなたに悪意を持っている人間ではない。彼/彼女らは、あなたの組織の低予算と、日本のデザインとライティングに関する教育の貧困(あるいは欠如)の犠牲者なのだ。システムの使いにくさを覚える度に、その項目をメモして、可能な限り具体的なシステム改善意見を整理して彼/彼女らに送ろう。メモをすることは、あなたの怒りを抑えることにも役立つ。


■教育政策に対して声をあげよう

日本はOECDでも最低レベルの教育支出(パーセント比率)しかしておらず、教師を最も長く働かせている国の一つである。それなのに政府は、教育現場を知らない者の思いつき的な提言をしては、現場を混乱させている。もっと教育を尊重するように世論を高めよう。日本の教育レベルが落ちれば、日本には明るい未来はない。

「本質の発見と提示」という意味でのデザインは、全ての学校教育活動を通じて促進されるべきであろうが、図画工作や総合的学習、あるいは自由な課外活動などは、デザインを学ぶ格好の機会と考えるべきである。それらをつぶそうとする人々は、教育の敵だととりあえず考えよう。(少し拡張して言えば、芸術や身体運動を軽視しようとする、頭の悪いエリートの意見をこれ以上受け入れてはいけない)。

本質の発見と提示の主なメディアは、もちろん言語である。日本の言語教育が貧困であることは田嶋幸三『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(光文社新書)などの本が指摘する通りである。また日本の会議が、戦略-戦術-兵站の抽象から具体へのレベルの区別を明確にせずに「議論の花を咲かせる」ことに終始しがちであることも、日本の言語教育がよりよい社会作りに役立っていないことを示しているといえる。(そもそも日本の言語教育のレベルの低さは、このブログの著者が偉そうに英語教師養成に携わっていることなどからも明らかである)。

言語教育を、自称「言語教育の専門家」に任せてはいけない。常識的・良識的に考えて、どのような言語教育が必要であるかに関して市井の人々がもっと声をあげる必要がある。ただし掲示板やブログで口汚く罵り言葉を連ねることは止めよう。そういった行為は人々に不快感だけを与え、あなたの品性を落とすだけである。世間はあなたの攻撃的な言葉に賛意をコメント欄に書き込む人たちだけで成り立っているのではない。言語教育の改善について語る者は、自ら適切な言語使用を行わなければならない(ちなみにこの小文の作者はそのような基本的なことにも気づかずに翻訳調の悪文を書いているようである。そのような者の言葉に過度に反応しないように)。

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