2012年12月31日月曜日

吉田秀和さん、あるいは感性・知性・理性の調和について



昨日、たまたまNHK-FMをつけたら吉田秀和さんの声が流れてきた。今年5月22日に逝去された吉田さんの、とりわけNHK-FM番組「名曲のたのしみ」での40年余りの貢献に感謝しての特別番組だった。

懐かしかった。ちょっとかすれたあの声の質を、私がこれほど好きだったことに初めて気がついた(何かを失わないとその真価を理解できないのは凡人の常である)。声の質だけではない。語りのテンポ、その揺らし方がいい。抑揚の高低も、それに伴う強弱も節度があり、それでいながら吉田さんの心の動きがそのまま伝わってくる自由がある。ことばは慎重に練られたものだが ―吉田さんは放送の随分前から放送原稿を書き上げていた―、時折それに挿入される即興的な口語表現が、また滋味を感じさせた。

一言で言うなら、品があった。吉田秀和さんには品性というものがあった。それが率直に飾らずに出ているのが吉田秀和さんの人となりだった。

「名曲のたのしみ。吉田秀和」という、そっけない入り方から始まるのが「名曲のたのしみ」という番組だった。音楽家を、そして演奏家を、丁寧に理解しようとする時間だった。その中で私たちも思考を深め、感性を新たにできる番組だった。番組最後に「それじゃ、また」という吉田さんの声は、心なしか少しほっとしたような声で、その声もなんとも言えずよかった。

だが、私は必ずしもこの番組の熱心な聴取者ではなかった。今思うと悔やまれる限りである(私はどうしようもないほど凡人だ)。



24歳で父親を亡くして、その動揺からなんとか立ち直るのに半年ほどかかった私を助けてくれたのはクラシック音楽だった。最初は黒田恭一さんや砂川しげひささんの本を手助けに、膨大な量のクラシック音楽から私は自分が聞くべき音楽を定めていったが、やがて私は吉田秀和さんの本をもっぱら読むようになった。しかも繰り返し。私は吉田さんの本で、まだ聞いたことがない音楽の有様を想像し、そしてCDを購入しては私の想像と音楽の実感を比べたりしていた。そしてしばしば吉田さんの表現力に感嘆していた。

当時大学院生だった私は、生意気さも手伝って、人文系の大学人が「研究」と称している活動は、言語を他の言語に言い換えているだけの作業ように思っていた。もちろん、言い換えも、真剣な翻訳となれば、それは原作者に対する翻訳者の倫理的な行為だともいえるが(参考:『外国語学』)、生意気な私が選択的に目をとめていたのは、ある本の内容をいいかげんに要約した文章を小器用に多く並べたような「論文」だった。ことばをことばに小器用に(そして不誠実に)変換することはとてもつまらないことに思えた。

その点、吉田さんの文章は、音楽そして音楽の経験という、ことばでない現象を、ことばで表現していた。私はこの創造的な表現力に驚嘆していた。さらにはその文章自体が、音楽のような響き、流れ、うねり、抑揚をもっていることにも驚いていた。だから私は何度も吉田さんの文章を読んだ。一時期は古い時期の本も読むため、大学図書館の地下書庫にまで降りていったことを今でも覚えている。

私は最初にはもっぱら音楽について知りたくて吉田さんの本を読んでいたが、吉田さんの文章は音楽について語っていても、美術に文学にと、話は展開していった。時には政治についても社会についても話題が広がっていった。最初私はそういった広がりを、余計なことと考えていたが ―何しろ私は自らの心を鎮めてくれる音楽を切に求めていた―、そのうち、それらの展開や広がりは、音楽を語るために必要であることがわかってきた。

音楽とは、私たちの暮らしの中での営みである。暮らしの中の営みである以上、それは他の営みへと自然とつながる。暮らしの中で行われる以上、私たちの暮らしに影響を与える社会のあり方、暮らしを直接に左右する政治のあり方は、音楽と無関係ではない。

音楽も美術も文学も、社会も政治もそして経済も、すべて同根である。人の営みである。このつながりを失ったまま、「専門的」に語られる音楽は(専門的に語られる美術や音楽、あるいは社会や政治や政治と同様)、知的に見えて、浅薄だ。いや浅薄だけでなく、根本のところで冷酷である。「専門的知識」を共有しない人びとを排除し、自らの営みだけを特権化するからだ。むろんその特権意識的冷酷さは、社会を大きく動かす政治や経済において著しいが、芸術分野の特権意識的冷酷さもまた別種の残酷さをもっている。

吉田さんは、そんな冷酷さや残酷さとは無縁な人だった。それゆえの品性だったのだろうか。

吉田さんの知性は、音楽以外に開かれていただけでなく、感性と理性という人間の別種の働きに対しても開かれていた。日常生活の中でふと気がつくことの感性の動きは、音楽に関する吉田さんの知的な文章の中に流れ込んでいた。さまざまに異なる知性の主張は、吉田さんの理性によって大きく流れを整えられていたように思えた。吉田さんの文章、そしておそらくは生き方において、感性と知性と理性は調和していたように思えた ― この調和こそが美なのだろう。


ひるがえって、私たちに調和はあるか。ことに私たちの知性は、感性や理性から切断されていないか。

私の仕事は英語教育だが、教師や生徒がふと感じることを、「研究者」という人種は、自ら言うところの「知性」で否定していないか。「うーん、そういうことを言われても、実証的に立証もできないし数値化もできないんですよね」と語る研究者は少なくない。かくして教師も生徒も感じたことをそのままことばにしようとはしなくなる。それでも語り続けようとする者に、一部の研究者はこのように囁く。

「あのね、そんなことばかりにこだわっていちゃ、どうしようもないですよ。あなたの欲しいのは地位?それともお金?
地位なら研究者や行政者が好むような書き方・考え方をしなくっちゃ。とにかく数字にしてしまうこと。数字にしてしまえば、あとはいくらでもそれを学術論文ぽく見せることはできるんだから。
お金が欲しいなら、予算決定者の説明責任の代わりとなるような書類を書かなくっちゃ。予算決定者は馬鹿じゃないけど、すべてをわかっているわけじゃないし、わかろうとしているわけでもないのだから。予算決定者があなたに予算を配分する判断の責任を感じないで済むように、書類をコピーすればそのまま会議で通るように書類を書かなくっちゃ」。

あるいは「研究者」の「知性」は、理性とつながっているのだろうか。「こうすればTOEICの点数を上げられる」、「こうすれば学習者を動機づけられる」、「こうすれば留学希望者を増やせる」という「知的な」発見が次々に学会で報告されるが、こういった知性は、理性的に反省されているのだろうか。私たちはどこへ向かおうとしているのだろう。私たちは知性を何のために使おうとしているのだろう。

感性と理性から切り離された知性、というより感性と理性とのつながりを拒む知性が跋扈していないか。たまたまさきほど読んだブログ記事で知ったことだが、新たな「文部科学副大臣」がおそろしく貧困な教育観と伝統文化観を表明していた( 「怖くない先生」が「怖い」と感じていること)。私からすれば教育をおよそ歪曲化し、日本の伝統文化を侮辱しているようにすら思えるこの見解も、「文部科学副大臣」という地位から表明されれば、制度的権力をもつのだろう。

そんな見解に基づく「知的」な論文も今後、書かれるのかもしれない。「○○すれば(副大臣のおっしゃる通り)××になります」という主張の論文ならば、いかにも予算が獲得できそうではないか。シンポジウムのパネリストとして招待されそうではないか。だが、こういった知性とは、もちろん感性とも理性とも切り離された冷酷な知性に過ぎない。感性がささやいてくれること、理性が指示してくれることに、耳を閉ざし目をそむけることで成立している一面的な事象の報告に過ぎない。

もちろん悲観する材料ばかりではない。これも先ほど読んだブログ記事だが、内田樹さんの文章は味わい深かった。


新年のご挨拶がわり
http://blog.tatsuru.com/2012/12/31_1203.php



私たちは、浅薄な知性を ―本来は知性の名前に値しない一面的な主張を― 暴走させてはならない。知性を感性に根ざさせ、理性で導かねばならない。知性を感性と理性と調和させなければならない。その調和こそは美だ。美を知り、慈しむことが、私たちの暴走を防ぐとは言えないか。


そんな意味で、日本はまだまだ吉田秀和さんを必要としていた。

改めて、吉田秀和さん、安らかにお眠りください。


私たちは美を忘れませんので。

あなたが示してくれた品性を忘れませんので。

調和の感覚を忘れませんので。



吉田秀和さんがいなくても、日本が品位ある国でありますように。





1/12大津由紀雄先生中締め講義(言語教育編)での発表資料掲載、および大津先生へのメッセージ




■発表(投影)資料の公開

1/12(土)に慶應義塾大学で開催される「大津由紀雄慶応義塾大学教授 中締め講義 ―言語教育編―」(詳細は http://oyukio.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html)で、私は指定討論者の一人となる身に余る光栄を受けました。その際の発表資料(投映用と配布用)をようやく準備できましたので、このブログでも公開します(当日までに、細かな追加をさらに加えるかもしれませんが、大筋はこの版と同じものとなります)。ご興味ある方はダウンロードしてください。



大津言語教育論を斬る

「大津言語教育論における身体性について」


 投映資料
https://www.box.com/s/3ogllw3mdpogu9es8ie9

配布資料
https://www.box.com/s/j4bvj79kpks751gyhmb0






私の発表は、「大津言語教育論における身体性について」と題することにしました。主な論点は次の5つです。

1 「ことばへの気づき」概念の分析不足
2 Embodiment 概念の不全 
3 ことばの情感(情動と感情)の軽視
4 形式重視の近代言語学の限界
5 文法用語の統一が優先課題では


詳しくは資料をダウンロードしてご検討いただきたいのですが、ここで概略を述べることにします。

「1 「ことばへの気づき」概念の分析不足」では、大津言語教育論の中心概念の一つである「ことばへの気づき」概念は、さらに下位分析することが可能であることを、ダマシオの神経科学(神経哲学)用語を援用することにより示します。

「2 Embodiment 概念の不全」では、上記の下位分析は単なる用語の新設のためだけでなく、大津言語教育論に不足していると考えられる"embodiment"概念を強調するためであることを論じます。"Embodiment"概念については、通常は「身体化」と訳されていますが、私はレイコフとジョンソンの記事(下記参照)では「身体的形成」と訳しました。心といった通常は抽象的・機能的にのみ考えられがちなものが、実は身体に即して形成されていることを示すのがこの"embodiment"という用語だと私は考えていますので、私はこの語は「即身的形成」と訳した方がいいのかなとも思い始めました。まあ、訳語はともあれ、この"embodiment"概念について当日はできるだけわかりやすく語りますが、発表時間は限られていますので、ご参加予定の方は上記のダウンロード資料だけでなく、下記の関連記事もご一読願えれば幸いです。(今回は、私の悪癖である早口をできるだけ抑える予定です 笑)。

「3 ことばの情感(情動と感情)の軽視」では、"embodiment"概念をさらに展開し、近代言語学では周縁的・例外的事例としかみなされない擬態語などを考えることが、ことばについて考えなおすことにつながるのではないか(しかし大津言語教育論では擬態語などの現象を扱いにくいのではないか)ということを論じます。その中で、竹内敏晴、野口三千三、内田樹の論について言及し、宮沢賢治についても語ります。

「4 形式重視の近代言語学の限界」では、こういったことばの「身体性」を、その枠組を基本的に近代言語学においている大津言語教育論は、その性質上扱いにくいのではないかと主張します。時間がないので、ここの論証はきわめて短いものとなります。

「5 文法用語の統一が優先課題では」においては、上記の4の主張に基づき、大津言語教育論の優先課題としては、大津言語教育論が(身体論よりも)得意とする文法の分野で、学習文法用語の統一を選ぶべきではないかと提言します。ご承知のように、国語教育・日本語教育・英語教育の文法用語は統一されておらず、この不整合ゆえに統合的な「ことばの教育」が困難になっているのではないかと私は考えているからです。またこの提言の背後には、大津先生の余人を持って代えがたい学界・社会でのリーダーシップへの大きな期待があります。

上記ダウンロード資料から、仮にもっとも重要なスライドを3枚選ぶとすれば次の3つになるかと思います。(クリックすればスライドが拡大します)













繰り返しで恐縮ですが、ご興味をいだかれましたら、ぜひ資料をダウンロードしてください。





■大津先生への退職記念メッセージ

ようやくこの資料が準備できましたので、http://oyukio.blogspot.jp/2012/12/blog-post_2.htmlで受付されている大津先生へのメッセージも書くことができました。これからメッセージを投稿しますが、上記の発表とも関連していますので、ここにもその私のメッセージを掲載することにします。



大津先生、

ようやく先生の「中締め講義(言語教育編)」のためのスライドを完成させることができたので、遅ればせながらメッセージをお送りさせていただきます。

思えば先生と私の最初の出会いは、先生が私の旧ホームページ掲示板に、私のホームページ記事での生成文法などに関する私の錯誤・誤解を丁寧に指摘する投稿してくださったことから始まりました。それは1998年で、私はまだ広島修道大学で勤務していました。その当時私は先生の名前こそ存じていましたが、一度もお会いしたこともなかったので、「こんなどこの馬の骨ともしれない私の掲示板に、わざわざ有名大学の教授が丁寧にコメントを書くなんて・・・」と驚いていました。

その印象が強く、私はぜひ一度この先生に直接お会いしたいと思っていたところに、1998年4月25日の名古屋での英語教育達人セミナーで大津先生がお話をなされるとの情報を得て、思い切って出かけることにしました。

「どんな人かなぁ」とややドキドキしていた私の前に現れた大津先生は、今も変わらぬ穏やかな笑顔をたたえた紳士でしたが、私の眼をひいたのは先生のネクタイでした。なんとスヌーピーのネクタイ!私がそれについて言及すると、確か先生は「いやぁ、雰囲気を和らげようと思って」などとお答えになったかと記憶しています。私は単純な人間ですので、この出会いだけで「あっ、この人は信頼できる」と直観しました。その直観が正しかったという確信はその後ますます強くなるばかりです。

達人セミナーの先生の発表の後、私は質問をしました。先生は私の質問を「筋違い」と排除することなく、「あなたの仰る○○とはどんな意味ですか」、「その議論から、△△という結論を導き出すところが納得できないんですけど」と丁寧に私の論旨を検討されました。

私は私なりにできるだけ明確に私の用語の定義を述べ、論証の根拠を示しましたが、同時に私は先生の議論のマナーにとても驚いていました。

と言いますのも、その当時の私の周りの英語教育界では、自らの領域以外からの議論を一切受け付けないような研究者が多かったからです。同好の士からの細かな質問は受け付けるが、少しでも前提や背景を異にする者からの問題提起に対しては、慇懃無礼に議論を拒んだり、「アブラカタブラ」としか聞こえないようなことばを連ねた後に作為的な笑顔で「ご理解いただけましたでしょうか」とごまかす人が多かったからです。少なくとも私が知っていたその当時の英語教育界には、開かれた知性をもった人がほとんどいませんでした(今はどうなんでしょう)。

いや、それどころか、当時は学閥的な考えが強く、大学の系列や、学会の所属が異なっていると、なんだかあまり話をしてはいけないような雰囲気があったように私は記憶しています。年がら年中顔を合わせて、懇親会になると真っ先にビールを注ぎにくるようになって、初めて「うい奴」と認められるけれど、話の中に学術的な議論を出すととたんに鼻白まれてしまうような空気を私は感じていました(もっとも、今よりも性格が歪んでいた頃の私の記憶ですから、実情がどうであったのかは定かでありません)。

ところが私の目の前の、スヌーピーのネクタイをつけた人は、私の素性などに一切構わず、私の論点に集中して話してくれるのです。しかもきわめて穏やかに、理性的に。私の驚きはすぐさま大きな深い喜びに変わりました。議論の後、ある見知らぬ参加者の方が「ひさしぶりに大学の先生らしい議論を聞きました」と私にわざわざ語りかけてくれましたから、大津先生が誘導してくれた対話が、聴衆にもきわめてよい印象を与えていたのは間違いないと思います。

その後、社交性に乏しい私の無精にもかかわらず、大津先生は私にも時折声をかけてくださいまして、大津先生のシンポジウムにも登壇させていただいたり、編著にも執筆の機会を与えてくださいました。私を含めた多くの者にとって、大津先生に声をかけていただき、機会を与えていただくことが、どれほどに光栄なことかを大津先生は想像できますでしょうか。

ここで私はジャズのマイルス・デイヴィスのことを思い出します。まだ人種差別が強かった時代に、彼は自分のバンドに白人プレイヤーを入れました。「黒人バンドに白人を入れるな」という黒人仲間からの非難に、マイルスは「眼が赤かろうが、肌が緑色だろうが、あいつよりもうまいプレーヤーを見つけてこい。そうすれば俺はそいつを入れる。いなければ俺はあいつを入れる」と語ったと言われています(この話も含めてマイルスのエピソードに関して、私は今記憶だけを頼りに書いていますので、細部は異なるかもしれませんが、大筋は間違っていないはずです)。

これに限らず、マイルスは、若手プレーヤーの演奏に常に注目しており、これはと思うプレーヤーがいたらいきなり自分と一緒に演奏をしないかと声をかけていたそうです。ケイ赤城は確かいきなり電話でマイルスに呼ばれスタジオに行き、演奏しろと言われたそうです。ケイが最初はマイルスが好きそうなプレイをしたところ、マイルスは嫌そうな顔をしたので、それならばと思い、その当時自分が一番やりたかったプレイを思い切ってやったところ、マイルスは満面の笑みを浮かべたとも言います。

このようにマイルスが発掘し、共演することで大きく育ったプレイヤーは数多く、それらのプレーヤーは「マイルス・スクールの卒業生」とも呼ばれるようになりました。マイルス・スクールの卒業生抜きのジャズなんて考えられないし、考えたくもない程にマイルスは若手プレーヤーにそしてジャズ界さらには音楽界一般に多大な影響を与えました。またマイルスは「卒業生」を決して囲い込むことなく、彼らに自由に音楽をさせました。それは彼こそが音楽の自由を欲していたからかもしれません。

マイルスをクラシックでたとえますと、ハイドンが一身一生で、ベートーベン、シューベルトに変身し、さらにはワーグナー、ひいてはドビュッシーになってしまったぐらいの進化をマイルスは遂げました(わかりにくい比喩でごめんなさい)。この進化の重要な要因は、マイルスが絶えず優れた音楽を求め、そのためには人種が違おうが、年下だろうが、誰からでも優れた音楽の可能性を発掘したことにあると思います。

若手に注目するという点では、最近の日本のお笑い界ではビートたけしがそのような役割を担っているようにも思えます。しかしビートたけしは「あんちゃん、なかなか面白いね」と言って若手を鼓舞することはあっても、彼自ら新しい笑いを開拓する姿勢は残念ながら示していません。ここがマイルスとの決定的な違いです。
マイルスは生涯にわたって創造者でした。若手とのプレイも、それは若手の将来のためというより、自分のためでした(マイルスは「共演」というより「競演」していたのでしょう)。だからこそ若手もマイルスをリスペクトし、聴衆も常にマイルスに驚嘆し続けてきたのです。だからこそ死後も彼の音楽は古びません。マイルスは何よりも音楽家でした。貪欲なほどに創造的な。

ここでマイルスのイメージを私は大津先生に重ねます。大津先生は何よりも研究者です。もちろん若手、いやそれどころか学界、さらには小学校教育といった学界を超えた社会的な動きでのリーダーでもあります。さらには都はるみを好むカラオケおじさんでもあります(笑)。しかし根幹のところで、大津先生は研究者です(貪欲なほどに創造的な)。これからもそうあり続けてようとしています。だからこそ私も、多くの人も、大津先生を尊敬し、愛しているのです。

だって、「最終講義」なんて、90分間適当に回顧談をするぐらいでお茶を濁すのが普通でしょう!(笑)

それを「中締め講義」と呼び、さらには「認知科学編」と「言語教育編」の二回に分け、合計14時間(!)でもって自らの研究を総括し、かつその中で指定討論者に自らの批判をさせ、さらに自分の研究を発展させようとしているんですから。こんな知的体力と気力の持ち主、少なくとも私は聞いたことがありません。

というわけで言語教育編の指定討論者の一人として選ばれるという身に余る光栄を得た私としては、ガチで大津先生を「斬る」ことを試みます。それが若手(といっても既に私は結構おっさんですが)としての敬意の示し方だからです。私も以前に比べたら、不必要な尖り方はしなくなりましたが、それでも当日は、「一般常識」(とくに英語教育界のそれ)からすれば無礼に思えるような論争もしかけるかもしれません。しかし根底にあるのは、大津先生の学識、創造性、そして人間性に対する徹底的な信頼です。当日はどうぞよろしくお願いします。

実は私はこの文章を書きながら、私が最も好きなジャズバンドの一つである、アコースティック最後の時代のマイルス・バンドのライブ演奏CDを聞いていました。ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス、ウェイン・ショーターと共演(競演)していた、マイルス自身「偉大なバンド」と呼んだバンドの演奏です。自意識過剰をお笑いください。私は自分をウェイン・ショーターになぞらえようとしています(自らの実力を客観視できない中高年というのは滑稽ですね)。でも、そのように自分を鼓舞しないと、「大津言語教育論を斬る」ことを試みることはできません。マイルスがこれまでにプレイしたことがないような音楽をプレイしてマイルスに挑んだウェインのように、当日は大津先生に挑みます。

当日がいいライブになればと願っております。

2012/12/31 柳瀬陽介




大津言語教育論を批判することにより、英語教育論ひいては言語教育論が発展することを私も願っています。多くの皆さまが参加してくださればと思っています。





関連記事

ウィトゲンシュタイン関連

ウィトゲンシュタイン『哲学的探究』の1-88節-- 特に『論考』との関連から
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/01/1-88.html
鬼界彰夫(2003)『ウィトゲンシュタインはこう考えた 哲学的思考の全軌跡1912-1951』講談社現代新書
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2010/10/2003-1912-1951.html
野矢茂樹 (2006) 『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』 ちくま学芸文庫
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/01/2006.html
「四技能」について、下手にでなく、ウィトゲンシュタイン的に丁寧に考えてみると・・・
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2010/11/blog-post.html

ダマシオ神経科学(神経哲学)関連
A summary of Damasio’s “Self Comes to Mind”
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2011/09/summary-of-damasios-self-comes-to-mind.html
'Feeling' of language as a sign of autopoiesis
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2011/09/feeling-of-language-as-sign-of.html
Damasio (2000) The Feeling of What Happens
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/02/damasio-2000-feeling-of-what-happens.html
Another short summary of Damasio's argument on consciousness and self
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/06/another-short-summary-of-damasios.html
Emotions and Feelings according to Damasio (2003) "Looking for Spinoza"
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/12/emotions-and-feelings-according-to.html
3/4京都講演:「英語教師の成長と『声』」の投影資料と配布資料
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/34.html
京都講演に対する松井孝志先生のコメントを受けて
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post_06.html
私は言語に生き、言語は私に生きる
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/10/orionis23-abc-33the-human-mind-is-idea.html
小坂忠 (2010) 『グッド バイブレーション』、あるいはクリスマスの幸せについて
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/2010.html

竹内敏晴関連
竹内敏晴 (1999) 『教師のためのからだとことば考』ちくま学芸文庫
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/04/1999.html

野口三千三関連
野口三千三氏の身体論・意識論・言語論・近代批判
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/02/blog-post_21.html
和田玲先生による「原初体験と表現の喪失」
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html

宮澤賢治関連
井上ひさし『宮沢賢治に聞く』文春文庫
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/blog-post_28.html
矢野智司 (2008) 『贈与と交換の教育学 』東京大学出版会
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/09/2008_27.html

レイコフとジョンソン関連
ジョージ・レイコフ著、池上嘉彦、河上誓作、他訳(1993/1987)『認知意味論 言語から見た人間の心』紀伊国屋書店
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/10/19931987.html
マーク・ジョンソン著、菅野盾樹、中村雅之訳(1991/1987)『心の中の身体』紀伊国屋書店
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/11/19911987.html
ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン著、計見一雄訳 (1999/2004) 『肉中の哲学』哲学書房
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/19992004.html




2012年12月28日金曜日

井上ひさし『宮沢賢治に聞く』(文春文庫)





■科学と宗教、そして文学(あるいは芸術)



教育学が何よりも子どもたちの幸福と成長を願うものなら、人類知の最先端の一角としての科学を取り入れるべきことには異論もありようがない。だがその取り入れが高じて科学あるいは科学の体裁をまとった考察しか教育学として認めないとなると話は違う。

「いや、そんな極端なscientismを主張する者があろうか」と認めないむきもあるかもしれないが、ためしに英語教育学界で、科学の用語では語れない「倫理」ということばを発するがいい。「はぁ、リンリ?」と珍しい外来語でも聞いたような反応が返ってきてもおかしくはないと私は思っている。(かつて教育学には心理学と倫理学が不可欠とされていたが、そのような言説は最近とくと聞かない)

もとより倫理や道徳を語ることの危険は私も重々承知している。倫理や道徳を迷わず説教して回る人々が、どれほどに非道なことをなしうるか、どれほどにその枠からはみ出る者を排斥しうるかは、古今東西人々に知られている。どんな人間も倫理や道徳の完全なる代弁者たりえない(ましてや倫理や道徳の科学的証明などありえない)。だが、言語とテクノロジーで過剰に武装してしまった人間という動物には、倫理や道徳を問い続ける責務がある。問い続けのないところでは、言語やテクノロジーを巧みに操る者が、その他の者を抑圧し続けるだけだろう。私たちは慣習的な合意としての道徳、さらにその道徳を問いなおす倫理を必要とする。

いや、道徳や倫理を超えて宗教を必要とするのかもしれない。道徳や倫理の人為を超えて、この世は展開する。健やかに生まれる者がいれば、病とともに生まれる者もいる。愛情に包まれて育つ者がいれば、どこにも寄る辺を見出だせないままの者もいる。高い知性に恵まれた者がいれば、どうあっても頭の回りが悪い者もいる。金満に溢れる者もいれば、貧困にあえぐ者もいる。眉目秀麗もいれば、誰もが外見については多くを語らない者もいる。幸福な偶然に恵まれる者がいれば、悲運の連続にあえぐ者がいる。努力が実る者がいれば、努力しようにもそれすらできない者がいる ―― この世とはいったい何なのか。己が幸せであればそれでいいのか。それとも、己が世界の不幸を一身に背負ったような表情をしていればいいのか。神や仏がいるとすれば、それは何なのか。いないとすれば、私たちは何なのか・・・そんな根源的な問いは、毎日を仕事で忙しくし、たまの享楽でその憂さを晴らそうとしている私たちに、目を覚ませとばかりに浴びせられる冷水のようで、私たちの多くはそれを望まない。しかし、その覚醒を人は心のどこかで必要とはしないのだろうか。

いや、人をそう追い詰めてはならない。覚知したと思った次の瞬間、世事にとらわれ肉欲にそそられるのが私たちだからだ。善くあろうと欲しながら、悪事をしでかし、そのことを悔いながらも巧みに自己弁護して、とりあえず自分の食い物と寝床だけは確保しようとするのが人間だからだ。宗教をもつ私たちには文学がいる。科学も宗教も認めた上で、それらからはみ出てしまう人間を正直に描く文学がいる。

だからこう結論してしまおう。教育が、人間が人間を育てようとする、高貴で不遜な営みならば、私たちは科学と宗教と文学を必要とする。三つのどれもを肯定し、三つのどれをも排斥せず、相互に矛盾させながら私たちの中に共存させることを必要とする。

しかし科学と宗教と文学を、一身に共存させる人間はいたのか。科学は宗教の理想と文学の猥雑さの否定により成立するのではないのか。宗教は、科学の非情と文学の正直を捨て去ることを必要とするのではないのか。文学は、科学の合理と宗教の清明さを罵倒せずにはいられないのではないのか。生身の人間で科学と宗教と文学を我が身に共存させる者などいるのか。

いる。それはむしろ市井の人々の中にいる。肩書きはなくとも権勢はなくとも成熟とともに日々の暮らしを営む者の中にいる。私たちは世評の虚構に振り回されてそれらの人々を見出だせなくなっているだけだ。成熟した名も無き無数の人びとのおかげで、この世界は暴走から免れている。

無論、名のある人の中にも成熟した人はいる。科学の精神、宗教の魂、文学の心を、その生涯に活かし続けた有名人もいる。



宮沢賢治がその代表だ、と作家の井上ひさしは考える。

賢治は科学者でした。けれども科学が独走するとろくなことにはなりません。そのことはどなたもよくごぞんじです。科学がはしゃぎたてるのをだれかがいましめなければなりません。賢治のなかで、その役目をはたしたのは宗教者としての部分でした。
この関係は逆にしても成り立ちます。宗教だけにこりかたまると独善の権化のようになってしまいます。そこで宗教者としての部分を客観的にみて、かたよったところを改めるために科学的精神を活用するわけです。科学と宗教は、大雑把にいってしまえば、それぞれ反対の方角を目指しています。どちらへ行きすぎてもよくない結果がうまれます。ところが賢治のなかでは、このふたつのものがたがいのお目付け役をつとめていたように思われます。そしてこのふたつのものの中間に、文学がありました。
三者のこの関係を私は忘れないようにしたいと思います。 (3-4ページ)


井上は、賢治の作品世界を、科学・宗教・文学の三つの世界観が相争わずに一つに融合している世界と考える。文学をことばの芸術と考え、文学の代わりに芸術ということばを使って、井上は科学者であり宗教家であり芸術家であった賢治について次のように語る。

芸術家賢治の、熱に浮かされて独りよがりな部分を科学者賢治が冷静に批判する、冷たい理論だけを尊しとして暴走する科学者賢治を宗教家賢治がたしなめる、そして宗教家として教条的、独善的になるところを芸術家賢治の情熱と洞察力とが和らげる。三つの世界観が互いにせめぎ合い、かつ励まし合って出来たのが賢治の作品世界で、これはじつに予言的です。 (276ページ)


井上は、賢治を礼賛してしまうことを恐れながらも、彼をこれからのあるべき人間像の一つとして考える。

しかし、それではその賢治の文学作品とはどのようなものだったのか。



■宮沢賢治の言葉

生まれて初めて自分の意志で金を出して買った本が賢治の「どんぐりと山猫」であった井上は、賢治作品を読んだときの衝撃を次のようにまとめている。

わたしたちは日課のように裏山へ出かけてゆき、枝をわたる風の音や、草のそよぐ音や、滝の音を頭のどこかで聞きながら遊んでいました。ところがわたしたちはまだ幼くて、風が「どう」という音で吹き、草が風にそよぐときは「ざわざわ」で、栗の実は「ぱらぱら」と落ち、きのこが「どつてこどつてこ」と生え並び、どんぐりのびっしりなっているさまを音にすれば、それは塩がはぜるときの「パチパチ」と共通である、とは知らなかったのです。それからわたしたちは、秋の晴れた日の山のすがたを、(なんともいえずいいものだ、とても気分がいいものだ)とは思っていましたけれど、その気分を「まはりの山は、みんなたつた今できたばかりのやうに、うるうるともりあがって、まつ青な空の下にならんでゐました」というように、しっかりと言葉でとらえることができると思っていませんでした。(なんともいえずいいもの)だからなんともいえない、つまり言葉ではつかまえられないのだ、と考えていたのです。しかし、ここに、わたしたちがなんといっていいかわからなかったものに、ちゃんと言葉を与えている人がいる! そのことに感心し、ぼうぜんとなったのです。むろん小学六年生のときに、はっきりこのように考えたわけではありません。あなたの『どんぐりと山猫』をはじめて読んだときの感動を、大人になったいま、整理して表現すればそんなことになるのではないでしょうか。 (21-22ページ)


「なんだ擬態語か。賢治文学の魅力は擬態語か。それは言語学からすれば本質から遠く離れた末端の些事ではないか」と思われる方々もいるかもしれない。然り。だが、言語学、しかも近代言語学だけが物事の見方ではない。物事は、いやことばだけですらも、近代言語学の枠組みだけで見てはならないというのが、良識というものだろう。実際、竹内敏晴や野口三千三なら、いやひょっとするならダマシオやレイコフとジョンソンですら、擬態語の身体性を、ことばにとっての根源として高く評価するかもしれない。繰り返すが、この世の物差しは一つではない(あるいは一つにしてはならない)。

詩人であり、宮沢賢治全集の校訂者でもある天沢退二郎は、賢治文学の魅力をその声に見出す。

私は、小学校二、三年の時までに、代表的な賢治童話のほとんどを読みましたが、その当時一体何に魅力を感じていたのかと考えなおしてみました。それは声の魅力です。実に魅力的な声が聞こえてくるわけです。濃い緑色の、なんか青黒いような世界の声で、これは他にはとりかえがきかない声だったような気がします。 (196ページ)


「声」というのも質的なもので、容易に標準化して記号や数字に還元できそうもない。業績に追われる科学者ならまずもって避けるトピックだろう。だが、私たちは科学者の中に宗教家と芸術家を同居させるべきだということを確認したばかりだった(少なくとも、その科学が教育にかかわるものならば)。だから私たちも天沢にならって、賢治文学から聞こえてくる声に耳を澄ますべきだろう。


宮澤賢治の詩や童話を読んでいるとまず多彩な声が聞こえてくる。しかも、大きな特徴は、読みはじめるとすぐに声が聞こえてくることです。だからこそ、我々はすぐ賢治の魅力にひきずりこまれてしまうのです。 (197ページ)


考えてみれば声というのも、英語教育で軽んじられていることだ。なるほど標準的な発音に拘る人はいる(拘らない人の方ががもっと多いのだが)。だが、その発音された英語が、その人の心と身体と状況に即したものか、そういった観点から英語の発声を大切にする人は少ない。だから教科書CDの朗読の多くはとんちんかんだし、教師はそれすらも自分の発音よりましだとして自ら発声することを厭う。これでことばが身につくものか。



■社会運動家としての宮沢賢治

しかし教師ばかりを悪く言うものではない。そもそもこれを書いている私が大学の教員養成の当事者で、教員養成が悪いから朗読のことを考えずましてやできもしない英語教師が世に出るのだ。教師の過酷な労働条件も問題だ。荒涼とした教室で生徒の信頼を取り戻すには、授業を面白くわかりやすくすることが一番と熟知しながらも、教師は数々の事務仕事や書類提出あるいは部活活動管理に追われ、自己研修はおろか授業準備もままならない。しばらくならば睡眠時間を削っても自らの学びを確保しようとするが、無理は続かない。やがては身体を病み、心を痛め、ひどい場合は教壇を去る。一時的に、あるいは永久に。

教師が、科学的でもあり、宗教的でもあり、芸術的でもある授業ができるよう、私たち教育関係者は務めなければならない。「金がない。人がいない」の断言に沈黙することなく、「金はいる。人もいる。時間はいる。私たちにまともな仕事をさせてくれ」と訴えなければならない。教育行政者に、政治家に、一般市民に(そして残念なことに一部のヤル気を失った同僚教員に)。教師の個人的努力が不可欠なことは言うまでもないが、それを超えて、私たちは社会的に努力する必要がある。

賢治は、農民の生活向上にも熱心だった。井上のこの本には、「賢治はモーツアルトにあまり関心がなく、ベートーベンを聴くのが大好きだったそうである。(186ページ)」とあり、賢治の童話からモーツアルトを、詩からドビュッシーを連想していた私はちょっと驚いてしまったが、考えてみれば、賢治には羅須地人協会で書いた「農民芸術概論綱要」という文章もある。これなど読むと、なるほど、賢治はベートーベンが(も)好きだったのだなとわかる。

以下、その「農民芸術概論綱要」の一部を抜粋する。「農民」を「教師」に読み替えて読み進めてほしい。

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか


多くの教師は、できのいい子だけを育ててよしとしない(と、私は思いたい)。「世界がぜんたい幸福に」とは大きな言い方だが、できるだけ多くの子に、いやすべての子に笑顔をもたらしたいと思うのが教師という種族である。すくなくとも教師が「明るく生き生きと生活をする」のは、そんな信念をもったときである。

だが、教師は、今や必ずしも教師の信念に即さない数値目標や書類作成に追われている(いや「振り回されている」のだと言う者も多い)。

授業には、芸術的とでも言いたいぐらいの創造の瞬間がある。生徒の思わぬ一言に、教室がおおっという声に包まれ、一斉に眼が輝き始めるときである。宗教的とでも言える瞬間もある。教室で、人が生きるということの奥深さがかいま見えるときである。

だがそういった授業の個性は、今や「科学的」という(実はうそ臭い)お墨付きをもらった標準的な教授法で放逐されない勢いだ。「この教授法には」とお役人は、あるいはお役人の先棒を担いで全国を旅回る研究者は言う、「統計で実証された効果があるのです。どこそこで行われた実験ではその効果が認められたのです。さらに重要なことには、この教授法は国の定めた方針でもあるのです。だから従いなさい、余計なことなど考えずに」。かくして教師の創意工夫の幅は大きく制限される。

「どうして私のこの現場を知らない人が、あんなに偉そうに断言できるのだろう」と少なからずの者が思う。「偉そうに振る舞えるのも一種の才能かしら。だったらその才能は自分にはないわ」とあなた。「俺もそうだし、ああはなりたくない」と同僚。「まあ、言われたようにやっていれば文句はないんでしょう」とあなたはつぶやく。それを聞きつけた教頭はすかさず「そうそう、そうやって前向きに考えなきゃ」と懐柔する。「前」とはどっちの方向なのかあなたにはよくわからないが、もう疲れて、考えることをやめる。

想像力の翼はもがれ、あなたは撒かれた餌の方向にヨチヨチ歩む。「前とは、餌が撒かれている方向さ」とあなたは自分に言い聞かせる(「鳥には最初から翼なんてなかったんだ」と思えばこんな暮らしも悪くない)。今・ここを超える宗教、精神の躍動である芸術などもういらない。私は「科学」に従うだけだ。えっ、「何をもって『科学』とあなたは判定するのか」だって?これ以上私に考えさせるのは止めてくれ。偉い人が仰ることが科学に決まっているじゃないか。

私の悪い癖で、またも表現は悲観的になってしまった。だが私には、なんだか世の中が、教育の個性、芸術性、宗教性をどんどんと否定していっているように思える。そうして芸術や宗教とのつながりを失ってしまった教育の「科学」は、どんどんと管理のためのテクノロジーになってきているようにすら思う。何のための・誰のための管理?もちろん時の権力者のために決まっているじゃありませんか、何をおっしゃっているんですか、あなたは、いまさら。

賢治はかつてこう言っていた。

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ


私たち教育関係者は、自らの仕事に美を見出しているのだろうか。
私たちが行うべきは「灰色の労働」なのだろうか(あの壇上でしゃべっているのが『モモ』の灰色の男なのだろうか)。

--いやいや、こんなブログの文章に心惑わされてはいけない。この作者は教育学部の大学教師だそうだが、こういった輩こそ科学を疎んじ、自ら宗教家・芸術家の振りをし、実は真善美を独占しようとする愚劣な人間ではないのか。--



あなたはあなたの美を創らねばならぬ。

そしてそれが美であるならば、それはあなたを超えて、他の人々にも光とならねばならぬ。それこそが美の創造である。

だが、私たちに美を求める心はまだ残っているのだろうか・・・



宮澤賢治に聞いてみよう。










関連記事

矢野智司 (2008) 『贈与と交換の教育学 』東京大学出版会
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/09/2008_27.html





追記

以下は、上記の井上氏の本に出ている詩人・仏文学者の天沢退二郎氏の宮沢賢治観です。ついでながら引用しておきます。

私は、小学校二、三年の時までに、代表的な賢治童話のほとんどを読みましたが、その当時一体何に魅力を感じていたのかと考えなおしてみました。それは声の魅力です。実に魅力的な声が聞こえてくるわけです。濃い緑色の、なんか青黒いような世界の声で、これは他にはとりかえがきかない声だったような気がします。 (井上, 2002, p. 196)

宮澤賢治の詩や童話を読んでいるとまず多彩な声が聞こえてくる。しかも、大きな特徴は、読みはじめるとすぐに声が聞こえてくることです。だからこそ、我々はすぐ賢治の魅力にひきずりこまれてしまうのです。 (井上, 2002, p. 197)