2011年6月1日水曜日

ある中途退職教員からのメール: 私は、職業を変えても生き方を変えるわけではありません

以下は、私が一二度お会いしたことがある方からのメールを、私が適宜編集したものです。この編集したものを、その方に見せて、掲載許可をいただいた上で、ここでご紹介します。

「公教育」ということを考えるきっかけにできればと思います。


柳瀬先生。

 ○○です、おぼえていらっしゃいますか?
 
 私、故あって先日、教員を中途退職いたしました。
 
 先生のブログは教員時代から拝見しておりました。

 私は○○県○○地域の荒れた定時制高校に赴任しておりました。生徒や家庭背景の荒れに対応するすべを知らなかった私は、社会科の先輩教員にOJTで家庭訪問などの指導を受けたものです。また、平和な大学とちがって○○県〇〇地域の定時制の実態は進学校出身の私にはショックが大きく。先生がブログでカミングアウトしておられたように、私もすぐにうつ病を発症しました。英語教育学しか知らなかった(まじめに勉強したわけではなかったですけど)私は貧しい人々・差別されている人々がいかに苦労して社会で生きているかまったく知らなかったのです。

 以来、長い間、進学とはまるで縁のないところを転々とし、最後は全日制普通科の教育困難校でいきなり進学クラスを持たされましたが、最後に校長が「おまえは進学クラスはもういい。何年か勉強して出直しておいで。」と引導を渡されました。

 自分の病のこともあって、悩んでいる生徒を支えたいと、ずっとカウンセリングの書物を読み続けてきた私は、教育困難校の進学クラスで、「旧帝大を受けるには・・・」と説教する教務部長(次期、教頭候補)に辟易としていました。このとき、私は定年まで教員は続けない、と確信しました。

 あることがきっかけで退職した私は今、介護福祉の道で社会の役に立とうと、国の緊急人材育成事業で生活支援金をもらいながら、病の治療も兼ねて半年間、また、学生の身でいます。妻には働きに出てもらっています。

 もう高い給料はいらない、地位もいらない。高齢者・障害者の尊厳を守り、自己決定を支えるという Biestek の7原則にとても感銘し、原書をアマゾンで注文したところです。英語を捨てたわけではありません。8月には職場実習もあり、寝たきり老人のオムツの世話もする予定です。

 以前から「教員は生徒に対してアプリオリに優位なのだ」という考えには賛成しかねておりました。職業としての教員はあっても、保護者や生徒が本当に尊敬してくれるのは、教員の授業テクニックではありません。教員の人生経験からきた人格です。

 私は、職業を変えても生き方を変えるわけではありません。あくまでも「人権擁護」を生業としていくだけです。

 先生、もし、ご興味があったら Biestek (1957 or 1961) "Casework Relationship"をお読みいただき、人が人を支える原理とはどんなものか、これから、プロの教員を目指す学生さんに紹介していただけないものだろうかと、メールを差し上げた次第です。

 とある大学院を卒業して3年くらいして正採用になったある先生もテクニックの授業だけで、教材の深い解釈・生徒を感動させる語りかけは困難であったようです。福祉の考え方、弱者が社会を生きていくうえでの法律の知識は教員にも必要かと思います。金持ちの子供ばかりを教えていくわけではないのですから。

 先生にとってご興味のないメールであったならお返事は不要です。

 突然、不躾な連絡をお許しください。
 
○○














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