2016年12月20日火曜日

「わからない」という感性の重要性 -- 江本伸悟先生と学部三年生のことば



東京大学工学部を卒業し同大学院新領域創成科学研究科で博士号(科学)を獲得した後に私塾「松葉舎」を立ち上げた江本伸悟先生(Twitter, 私塾開校の挨拶)の発言は大学・大学院教育のあり方を考える点で非常に貴重です。  

以下は、江本先生のサイトからの引用です。大学・大学院ではむしろ「分からない」ことが大切であることを論じています。


科学者の良心は“分からない”という感性の中にある。

(中略)

この例からも分かるように、高校時代に物理が苦手だったという人に限って、本当はすごく物理的な感性が豊かな人が多い。つまり、平凡な人であれば自分が“分かっていない”ことに気付かないので、物理が“分からない”と思い悩むことはないのだが、物理的な感性が鋭い人は自分が“分かっていない”ことに気付いてしまうからこそ、物理が“分からない”と悩むようだ。
 (中略)
そこで僕は、ニュートンの林檎の寓話を少し書き換えてみたいと思う。元々の文章では、ニュートンは万有引力が“分かった”から偉かったということになっているが、そうではなくて、林檎が落ちるという当たり前のこと、それまでは誰しもが“分かる”と感じていたことを、ニュートンだけが”分からない”と思ったからこそ偉かったのだと言いたい。そうして、林檎が落ちるという“分からなさ”、これに立ち向かう人々の努力が、万有引力の“分かる”へと繋がっていったのだと。これは、“分からなさ”こそが科学の第一歩だということを伝える新たな寓話である。

科学とは、世界を“分からなく”なることから始まる。「え、りんごが落ちるなんて超不思議!?」と、世界を驚きのスープに浸すことから始まるのである。それはつまり、世界に未知を生み出すことでもある。科学は未知を既知にしていく営みだという印象が強いが、むしろ既知だと思っていた物事を未知なる物事として捉え直していくことが本質である。

世界に対しての認識を肥やすという事は、単に“ある対象に付いての知識”を知っていく事ではなく、“ある対象に付いて知らないと気付いてさえいなかった事”を知っていくことである。そのためには、如何にして世界に問い掛けるのか、ということが大切である。

(中略)

“分からなさ”へと向きあう姿勢こそが、物理学を営む上で自然と身につく倫理観のひとつである。“分からなさ”へと向きあうことは、”見えない背景”へと想いを馳せることに繋がる。そうして“見えない背景”へと想いを馳せられる人は、人のことを、命のことを大切にすることができる。人の身になって考えるということは、その人の背景に広がる見えない苦労を想像することに他ならない。命を尊ぶということは、古代から紡がれてきた命の糸、その糸が紡がれるまでの様々の知恵と苦労を想像することに他ならない。

僕が物理学者として、自然という“わからないもの”に向き合い続けるのは、そうすることで“見えない背景”へと想いを馳せる、その心の姿勢を保ち続けるためなのだと思う。そうして僕は、物理をやっていない時よりも少しだけ、人を、命を、自分を大切にで きるようになったのではないだろうか。

(中略)

いま思えば、大学は“分からなさ”に向き合う場としては最適な場所であった。まず授業を聞いても全然わからない。何が分からないのかさえも分からない。“分からない”というのはこういう事なのか、ということだけが妙に分かったりする。

更に友達が勧めてくる本も、全然わからない。数学の本を開いても分からないし、哲学の本を開いても分からない。今でも多くの本が「あなたはいつまでたっても私のことを分かってくれないわ」と愚痴をこぼしながら、本棚で寂しそうな背中をみせている。あきれ果てたのか、ふてぶてしく横になって寝ている本もいる。 たまに「ごめんね」と謝りたくなる。

しかし不思議なもので、“分からない”と思っていたものも、分からないなりに頭の中にしまっておくと、数年後くらいにふと、そういう事だったのかと腑に落ちたりする。そう思うと、“分からない”ということ自体はそう大きな問題ではない。“分からない” に耐えられないことこそが問題なのだ。頭の中に“分からなさ”を養ってやるだけの余裕が必要である。

http://www.shingoemoto.com/text/unknown/






この江本先生の文章を思い出したのは、学部三年生向けの「コミュニケーション能力と英語教育」の授業での学生さんの下の書き込みを読んでのことです。

この授業ではChomskyやHymesやWiddowsonなどの言語学者や応用言語学者、あるいはカントやウィトゲンシュタインなどの哲学者の文章をごく一部ですが示した上で、そこから物事を考えることを促しています。明晰にあるいは実証的に定義できる知性の「概念」ではなく、抽象的にしか理解できない理性の「理念」が授業ではしばしば登場します。

ですから「A=Bで、C=Dです」といった項目をひたすら覚えることが「勉強」と思い込んでいた学生さんにとっては、この授業は「どんどん分からないことが増えてくる」あるいは「今まで分かっていると思っていたことが実は分からないことが分かる」授業となっているかもしれません。

誤解のないように述べておきますが、私はできるだけ具体例なども出して分かりやすい授業をやっているつもりです。しかし私が変えようとしているのが、学生さんの認識の表層部ではなく深層部であるために、学生さんの認識体系が変わるのにそれなりの時間がかかってしまいます。

ですが、大学・大学院の授業にはそのような授業があってもいいのではないかと、江本氏のことばを読んで意を強くしたので、ここに江本先生と学生さんのことばを引用する次第です。

以下は、学部三年生の授業振り返りの一部です。





■ これだけの論を読んで解説をしていただいてもやはり「コミュニケーション」の明確な定義がどんどん曖昧に、抽象的になっていくような気がしました。英語教師が教えなければならないものはこんなにも実体のないものなのかと思うとこの先少し不安にもなりますが、もっとたくさんの論文にチャレンジして見解を深めていきたいと思います。



■ 復習が大事だと、改めて感じました。わかっているつもりになって、なんとなくで 180分が終わっていしまうのは勿体無いです。時間はかかりますが、これからもしっかりと復習をしていこうと思います。(理解できていなかったことだらけでした)



■ この授業で読む英語は簡単には読み進めることができないことが多く、自分の英語力の無さ、感覚の鈍さを痛感します。「わからない」という経験を価値あるものと捉え、努力していきたいです。



■ 授業をうけていてひたすら感じることは、「コミュニケーションは深い」ということです。「コミュニケーションとは」という問いかけにたいする明確な答えなんてないのではないかと思えてきます。それと同時になくても良いのではないかとも思えます。

 「深い」というのは文字通りの意味で、掘っても掘っても底が見えません。ついにはチョムスキーやハイムズでさえ明確な答えを出せなかった(当人たちはその答えにたどり着いたと思っているかもしれませんが)。でも、掘り進めてくれたことには違いはありません。彼らが掘り進める片手間で、標識を立ててくれたり、階段やはしごを設けてくれたり、休憩所をこしらえてくれたおかげでぼくたちは迷わずに彼らの思考をたどることができます。

 学問の第一線に立つ人の仕事はまさにこれなのかもしれません。道なき道に勇敢に飛び込んでいき、後に続く人がそこまでたどり着けるように道をつくってあげる。「道なき道」というだけあって前例はないものですから査定や評価は大変難しいです。でも、当の本人たちは決してそんなことは気にしていなかったのではないかと思います。なぜなら、具体的に数値化された「評定」を気にする人たちならば周りの人との比較によって自らの能力を示すことに固執するからです。誰もやってこなかったことをやっているのですから、他人と比べることはできない。ですから、学問のフロントラインに立つ人たちにとって評価はどうでもいいことなのではないか、と僕は思います。学問を修めようとするならばまず僕たちが長い間とらわれている「評価の檻」から抜け出す必要があるように思えます。





これからも学生さんとの対話を続け、よりよい授業を目指す努力を怠らないようにしたく思います。 



追記 (2017/01/09)
この記事の続きを「広大教英ブログ」に書きました。
「わからない」という感性を大事にできる学校を作りたい
http://hirodaikyoei.blogspot.jp/2017/01/blog-post.html





2016年12月3日土曜日

「コミュニケーション能力と英語教育」 (2016年度)




この記事について
この記事は、学部三年生用の授業「コミュニケーション能力と英語教育」 (火曜5-8 K208教室) のためのファイル・リンク集です。内容は、3時間 180分) 授業制度導入に伴い討議を重視するため精選しました。



授業計画の概要
詳しくは下で説明しますが、ここで授業計画の概要を示しておきます。

第一日目 (12/6) 言語学における個人的な言語観
前半: 導入(考えることについてなど)
後半: チョムスキーの言語観
第二日目 (12/13)  応用言語学におけるコミュニケーション能力 
前半:ハイムズの言語観と応用言語学的コミュニケーション能力論
後半:コミュニケーション能力の三次元的理解
第三日目 (12/20)  分析哲学における共同体的な言語コミュニケーション観
前半: デイヴィドソンのコミュニケーション論
後半: ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論
第四日目 (1/10)  身体論からの言語コミュニケーション観
前半:野口三千三と竹内敏晴の言語コミュニケーション観
後半:レイコフとジョンソンの言語観
第五日目 (1/17) ルーマンから考える言語コミュニケーション観
前半:コミュニケーション実践と「客観性」
後半:ルーマンによる意味論
第六日目 (1/24) アレントから考える言語コミュニケーション観
前半:アレントの枠組みで解釈する英語授業実践
後半:アレントによる意味論
 2017/1/31は金曜振替授業日ですのでこの授業はありません。
第七日目 (2/7) 異文化コミュニケーションとしての翻訳
前半:翻訳論 
後半:英語教育と日本語の関係について
日目 (2/14) まとめ
前半:総括討議
             後半:ポートフォリオ作成

この記事での凡例

このブログ記事で、記事・論文・書籍の名前の前に付けられたの記号はそれぞれ次のような意味を持っています。

 授業の前にきちんと読んで、そのまとめや感想などをWebCTシステム (Bb9) に書いておくべきもの(四角ですから「きちんと読め」と覚えて下さい)。

 授業の前に参考程度に読んでおくべきもの(三角ですから、四角ほど「四角四面に読む必要はない」と覚えて下さい)。

 S(秀)判定のための課題例。念のためにブログ記事だけは読んでおいてください。この記事で紹介された本を書評したらS評価の対象とします(星印ですから「輝くSを取るためのもの」)と覚えて下さい。



すべての講義についての私の原則

 私の講義の原則



遅刻・欠席・参加に関する方針

・甘やかされた内弁慶でしかない「お子ちゃま」や、単位がほしいだけのために受講を希望している人はお断りします。お互いに真摯な学びの空間を育てるためです。しっかり学びたい人だけが受講して下さい。

・遅刻は認めません。最初の点呼の時にいなかったら欠席扱いにします。欠席3回以上は単位認定をしないことを原則とします。やむを得ない理由があった場合は申し出てください。

・私語や居眠りなどは許しません。注意しても止めないようでしたら教室から出ていってもらいます。楽しい学習環境を保つために、最低限のケジメだけはつけます。

・なお教室に入ったら、毎回必ず違う席に座り、違う人の隣に座ってください(お互いに気軽に質問できるようにするため、一人だけ離れては座らないでください)。



授業で使う主なホームページ

・このブログ記事(授業計画など)
パスワードは口頭でお知らせします。

・広島大学Bb9(振り返りや課題の提出用)
広大ホームページの「もみじ」からアクセスして下さい。
主に使うのは「教材」の機能です。課題提出はBb9で行ってください。柳瀬の個人メールアドレスへの提出は(Bb9の不調などの仕方のない場合を除いて)避けてください。
なお書き込みは、すべて授業前夜である月曜日の23:59までに行ってください。



授業に必要なもの

・学生証:K208教室でのコンピュータ使用のために必須です。忘れたら授業ができません)。

USBフラッシュメモリ:ただしDropboxなどのオンラインストレージを使うなら不要。



この授業での評価方法

(1)  C判定を得るためには:Bb9にその日の課題(振り返り・動画課題・GR課題・予習課題の四つ)を期日までに出しておき、かつ実際の授業に参加する。

これら四つの課題を、授業前日だけで行うことは事実上非常に困難です。「この授業は課題が厳しい」ということを覚悟して、授業が終わった日の夜から少しずつ毎日課題に取り組んでください。真面目な努力はあなたを裏切りません。

・振り返り:その日の講義で学んだことを、率直に、しかし他人にも伝わるように書いてください。文体の巧拙は知性の指標ですから、できるだけきちんとした文章を書くように努力してください。また、当然の前提として日頃から読書をしておくこと。

・動画課題:毎週ブログ記事(一般公開)を完成し、Bb9にはその記事のURLと記事内容のコピーを掲載すること。
 広大教英生がお薦めする英語動画集
 はじめに
 記事の投稿方法(学生さんへの指示)
 注意:フォーマットに即して投稿をしてください。

GR (Graded Readers) 課題:Bb9にその週までに読めた範囲での感想を書くこと。(この時点での感想は、ブログに投稿しないでください。後の (3) を参照のこと)。GRは教英学部生控室や中央図書館1Fに設置されています。また、広大サーバーに接続されたコンピュータからでしたら、GRのダウンロードも可能です。
 広大生でしたらGraded Readersを電子書籍として利用することができます

・予習課題:次週の授業内容の印で示された記事を読んで、自分なりに理解できたこと・理解できなかったことを文章化してください。

(2) B判定を得るためには:(1)に加えて、期末にきちんとしたポートフォリオあるいは「作品」を提出する(「作品」については後で説明します)。

(3) A判定を得るためには:(2) に加えて、GR課題で一冊の本を読み終わる度に、下のブログ(一般公開)に記事を掲載し、かつその記事での「レベル得点」合計が20点以上であること。
 広大教英生がお薦めするGraded Readers
 はじめに
 記事の投稿方法(学生さんへの指示)


(4) S判定を得るためには:(3) に加えて、以下の二つのうちのどちらか(あるいは両方)の課題をこなしていること。
・書評作成:授業で紹介された本、もしくはそれに関連する本を読み、その書評を書いて、Bb9に提出する。
 自主性を開拓するために ―書評かプロジェクトに挑戦してみてください
・昼読参加:「昼読」に定期的に参加し、自主的な読書の習慣を身につけること。
 昼読再開 + ハリー・ポッター仏語版を読んだ学部4年生の感想



 以上の原則に基いて、タームの最後には成績の自己申告をしていただきます。自己申告には、(1)-(4)の実績を具体的に数字などで示した上で自分が値するべき成績を申告してください。この自己申告に著しい虚偽があった場合は、単位認定を取り消し不合格にしますので、くれぐれもきちんと申告してください。




ちなみに大学院で私が担当する講義では、このコミュニケーション能力論をさらに発展させながら英語教育について根源的に考えてゆきます。これまでは次の本を読んで、お互いに考え話し合っています。

 Index to pages about Critical Applied Linguistics
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2010/10/index-to-calx-pages.html
 Index to pages about Alternative Approaches to Second Language Acquisition
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/09/index-to-pages-about-alternative.html
 John Dewey (1916) Democracy and Education (デューイ『民主主義と教育』の目次ページ)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/09/john-dewey-1916-democracy-and-education.html

授業では特に取り上げませんが、コミュニケーション(および言語)に関する副読本としては以下をお薦めします。

末田清子・福田浩子(2003)『コミュニケーション学』
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/02/2003.html

小山亘(2012)『コミュニケーション論のまなざし』三元社
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/05/2012.html

『第二言語コミュニケーション力に関する理論的考察』
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2006.html#060307

野矢茂樹・西村義樹 (2013) 『言語学の教室哲学者と学ぶ認知言語学』 (中公新書)  

▲ 2015年度の学生さんのレポートから
「コミュニケーション能力と英語教育」のレポートから
田尻悟郎先生の授業ビデオをハンナ・アレントの哲学の枠組みを通して解釈する試み (学生さんの感想)
身体論的言語論に関する文献(レイコフとジョンソン、野口三千三と竹内敏晴)を読んだ学部三年生の感想

▲ 2013年度の学生さんのレポートから
レイコフとジョンソンによる「客観主義」と「経験基盤主義」に関して寄せられた学部生コメント

▲ 2011年度の学生さんのレポートから
「言語コミュニケーション力論と英語授業(2011年度版)」の感想
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/2011.html
「言語コミュニケーション力論と英語授業(2011年度版)」での学生さんの様々な気づき
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/2011_19.html
学生さんによる物語論・身体論・授業論
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post_19.html
学生さんによる、スポーツから考える英語教育論
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post_6281.html
学生さんによる、音楽から考えるコミュニケーション論
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post_8814.html
学生さんの哲学的な文章(「「言語コミュニケーション力論と英語授業(2011年度版)」を受けて)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/2011_9057.html

▲ 2010
年度の学生さんのレポートから
英語授業を具体的に分析し、自省する
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/03/blog-post_19.html
英語教師であるということはどういうことか
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2011/03/blog-post_4340.html

▲ 2009
年度の学生さんのレポートから
言語コミュニケーション力論とCritical Applied Linguisticsについて
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/02/critical-applied-linguistics.html





第一日目 (12/6) 
言語学における個人的な言語観


前半: 導入(考えることについてなど)

 ダブルループラーニング (double-loop learning 二重ループ学習)についての私的まとめ
 実践者として現場で考えるための方法論
 想像力と論理力の統合としての思考力について
教育研究の工学的アプローチと生態学的アプローチ
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/08/blog-post_7.html
全体論的認識・統合的経験と分析的思考・部分的訓練について
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html
科学者の見識と科学の限界の可能性について ―E. O. ウィルソンの『人間の本性について』から考える
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/10/e-o.html
「実験研究は成功を連呼するのに、英語教育が一向に改善しないように見えるのはなぜなのか」という素朴な問いに対する答えの試み
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post_22.html
農業はわずか2世代で工業化し投資の対象となった。では教育は?
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/08/2.html
自然栽培的な教育?杉山修一 (2013) 『すごい畑のすごい土  無農薬・無肥料・自然栽培の生態学』幻冬舎新書を読んで
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/08/2013.html
「研究力強化に向けた教員活動評価項目」への回答前文
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html
和田玲先生(順天中学・高等学校)から学んだこと
授業の「正中線」?
 教育現場で「よく観察し、よく考える」こと
岩本茂樹『教育をぶっとばせ --反学校文化の輩たち--』文春新書
教師と生徒の相互理解と相互認証広島大学英語文化教育学会での齋藤智子先生の発表






後半: チョムスキーの言語観

「カントとチョムスキー」(授業用スライド)
https://app.box.com/s/8uvu4tozlshdsu9yn57c
「コミュニケーション能力」は永遠に到達も実証もできない理念として私たちを導く
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/10/blog-post_5.html
チョムスキーに関するファイル(パスワード必要)
https://app.box.com/s/jbzfsxndbnukblpwrmqz
「文法をカラダで覚える」とは何か
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/blog-post_4664.html

参考文献
Chomsky, N. 1965. Aspects of the theory of syntax. Cambridge, Massachusetts: The MIT Press (第一章のセクション1,2,8のみ)
Marc D. Hauser, Noam Chomsky and W. Tecumseh Fitch
The Faculty of Language: What Is It, Who Has It, and How Did It Evolve?
 http://www.sciencemag.org/content/298/5598/1569.short
レイ・ジャッケンドフ(2004)『心のパターン』岩波書店
レイ・ジャッケンドフ(2006)『言語の基盤脳・意味・文法・進化』岩波書店
1 Introduction and Key terms - Summary of Kant’s Critique of Pure Reason (Kritik der reinen Vernunft)
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/09/introduction-and-key-terms-summary-of.html
2 Transcendental ideas - Summary of Kant’s Critique of Pure Reason (Kritik der reinen Vernunft)
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/09/transcendental-ideas-summary-of-kants.html
3 'I' as the transcendental subject of thoughts = X - Summary of Kant’s Critique of Pure Reason (Kritik der reinen Vernunft)
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/09/i-as-transcendental-subject-of-thoughts.html
4 Freedom - Summary of Kant’s Critique of Pure Reason (Kritik der reinen Vernunft)
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/09/freedom-summary-of-kants-critique-of.html
5 Principle of Pure Reason - Summary of Kant’s Critique of Pure Reason (Kritik der reinen Vernunft)
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/09/principle-of-pure-reason-summary-of.html





第二日目 (12/13)
応用言語学におけるコミュニケーション能力

前半:ハイムズの言語観と応用言語学的コミュニケーション能力論

■ Hymes, Canale & Swain, Widdowson and Bachman & Palmer (授業用スライド)
■ Hymes, Canale, Swainの論に関するファイル(パスワード必要)
この短いNTYのエッセイは非常に啓発的です。必ず読んでください。
■ Measurement and Its Discontents

■ WiddowsonBachmanの論に関するファイル(パスワード必要)
バックマンのCommunicative Language Abilityの図
バックマンのLanguage Competenceの図
バックマンとパーマーの2010年に関する記事
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/11/bachman-and-palmer-2010-describing.html
教育と生産を混同するな--ウィドウソン、ハーバマス、アレントの考察から--

参考文献
Hymes, D. 1972. On Communicative Competence. In J. Pride and J. Holmes (eds.), Sociolinguistics: Selected readings (pp. 269-93). Harmondsworth: Penguin.
Canale, M. and Swain. M. 1980. "Theoretical bases of communicative approaches to second language teaching and testing." Applied Linguistics, 1 (1): 1-47.(セクション13のみ)
Canale, M. 1983. From communicative competence to communicative language pedagogy. In J. C. Richards and R. W. Schmidt (eds.), Language and Communication (pp. 2-27).  London: Longman.

Widdowson, H. G. 1983. Learning purpose and language use. Oxford: Oxford University Press.(第1章のみ)
Bachman, L. F. 1990. Fundamental considerations in language testing. Oxford: Oxford University Press.(第4章のみ)
Bachman, L. F. and Palmer, A. S. 1996. Language testing in practice. Oxford: Oxford University Press.(第4章のみ)
Bachman, L.f. and Palmer, A.S. 2010. Language Assessment in Practice. Oxford: Oxford University Press. (第3章のみ)




後半:コミュニケーション能力の三次元的理解

授業スライド:コミュニケーション能力の三次元的理解
https://app.box.com/s/8tpkdkyzrtzoxkt6702m
中学三年生向けの言語コミュニケーション力論
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2008/11/blog-post_18.html
「学校英語教育の見通し」(パスワードが必要です)
https://app.box.com/shared/rz8lkgkj4i
『日本言語テスト学会』論文
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/ThreeDimentional.html 









第三日目 (12/20)
分析哲学における共同体的な言語コミュニケーション観
前半: デイヴィドソンのコミュニケーション論

「コミュニケーションの極から考える」(2001/8/3)および「コミュニケーションという革新」(2001/5/20)
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/essay01.html
のページにあります。スクロールかCtrl+Fで探してください。
デイヴィドソンのコミュニケーション能力論からのグローバル・エラー再考
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00027396
コミュニケーション能力論とデイヴィドソン哲学
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00028105
二項対立の間でデイヴィドソンを考える
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2008/11/blog-post_13.html
嘘をつくことができるのは、人間の言語だけである」という命題について
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/12/blog-post_18.html 
授業用スライド
https://app.box.com/s/my02oalacetso38t4vsz
参考文献
 Davidoson, D. 1973, ‘Radical Interpretation’, Dialectica, 27, reprinted in Davidson, 2001b.
Davidoson, D. 1986, ‘A Nice Derangement of Epitaphs’, in LePore (ed.), 1986, reprinted in Davidson, 2005a.

Davidoson, D. 2001, Inquiries into Truth and Interpretation, Oxford: Clarendon Press, 2nd edn.

Davidoson, D. 2005, Truth, Language and History: Philosophical Essays, with Introduction by Marcia Cavell, Oxford: Clarendon Press.
森本浩一 (2004) 『デイヴィドソン ~「言語」なんて存在するのだろうか』NHK出版





後半: ウィトゲンシュタインの言語ゲーム論

授業用スライド
 https://app.box.com/s/yfpb7o8j8jbsrv26lbfe
「四技能」について、下手にでなく、ウィトゲンシュタイン的に丁寧に考えてみると・・・
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/11/blog-post.html
ウィトゲンシュタイン『哲学的探究』の1-88-- 特に『論考』との関連から
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/01/1-88.html
野矢茂樹 (2006) 『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』 (ちくま学芸文庫)
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/01/2006.html
鬼界彰夫(2003)『ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951』講談社現代新書
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2010/10/2003-1912-1951.html
ジョン・M・ヒートン著、土平紀子訳 (2004) 『ウィトゲンシュタインと精神分析』(岩波書店) (2005/8/3) 
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2004-5.html#050803
ウィトゲンシュタインに関するファイルをダウンロード
https://app.box.com/s/uz2839935sszn8597nsx

ウィトゲンシュタイン著、鬼界彰夫訳(2005)『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』講談社
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2009/09/2005.html 
参考文献
★永井均(1995)『ウィトゲンシュタイン入門』ちくま新書
★鬼界彰夫(2003)『ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951』講談社現代新書
★飯田隆(2005)『ウィトゲンシュタイン』講談社





第四日目 (1/10)
身体論からの言語コミュニケーション観
前半:野口三千三と竹内敏晴の言語コミュニケーション観

授業投影スライド(パスワード必要)
https://app.box.com/s/njl8k8uz6svm3gihg7d752s3wuarmhg1
竹内敏晴 (1999) 『教師のためのからだとことば考』ちくま学芸文庫
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/04/1999.html
竹内敏晴 『教師のためのからだとことば考』に対する学生さんの感想
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/04/blog-post_18.html
「教師のためのからだとことば考」を読んで考えた、授業における生徒への接し方(学部生SSさんの文章)
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/08/ss.html
野口三千三氏の身体論・意識論・言語論・近代批判
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/02/blog-post_21.html
和田玲先生による「原初体験と表現の喪失」
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html
■3/4
京都講演:「英語教師の成長と『声』」の投影資料と配布資料
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/34.html
京都講演に対する松井孝志先生のコメントを受けて
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/03/blog-post_06.html
竹内敏晴に関するファイル (パスワード必要)
https://www.box.com/s/7da4jzanu85qve930tmq
野口三千三に関するファイル (パスワード必要)
https://app.box.com/s/dfd55pysamtzw4dq8h0o

田尻悟郎先生の多声性について
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/04/blog-post.html
平田オリザ先生のワークショップに参加して
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/01/blog-post_17.html
▲Do not let mind mind mind (Yes, deconstruction is what Zen is about)
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/07/do-not-let-mind-mind-mind-yes.html
▲Movement of Budo (martial arts) and Luhmann's systems theory
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/04/movement-of-bodo-martial-arts-and.html
▲Comparing Foreign Language Communication to Budo (Martial Arts)
http://yosukeyanase.blogspot.jp/2012/03/comparing-foreign-language.html

参考文献
竹内敏晴(1988)『ことばが劈(ひら)かれるとき』(ちくま文庫)(初版は1975年に思想の科学社から出版)
竹内敏晴 (1999) 『教師のためのからだとことば考』ちくま学芸文庫 (竹内敏晴(1982)『からだが語ることば』評論社、と竹内敏晴(1983)『ドラマとしての授業』評論社に数篇を加え、新たに編み直したもの)
竹内敏晴 (2001) 『思想する「からだ」』晶文社
竹内敏晴(2009)『出会うということ』藤原書店
竹内敏晴 (2010) 『レッスンする人』藤原書店
野口三千三(2003)『原初生命体としての人間 野口体操の理論』岩波書店・岩波現代文庫(1972年に三笠書房より出版。1996年に改訂版が岩波書店・同時代ライブラリー版として出版)
野口三千三(1977)『からだに貞く』柏樹社
野口三千三(1979)『おもさに貞く』柏樹社
羽鳥操(2002)『野口体操 感覚こそ力』春秋社
羽鳥操(2003)『野口体操入門』岩波アクティブ新書
羽鳥操(2004)『野口体操 ことばに貞く』春秋社
羽鳥操・松尾哲矢(2007)『身体感覚をひらく』岩波ジュニア新書

竹内敏晴氏の主要作品は、現在4巻本の『選集』で読むことができます。ご興味のある方は品切れになる前に入手されることをお勧めします。
竹内敏晴 (2013) 『セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」(全4巻)





後半:レイコフとジョンソンの言語観

授業用スライド
 https://app.box.com/s/ysv9ab7qwmtkuacqb6k4
身体性に関しての客観主義と経験基盤主義の対比
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/06/blog-post.html

ジョージ・レイコフ著、池上嘉彦、河上誓作、他訳(1993/1987)『認知意味論 言語から見た人間の心』紀伊国屋書店
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/10/19931987.html

マーク・ジョンソン著、菅野盾樹、中村雅之訳(1991/1987)『心の中の身体』紀伊国屋書店
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/11/19911987.html

ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン著、計見一雄訳 (1999/2004) 『肉中の哲学』哲学書房
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/12/19992004.html

レイコフとジョンソンによる「客観主義」と「経験基盤主義」に関して寄せられた学部生コメント
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html  

参考文献

ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン(1986)『レトリックと人生』大修館書店、もしくはこの原著Metaphors We Live by 
ジョージ・レイコフ(1993)『認知意味論言語から見た人間の心』紀伊国屋書店、もしくはこの原著Women, Fire, and Dangerous Things: What Categories Reveal About the Mind
マーク・ジョンソン著、菅野盾樹、中村雅之訳(1991/1987)『心のなかの身体 』紀伊国屋書店 もしくはこの原著The Body in the Mind: The Bodily Basis of Meaning, Imagination, and Reason 
ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン(2004)『肉中の哲学肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する』哲学書房、もしくはこの原著Philosophy In The Flesh









第五日目 (1/17)

ルーマンから考える言語コミュニケーション観


前半:コミュニケーション実践と「客観性」


■ 8/20学会発表:「英語教育実践支援研究に客観性と再現性を求めることについて」の要旨とスライド
■ 論文初稿:英語教育実践支援研究に客観性と再現性を求めることについて
■ 研究の再現可能性について -- 『心理学評論』(Vol.59, No.1, 2016)から考える
■ 比較実験研究およびメタ分析に関する批判的考察 --『オープンダイアローグ』の第9章から実践支援研究について考える--
■ 「テストがさらに権力化し教育を歪めるかもしれない」(ELPA Vision No.02よりの転載)





後半:ルーマンによる意味論


■ 「言語学という基盤を問い直す応用言語学?―意味概念を複合性・複数性・身体性から再検討することを通じて―」 (応用言語学セミナーでのスライドとレジメ) ←「1 序論」と「2 意味概念に関する哲学的探究」だけで結構です。内容は難しいかもしれないので、直感的に理解してくだされば結構です。
■ 今井邦彦・西山佑司 (2012) 『ことばの意味とはなんだろう』岩波書店 (「第19回応用言語学セミナー 応用言語学を考える」の準備の一環としてのまとめ)
■ ルーマン (1990) 「複合性と意味」のまとめ
■ ルーマン意味論に関する短いまとめ(『社会の社会』より)
■ ルーマンの二次観察 (Die Beobachtung zweiter Orndung, the second-order observation) についてのまとめ --  Identität - was oder wie? より










第六日目 (1/24)

アレントから考える言語コミュニケーション観


前半:アレントの枠組みで解釈する英語授業実践


■ 授業投映用スライド
 アレント『人間の条件』による田尻悟郎・公立中学校スピーチ実践の分析
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/zenkoku2004.html#050418

■ 田尻悟郎先生講演:「こんな先生に出会いたかった! ~豊かな人生を送るために子どもたちに伝えること~」

▲ 動画ライブラリ:中学で英語が得意になる!シリーズ
※田尻先生が短い動画で解説してくださっている貴重なシリーズです。今すぐでなくてもいいですが、時間のある時にぜひ見て下さい。

 「人間らしい生活--英語学習の使用と喜び」
■  E・ヤング=ブルエール著、矢原久美子訳 (2008) 『なぜアーレントが重要なのか』みすず書房
■  仲正昌樹 (2009) 『今こそアーレントを読み直す』 (講談社現代新書)
 欠陥商品としての「考える」こと
関連して、バトラーに関する次の二つの記事も読んで下さい。
 ジュディス・バトラー著、佐藤嘉幸・清水知子訳(2008)『自分自身を説明すること』月曜社
 ジュディス・バトラー著、竹村和子訳(2004)『触発する言葉』岩波書店
さらに
▲ 「現代社会における英語教育の人間形成について―社会哲学的考察」を読んでください。
ついでに
 「当事者が語るということ」もどうぞ
▲ 西洋哲学の寵児の政治的判断
▲ 人間、ハンナ・アレント
および
▲ アレント哲学の枠組みの中での「芸術」の位置づけ:エクセルファイルの概念図
▲ 映画『ハンナ・アーレント』予告編





後半:アレントによる意味論


■ 授業投映用スライド
■ 真理よりも意味を、客観性よりも現実を: アレント『活動的生』より
■ 人間の複数性について: アレント『活動的生』より

■ アレントの行為論 --アレント『活動的生』より--

■ アレント『暗い時代の人々』より -- 特に人格や意味や物語について--
■ アレントの言語論に通じるル=グヴィンの言語論
 人間の条件としての複数性
  この世の中にとどまり、複数形で考える
「政治」とは何であり、何でないのか
 アレントによる根源的な「個人心理学」批判
 世界を心に閉じこめる近代人


※ 2017/1/31は金曜振替授業日ですのでこの授業はありません。













第七日目 (2/7)

異文化間コミュニケーションとしての翻訳

前半: 翻訳論
■授業用スライド
■文法・機能構造に関する日英語比較のための基礎的ノート ―「は」の文法的・機能的転移を中心に
■「訳」に関する概念分析
■藤本一勇『外国語学』岩波書店
■内田樹 (2012) 『街場の文体論』 ミシマ社
■オメの考えなんざどうでもいいから、英文が意味していることをきっちり表現してくれ
■伊藤和夫『予備校の英語』研究社
■木村敏(2010)『精神医学から臨床哲学へ』ミネルヴァ書房
After Babel
▲ジェレミー・マンディ『翻訳学入門』
▲山岡洋一先生の翻訳論
▲山岡洋一さん追悼シンポジウム報告、および「翻訳」「英文和訳」「英文解釈」の区別
▲国立国語研究所講演:単一的言語コミュニケーション力論から複合的言語コミュニケーション力論へ
▲国立国語研究所での招待講演の音声と補記
▲ポスト近代日本の英語教育―両方向の「翻訳」と英語の「知識言語」化について





後半: 英語教育と日本語教育の関係について

■授業スライド(英語教育と日本語の関係について)
■水村美苗『日本語が亡びるとき ―英語の世紀の中で』筑摩書房
■「授業は英語で行なうことを基本とする」という「正論」が暴走し、国民の切り捨てを正当化するかもしれないという悲観について
Dual Language Programmeなどのマレーシア教育事情を卒業生から聞きました
Vivian Cookの「多言語能力」(multi-competence)は日本の英語教育界にとっての重要概念である
Some excerpts from the Website "multi-competence" by Vivian Cook
"I if become soccer player is play hard" あるいはS V Plusについて
■純粋な「英語教育」って何のこと? 複合的な言語能力観
▲イ・ヨンスク『「国語」という思想』岩波書店
▲イ・ヨンスク『「ことば」という幻影』明石書店
▲橋本治『言文一致体の誕生』朝日新聞出版
▲安田敏郎『「国語」の近代史』中公新書
▲山口仲美『日本語の歴史』岩波新書
▲福島直恭『書記言語としての「日本語」の誕生』笠間書院









第八日目 (2/14)

前半:総括討議

後半:ポートフォリオ作成