2018年10月20日土曜日

熊谷晋一郎 (2018) 『当事者研究と専門知 -- 生き延びるための知の再配置』(金剛出版)



 金剛出版の『臨床心理学増刊第10号』である『当事者研究と専門知 -- 生き延びるための知の再配置』は非常に読み応えある書籍でした。



■ 研究の共同創造
 この本は、「研究の共同創造 (co-production)」という視点で企画編集されました。共同創造とはもともと公的サービスの創出に市民が参画する実践だそうです。

Wikipedia: Co-production (public services)
https://en.wikipedia.org/wiki/Co-production_(public_services)
ウィキペディア:協働
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%94%E5%83%8D

 公的サービスの共同創造では、市民はサービスの単なる受け手・消費者であるだけではなく、公的機関と共にサービスを企画・デザイン・運営・管理することにも参画します。

 私が関与している英語教育研究でいうなら、現在、学会で行われている研究のほとんどは研究者によって企画・実行・評価されています。英語教育研究を実践的な分野として考えるなら、英語教育の当事者である学習者や教師が切実に感じていることこそが研究のテーマになるべきですが、学会での研究はそういったニーズとはほぼ無関係に進められ、当事者は「自分たちが大切に思っていることがきちんと研究されればよいが・・・」と思いながらも、その思いは裏切られ続け、学会から興味をなくしています(当事者の中には、学会とは完全に独立して草の根で研究活動を始めているところもありますが、それはまた別の話として)。

 研究の共同創造の発想では、当事者が「このような研究がほしい」という企画を出し、研究者にそのテーマでの研究を依頼し(あるいは共に行い)、その研究を評価するという研究活動が推進されます。

 この本に話を戻しますと、この本はそういった共同創造の発想で、さまざまな困難を抱えた当事者がいわば "cross-disability"に当事者研究の課題を設定し、さまざまな研究者に原稿を依頼してできあがったものです。そしてその研究は編集責任者の熊谷氏によって総括されています。

 まずはこの共同創造という試みを知るだけでも、この本を読む価値はあると思います。

熊谷晋一郎「知の共同創造のための方法論」 (pp. 2-6)



■ 医学モデルの暴走

しかしもちろん当事者もこの本に貢献しています。その一つが、脳性まひという障害を共有する熊谷晋一郎氏(東京大学先端科学技術研究センター)と尾上浩二氏(Disabled People's International: DPI 日本支部)の対談です。


対談:継承すべき系譜1:運動 (pp. 28-38)

 ここでは「医学モデル」、つまり障害を疾病とみて、それを治し克服することに専念する考え方が暴走していた時代の恐怖が語られています。障害克服のためには、当事者は「生存権も人権も認められない医療の実験台のように扱われ」(尾上 p. 30)、「医療者だけでなく家族、当事者さえ医学モデルの内部でしか思考できなくなり、しかもそれが当事者を救おうとする善意の装いをまとっている」(尾上 p. 31)システムの恐ろしさです。
 暴走する医学モデルに対する障害者の抵抗の運動の長年の成果でもって、現在では障害者が医療実験台として自由を剥奪されるいわば「身体刑の時代」はほぼ終わりました。しかし今度は「生権力が作用する規律=訓練の時代」となり、当事者は「ほぼ自動的に自己反省を繰り返し、責任を一身に背負い、おのずと内向的になり、もはや怒りの声を上げる動因さえ根こそぎ奪われている」(熊谷 p. 31) とも言えます。

 科学と善意の名のもとに、どのようなことがなされてきたかが垣間見えるこの対談は、科学と善意を売り物にする職に就く者が一度は読むべきものかと思います。教育の世界においても、ここまでの程度ではないにせよ、当事者を軽視するような制度や慣習はあるはずです。障害者はいわば、社会の歪みをもっとも早くもっとも鋭敏に感じざるを得ない存在かと思います(それを是正するのが社会のあるべき姿なのですが、それはさておき)。障害者の経験から、いわゆる「健常者」が学ぶべきことは大きいと思います。



■ 医師による医療人類学・社会学的自己省察

もう一つ私が非常に興味深く読んだ論考は、精神科医が自らを語った物語です。

熊倉陽介「医療者の内なるスティグマ -- 知の再配置の試みから」 (pp. 83-92)
(東京大学大学院医学系研究科精神保健分野)

 医師による医療人類学・社会学的自己省察ともいうべきこの物語りで私たちには精神医療に関する洞察を一気に深めることができます。そこでは「精神科という得体の知れないものと出会うことに対する不安と恐怖から、聴診器を身につけることによって身を守っていた」著者が、「こころという得体の知れないものと出会うことに対する不安と恐怖から身を守るべく、精神症状を客観的に評価したり診断したりするという別の鎧を手に入れて」精神科医となり、その結果、「人のこころには出会っていなかったように思う」 (p. 88) という述懐があります。医療という権力を帯びた場で、医療者の無知や偏見から、当事者がさらに傷を深める不幸についても語られています (p. 89)。「専門知識や職業人として求められる規範について、それによって得るものと失うものが求められる」 (p. 89) というのが著者の結論の一つですが、この結論が強い説得力をもって響いてきます。

 上と同じような蛇足的なアナロジーを付け加えてしまいますが、学校教師も、人間の成長という得体の知れないものと出会うことに対する不安と恐怖から、学力を客観的に評価したり診断したりするというテストという別の鎧を手に入れて、その得点向上に邁進することで学習者のこころと出会うことなく、少なからずの学習者がそれぞれに抱えている傷を深めているのかもしれません。

 英語教育においても、「そもそも英語力なんてこの私に必要なの?」「テストで測られている力が実際のコミュニケーションとずいぶん異なっているように思える」「英語の授業ではどんどんコンプレックスが強くなってしまうだけ」「英語力をつけるための塾も留学もお金がなければ何にもならない」といった矛盾はさまざまにあるはずです。

 世間で流通している英語教育にまつわる言説は、そんな矛盾に蓋をして実に美しく語られます。しかし、それは何に奉仕し何を抑圧している言説なのでしょうか。英語教育においても、熊倉氏のこの文章のように深い語りが語られ始めることを願っています。いや、願っているなどという他力本願ではなく、私自身も学校英語教育の矛盾を言語化するべきでしょう。

 英語教育学習者や英語教師などは、障害を抱えた方々から見れば「マジョリティ」かもしれませんが、マジョリティにはマジョリティなりの葛藤があり、それをうまく言語化しておかないと、いつか大変なことにつながりかねないというのが私の懸念です。実際、日本でもアメリカでも今まで「マジョリティ」とされてきた人々の鬱積がどんどん圧力を高めてきているように私には思えます。

マジョリティの当事者研究
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/10/blog-post.html

 共同研究者と「英語教師の当事者研究」というテーマで研究活動を行っている私ですが、ある種の「マジョリティの当事者研究」という意識をもって研究を進めてゆくべきかとも思い始めています。

 その意味で、この本の野口裕二氏と大嶋栄子氏の論考から学んだことは、別のブログ記事で「英語教師の当事者研究」に即してまとめてみたいと思います。

 この記事では、その他の論考についても一切述べることができませんでしたが、とりあえず私なりのまとめと感想を述べました。ご興味のある方にはぜひ一読をお薦めしたい本です。








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浦河べてるの家『べてるの家の「非」援助論』(2002年、医学書院)
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熊谷晋一郎 (2009) 『リハビリの夜』 (医学書店)
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熊谷晋一郎(編) (2017) 『みんなの当事者研究』 金剛出版
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樫葉・中川・柳瀬 (2018) 「卒業直前の英語科教員志望学生の当事者研究--コミュニケーションの学び直しの観点から--」
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8/25(土)14:00から第8室で発表:中川・樫葉・柳瀬「英語科教員志望学生の被援助志向性とレジリエンスの変化--当事者研究での個別分析を通じて--」(投影資料・配布資料の公開)
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第15回当事者研究全国交流集会名古屋大会に参加して
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マジョリティの当事者研究
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