2010年9月16日木曜日

J. Matthews and R. Matthews著、畠山雄二・秋田カオリ訳 (2009) 『成功する科学論文 ライティング・投稿編』丸善株式会社

[ この記事は『英語教育ニュース』に掲載したものです。『英語教育ニュース』編集部との合意のもとに、私のこのブログでもこの記事は公開します。]


科学論文というのは高度に機能的な書き物だ。科学の最先端の発見を、正確かつ迅速に伝えなければならない。複雑なことも明確に、誤解されないように書かなければならない。論文が読みにくかったり、誤読されたりするようなら学術誌には掲載されない。科学者としての生き残りにもかかわる。だから「ことばは、数字と同じように、サイエンスのツール」なのだ(viページ)。

科学論文はエッセイと異なる。興に任せて書いてはいけない。書き手が意図した意味と、読み手が読み取るだろう意味を一致させるように吟味しなければならない。意図的な多義性などもってのほかで、意図せぬ多義性が隠れていないか細心の注意を払わなければならない。冗長な表現は短くし、短すぎてかえって読みにくい文は読みやすいように長くする。何度も原稿を書き直すのはそれらのためである(1ページ)。もちろん何度も書き直さなくて済むように、最初から明晰な文章を書くように心がけるべきだ。だからこのような優れた参考書が必要となる。

だが私の経験では、このような文章の指南書を学生に読ませても、多くの学生は「当たり前のことです」といわんがばかりの反応を示す。「こんな原則を守れずに文章を書く人がいるなんて信じられませんよ」と豪語する猛者もいた。

それならばと、ある授業で、文法的には間違っていないのだが、科学論文の書き方の原則にことごとく反した英文を作って学生に提示した。「添削してごらん」と指示すると存外に苦労している。もちろん時間をかければどの学生も同じような英語にするから、学生は原則を理解している。だが、原則をただわかったと思うことと、原則を身につけることは大いに異なるという、いわば当たり前の教育の原則を改めて痛感した(こんなことを改めて思うのは筆者の教師としての力量不足の現れに他ならないのだがそれはさておく)。

というわけでここでも練習問題。以下の英文はどのような点で改善が求められるでしょう。正解はこの文章の一番下に掲載しますから、少し考えてみてください。


(1) The cause of the degenerative changes is unknown but possibly one cause may be infection by a presumed parasite. (p.17)

(2) There is a cure available. It consists of ... (p. 19)

(3) Hard-driving veterinarians in private practice should take more time for their wives and children. (p. 48)

(4) Inadequate training in PCR techniques resulted in incomplete date. This has been our most pervasive problem. (p. 71)

(5) Being in poor condition, we were unable to save the animal. (p. 72)

(6) These results were in general agreement with others who found increased mortality. (p. 80)




と、この本の例文から練習問題を作ってみたが、実はそんなことをせずともこの本には具体的な文章推敲の練習問題が豊富に用意されている。この練習問題をやってみることが文章上達の有効な手段であることは間違いないだろう。「科学論文の書き方なんてどの本が言っていることも同じだよね」と思われる方こそ、この本を読んで練習問題にチャレンジするべきだろう。

以上が「ライティング編」だが、この本の後半の「投稿編」も親切だ。投稿論文に添えるカバーレターには、なぜ投稿先のジャーナルに論文を投稿しようと思ったのかを(熱く語らない程度に)書いておこう(140ページ)とか、査読者が誤読して間違ったコメントを送ってきても、誤読されるところは議論や分析あるいは書き方の良くない箇所であることが多いのだからキレてはいけない(144ページ)などと、親切だ。前回紹介した 『成功する科学論文 構成・プレゼン編』と併せて読めば ―これら二冊は元々一冊の本を分冊にして翻訳したものである― いい科学英語の訓練になるだろう。もちろん原著を読んでもいいのだが、速読できる翻訳書は忙しい人にはありがたい限りだ。

最後に再びライティング編で、著者が掲げる「研究者のための笑える12ヶの文法規則」のいくつかを下に掲載する。笑う箇所を示すなどという野暮はしませんから、どうぞ笑って楽しんでください。



It is recommended by the authors that the passive voice be avoided.

If you reread your writing, you will find that a great many very repetitious statements can be identified by rereading and identifying them.

Avoid using "quotation" marks "incorrectly" and where they serve no "useful" purpose.

In science writing, and otherwise, avoid commas, that are, really, unnecessary.

Subjects and their verbs whenever you notice and can do so should be placed close.





答え

(1) 言質を与えない表現を使いすぎ。断定しすぎはよくないが、あまりに「保険」をかけすぎた表現を多用すると文に力がなくなってしまう。

(2) しゃっくりのように文の流れを不必要に断ち切ってしまっている。"The available cure consists of ..."と書けばいいだけのこと。

(3) 日本のある男性研究者(なんと専門は英語教育!)は、ある国際学会のレセプションでこういった挨拶をしてしまい、後に登壇した他国の女性研究者に皮肉られたが、その皮肉の意味すらわからなかったという。男性諸氏、ご注意あれ。

(4) 二番目の文の"This"が"inadequate training"を指しているのか、それとも"incomplete data"を指しているのかが曖昧。

(5) 文法通りに解釈すれば、状態が悪かったのは「私たち」であるが、しばしば誤用される懸垂修飾(dangling modifier)が使われているとしたら、状態が悪かったのは「動物」ということになる。意味解釈に戸惑ってしまう。

(6) "Results"と"others"は意味的には平行関係にないのに、統語的にはあたかもそうであるかのように書かれている。




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ニクラス・ルーマン著、ディルク・ベッカー編、土方透監訳(2009)『社会理論入門 ニクラス・ルーマン講義録2』新泉社

ルーマンはブルックナーに似ているとも思います。両者ともにとても複雑なことをやっているようですが、実はいくつかの主要なテーマを回帰的に繰り返しているだけで、そのテーマを理解できれば彼らの言いたいことはずいぶんわかりやすくなるように思えます。しかし、彼らは複数の主要テーマを、フラクタルのように次々に展開していますから、その展開ばかりに目を奪われると、彼ら作品の基本構造を見失ってしまい、彼らが何を言いたいのかわからなくなってしまいます。ですがその多彩な細部の奥にある彼らの核さえ抽象的に理解できれば、細部の複雑さはなんとか理解できるのではないかと思います。

と、いきなり与太話で始まりましたが、以下はいつものように私の読書ノートです。私なりの誤解・曲解に基づき、私自身の言い換えもずいぶん入れていますので、少しでもルーマンに興味をもった人は実際にご自分で本を読んでください。(またもしルーマンの専門家の方で、私の以下の記述にあまりにひどい誤解・曲解などがあることを発見された方はお知らせいただければ幸いです。私としても自らの誤解・曲解の可能性に開き直って居座るつもりはありませんので)



***

I 社会システムとしての社会


■システム理論はある理想を追求するものではない

システム理論は、観察されたもの、記述されたものが、どのようにしてそうあるのか、他のようにはありえないのかを考える。ある事態を肯定するとか否定するとかいうのはフランクフルト学派の表現方法である。(18ページ)


■ルーマンの社会学が依拠しない三つの社会概念

(1)社会を人間の集合としてとらえ、一人ひとりの人間を(それ以上分割することのできない)社会の構成単位として考えること。(42ページ)

(2)社会を地域(地理的な広がり)の集合としてとらえ、一つ一つの地域を(それ以上分割することのできない)社会の構成単位として考えること。(43ページ)

(3)社会科学が社会の外部に存在し、社会科学はどの認識者にとっても同一な客観的世界を扱うものであり、主観性を消去しなければならないということ。(44-46ページ)


■社会とは何か、ではなく、社会はいかにして産出されるのか、という問い

社会とは社会を産出するものであるというオートポイエーシス的理解からすれば、社会に関する本質的仮定を排除し、社会が自身を産出する作動を記述することの方が重要である。ちなみにこのトートロジー的なオートポイエーシス概念は、「法とは法が語ることであり法であるところのもの」「政治とは政治が生じさせるもの」(あるいは「応用言語学とは応用言語学が応用言語学として認めるもの」(笑 ―「応用言語学」を「英語教育学」に換えるともっと笑える)といった理解にもみられるものである。(62-63ページ)



II コミュニケーション・メディア

■コミュニケーションは社会的な作動である

コミュニケーションは社会的な作動として考えられるべきであるし、おそらく唯一の社会的な作動であろう。この作動が社会を生産・再生産し、(社会にとっての外部である)環境に対する環境を画定する。(102ページ)


■三種類のコミュニケーション・メディア

(1) 言語

(2) テクノロジー(文字、印刷、エレクトロニクスなど)

(3) シンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディア(貨幣や権力など) (102-103ページ)


■メディアと形式の区別

メディアとは膨大に現存し、相互に結合している一つの潜勢力である。メディアが「タイトなカップリング」を受けることにより形式になる。例えば音はメディアであり、そのメディアを使いこなすことにより音声言語という形式が生まれる。だがこのメディア/形式の関係は、重層的であり、音声言語はメディアとして使いこなされることにより、ある発話という形式を生み出す。いずれにせよ観察が可能(あるいは容易)なのは形式であり、メディアは観察が不可能(あるいは困難)である。 (112-114ページ)


■言語というコミュニケーション・メディアの空間的・時間的・社会的拡張

言語を口頭でしか使わない場合、互いによく了解している状況で言語を使うので人は自らの考えを精確に述べる必要はあまりなかった。(142ページ)

かろうじて文字に残っている古い時代の民衆叙事詩などの場合、特定の言語形式を繰り返し使用し、口述や想起、感情に対して周知性や確実性をもたらしてメディアの広汎性を広めた。(143ページ)

文字を記す媒体(粘土板や紙)が手工業や工業生産により普及し、加えて活版印刷が開始されると言語によるコミュニケーションは広範囲に流布するようになった。(143ページ)


■文字は当初は記憶補助のためでありコミュニケーションのためには使われなかった

進化は、それに先行する機能を利用しながら進行するものであり、現在からすると支配的・最終的に見える機能も当初は獲得されていなかった場合が多い。文字も当初は使節がメッセージを伝える際に持ち運んでいた粘土板に刻み込まれていただけであり、その粘土板が直接相手に渡されることはなく、メッセージはあくまでも使節が口頭で伝えていた。文字を直接的なコミュニケーション手段として使うことはその後次第に普及していった。(149ページ)


■文字の普及がコミュニケーションに与える影響

文字は直接対面している相互作用状況から離れて人々がコミュニケーションをとることを可能にした。だがこの新たな状況でのコミュニケーションには、目の前にいる相手のようにコミュニケーションを強く要求する人間が不在なので、メッセージを受ける人間は、読む・読まない、イエス・ノーを言う選択においてより自由になった。また二度、三度再読してはじめて解明できるような難解なテクストも生み出されるようになった。(159ページ)


■印刷術と市場

中国や朝鮮においてはヨーロッパより早く印刷術が発明されていたが、これらの地域では市場が発達しておらず、印刷術はもっぱら官僚機構が諸指令を周知されるために用いられた。(168ページ)テクノロジーだけが文明を進化させるのではない。


■印刷術と標準語

印刷出版は標準語成立と大きくかかわった。出版市場は広範囲に通用する語を求めるし、出版された印刷物はその広範囲で使用される語を普及させる。ドイツでは低地ドイツ語でなく高地ドイツ語がドイツ語の標準語化のために使われた。フランスではいわば学術的に標準化が行われラテン語の起源などがしばしば参照された。だがイタリアではダンテやペトラルカが書いていたフィレンツェの言語形式が印刷術より以前から普及していた。(169-170ページ)


■印刷物が促進した体系性

「体系」(システム)という言葉が多用されるようになったのは17世紀のはじめである。これには、目次や見出しなどで論理的な構造を秩序づけて提示できる印刷物の普及が大きく関わっている。その後、体系性は方法論化された。(171ページ)


■印刷物が促進した科学技術文献や新聞

詳細な情報を正確に伝えられる印刷物は科学技術文献を普及させた。目の前の人間を超えてコミュニケーションを図れる印刷物はまた、社会全体に対して提供される政治的パンフレットや新聞を登場させた。(172-173ページ)


■シンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディア

シンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディア(例、貨幣・権力・真理・芸術)とは、かなりの確率で起こりうるノーをイエスに変換することに役立つ仕組みである。例えば貨幣は交換の成立可能性を高める。権力は秩序形成の可能性を高める。真理は学術的テキスト生成を促進する。芸術は美の生成を促進する。(181ページ)


■多数のシンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディアが宗教の力を弱める

宗教はかつてすべての頂点に立つ意味論(ゼマンティク)であった。しかしシンボリックに一般化されたコミュニケーション・メディアが複数台頭し、それぞれがそれぞれの観点でコミュニケーションを促進するようになると、社会つまりコミュニケーションの総体は宗教では統一できないことが明らかになっていった。(199ページ)


■メディアの二分コード

メディアはしばしば二分(バイナリー)コードをもつ。コミュニケーションをアナログ的にではなくデジタル的に促進する[例えば貨幣なら支払う/支払わない、権力なら従う/従わない、真理なら真/偽、芸術なら美/美でない、だろうか]。このコミュニケーション過程の単純化により、コミュニケーションが促進され、さらにコミュニケーションを容易にする仕組み(プログラム)が発達する。(212ページ)



III 進化

■進化理論は段階説をとらない

進化理論は(聖書的な)創造説と異なるだけでなく、変化の明確な転換点を求める段階論とも異なる。歴史学でも、古代、中世、近代の間の明確な転換点をもつ普遍的過程という観念を放棄した。例えば近代は、一つの明確な転換点 ―アメリカ発見、書籍印刷、フランス革命、ロマン主義文学、など― をもって開始されたと断定することはできない。(243ページ)


■一般的な形式の進化理論

進化理論は一般的な形式性を備えたものとしてとらえるなら、生命システム、社会システム、心理システムなどにおいても適用され、それぞれに応じて違った実現の仕方をする。(247ページ)


■進化理論の三概念

(1)変異:何かが別様になる。

(2)選択:変異に対する肯定的ないし否定的な介入

(3)(再)固定化:選択の結果の受容あるいは拒否


■偶然と進化、そしてシステム理論

変異・選択・再固定化において偶然は大きな役割を果たす。これをシステム理論で言い直せば、進化はシステムに即して生じるが、同時に[システムを包含する]環境の中でも生じる。環境は、システムが支配も組み込みもできない外部であるから、この外部からの影響は偶然とみなされる。(249-250ページ)


■進化理論は非計画的な構造変動を説明する。

人工的で意図的な計画は、進化の中の一要因に過ぎない。計画はもちろん計画通りの結果ももたらすが、同時に予見されない未調整の効果つまり偶然効果をもたらし進化に作用する。人は計画を好むが、その人が何かを達成するかどうかは別の問題であり、その人が計画を貫徹するときでさえなお進化が起こる。進化理論は計画より幅の広い理論である。計画がなされたときでも非計画的な構造変動がありうる。(250-251ページ)


■進化には飛躍的な変化、相対的停滞、後退もある。

進化は必ずしも漸次的な変化ではない。(258-259ページ)


■偶発性の必然性もしくは必然性の偶発性

進化理論の特徴を説明するのには、神学的概念である「偶発性の必然性もしくは必然性の偶発性」が適切かもしれない。(260ページ)


■進化的普遍態

ある進化の獲得物は、いったん効力をもち使用されるようになると大きな射程で使われるようになり別の形式を駆逐してしまう。これを民俗学では「支配的な類型」(dominant types)と呼ぶが、パーソンズは「進化的普遍態」と呼んだ。貨幣、文字、政治的官職、複式簿記、組織の技術、機械などが例としてあげられる。これらが普及した後、以前の形式に戻ることはまずない。(277-278ページ)




IV 分化

■環節的社会

環節的社会が形成されるために必要とされる前提は、土地に人が住めること、人々が再生産できることぐらいである。(319ページ)環節的社会では、互酬性原則・感謝・扶助を通して安定している。(329ページ)


■中心/周辺分化

複数の環節的社会が何らかの形で接触し始め、それらの間の不平等が大きなものになったら、中心/周辺分化が生じる。都市と村落という形に分かれるが、中心である都市には、改めて別の分化が生じるだけの蓄積がなされる。(319ページ)


■階層分化

社会が、貴族といった上流階層とそれ以外の下流階層に分化する場合がある。ヨーロッパでは中心/周辺分化よりも階層分化の方が多く見られたが、これはヨーロッパの地理的・言語的多様性が関係していたのかもしれない。(321ページ)


■機能分化

社会がさらに複雑になると、経済や政治などの機能でも社会が分化されるようになる。機能分化したそれぞれのシステムは「非同等なシステムの同等性」を有している。つまり機能システムの間の互換関係は非同等性により妨げられているが、他方機能システムはどれも他の機能システムに対する社会優位を要求することができないという点で同等なシステムである。(322-324ページ)政治システムが経済システムを制御できないという考え方は社会主義の崩壊がそれほど昔のことでないことからすれば無条件に自明なことではないかもしれないが。(342ページ)


■機能分化と近代社会

機能分化の観点からすると、近代(モダン)社会と脱近代(ポストモダン)社会の間に断絶を認める必要はない。近代社会の実現から200年かそれ以上たった今日、私たちは何位巻き込まれたのか、私たちに何が起こっているのか、いくらかよく見通せるようになっただけである。(332ページ)


■機能主義理論を目的概念ではなくシステム概念で理解する

機能システムが目標達成のために存在していると考えるなら、目標が達成されたあとのシステムの存続が説明しにくくなる。他方、機能システムをオートポイエティック・システムの理論に転換すると、システムは二分(バイナリー)コードおよび二分コードのプラスマイナスの決定する基準であるプログラムにより作動するものと説明できる(プラスは作動をより簡単にし、マイナスは作動に対して再帰的・反省的な態度をとることを促す)。(332-336ページ)



V 自己記述

■自己記述と自己観察

自己記述とは、あるシステムが自分自身の作動によって自分自身の記述を行うことである。記述は観察と異なり、テクストといった繰り返し適用できる同一性を生み出す。システムは自己記述により、自らを説明し、環境から継続的に区別する。(360ページ)


■自己記述は循環的であり、終結しない

システムが自己記述を行うなら、その自己記述するシステムは自己記述される前のシステムと異なる。その自己記述を含んだシステムを自己記述しようとするなら、さらに自己記述がなされなければならない。システムと自己記述は循環している。この循環は終結しない。(361ページ)

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2010年9月15日水曜日

『英語教育2010年10月増刊号』




英語教育2010年10月増刊号の目次が大修館のホームページでも公開されたので、ここでも紹介します。ここをクリックしてください。

ご覧になったらお分かりのように、今年の増刊号の特集Iは「英語教育キーワード」です。キーワードというのは時代を動かす力になりますが、案外に理解されていなかったり誤解されていたりします。浅薄な理解あるいは端的な誤解は、キーワードを旧来の思考の癖に変容させ、世の中をしばしば反動的にしたりしますから、キーワードの的確な理解は必要です。どうぞこの特集をお読みください。

特集IIの一環として私は「英語教育図書:今年の収穫・厳選12冊」を書かせていただきました。ただ12冊を選ぶだけでなく、それらの本が現時点において書かれることの意味合い、読む際の視点などを提示して、読者の皆さんにいろいろと考えていただく書評にしたつもりです。原稿料をいただいて書いた文章ですから、このブログの文章と違ってw、わかりやすさや文体にも気をつけて書いたつもりです(もちろん私の能力の範囲内においてですが)。これらの12冊を読んだことのない方はもとより、読んだ方にも楽しんでいただけるような文章を目指しましたので、どうぞ読んでやってください。

ちなみに紹介した12冊は以下のとおりです。世の中には万人向きの本というものはないわけですから、できれば私の書評やアマゾンなどの書評なども読んで、書籍の意味合いを理解した上でお買い求めください。



靜哲人『英語授業の心・技・体』研究社

江利川春雄『英語教育のポリティクス』三友社出版

寺島隆吉『英語教育が亡びるとき』明石書店

笹島茂/サイモン・ボーグ『言語教師認知の研究』開拓社

藤本一勇『外国語学』岩波書店

黒田龍之助『ぼくたちの英語』三修社

森山卓郎『国語からはじめる外国語活動』慶應義塾大学出版会

森住衛・神保尚武・岡田伸夫・寺内一『大学英語教育学』大修館書店

福井希一・野口ジュディー・渡辺紀子編著『ESP的バイリンガルを目指して』大阪大学出版会

和泉伸一『「フォーカス・オン・フォーム」を取り入れた新しい英語教育』大修館書店

新英語教育研究会『新しい英語教育の創造』三友社出版

田尻悟郎『(英語)授業改革論』教育出版




番外編として書名だけ言及したのが下の5冊です。


卯城祐司『英語リーディングの科学』研究社

田中武夫・田中知聡『英語教師の発問テクニック』大修館書店

大塚謙二『教師のためのICT簡単面白活用術55』明治図書

横溝紳一郎編著『生徒の心に火をつける』教育出版

吉田達弘他編『リフレクティブな英語教育をめざして』ひつじ書房




なお今回の書評で私が靜哲人先生の『英語授業の心・技・体』に対して書いたことを、江利川春雄先生が面白がってくださり、靜先生は靜先生で反論を書いてくださったことは、以前の記事でお知らせした通りです。

この靜先生の立論と私のコメントは、私が接する狭い世間の範囲内ではそれなりの反響を呼んだようです。

以前の記事で私は、

私としては、この靜先生のコメントが私の書評(増刊号に掲載)と共に読まれるならば、特に付け足して言うことはありません。


と書きました。この表現を書いたときに、誤解されることを防ぐためにもう少し文を足そうかとも思ったものの、足すのも野暮だと思い上のような表現としましたが、やはり不必要な誤解を避けるために若干付け足しておきます。

私が上に「特に付け足して言うことはありません」と書いたのは、私は必要な論点は増刊号書評で書いたと思っているからです。靜先生のブログ記事は、ぜひその記事が基盤としている私の書評を読んでくださればと思います。両方を比べれば、靜先生が私の書評のどの部分を引用し、どの部分を引用せずに論じているかがわかります。また引用している箇所もどのように引用しているかにご注意いただければと思います。

私がこのブログの直前の記事で言いたかったことは、人が何を取り上げ何を取り上げないかを観察することで、その人の考え方がわかるということです。そうやって(自分も含めた)多くの人の考え方を観察するなら私たちの思考も多少は現実的なものになるでしょう。一面的で固陋な思考は現実に対応できませんからね。

私が一番避けたいのは、観察をほとんどせずにどんどん自説を肯定し、異説を否定することです。そのような断言は勇ましく、その他にすることがない一部のウェブ読者を喜ばせたりしますが、私は現実生活を改善するにはそのような断言合戦は有効でないと考えますので、距離を取りたいというのは前から申し上げている通りです。

靜先生のブログ記事は私の書評記事と併せて読んでください、とお願いしましたが、このお願いは自動的に、私の書評記事が靜先生の『英語授業の心・技・体』と共に読まれるべきことを含意します。共に読みますと私が靜先生の本のどこを引用し、どこを引用していないか、また引用するにせよどのような引用をしているかを観察できます。

もちろん私の書評は原稿分量という制約、靜先生のブログ記事は忙しい毎日という制約のもとで書かれたものです。また制約がほとんどないような文章でも、書き手はその思いを過不足なく書く事はほとんど不可能であり、読み手が書き手の思いを過不足なく読み取ることもはなはだ難しいものです。ですから表現の細部について必要以上に騒ぎ立てることはあまり意味ある行為ではないでしょう。

しかし、そういったことを勘案した上で冷静にお互いを観察してゆけば、その観察から私たちの思考の癖も顕になるでしょう。それぞれの癖を理解した上で、それぞれの癖を多様性と捉えて使い分けてゆけば、多少は私たちの思考も行動も柔軟になるでしょう。あまりにひどい癖はたしなめる必要がありますが、私たちは(完全な)合意を求めてコミュニケーションをするより、差異を必要な前提そして当然の結末としてコミュニケーションを続ける方が実りが多いと考えますので、私はこのように訴える次第です。(よかったらこの論文も読んでやってください)。


まあ、私の書評はともかく、今年の増刊号は(もw)充実していますから、お買い上げの上、どうぞ皆様の思考と行動の糧にしてください。活字出版とウェブ表現の棲み分けは、電子書籍の台頭でますます混迷の色を深めてきましたが、活字出版のこれまでの伝統とノウハウを活用することなしにウェブ文化が発展することはないことだけは確かでしょう。このブログを読んでくださるのはありがたいのですが、本や雑誌の活字出版も買って読んでねw

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