2014年2月24日月曜日

シンポジウム「文学指導は学習者をどのように動機づけるか」(2014/3/9 早稲田大学)予稿の公開



3月9日(日)に行われる「言語教育エキスポ2014」(案内(PDF))で、「文学指導は学習者をどのように動機づけるか」 (9:00-10:30) というシンポジウムに登壇させていただきます。ここではそのシンポジウムの趣旨と、各登壇者の予稿を紹介させていただきます(予稿は発表順に並べます)。

私は現代日本の(英語)教育界では、もっともっと文学や芸術そして広く身体の重要性を訴えるべきだと考えていますので、今後はこういった企画には積極的に参加しようと思っております。

なおこのシンポジウムは2013年5月25日に日本英文学会で行ったシンポジウム(「文学出身」英語教員が語る「近代的英語教育」への違和感 ― 大学の英文学教育は中高英語教員に何ができるのか )の流れをくむものであることを申し添えておきます(そのシンポジウムの報告と資料掲載はこちらをクリック)。





シンポジウム全体趣旨


今日英語 教育では実用技能の向上を目指した授業が多いが,高校生,大学生に,人生や人間の真実を思考させなくてよいのだろうか。そこで文学教材の意義を問い直したい。文学教材の扱い方次第では,英語の技能向上にも寄与しつつ,学習者が自己拡大を感じることで積極的な学習姿勢の構築,動機づけ,が可能になるのではないか。これらの点を中心に,高校,大学での実践,英文学,英語教育の連携,を探るべく五人の論者で発表を行う。





文学的な「声」の力で「からだ」と内界を取り戻す
―からだ・こころ・あたま と 外界・内界をつなぐことば―
柳瀬陽介 (広島大学)


要旨:ことばは、人間の「からだ」(非意識・無意識)、「こころ」(中核意識)、「あたま」(拡張意識)の間をつなぎ、さらに人間を外界にも内界にもつなぐ媒体である。だが、資本主義的発想が支配的な現代社会では、「からだ」と内的世界は抑圧されがちである。言語教育は、からだにも内界にもことばの通路を拓く必要がある。広義の文学的教材(歌)を実際の「声」で学習者の「からだ」にも直接訴えかける授業を本発表は提案する。

キーワード:身体論、意識論、歌の使用、マルクス、ユング、ダマシオ、エンデ



1 近代社会とは
近代社会を根底的に規定しているのはやはり資本主義的生活様式であろうが、そこでは「質」が軽視され万事が「量」で測られようとする(マルクス)。加えて西洋合理主義(「客観主義」)は、人間の「割り切れない」 (irrational) 部分を切り捨て、可視的・可触的で数量化可能な外界ばかりに人間の目を向けさせる。結果、人間の内界(異なる現実の想像・過去想起・未来空想など)は社会に抑圧される(ユング)。学校もますますグローバル資本主義体制への対応のための準備機関とみなされている。不登校・無気力や、いじめあるいは親による虐待なども近代社会の歪みの忠実な反映なのかもしれない。

2 英語教育の課題
そういった現状を踏まえ、ことばの教育としての英語教育は何をするべきか。まずはことばの本質を再認識しておきたい。ダマシオの神経科学的意識論の枠組(非意識・中核意識・拡張意識)を、日常語に翻訳するなら「からだ」・「こころ」・「あたま」と表現できるだろう。ことばは、「からだ」の内から生まれた情動 (emotion) が感じられ「こころ」となったところに、コミュニケーションを通じて他者から与えられるものである。「あたま」は、そのことばを整理はするものの、ことばの根源は「からだ」であり「こころ」である。人間のことばは、「からだ」・「こころ」・「あたま」をつなぎ、それらの中を自由に行き来することにより十全な働きを示す。

またことばは、エンデの『はてしない物語』が端的に示すように、外界と内界の間の往復を可能にする媒体でもある。エンデにしたがうなら、人間は内界への旅を失った時に活力を失い、外界への帰還を怠った時に生存の可能性を大きく損なう。

だが現代の英語教育は、非意識(無意識)的な「からだ」を抑圧し、身体を単に意識で操作・制御しなければならない対象としてしか捉えない。また「実用英語」の名の下に、外界に関する英語ならおよそ浅薄な内容でも称揚し、内界に関する英語(文学はその典型である)ならどんなに深い内容でも軽視しようとする。英語教育は現代社会の歪みを反映し、「からだ」と内界を抑圧し、英語ということばを「あたま」と外界だけの記号としてしまっている。結果、「こころ」は引き裂かれ、統合的存在としての人間が本来備えているやる気が損なわれてしまう。英語教育は「からだ」と内界を取り戻さなければならない。

3 英語の歌の可能性
本発表では、学習者の「からだ」に直接的に訴えかけ、内界への旅を誘う文学的な内容をもった歌 (Nick Cave and the Bad Seeds Wonderful Life)を使った実践の可能性について提案する。こういった歌は、現代社会の歪みをとりわけ鋭敏に感じている学習者にとってのよい教材となるかもしれない。




歌詞はこちらに掲載されていますが、私としては特に以下の部分を使うつもりです。


Come on, admit it, babe
It's a wonderful life
If you can find it
If you can find it
If you can find it
It's a wonderful life that you bring
Ooh it's a wonderful thing




注:ただし、流れによっては、The BeatlesのShe's leaving homeを題材に使うかもしれません。




その際は、発問例として以下などをあげます。発問のねらいは、イメージを喚起することによって、歌詞をメロディー・伴奏と共に味わうことです。

英語教育実践では歌うことが最後に付け加えられることが多いですが、私は感情を豊かに(そして繊細に)込めて歌うのは難しいと思うので、その時間があれば何度も歌を聞いて、イメージをより具体的に自分の心のなかに浮かべることの方が大切だと思っています。

もし、さらに時間があれば、歌詞を感情を込めて(歌うのではなく)朗読することや、自分で納得できる日本語に翻訳する活動を加えたいと思います。

設問:以下の質問に、あなたの自由なイメージで答えてください(正解はありません)。同時に可能な限り、そのイメージが出てきた基盤(歌詞の他の部分や自分が知っているエピソードなど)も一緒に提示してみてください。
(1) 彼女はどんな表情だろう(どんな女性だろう)。
(2) なぜ “the note that she hoped would say more” を残したのだろう。そこには何と書かれていただろう。
(3) ハンカチの描写からあなたは何を感じるだろうか。
(4) 彼女の両親はどんな人だろう。
(5) 彼女はこれまで家でどんなように暮らしていたのだろう。
(6) 彼女の父親と母親をもっと具体的にイメージしてみよう。
(7) 母親はどのように手紙を読んだのだろう。
(8) 母親はどのように “breaks down” したのだろう。
(9) 父親はどんな対応をしただろう。
(10) この “We”とは誰が言っているのだろうか。( “We”が本当に意味しているのは誰のことだろう)
(11) 金曜の朝、彼女はどんな表情だろう。
(12) 「男」とはどんな男性だろう(信頼できそうだろうか?)
(13) “What we did” “it”とは具体的にどんなことだったのだろう。
(14) 二つの“fun”とは具体的になんだろう。なぜ “joy”ではないのだろう。


参考文献 M.エンデ (1982) 『はてしない物語』岩波書店
A.ダマシオ (2013) 『自己が心にやってくる』早川書房
K.マルクス (2011) 『資本論 第1巻1』日経BP社
C.G.ユング (1987) 『タイプ論』みすず書房


※ 本発表は科研(課題番号24520622)の一部である。

付記:この発表のための関連記事には次のようなものがあります。
C.G.ユング著、松代洋一訳 (1996) 『創造する無意識』平凡社ライブラリー
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/02/cg-1996.html
C.G.ユング著、松代洋一・渡辺学訳 (1995) 『自我と無意識』第三文明社
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/02/cg-1995.html







高校英語における文学実践
―“ことばと出合う”高校生のための英詩入門講義―
和田玲 (順天中学高等学校(東京)・英語科教諭)

要旨:感動のある学びほど生徒のモチベーションを高めるものはない。教室における感動の引き出し方には様々なやり方があるが、言葉の学びを通じて生徒の心を主体的な学びへと掻き立てる一番の原動力は「知的好奇心」にある。文学教材を用いた実践にはその可能性がある。そこで、高3生のクラスで大学入試問題の解説から英詩を鑑賞する授業を試みた。教室のムードや生徒たちの反応などにも触れながら、一連の指導手順をご紹介したい。

キーワード:  高校、英詩入門,大学入試、知的好奇心、主体的学び、アクティブな授業



1 言葉の教育はこれでいいのか?(問題意識)
私は高校で英語を教えている。近年、高校英語の現場では英語運用能力の向上がしきりに求められている。それに伴い、高校英語の教室は急速にトレーニング重視の授業スタイルが目立つようになり、音読・暗唱・暗写といった機械的なトレーニングが重視されている。また、そこから得られた表現を用いて単元の目的となる表現活動をこなすことができれば、何とか今どきの授業は出来ていると思われがちである。しかし、生徒はそうした授業のあり方に心からのめり込み、これに喜びを感じているのだろうか。ここから自立的学習者は本当に生まれるのだろうか。言葉を学ぶとは、単に「覚えて使う」の機械的な繰り返しであってよいのだろうか。学習者の「モチベーション向上」という点においては疑問を感じない訳にはいかない。また「教育」(生徒の自己拡大)という点においても同様である。

2 知的好奇心を引き出す教材と指導手順(提案
モチベーションの観点からも教育の観点からも有意味な授業をしたいという願いは全ての教師に共通する。一方、生徒の中には、教師から知的好奇心を触発され、発見的な学びへと誘われることを期待している者も少なくない。だが、同時に高校生は現金な存在でもある。従って、なるべく彼らのニーズから逸脱しないやり方で我々が目指すゴールへと手引きする方法を考えなくてはならない。そこで、私はよく高三生には「大学入試問題から世界を拓く」という手法をとる。まずは知的な疑問を見出すことのできる入試問題を導入教材として提示する。そうした良問は意外なほど多くある。そそれらをうまく活用して、生徒の知的好奇心を掻き立てつつ、新たな発見へと導いていくのである。文学との出合いは、彼らにとって発見的学びの一つとなる。

3 高校生のための英詩入門(実践例)
多くの生徒が非常に積極的に取り組んでくれた「英詩の入門講義」の指導手順を簡単に紹介する。
①カミングスの詩を引用した大学入試問題(読解)
②カミングスの詩を読み解く(ディスカッション)
③詩の入門講義(松尾芭蕉と三好達治を使って)
④英詩朗読コンテスト(ブレイクを使って)
⑤英詩読解にチャレンジ(現代詩を使って)
⑥英詩作りにチャレンジ(5行詩の発表)
⑦大阪大学の読解問題にチャレンジ(詩論)


4 まとめ
 生徒は授業中、絶えず【①疑問もち、②興味を持ち、③推論し、④議論し、⑤発見し、⑥チャレンジし、⑦達成する】を繰り返すことで、終始アクティブに取り組んだ。授業後、他の詩も紹介してほしいという者や自分の好きな詩を紹介してくれる者もいた。言葉と出合うことを通じて、世界を拓いた瞬間とも言えよう。

引用・参考文献
奥井潔 (1979) 「ウイリアム・ブレイク:『恋の秘密』について」白山英米文学 No.4 東洋大学文学部紀要第32集
和田玲 (2010)『論理を読み解く英語リーディング』アルク、pp.272-282







学習者を夢中にさせる教材と活動例
―文学教材を用いた総合的リーディング授業実践報告―
関戸冬彦(立教大学全学共通カリキュラム)


要旨:リーディングの授業をより活性化させるためにはどのような方法や要因があるだろうか?教え方,教材,教員自身の個性や魅力,もちろんこれらのどれかひとつと限定できるものではない。しかし,学習者自らが読みたいと思い,かつ読んでいるうちに自分自身のことをも考えることのできる読み物であれば,それは対象言語を学習するといった枠を飛び越え,人生を考えるヒントにもなる。そうした教材を実際の活動例と共にご紹介したい。

キーワード: 文学,リーディング, 学習者, 教材,活動例



1 リーディング授業をめぐって
大学のリーディング授業では通例90分を15回ないし30回行う。オーソドックスなやり方としては大学生向け教科書を選定し,それらを1授業に1ユニットのペースで行い,訳や練習問題などを行い,学期末にテストを行う,で完結するというものであろう。中には多読的要素を取り入れ,リーディングマラソンのような活動と併用している場合もあるかもしれない。いずれにしても,自分が担当している学習者たちがそのリーディング教材に対してどのような思いを抱いているのか,またどれほど積極的に読もうとしているか,学習者の内側から学習を眺めることは,教育に欠かせない重要なポイントである。

2 具体的教材の紹介,提案
 そうした際,どのような教材であれば学習者に積極的な読みを促し,同時に英語に対する感覚を養わせ,ひいては読んでいる最中,あるいは読んだ後に何がしかの反応を心の中に呼び起こせるか,ということを考える必要がある。その一例として,本発表ではアメリカの作家,J.D.サリンジャーが書いたThe Catcher in the Ryeを用いた授業を紹介する。この小説は主人公の少年,ホールデン・コールフィールドの心の葛藤,子どもと大人との狭間で揺れ動く感情を追うといった内容だけに留まらず,ジョン・レノン殺害の犯人の愛読書であったことなど含め,学習者に多方面からの興味と関心を呼び起こす要素を孕んでいる。また,授業で扱うことで最終的には英語の本を最後まで読めたという達成感をも与えることにもなる。

3 実際の活動例 
とはいえ,そこまで至らしめるにはただ読めと本を与えるだけ,もしくは教室にて一文一文あてて訳させるだけ,というやり方では難しい。学習者が途中で挫折しないように,いやむしろ積極的に読むようにするためには活動の上での工夫が不可欠である。本発表では上級者向けの場合と中級者向けの2つの異なるペダゴギーを提案する。具体的な活動内容としては,英語による要約作成,各チャプターに対する質問の作成,またペアワークによる答え合わせ,チェックなど,英語の本を読むだけでなく,読んだ後に言語を駆使する活動を多く取り入れることを基本にしている。つまり,あくまで英語学習の授業であって文学作品を解説するためだけの授業ではないという点を留意しておきたい。なお,この授業は,動機づけ,情緒的発達ならびに英語力向上に有益であることが,学期末に行ったアンケート等から確認できる。

4 まとめ
  文学は人生における日常の身近な問題を題材としている。その身近さゆえに学習者は共感し,やる気を高め,英語力向上へと繋がっていくのである。

引用・参考文献
Salinger, J.D. (1951) The Catcher in the Rye. New York: Little, Brown.







ペーパーバック・リーディングの導入
―「ティーン向け小説」を素材にした教育実践とその可能性について―
中垣恒太郎(大東文化大学)


要旨:ティーン向け小説を素材にしたペーパーバック・リーディングの導入により、物語を読み、物語を/について語る楽しみを通して、いかにして多様なスキルを学習者に伝達することが可能であるのだろうか。自立英語学習法としての役割・意義についても意識しつつ、具体的な素材、手法を交えた授業実践の一例を提起することにより、ペーパーバック・リーディングの可能性(と現状の課題)を展望してみたい。

キーワード: ティーン小説、コンテクストを読む力、類推する力、物語る力、検索する力



1 物語を読み、物語を/について語る楽しみ
現在、大学の授業ではGraded Readers と称する、多読用の英語教材の導入が活発になされており、すでに一定の成果を挙げている。こうしたGraded Readersによる多読英語教育の成果を踏まえながら、本報告ではペーパーバックにより、物語を読む楽しさをいかに伝達できるかを具体的に展望してみたい。従来から英語に関心の高い学習者にとって、字幕なしで英語圏の映画を楽しんで鑑賞したい、ペーパーバックにより洋書を楽しんで読めるようになりたい、という願望・目標はよく示され、実際に実践されている。

しかしながら、Graded Readersにより、多読の経験を相当程度、積んできた者であっても、英語圏における一般向けの物語を実際に読みこなすまでには、大きなギャップに戸惑うであることが現状であろう。大学での英語教育の目標は現在、きわめて多様であるが、その一つとしていずれ学校での英語学習から自立して、英語に触れる「自立英語学習法」の道筋を示す役割がある。その中でGraded Readersから一歩進んだ、ペーパーバックによる物語を読む楽しさをいかにして伝達していくことができるかどうかを考えてみたい。本報告では広義の「文学」として「青春小説」を素材とすることを提案する。あるいは、「Graded Readers」から古典的な「文学」作品へと接続する間の段階と捉えてもいいだろう。加えて、アメリカにおいては、「YA(ヤングアダルト)小説/ティーン小説」はティーンネイジャーの文化の中で大きな役割をはたしてきており、十代の学校生活を異文化比較の観点から考察していくことも主要な眼目の一つとなる。

2 そもそも物語を素材とすることの有効性とは?
 これまでにおいても、英語教育に文学の素材を導入することの意義について改めて指摘されてきているように、英語を学習していく上で、物語を読み、物語について語り、さらに自身が物語る上で、ストーリーテリングの手法を通して、物語から多くを学ぶことができる。また、物語がいつ、どのような状況で語られているのかを常に意識することによって、「コンテクストを読む力」を養うことも重要であり、様々に「類推・推測する力」を身に着けていくことも期待される。現在はインターネットによる検索エンジンが発達しているが、「検索するスキル」は意外なほどまでに伴っていないのが現状ではないか。物語を楽しむ上で、有効な固有名詞を検索する勘所をつかむことも、ペーパーバック・リーディングの主要な観点となるだろう。

中でも「YA小説」は大学での学習者にとって身近な素材であり、物語を読み、物語について語り、さらに自らの物語を語る有効な素材となるのではないか。主教材・副教材としての、ワークシートの導入などを含めた実践例(Ann Brashares, The Sisterhood of the Traveling Pants, 2001)などを挙げ、フロアの方々をも交えた情報交換を期待したい。「ティーン・フィルム」と称される映画翻案作品との連動も有効であろう。

参考文献
佐藤まりあ『読みながら英語力がつくやさしい洋書ガイド』(コスモピア、2013)。
水野邦太郎監修『大学生になったら洋書を読もう―楽しみながら英語力アップ!』(アルク、2010)。 
渡辺由佳里『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア、2013)。
『英語教育』「特集・英語教育に文学を」(2004年10月増刊号)。








英語圏文学の使い方
―「生きる喜び」を感じる英語授業―
鈴木章能(甲南女子大学文学部)




1 生きる喜びのない学校生活
ユニセフが調査した「先進国における子どもの幸せ」によると,日本が他国と大きく異なる点が一つある。それは学校の中で存在価値がないといった社会的排除の主観的認識が他国に比べて圧倒的に高い点である。次点の国の約3倍もある。学校は生徒学生にとって生活の大半を過ごす場であるため,彼らの多くは生きる喜びを感じられない人生を送っていることになる。これでは授業も面白くなくなる。学びのモチベーション向上には社会的排除の主観的認識をまず軽減せねばならない。教室の中で他者との関係を生き(言語の役割),互いに共感理解し,個々が自分の存在価値を認識し,生きる喜びを感じられるような授業が必要である。

2 生きる喜びを見出せる教材とタスク
上記の授業の実現には,情緒に訴え,生きる喜びが見出せる人間模様が描かれた,繰り返し読むに足る名文名著を教材にするのが有効であろう。但し,英文を読むことが自己目的化し,読解力を数値化するための事実発問が繰り返されるだけでは読む喜びや読解力自体が低下する。本来,テクストは脱構築で構成されており,その意味で言語は「文学的」なのだから。事実発問と評価・推論発問をバランスよく混ぜ,教室内での交流はもちろん,英文を読むこと自体が他者との関係に生きること,また他者との関係に生きることが社会的排除の主観的認識の軽減となる工夫が必要である。

3 文字通りの「文学」作品を用いた実践例
例えば,Oヘンリーの「賢者の贈り物」を用い,そこに書かれた人間の素晴らしい点を事実発問にし,それを基に,教室内の他者の長所を見つけさせ,英語で褒めあうという頂上タスクを設ける。実際,この授業を行うか否かで学習者の学びに大きな差が出た。行ったクラスでは学習者同士の絆や発表への意欲が強まり,予習率は100%になり,「授業に出ることが楽しい」という回答も全員から得た。その後,サマーセットモームの「政略結婚」を用いると,学習者たちは「幸せとは期待しないこと」というテーゼについて,褒めあった経験を礎に活発な議論をした。また,別の文学作品で人間の愚かさを事実発問にし,推論発問として,愚かな行いをする人を主観的に峻別する代わりに,他者の内的な論理や情緒に沿って考えるというロジャーズ的な共感的理解を行わせると,素直な自己批判も出た。

4 まとめ―生きる喜び・生き直しを起点に
 様々な人間の本音や理想,生き方が書かれた「文学的」英文を読み,他者との関係を生きる頂上タスクを工夫することで社会的排除の主観的認識は軽減され,英語学習のモチベーションが向上すると考えられる。

引用・参考文献
Damasio, A. R. (2005) Descartes’ error: Emotion, reason, and the human brain. NY: Penguin.
De Man, P. (1982) Allegories of reading. NH: Yale UP.
生き方が見える高校英語授業改革プロジェクト(http://www.ecrproject.com).2013.11.18アクセス.
桑村テレサ(近刊)「生き方が見えてくる英語授業―ジャック・ラカンの理論から考える―」『片平』49.
UNICEFイノチェンティ研究所 (2010)「『Report Card 7』研究報告書 先進国における子どもの幸せ―生活と福祉の総合的評価―」国立教育政策研究所・国際研究・協力部.


※本研究はJSPS科研費23531265, 25370672の助成を受けたものである。















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