2011年3月19日土曜日

英語授業を具体的に分析し、自省する:学生さんのレポートから

授業を具体的に分析し、自省する:学生さんのレポートから



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(このシリーズは、「言語コミュニケーション力論と英語授業」で提出された学部3年生のレポートの中から私が個人的に興味深かったものをここで紹介するものです。紹介する文章は基本的にすべて原文で私は(ブログ掲載のための改行増加を除き)手を入れていません。)


YRさんとHAさんはやや具体的に英語授業を分析してくれました。YRさんは、蒔田守先生、田尻悟郎先生、和田玲先生の実践を彼女なりに分析し、その三人に共通するのは、①一貫した、長いスパンでの目標設定、②生徒のモチベーションをあげるための工夫、③教師と生徒の信頼関係、だと考えました。彼女の分析をお読みください。




優れた授業実践の分析と考察


YR



1. はじめに

昨今の英語教育では、文法訳読重視の所謂古いタイプの授業から、よりコミュニカティブな授業が求められるようになってきている。しかし日本語と英語のバランスをいかに保つのか、何をどのように指導すればよいのか、ということははっきりとは示されていない。自分自身も、昨年の教育実習の中で最も悩んだのは、生徒に学ばせたい内容をどのように(どんな方法で)教えればよいのか、ということである。大学においても様々な理論や文学について勉強できるものの、具体的な細かい指導法に関してはあまり詳しく授業の中で学ぶ機会は正直なところあまりない。

そこで本レポートでは、自分が将来教師を目指すにあたり、少しでも理想的な授業スタイルについて考えるためにも、授業で見た実践のような、授業力を高く評価されているような先生方の授業実践について自分なりの分析を行い、それに考察を加えていきたい。このレポートにおいては特に、蒔田守先生、田尻悟郎先生、そして先日講義を受けさせていただいた和田玲先生の実践について考えていきたい。


2. 実践分析

2.1. 蒔田守先生

まずは初めに蒔田実践についての分析を行いたい。

授業においては、中学段階の3年間を通して、英語学習初期段階から、聞き手を意識したSpeakingへ発展させるための授業の実践を見た。3年間の各段階における実践内容をまとめると、1年生段階では教師があらかじめ持つ音声学等の知識を駆使しながら英語の基本的な音声知識を徹底的に指導し、生徒に英語らしい発音を身につけさせる。詳しい流れは以下の通りである。


(1)口頭で単語の確認(発音、リンキング、ストレスなどの指導も)

(2)リズム音読

(3)教科書CDリスニング

(4)T→Ssリピート

(5)リズムに合わせてリピート

(6)音読×3回→指名された生徒音読

(7)BGM音読


2年生段階においては教科書の文章の内容を、ただつらつらと音読するのではなくそれに適したBGMを流しながら他の生徒に向かって読む練習を重ねることによって聞き手を意識しながら読むことを意識させる。そして先の2年を経験したのち3年生段階においては、生徒一人ひとりが自分の読み方のスタイルを確立し、与えられた(教科書の)文章を、意味を立ち上げながら聞き手に語りかけていた。

(本講義の)で振り返りでも多くあったように、蒔田実践では3年間での一貫した目標実践が際立って優れていたように思う。「音声・文法ルール→読み手の意識→自己流スタイルの確立」と、Widdowsonの言葉を借りるならば、objectを一つずつ達成していくことでaimへと近づいていくプロセスが組み立てられていた。筑波大学附属中で指導されているということなので、生徒がもともと持っている潜在能力ももちろん関係しているとは思うが、基礎からの積み重ねが丁寧にされていることで、3年時での生徒の英語は、学習段階から習得段階にかなり発展していた。

2.2. 田尻悟郎先生

次に田尻実践についての分析を行いたい。田尻実践の特徴として、特に私が感じたのは生徒の心の部分への配慮が細かいということである。授業で見たプロフェッショナルのDVD
は編集の効果も多少あると考えうるが、各場面において各生徒に、的確なタイミングで指導を行っていた。

以前履修した教職系の授業において、「授業(教科指導)は生徒指導をするための絶好の機会だ」という話をきいたことがある。その内容として、私たちは教科指導を通して生徒に学力だけでなく、社会人としての資質を身につけさせる必要があるということであった。田尻実践はまさにそれにかなったものであり、あの短いDVDの中でもそれぞれの生徒の内面の揺れ、そして自己成長が垣間見ることができた。そしてその根底にあるものとは、やはり田尻先生と生徒たちの信頼関係である。そのような信頼関係を築くためには、授業だけでなくそれ以外の時間の中でも積極的に生徒を知ろうとする姿勢が求められると思う。DVDの中にも、田尻先生と男子生徒が休み時間にじゃれあう光景が写っていた。

日本英語検定協会のホームページ(http://www.eiken.or.jp/eikentimes/lounge/200805.html)に、田尻先生が自身の実践についてのインタビューに答えているものがあった。そこでも述べられているように、田尻先生は過去の教師生活において挫折・失敗や他の教師からの刺激を経て、今の、教師としてのスタイルを確立された。生徒が学びたいこと、生徒が学習の末できるようになること(これもaimとして捉えることが可能かもしれない)を提示していくことで、生徒にやる気を失わせないようにされている。

 英語教育に携わる人の中には、近年の中学校の授業ではゲーム性に力を入れたアクティビティーにこだわりすぎて中身がないというような意見もあると聞く。しかし、田尻実践の中ではアクティビティーというよりも、一つひとつの学習活動にゲーム性を持たせることで、生徒に勉強事態が楽しいと思わせていた。優れた実践を見ると、生徒が楽しむことこそが最優先だという風に考えてしまうこともあるが、生徒が楽しんでいるのはなぜなのかということをまず考える必要があると思う。

2.3. 和田玲先生

 最後に和田玲先生の実践についても分析したい。和田先生の実践の中では、高校の授業ではあまり徹底的にやられることのない音読に力を入れた実践が行われていた。この実践の中でも「ただ読む」ことからの発展を目指すために様々な工夫が見られた。
 
 まず大前提として、和田先生の授業では、生徒は家で予習をしてくる必要はない。授業の流れを追っていくと、以下のようになる。(ただし残念ながらこれは実践の中のほんの一部である。各段階において、生徒の学習状況を把握するために、終わったら机をたたくなど音や動作で示させるという工夫があった)
 

①いくつかの単語を教師が板書し、それを生徒が二人組で交互に英語で説明しあう。(その単語選択にもちゃんとした意図があり、教科書の新出単語やその内容に関するもの)

②フィードバックとして意味だけでなくcollocationや類義語等を提示する。(生徒に自然な形で知識を与えている)

③単語の意味を覚えていかペアで口頭でテスト

④単語(熟語)群からその日の教科内容を推測する。 (生徒の答えの中で面白いものやほぼ正解に近いものを紹介させる)

⑤教科書の内容をCDで聞かせ、与えた質問への答えを書かせる。(英語の苦手な生徒にも解けるもの、得意な生徒の腕試しとなるものと、難易度に段階あり)

⑥2回リスニングしたのち初めて教科書を開かせる→黙読 (この際に文章の訳も与える)

⑦段階づけた音読を繰り返していく (だんだんとCDの速度についていけるようにゲーム性を利用して読む速度をあげている)

⑧最終的にCDよりも速く読めるようになる

⑨もう一度CDを聞いてみる

 (始めに比べかなりゆっくりと聞こえるように感じる)

 
先に述べたように上に挙げた行程は授業の一部にすぎないが、約1時間という短時間においても「できた感」があり、生徒は少なからず自分の伸びを感じることができる。何度も何度も音読というアウトプットを繰り返す中で自分の中に内容が定着していくのであるが、タスクにおける負荷も徐々に大きくなっていくため生徒は飽きることなく音読を繰り返す。

また、この授業を受けた後に生徒は各自家で復習をしてくることが求められる。内容としては、①教科書CDをディクテーション②和訳③音読(最低20回)④フリースペース(感想などを書く)である。このように授業の内外において徹底的にインプット(主にリスニング)とアウトプットを繰り返すことによって内容の定着とともに英語表現が自然と生徒の中に残っていく。生徒のフリースペースでのコメントにも見られたように、この授業を終えたのちに生徒たちは自分の伸びを確信している。そしてそのことにより更なる英語学習へと動機づけられ、自ら英語力を伸ばしていく。生徒にとってはつまらない作業である音読を、いかに工夫していみづけることができるのか。単に構文を教えて実力を伸ばすのではなく、いかにして言葉のリアリティと生徒を出会わせることができるのか。


3. 考察

 上に挙げた3つの実践の中で共通していることは果たして何なのか。自分なりに共通点を考察してみた。
 

①一貫した、長いスパンでの目標設定

②生徒のモチベーションをあげるための工夫

③教師と生徒の信頼関係


まず①に関して言うと、どの実践においても教師側に明確な目標設定がされていた。また、それが明確であるがゆえに生徒もそれを読み取り、教師に従っていた。たとえ1時間ずつの各授業の目標設定が上手くいったとしても、毎回ばらばらであれば結局一回限りの実践で終わってしまう。一貫した指導を根気良く続けていくことによって生徒の真の学力をみることができる。

次に②に関して言うと、どの授業も生徒に達成感や上達感覚を味わわせることによって、生徒がもっと学習したいと前向きに感じられるような工夫が多くあった。和田実践においては、英語の苦手な生徒にも解ける問題の設定や、彼らの活躍できる場面を授業の中においておくことによって全員参加のできる授業づくりがなされていた。田尻実践においてもゲームで生徒同士を競わせることによって、ライバルに負けたくないという思いが生徒をかりたてていた。

最後に③の教師生徒間の信頼関係について述べたい。これは、英語教師に限らず全教師にとって最も大切なことである。信頼関係なくしてコミュニケーションなど成立するはずもなく、授業がうまくいくはずもない。授業を行うためには、生徒と教師のインタラクションは欠かせない。また生徒が教師を信頼することができなければ、いくら優れた実践を行うことができたとしても学力伸長の方ははたしてどうだろうか。田尻先生がDVDの中で告白していたように、教師へのネガティブな感情が学習の動機づけとなってしまったとして、彼らのその後にとって何の役に立つことがあるだろうか。生徒に媚びてしまってもいけないが、生徒と適切な距離を保ちながら良好な信頼関係を築くことができれば、英語の授業で教えるべき「コミュニケーション」が何なのかということも生徒は自ずと理解できるのではないだろうか。


4. 最後に

 これまで授業の後半で、いくつかの授業実践を見てきた。そして市場にも様々な優れた実践例を集めたDVDが出回っている。我々一人ひとりの教師に求められるのは、その実践をただまねて何となく「それなりの形」をした授業を行うことではなく、それらから自分にとって、自分の生徒にとって必要な情報・技術を学び、自分の授業実践に活かしていくことである。
 
 まだまだ実践経験も少ないため、考察で挙げたような①②③のポイントについてすぐさま応用をすることはできないが、それらを意識することで自分の授業スタイルを確立することができるのではと思う。







HAさんは、アレントを枠組みとして、自らの教育実習授業を振り返り、特に内容理解・朗読指導について考察しました。英語教育界はここ10年ぐらい音読が盛んになりましたが、音読を質的に高めた「朗読」については、まだまだ発展の余地があります。彼女の考察をお読みください。



自分の授業を見つめなおす
~アレント哲学「活動」の観点から~



HA


1.はじめに

この授業を通して何人かの学者の理論、コミュニケーションの持つさまざまな側面を学ぶことができた。9,10月に教育実習を終えたばかりの私たちにとっては自分の授業を客観的に見直す良い機会となった。

教育実習では、与えられた範囲を与えられた時間内に終わらすことが求められていたので、どうしても技術的なことにばかり気を配って、目標と活動が結び付いているか、ということにとらわれてしまっていた。実際、私が受けてきた英語授業も受験対策であったり、教科書ありきのものだったので、中・高時代は英語を言語として捉えるのではなく、暗記の教科というイメージが強かった。

そんな経験を何とかして撃ち破ろうとはやりの「コミュ二カティブ」という言葉に見合う授業を作ろうと意識していた。しかし実際授業を行ってみて得た感覚は自分が予想していたコミュニカティブなものではなく、生徒が押しつけられて教育実習生に付き合ってあげているというものであった。

その後この授業を受けてみて、自分の授業がいかに押しつけのものであったか、理論的に通用しないものであったかを痛感した。そのなかでも、アレント哲学の『『人間の条件』』の中の「行動的生活」に沿った田尻先生の授業の分析がとても興味深く、英語授業もやり方によっては「制作」ではなく、「活動」になり、より人間的なものになりうるということを感じた。そこで私が実際に教育実習で行った一授業を見直し、「活動」という観点から、英語の特性を生かし、生徒の人間らしさが見えてくる授業にするにはどのように改善することができるのかを考察する。


2.今回改作する授業案について

 2.1 実際の授業案
 
今回見直す授業の単元は、New Horizon 2 (東京書籍) Unit 6 ‘The story of Silent Night’ の第4時限であり、次の時間の朗読発表会につなげること、つまり強弱や抑揚をつけて英文を朗読することを目標とした授業である。(付録の単元計画参照)

 2.2 授業の流れ・内容
 
 まず、授業の前半はこのパートの新出文法である動名詞の導入を行う。その後、進出単語、本文へと移る。朗読をすることが目標なので、本文の内容理解はピクチャーカード4枚を使いながら、日本語訳を配布して素早く行った。その後本文を3つのシーンに分けて確認する。朗読のための指導は、教師が生徒に強く読む箇所に○を付けさせて練習させた。


3. アレント哲学

 3.1 「活動」とは
 
 今回取り扱うアレント哲学では人間の生活を「行動的生活」と「静観的生活」の2種類に分けた。アレントは『人間の条件』の中では「行動的生活」を扱い、「労働」「制作」「活動」の3つが大きな営みだと考えた。彼女の言う「活動」とは物の介在なしに、いろんな人間の中で自分らしさを表現することである。たいていの活動は、語り(speech)によって行なわれ、言語によって、私たちは相互の行為を理解するといってよいだろう。自己開示の場である「活動」には活力(power)が伴うもので、人間は本来、活力に満ち溢れた世界を望んでいる。
 
 3.2 英語授業の中の「活動」
 
 よい英語授業を見てみると、①複数性、②自己主張の場、③英語で自分の存在感を確立する、という「活動」の3つの条件が満たされていることが多い。
 
 最近の英語の授業は、「制作」的な面ばかりが注目され、テスト結果という生産物を生成することに重点が置かれがちである。もちろん英語の授業にはこの「制作」というものは欠かせない。しかし、授業が「制作」にばかり偏ってしまうと、それは人間的ではなく、機械的で無味なものになってしまう。また、教室には多様な生徒が存在するのに、個人差や個性を無視した授業展開となってしまう。
 
 そこで授業を活性化し、人間の営みらしくするためには「活動」が欠かせない。複数性が成立しているからこそ、そこには語りが生まれる。言語を扱い、言葉を通して自分の考えを述べ、仲間の意見に耳を傾ける。英語で自己主張するということは、自分の存在感を確立するために英語を使うということである。このように言語、コミュニケーションを教える教科である英語の授業において「活動」というのは本来切っても切り離せないはずである。


4.「活動」の観点からの授業分析

 「活動」の観点から見た授業の問題点を挙げる。今回は文法導入の部分についての見直しは省略し、内容理解・朗読指導の部分を見直す。
 

①生徒が物語に対するイメージを膨らませる時間を与えずに教師の解釈を押しつけている。

②登場人物の気持ちに同化する時間、指示がない。

③教師が朗読のポイント(強弱・抑揚)を明確に指示している。

④班での練習はただお互い聞きあうだけで、アドバイスを与え、改善し合うという意識がない。

⑤自分が物語に対して描いたイメージや朗読のイメージを仲間と共有する時間がない。

⑥次の時間にはそれぞれの持った物語の印象を「語り」として朗読するという意識がない。


大きく分けてこれら6点について改善できる方法を考えていきたい。


5.改善策

問題点①~⑥についてそれぞれ改善策を考える。今回は時間的な問題は扱わないこととする。

 5.1 問題点①について
 
 時間上の問題もあったが、生徒に日本語訳を配り、それを読むだけで物語の内容理解を終えてしまった。また教師がそれぞれの場面のピクチャーカードを見せながら時間に沿って物語を確認したため、すべての生徒の物語に対するイメージが似たものになってしまったかもしれない。
 
 これに対する改善策としては教師がピクチャーカードを見せるのではなく、それぞれの生徒に自ら何コマかの絵で物語を表し、1~2文でその絵を表現させるということができただろう。生徒1人ひとり物語の捉え方は違って当たり前なので、書いている絵のシーンや文も違ってくるが、それを仲間と共有し合うことで物語を読む面白さを感じることができるのではないか。実際に家庭教師の生徒2人にこれをやってもらうと、いつもは英語が嫌いで興味を示さない生徒が、なぜ自分はそのシーンの絵を書いたのかを熱心に友達に伝えていて、内容理解のいつもに比べてとても早かった。教師に押しつけられるのではなく、自ら内容を理解し、それを誰かに伝えるという活動が活気をもたらしたのではないだろうか。
 
 5.2 問題点②について

 私の授業においては物語の主人公、ヨセフとフランツの気持ちの変化や関係を考える時間が全くなかった。朗読を行ったパートの多くは2人の台詞で成り立っているので、朗読の強弱や抑揚には2人の心情の変化が大きく関係しているはずである。そこで2人の心情を確認するために、「ヨセフとフランツの心情変化グラフ」というものを提案したい。(グラフ1参照)


<グラフ1は省略します>


このように主人公の心情の変化をシーンごとに分けて捉えていくことで心情に合わせた朗読をすることができる。強弱・抑揚などはこのグラフと直結するところがあるだろう。このグラフも個人によって差が出てくる。グラフの個人差が物語の捉え方の差、さらには朗読の仕方の差につながり、「自分が感じたように読む」ということにつながるのではないだろうか。

5.3 問題点③について

教師が強弱・抑揚のポイントを生徒の意見を聞くことなく、○を付けるという形で押しつけてしまっている。教師が言ったとおりに朗読しさえすればOK、全く自分で考えることも要求されず、他の生徒の朗読との違いもないので、聞いていておもしろくない。これが最後の朗読発表会をつまらないものでしてしまった1番の原因でもあるだろう。

これを改善するためには、5.2で挙げたように主人公の心情をそれぞれが捉え、それに沿って朗読することもできるだろう。また、主人公の性格をいくつか設定し、それに合うように朗読するには?という投げかけを行うことでバラエティに富んだ個性が出る朗読ができるのではないだろうか。教室という違ったもの同士が集まった空間で全員に同じことを同じようにさせようとすると、つまらないものになってしまう。違っているならその違いを最大限に引き出して自己表現の場として教室を利用するほうが活力が生まれ、授業が生き生きとしたものになるだろう。

5.4 問題点④について

「語り」として相手に自分の朗読を聞いてもらうという意識を生徒に持たせなくてはならない。今、授業においてペア音読やグループ音読などがよく取り入れられるが、機械的なものとなってしまっていて、個人で読むこととなんら変わりがないこともよくある。

相手がいる、聞き手がいるということを意識して読むことでそれは音からメッセージへと変わっていく。たとえ相手が内容を知っていたとしても、特に物語の場合には読み手によって聞き手の捉え方が大きく変わってくるだろう。読み手の意識の育成だけでなく、良い聞き手、よいアドバイザーを育てることもとても重要だろう。

5.5 問題点⑤について

5.1~4にあったように、個人の考えを深める時間を設け、それを共有する時間を大切することが活動につながる。複数性の中で言葉を通じて自己を表現することは中学生にとって簡単なことではない。しかし、それを経験することで集団としての自分の立ち位置を確立し、人との関わりの中で生きていく練習をすることができるだろう。

5.6 問題点⑥について

生徒たちは朗読を強制的にやらされているという感覚を持っていただろう。自分が物語を読んでみて感じたように読むということがなかったので、そこに「語り」の側面を見いだせなかったのだと思う。私自身生徒に朗読するときに「語り」として読んでいただろうか、と考えると少し疑問である。

やはりまずは教師が自分の中に物語に対する解釈を持つことが大事であると感じた。最後の朗読大会でみんなの前で読んで評価されるから、という理由で生徒たちは朗読を練習していたと思う。他の生徒の朗読がどのようなものであるか、自分の朗読を聞いてほしい、とわくわくして練習していた生徒が一体何人いただろうか。評価のためではなく、朗読発表会で自分を表現したいと生徒がおもえるような段階的な指導が必要である。


6.まとめ

 以上のように自分の授業を振り返ってみて、どんなに「活動」ということを意識せずに授業を作ってきたのかを痛感した。特に今回は朗読の授業ということで「活動」に焦点を当てやすいはずであったのにもかかわらず、私の授業には活動と呼べるものが1つも見当たらなかった。生徒がつまらなさそうにしていた理由はやはりそこにあったのだろう。
 
 「活動」ということにこだわって授業を見つめなおしてみて最も感じたことは、教室という複数性を持つ空間の中で自己表現することの重要性とそれが持つ力である。もちろんこれは英語以外の授業においても考えなければならないことであるし、重要な点ではあるが、英語は言語であり、自分を表現し、相手とコミュニケーションをとる手段の1つになりうるということを考えれば英語の授業において「活動」を意識的に取り入れることは意味のあることだろう。
 
 技術的な指導法によって生徒の英語力が伸びることももちろんあるし、教師自身そのような指導力を身につけなければならない。しかし、そればかりに気をとられてしまうと、表面上の意味のやりとりのコミュニケーションばかりに追い求めて、生徒が生きていく上で必要な本物のコミュニケーション力を身につけることを忘れてしまいかねない。英語は授業中の学び合いを通して生徒の自己存在感を確立し、自己主張する力を伸ばしていくことができる教科ではないだろうか。学校という場はいろんな子が集まって、それぞれがちがうからおもしろいということを教師がもっと意識して授業を組み立てていくことで教室が開かれた場となり、「活力」のあふれた空間になるだろう。
 
「活動」のある授業を考える時には生徒それぞれの個性や豊かな人間性を想像しながら構成することが生徒主体の授業を作るポイントのような気がする。私はまだ自分の生徒を持ったことがないので何とも言えないが、まずは教師が生徒をしっかり観察し、教室が開かれた場となりうるように感性豊かなアプローチを行っていくべきだと思う。英語の持つ力"Be yourself in English”を意識した生徒の個性や一人ひとりの考えを大事にできる授業作っていきたい。










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