2011年3月18日金曜日

この国難に際して、改めて西郷隆盛に学ぶ


日本赤十字社が東北関東大震災義援金を受け付けています
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html




【今回の災害でお亡くなりになった方々のご冥福を心よりお祈りします。ご遺族の皆様に心からのお悔やみを申し上げます。またご自宅などの多くを失った方々に心からのお見舞い申し上げます。加えていま避難所で苦難を覚えている方のためにお祈り申し上げます。地震も津波も原発もまだ予断を許しません。私たちがなしうることをすべてなしえますように。私は現在このような方針の下、ブログ活動をしています。】



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今回の災害が私たちに教えたことの一つは、「人は一人では生きてはゆけない」ということです。家族や友人だけでなく、近隣の人、行き交う人、組織で働く人、自治体に住む人、国民といった人々が互いに協力しなければ、人間の生活は成り立たず人心が荒廃してしまいます。そうなってしまえば、それは人間の社会ではありえません。

今、国のあり方が問われています。

以下は、幕末から明治の動乱の時期を生き抜き、敵味方を越えて多くの人々に思慕された西郷隆盛の書、『南洲翁遺訓』の原文(全文はここ)も掲載しながら、分かりやすく現代語訳を示し、その意を解説した松浦光修『[新訳]南洲翁遺訓』PHPの中から、印象的だった点をいくつか書いたものです。

ただし以下の現代語訳は松浦光修『[新訳]南洲翁遺訓』PHPの現代訳を参照しながら、この時節に合わせて私なりに日本語で再表現(意訳)したものです(もし間違いがあればご指摘ください)。ページ番号は最初が、松浦光修『[新訳]南洲翁遺訓』PHPの現代語訳が掲載されているページ番号、次が同書で原文が掲載されているページ番号を示します)。

この本のわかりやすい現代語訳と、著者(訳者)の丁寧で熱意ある解説を読めば、「西郷さん」という人がどのような人であったかということがわかると考えます。今、国をあげて浮き足立ち、右往左往している私たちには、一見遠回りに見えても西郷さんという人物に学ぶことが大切だと私は考えます。



■ 人々が節度や恥を失ってしまえば、どんな国も滅びてしまう

放射能被害やさらなる地震の可能性あるいは品物不足の不安に、今一部の人達は自分のことばかりを考えた行動を取り、国の救済と復興を邪魔し、結果的には国を没落させかねない過ちを犯しています。互いを思いやる心を忘れ「自分一人ぐらいが」と私利私欲に抑制をかけないと、その我欲はたちまちに伝播し、日本という国に取り返しのつかない事態を招きかねません。西郷隆盛はこう言います。


[拙訳] 人々が節度や恥を忘れてしまえば、国は成り立たない。これはどの国においても同じことである。もし上に立つ者が、その者に従う人々に対して、自分だけの利益を求めて大義を忘れたならば、人々は皆そのようになり、すぐに自分の財産や利益だけを求め、卑怯な守銭奴の心ばかりがはびこり、節度を忘れ恥を知る心という節操を忘れ、家族の間でも金のことで争い、互いに憎しみの眼で見るようになる。こうなってしまったら、どうやって国が成り立つというのだ。

[原文] 節義廉恥を失いて国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。上に立つ者、下に臨みて、利を争い義を忘るる時は、下皆之に倣い、人心忽(たちま)ち財利に趨(はし)り、卑吝の情日々に長じ、節義廉恥の志操を失い、父子兄弟の間も銭財を争い、相い讐視するに至る也。此の如く成り行かば、何を以て国家を維持す可きぞ。(122-123ページ/349ページ)




■ 何かと揚げ足取りをする人は相手にせず、常に私利私欲を超えた見地に立つことを心がけよ

現在、多くの人が自然と指導的立場に立って人々を鼓舞し、日本の復旧に尽力しています。しかしその時に必ず出てくるのは、自分は何もしないで(指導的立場に立つ人に嫉妬するのか何なのか)何かと揚げ足を取り、否定的あるいは冷笑的な言葉を投げつけてくる者です。その小人ぶりは誠に憐れむべきですが、その言葉も、人一倍良心的な心で前線に立つ者の集中の邪魔になります。

ではそのように、自分の虚栄心ばかりに囚われた情けない小人物にどう対処すればいいのか。西郷さんは次のように言います。この突き抜けたようなところが彼の大人(たいじん)たるところなのでしょう。


[拙訳] あれこれと言挙げする人間のことに係わるのでなく、常に個人的な好悪や利害を超えた「天」を相手にせよ。天を相手にし、そのために誠心誠意尽くし、あれこれ言う人を咎めるなどということに時間を費やさず、むしろ自らの至誠に不足はなかったかと自省せよ。

[原文] 人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。(273ページ/356ページ)




■ 実行を視野に入れていない議論は無視する

もちろん世の中は揚げ足取りばかりでなく、ほとんどの人は今、この国をどうやって立てなおそうかと真剣に議論しています。しかし中には、「ご説ごもっとも」ではあっても、はなから自分がそれを実行する気がなく、実行可能性についてまったく検討をしていない思いつきもあります。

もちろん、長期的な計画なら、たちまちの実行可能性よりも、抽象的な理念を重視するべきです。しかし、現在火急の「どのように支援物資をとどけるか、そもそもどこに、何を」あるいは「どのようにメルトダウンを阻止するか」という問題には、実行可能性が何よりも重要です。実行可能性を検討せずに、さらには自分で実行するつもりもない思いつきをつぶやき、それについて喧々諤々議論するのなら、沈黙し、義援金を送り、実行可能性を具体的に検討し実際に身を挺する人々にこの火急の任を委ねるべきでしょう。義援金は取り急ぎ送ったのなら、東日本の分まで自分の本来の仕事をするべきでしょう。

西郷さんも、口先の議論だけの人は放っておいて、実際に行動する人を高く評価したようです。


[拙訳] 現在行われている議論を聞いても、なるほどもっともと思われる議論はあるが、それを実際にいかに実行するかということの配慮がない。そういった議論は口先だけのものだから、そんな議論はつまらない。具体的に実行する配慮が行き届いた人を見るならば、この人こそはと感服する。

[原文] 予、今日人の論を聞くに、何程尤(もっと)もに論ずる共、処分に心行き渡らず、唯、口舌(くぜつ)の上のみならば少しも感ずる心之れ無し。真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。(196ページ/353ページ)




■ 信頼される人間こそが必要。人物がいないのなら、嘆くのではなく、自分が少しでもそのような人間になれるように努力する。

大規模社会での救援・復旧活動は最大の合理性をもって計画され修正され実行されなければなりません。大きな方針は大所高所から出され、臨機応変の対応はそれぞれの現場で工夫されなければなりません。その際の制度や方法には何よりも合理性が必要です。

しかしいくら合理的な制度や方法があっても、その実行を支える人がいなければ絵空事となります。やはり人間あっての制度であり、方法です。

現在、誰も対応しかねる難事に際して、政府も各種組織も悪戦苦闘しています。そんな中、テレビなどだけでその様子を見る人達は、とかく人物評価を高見の見物で行い「あれじゃぁ、駄目だ」と論評しているだけに終わりがちです(私もそうです)。

もし今の日本に信頼できる人間がいない、あるいは少ないと嘆くのならば、そんな暇があったら、今自分ができることにおいて工夫をこらし、自分こそが周りから信頼される人間になろうと努力するべきでしょう。下手な論評よりも小さな行動の方がはるかに大切です。

西郷さんの言葉です。


[拙訳] どんな制度や方法を議論にするにせよ、信頼できる人がいなければ実行には結実しない。人があって初めて方法が実行できるのであるから、人こそが大切なのである。もし信頼できる人がいないのならば、自分こそが周りから信頼される人になろうとせねばならない。

[原文] 何程制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行われ難し。人有て後(のち)方法の行わるるものなれば、人は第一の宝にして、己(おの)れ其人に成るの心懸け肝要なり。(162ページ/351ページ)




■ 今、学校で学ぶ者は何をすればいいのか

最後に私の仕事である教育・研究についての西郷さんの言葉を紹介します。

学校で学ぶ学生およびその学生を導く教師は、(少なくとも今のところ)直接の救援・復旧活動に従事するよりも、長期的に日本を立て直すための学問に専心するべきです(こうしてみると、戦時中の学徒動員というのはもう最後の手段の一つだったのだなと思えます)。

それでは学問とは何なのか?

それはこのような非常事態にでも、世のため人のために働くことができる力です。そのためには広い視野で物事を見られるようにしなければなりません。しかし博覧強記であろうとすれば、かえって自らの知識に酔いしれ、我執の念が強くなり、時にかえって世の害になってしまうところが人間の悲しいところです。

西郷さんは、広く学ぶことと自らを律することの両方が大切であると説きます。


[拙訳] 学問を志す者は、視野を広くしなければ学者とはいえない。しかしながら、視野を広げることばかりにこだわるならば、自らを律することがおろそかになってしまう。常に我を抑え自らを律しなければならない。視野を広くしながらも我を抑え、どんな人も受け入れるようになりなさい。他人に認められたいなど我を張るのは恥ずかしいことと知りなさい。

[原文] 学に志す者、規模を宏大にせずば有る可からず。去りとて、唯此こにのみ偏倚(へんい)すれば、或いは身を修するに疎に成り行くゆえ、終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思え。(252-253ページ/356ページ)




残念ながら、西日本で救援・復旧の特殊技能をもたない私たちは、義援金を送るぐらいしか、現在の火急の用に役立つことができません。

それならば私たちが今からでも始めて、死ぬまで保てる心構えを西郷隆盛に学んだ方がいいのではないかと以上の拙文をまとめました。

現在は未曽有の国難ですが、考えて見れば幕末から明治にかけても様々の動乱があり、誰もが右往左往しながらも、その頃の日本人は見事に近代日本を創りあげました。それは時に人が「世界史上の奇跡」と呼ぶほどのものでした。

その頃の日本を支えた一人が西郷さんです。現代の私たちも、今一度西郷さんに学ぶべきかと思います。





日本赤十字社が東北関東大震災義援金を受け付けています
http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html










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