2011年3月3日木曜日

「当たり前」だけどなかなかできない「思考のマネジメント」

学部ゼミの第二回目は、酒井聡樹(2007)『これからレポート・卒論を書く若者のために』(共立出版)を読んでまとめてきたものをもとに話し合うというものでした。論文という(ある意味特殊な)ジャンルがどのよう書物なのかを理解してもらうことが目的でした。

以下、ゼミ生二人のまとめを紹介することにしますが、その前に私の蛇足を。


そもそも論文とは「物事の本質を捉え、それをアカの他人にサクサクわかってもらう」ための文書です。論文を書く技術を習得することにより、複雑なことを他人に簡潔にしかも面白く伝えることができます。これは学校の授業でも企業のプレゼンテーションでも役に立つことです(ただし恋人と語らうときには逆効果です 笑)。

しかし別の意味では、論文を書くことは「思考のマネジメント」を学ぶことだと、下のゼミ生のまとめを読むうちに思えてきました。

ここでいう「思考のマネジメント」を説明するためにThe Serenity Prayer として知られている言葉を引用します。

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, courage to change the things that should be changed, and the wisdom to distinguish the one from the other.


日本語訳としては次がよく知られているようです。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


私たちは現実生活で、どうあっても自力ではなんともしがたいことと、とりあえずは自らの努力で改善できることを見極める必要があります。前者に関してはとりあえず受け入れ放念し、当面は後者のことに専心することにより、精神衛生も現実問題も改善するからです。つまり、とりあえず現在は自分で扱える範囲のことだけを考えるという「思考のマネジメント」を学ぶことが必要なわけです。

この思考のマネジメントを習得していないと、自分で扱える範囲を認知的に越えたとても理解できない問題に困惑させられせっかくの自分の認知的能力を活かせません。また、自分で扱える範囲を現実的に越えた夢物語ばかり語っていると、いつしか現実逃避に陥ってしまいます。適切な思考のマネジメントにより、私たちは自分の能力を最大限活用できると言えましょう。

さらに思考のマネジメントとは、新しい情報・知識を、以前に学んだ他の情報・知識と関係づけることも意味します。この連結により、自らの情報・知識の活用が図れます。連結に加えて思考のマネジメントは、自分の情報・知識に「骨格」をつくることも意味します。連結以上に、ある目的のために組み上げられた骨格をつくりあげることにより、自らの能力はより機能的になります。そして自らの情報・知識を他人に対して役立てさせることができるようになります。

論文は、こういった意味での「思考のマネジメント」を学ぶよい方法の一つだと私は考えます。


以下はゼミ生の一人のまとめです。「論文を書くこと」に関する、彼なりのまとめを興味があればお読みください。




1.ロジカルな論文構成を目指す


1.1. 押さえておくべき3つの条件

 今回の課題である「これからレポート・卒論を書く若者のために」(酒井聡樹著)では、その第一章部分で、レポートや卒論を執筆する上で重要な3つのポイントを挙げています。それぞれ順番に考察し、私なりの解釈を述べてゆきたいと思います。


1.1.1 学術的であるか

  たとえそれが社会的な問題や大衆に広く受けられそうな問題であったとしても、動機付けや問題提起がなされていない限り、学術的な論文であるとは言いがたい でしょう。動機付けというのは、個人の熱意や興味に裏打ちされたものではなく、客観的に事実をしっかりと見据えた上で、問題や課題を見極めるためにその論文を書くに足る理由を明示することです。ここを疎かにすると、「学術論文」から、「読書・資料感想文」や「大学生の自由研究」まで、研究そのものの品位を落とすことに繋がりかねません。基礎・基本的なことではありますが、問題提起の際には頭に入れておく必要があると言えます。


1.1.2 興味を持って取り組めるか

  当然、執筆者のモチベーションにも影響を与えるポイントであることは間違いありません。しかしながら、研究というものは、自分本位で進めるものでは決してありません。そこに自分の論文を読む読者を想定しなくてはなりません。もちろん、自分の興味≠相手の興味ではあるものの、相手の興味の前提条件として、自分の興味は存在しなくてはならないと言えるでしょう。自分が興味を持てない問題は、その提起した問題に興味が無い一般市民が論文を読んでも、面白くないばかりか、おそらく見向きもされないでしょう。これは読者を惹きつける小ネタとは別次元の話です。


1.1.3 解答できる見通しが立つこか

  より現実的な問題として、学術論文の最後には、必ずその成果を報告(結論づけ)しなくてはなりません。課題図書の中でも述べられていますが、単なるデータの羅列をまとめたかのように見せかけたものや、現実離れした結論(e.g. 日本人の身体能力向上のために、政府予算100億をかけた牛タン定食の全国的な即時無料化が求められている、など)は求められていません。その問題に対して、完全な、あるいは一部、さらには最も基本的な論理や疑問を提示するだけでも、筋さえ通っていれば良いのです。ただし、考えるコツとしては、身近な視点を大事にすることではないでしょうか。日常やふとした瞬間に疑問に思ったこと、矛盾に気付いたこと、おかしいと思ったこと、それらを糸口に見通しを立てれ ば、あまりにも現実と乖離したような結論にたどり着くことは、ほぼ皆無ではないでしょうか。


1.2 テーマ設定のコツ

 多くの卒論に臨む若者を苦しませているのが、このテーマ設定だと言えます。最初の難関とも言うべき、この重要な事項を乗り切るために、必要な心構えとはどういったことなのでしょうか。


1.2.1 「ひっかかり」を探せ

  テーマ設定のために必要なのは、ある種の「ひっかかり」ではないでしょうか。1.1.3でも述べましたが、日常的な出来事の中で、あるいは興味が沸いた文 献を読んでいて、疑問に思うことや、違った解釈が出来ることに気づいたら、もうそれはテーマ設定への道しるべにたどり着いたことになります。しかし、闇雲に興味をそそられるだけで、文献などに飛びついていては、まず時間が足りません。さらには、大量の情報に対する頭の処理が追いつかないばかりか、手段と目的がいつしか逆になっていた、そんな悲劇もあるかも知れません。自分の今現在持っている知識と、興味が持てそうな分野を関連させていくこと、バランスを欠いた興味や関心は削ぎ落としていくことが大事なのではないでしょうか。


1.2.2 思考の反芻を大切に

  ある文献を読み、内容を咀嚼していくことで、あたかも自分の頭が良くなったかのような錯覚が起こるときがあります。しかし、学術論文作成の時だけに限ったことではないのですが、一つの論文や本から受け取れる情報は大変限られています。もちろん、意味や問題に関連する解法を咀嚼して、自分の知識として活用することは大いに推奨されるべきです。ですが、それらの知識が本当の意味で生きてくるのは、他の知識と関連づけられた瞬間ではないでしょうか。レポートはもちろん卒業論文の作成は、あらゆる学術的知識や実験データをリンクさせていく作業でもあるのです。思考の反芻とは、咀嚼し、また他の知識との関連付けも視野に入れた再検討を行い、さらに思考を深めていく一連のプロセスのことを指します。


1.2.3 情報を整理するために

  情報の整理のキーワードには、情報の視覚化および常設化が必要ではないか、と読み取ることができました。視覚化とは、読んで字のごとく、メモやコンピュータソフトウェアなどを用いて、混沌とした情報や知識の海から、ある一定の秩序立った体系をを自らの手で描き出すことにあります。また、ブレインストーミングやKJ法、カードを用いた連想方など、さまざまな手段を駆使し、記憶を常に最新に保ち、手の届く範囲にあらゆる情報を置いておくこと(=常設化)も求め られます。


1.3 構想を練るための材料

  テーマがおおまかに絞れてきたら、その学術論文の縮図ともいえる構想を練る段階に入ります。論文は感想文や個人の覚書とは異なり、「複雑」な文章体系のもとに成り立っている「簡潔」な文書でなくてはなりません。構想とは、あるひとつの遊園地や行楽地を案内するための、薄いパンフレットとでも言うべきもので しょう。そこに必要な要素を検証してゆきます。


1.3.1 結論の妥当性

  結論は、問題提起と軸を共にし、あくまで論理的欠陥を排除しなくてはなりません。自明のことですが、Q-Aの関係が崩れてしまえば、その時点で論理が破綻してしまいます。著者の酒井さんは、逆向きから考えること、つまり結論から必要なデータを見越すことが大事であると著書の中で述べています。 Backward Designについて前回の課題では触れましたが、より理論的かつ柔軟なBackward Designが必要であると言えるかもしれません。また、両者の違いについても、考察の余地があると思われます。


1.3.2 骨格の構成

  骨格には「問題提起」のための「取り組む問題」「問題意識」、「解答への道筋」を立てるための「着眼点」『データ・実験」、そして「問題解決」のための 「結論」の3点に大別することが出来ます。いずれにせよ、高校の小論文の時間で学習した「序論」「本論(および論拠となるサポートセンテンス)」「結論」の構成との類似性を見出すことができます。加えて、学術論文では、読者に伝えたい研究の結果を、すっきりとまとまった形で網羅するためには、構造化だけでなく、そのレポートによって何が課題として意識されているのか、という時点から明確に示しておく必要があります。


1.3.3 見えてきた課題

  骨格を形成するにあたり、そのプロセスのどこかで行き詰まってしまった場合、研究対象となるものの、学術的な意義の低さに原因を求める場合と、研究者自身の学術的な知識の不足に原因を求める場合とがあります。前者の場合、指導教員や学友との対話、あるいは個人での思考の反駁によってその意義の低さに気がつくことがあるかも知れませんが、後者の場合はなかなか自身で気づくことができない場合が多いように思えます。ですから、骨格の構築の段階で躓いてしまうならば、自身の知識体系を、もう一度見直すよう警告をしてくれているのではないでしょうか。ある意味では執筆前の最後の安全装置となりうるようにも思いま す。



2. わかりやすい文章構成を目指すために

2.1 「伝える」ことは容易ではない

  この部分に関しては、前回の課題内容と被る部分が多いと思いました。論文は読者の視点に立った上で、内容を進めていかなくてはなりません。Reader-frendlyであるということは、読者と話者の2つの視点を常に持ち、「話者は何を知っているのだろう」「どのような解説を加えれば、読者は内容をこちらの思惑どおり理解してくれるだろう」「整理はしやすいだろうか」などといった観点から俯瞰してみることが、重要だと言えます。


2.2 文の繋がりや修飾語を意識せよ

  第3部では、主に日本語の修飾技術や文のつながり(coherence)に注目した解説がなされています。これほどまで日本語の修飾や用法に着目した解説を見たのは初めてだったので、非常に新鮮な気持ちで読むことができました。修飾語の順番、文章の優先度に拠った文脈整理、無駄な情報の削減や複数の文脈に跨る紛らわしい表現の抑制など、自分の文章にも所々当てはまるような指摘が多くなされていました。読み込めば読み込むほど新しい発見がある部分でした。


2.3 圧縮ファイルとの共通性

 文章を簡略化することは、ファイルを圧縮することと似ているようにも思えます。Zip形式のファイルなどは、以下のような方式でサイズを圧縮しています。
 
 
「AAAAAMMMMMDDDDGGGG」→「A5M5D4G4」

 
1文字1キロバイトと考えると、18キロバイトが8キロバイトまで圧縮されいます。必要な情報はしっかりと携えたまま、効率のよい記述方法で容量を少なくしています。もちろん、そのまま比較するのには無理があるかもしれませんが、「(説得に足る)最低限の情報はしっかり、かつわかりやすく。」この原則は、理系的な観点から見てみるとわかりやすいのかも知れません。(上記の例は、圧縮のプロセスを簡略化したものです)








次に紹介するゼミ生のまとめは、この『これからレポート・卒論を書く若者のために』が、いかに「当たり前」のことを書いているか、しかし私たちがいかにこの「当たり前」のことができないでいるかをまとめてくれています。またいくら論文の内容がよくても表現が難解で読まれなければ、その論文は無価値に近い、という点についても言及してくれています。よかったら読んでください。




1. 言うは易し、行うは難し

1.1「当たり前」のこと

本書は当たり前のことしか述べていません。ほぼ全ての内容が、これまでどこかで見聞きしたことがある内容です。学術問題に取り組んでいる、一文一情報、章立てをする等は恐らく、多くの人が大学入学以前から知っていたし、大学入学後も継続して教えられてきたことでしょう。

本書を読んで「レポート・卒論とは云々」と講釈を垂れることは私にもできます。しかし、本書に書かれている内容を実践するとなると、それは大変困難なものです。以下でその理由を述べていきます。


1.2 「熱い」論文は許されない

私たちは文章を書く時、「熱く」なってしまいがちです。その「熱さ」をうまくコントロールしながら、本書の内容のような基本的なルールに従うのは非常に難しい。言語という媒体をもって何かを主張するというのは、独特の高揚感を与えてくれます。そして、しばしば読者の存在や論理の整合性といったものが忘れ去られてしまいます。自分の趣味のブログや日記ならば、それでも構いません。しかし、論文やレポートではそれは許されないことです。

「熱さ」と格闘しながらリーダビリティや論理性を実現するのは容易ではありませんが、章立てや時間を置いて推敲する等の原則に従おうとする姿勢が、頭をクールダウンし、「熱さ」を和らげてくれます。柳瀬先生のブログの最近の記事にもあるように、「型」があるからこそ私たちは自由になれます。「型」があるから、私たちは自分の主張を、読者に自由に受けとってもらえるのではないでしょうか。


1.3 She knows it too much.

論文の著者である私たちは自分の論文について最もよく知っている人物です。そして、知り過ぎています。私たちは自分の論文や主張に関してよく知っているため、読者がどこで躓くのか、どこがわかりにくいのか、等を想像しづらいです。同時に私たちは、自身の論文の一番熱心な読者です。そのため、読者が、自分ほどには知識や興味を持っていないことに、なかなか気づきません。だから、読者にとって説明不足で、自分勝手に論が展開してしまう文章を、私たちは書いてしまいます。"The problem of a writer is that she knows the subject too much."なわけです。

また、読者を想像できたとしても、自分の対極に位置するような極端な例しか思い浮かばないことでしょう。結果として、説明過多な、非常にくどい文章を書いてしまいます。したがって、過不足のない文章を書くためには、「適切な」読者を想定する訓練が必要なのではないでしょうか。



2. リーダビリティ

本書では、読者の目線で、読者を中心にして論文を構成・執筆することが重要であると繰り返し述べられています。

2.1 論文の「価値」を決めるのは読者

論文の「価値」を決めるのは誰でもない、読者です。本書の中でも

結論を受け入れるかどうかは、論拠(事実・データ・論理展開)を吟味した上で、読者が決めることだ

(『これからレポート・論文を書く若者のために』 酒井聡樹 p.53)

と言われています。

著者である私たちが、どんなに力の限り、声を上げて訴えてもそれは無意味です。その価値判断を下す権利を私たち書き手は持っていません。持っているのは読者です。なので、私たちは常に読者を意識し、読者に理解してもらうために書かねばなりません。

2.2 情報の「価値」と「わかりやすさ」は違う

いくら頭の中に高質な情報を満載していても、それが読者に伝わらなければ、まったく意味がありません。重要な情報(少なくとも自分ではそう感じている情報)を伝えるためには精一杯「わかりやすさ」に尽力する必要があります。

2.2.1 情報を性能の良い乗り物に載せる

本書の著者はレポート・卒論の書き方と内容について次のようにたとえます。

レポート・卒論とは、情報を読者に届ける乗り物である。あなたは、レポート・卒論という乗り物に情報を載せて読者に届けようとしているのだ(図1)。肝要なのは、乗り物の性能(わかりやすさ)と、そのレポート・卒論が載せている情報の価値は別物であるということである。載せている情報の価値が高いからといって、乗り物の性能が自然と上がるわけもないのだ。どんなにすごい情報も、乗り物の性能が低ければ(わかりにくければ)読者に伝わることはない。あなたの大切な情報を送り出すのだから、可能な限り性能の高い乗り物に載せてあげようではないか(同書 p.20)


私はこの一節を読んでハッとしました。なぜならこれまでは、読者の中心として執筆することは、読者に迎合することに繋がるのではないのかとわけのわからない不安を抱えていたからです。しかし、それは情報の価値と「わかりやすさ」を混同しているがために生じる懸念でした。それが解決され、なぜ読者を意識することが重要なのかをすっきりと納得することができました。私にとって、本書で得た、最も価値あるものはこの考え方かもしれません。


3. 語と語の修飾関係

本書では本多勝一著『日本語の作文技術』を参考にして語と語の修飾関係や「、」を用いた誤解を生む修飾関係の避け方などが紹介されています。これは衝撃的でした。今思えば、このように体系立って、日本語の用法について学ぶ機会はこれまでなかったのではないかと思います。「、」の打ち方ひとつをとっても、教えられたのは「意味の切れ目で使う」だけです。大変曖昧な説明です。これでは説明となっているとは言えないでしょう。今までの自分の不勉強さには嫌気がさしますが、この機会にきちんと日本語の書き方を学習しようと思います。


4. 身に覚えのある「悪い例」

本書では良い例・悪い例が常に比較されていますが、悪い例は見覚えのあるもののオンパレードです。おそらく、多くの人が身に覚えがあり、恥ずかしさを感じるでしょう。それほどに論文を書く技術というのは学ばなければ、身につかないものなのでしょう。なので、この一年間でしっかりと情報の質だけでなく、乗り物を性能を上げる努力をしたいと思います。



ゼミ活動で、英語教育についての論文執筆を進めてゆきますが、この活動で、ある英語教育の具体的な問題について意義深い知識が提示できるようにすると同時に、学生さんが「当たり前」だけどなかなかできない「思考のマネジメント」を学んでもらえればと思います。




追記

この『これからレポート・卒論を書く若者のために』はとてもわかりやすく書かれているので高校生でも十分理解可能だと思います。最近は高校でも「卒業論文」を書かせるところが出てきました。しかし私が最優秀論文十編を読むことができたある高校での「卒業論文」の九編は「僕は」「私は」から始まるもので、少なくとも高等教育レベルで「論文」と呼べるような思考のマネジメントが見られないものでした。

「『僕は』『私は』で始まってどこがいけないんだ!そんな形式主義ばかりを教えているから大学教育は駄目なんだ!!」と思われた高校の先生がもし万が一いらっしゃいましたら、あるいはそこまで思わずともなんとなく高校生に「論文指導」をしているだけ先生がいらっしゃいましたら、ぜひこの本をお読みになり、高等教育では何を「論文」(あるいは「レポート」)と考えているかをご理解いただけたらと思います。(上から目線の言い方、どうぞお許しを)。m(_ _)m


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