■ シンセティック・フォニックスについて
一昨日(2015/05/27)、本学で開催された講演会「多感覚を用いたシンセティック・フォニックスと特別支援教育」とその後の討論会に参加しいろいろと学ぶことができました。講師は山下桂世子先生でした。とても魅力的な実演と、現場を知り尽くしたご発言から多くを学ぶことができました。
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山下先生は、Jolly PhonicsとJolly Grammarの公式トレーナーですが、このJolly Phonicsとはライセンス付きの名称だそうで、この種のフォニックスは英国では一般には、synthetic phonicsあるいはsystematic synthetic phonicsとして呼ばれているそうです。
講演では簡単に英国における読み書き指導の変遷が紹介されましたが、それによると英国では以下の様な変遷があったそうです。
(1) Look-and-sayの時代: 見て覚える「暗記」が主流
(2) whole-languageの時代:「言語はそのままとらえる」
(3) analytic(al) phonicsの時代:「単語を分解」
(4) synthetic phonicsの時代:「文字を合成」
日本で「フォニックス」として認識されている教授法も、「既習の単語を文字に分割していき、文字と音の関係を子どもたちが学習する」(配布資料12ページ)アナリティック・フォニックスであることがありますが、今回紹介されたのはアルファベット文字の「音読み」(「名前読み」ではない、実際の発音)を一つずつ丁寧に教えた上で、それらの文字を複数連続させた単語を統合 (synthesize)(別の表現ならblend)させて発音することを学ぶシンセティック・フォニックスです。
このシンセティック・フォニックスの指導法は、2008年に英国の教育省(Department of Education)から発行されたLetters and sounds: principles and practice of high quality phonicsでもまとめられているそうです。
Letters and sounds: principles and practice of high quality phonics
英国教育省はさらに2010年の教育白書の中で、systematic synthetic phonics(英国教育省はこの表現を使っています)が "the best method for teaching reading"であり、英国のどの学校でもsystematic synthetic phonics教育のサポートが得られるようにすることが肝要としています。
Ensure that there is support available to every school for the teaching of systematic synthetic phonics, as the best method for teaching reading. (p. 11)
The importance of teaching: the schools white paper 2010
のページにある
英国教育省はこのsystematic synthetic phonicsに対してかなりの自信をもっているようで、systematic synthetic phonicsを、p.22-23では下記の文献32を示した上で"the proven best way to teach early reading"とも表現していますし、p.43では文献56を示した上で" the most effective way of teaching young children to read, particularly for those at risk of having problems with reading"とも言っています。
32 Camilli, G., Vargas, S. and Yurecko, M. (2003) Teaching Children to Read: the fragile link between science and federal education policy. Education Policy Analysis Archives, 11, no.15. http://epaa.asu.edu/epaa/v11n15/. National Institute for Child’s
Health and Human Development accessed 28th October 2010 http://www.nichd.nih.gov/health/topics/national_reading_panel.cfm
56 Ehri, L.C., Nunes, S.R., Stahl, S.A. and Willows, D.M. (2001), Systematic phonics instruction helps students learn to read: Evidence from the National Reading Panel’smeta-analysis, Review of Educational Research, 71(3): 393-447. Camilli et al (2003). Torgerson, C. and Brooks, G. (2005), A systematic review of the use of phonics in the teaching of reading and spelling; DfES. National Institute for Child’s Health and Human Development (2010). Torgerson, C., Hall, J. and Brooks, G. (2006), A Systematic Review of the Research Literature on the Use of Phonics in the Teaching of Reading and Spelling, DfES, University of York and University of Sheffield.
(Systematic) synthetic phonicsの有効性は、山下先生の実演付きの説明からもよくわかりましたが、英語圏である英国も、フォニックスの重要性を痛感した上で、analytic phonicsではないsynthetic phonicsをこれだけ推奨していることは大変印象的でした。
■ 日本で適用する場合の注意点など
英語圏の子どもがこれだけ英語の文字と音の関係に苦しみ教師も指導法を求めている中で、英国教育省がこれだけこの(systematic) synthetic phonicsを推奨していることからすれば、非英語圏での日本の英語教育でもこの(systematic) synthetic phonicsは注目すべきであることは言うまでもないでしょう。
講演でこの(systematic) synthetic phonicsの有効性に対して信頼を感じるようになった私としては、この方法を日本に輸入した場合に気をつけるべき点は何かということを考えました。
講演会の後の別室での討論会で、私はその点を以下の5つの質問で尋ねました。以下はその問答の要約です。
Q1:
教材であるFinger Phonics(http://jollylearning.co.uk/shop/finger-phonics-books/)などを見せてもらうと、シンセティック・フォニックスは、生活の中での子どもの身体実感を基盤にしていると考えられる。
例えば、多感覚 (multisensory)指導として、行動 (action) もフォニックス指導に取り入れているが、"a"の場合は蟻 (ant) を例に出して、肘の上に蟻がもぞもぞと這い上がってくるように指先を細かに動かしながらaの音を繰り返すとか、"m"の場合はお腹をさすりながら美味しいものを食べたという満足感を想像しながらmの音を繰り返すという例があげられている。
これらの行動が英語圏の子どもには身体実感を伴うものであることは間違いないが、蟻 (ant) という英単語を知らなかったり、満腹した時に"Mmmm"とは言わない日本語圏の子どもにとって、これらの行動は身体実感を伴いがたいものではないか?
A1:
その問題点がありうることは自覚している。今、この教材の日本語翻訳版を準備しているが、そこでは例えば蟻の場合は「蟻が這い上がっているのに気づいたので驚いて『アッ!』と驚きます」などと翻案して訳すなどの工夫もしている。また満腹した時の"Mmmm"の場合は、英語圏の人はそのような音声で満足感を表現するんだということをあえて異文化教育の題材として残すつもりである。
Q2:
フォニックスに伴う行動としては、生活上の実感だけでなく、発音(構音)の際の口蓋の動きを手で模写するなどの音声(学)的なものもありうると思う。特に日本語にない音の場合は、そのような行動を通じて、口蓋運動を自覚させることは重要ではないか。
A2:
その通りで、例えば"r"の場合、犬がタオルを噛んで引っ張りながら唸る絵を見せて、子どもに実際にハンカチなどを噛みながら発音することをさせる。こうすると舌先が口蓋に接触することがないのでrの発音がしやすい。
[これを受けての参加者(米国で英語のスピーチセラピストをやっていた日本人研究者)の発言: 米国でもrの発音ができない子どもにはよくそのように指導していた]。
Q3:
英語の場合は、一つのアルファベットの名前の発音(「名前読み」例えば"a"なら「エィ」)に対して、複数の発音(「音読み」例えば"a"ならいわゆる「アとエの中間音」など)があることが常態だが、日本語でのひらがな・かたかなではそれは例外的である。
もちろんその例外を示して、例えば「私は」をわざと"watashiha"と発音して子どもの笑いを誘った上で、一つの文字に対して複数の文字があることを自覚させることもできるが、いかんせん日本語話者は文字と音の一対多対応に慣れていないので、フォニックスそのものをなかなか理解できない子どももでてくるのではないか?
A3:
私も「ははは(母は)」をわざと"hahaha"や"wawawa"と発音して子どもにその点を自覚させたりしている。
だが漢字の場合だも、例えば「一」(いち)と「人」(ひと)を合わせて「一人」(ひとり)と発音するなどの現象があるから、実は一つの文字が複数の読み方をもつことは、日本語話者にとってもそれほど奇異というわけではない。私の実践でも、丁寧に教えれば日本語圏の子どももフォニックスの原理を体得してゆく。
[その答えを受けての柳瀬の追加発言:日本語のそういった側面に注目させることは、狭義の「英語教育」を超えた言語教育としても重要だと思う。
Q4:
英語圏の子どもは、たとえ他国からの移住者の子どもですらも日頃からアルファベットを目にしているのだから、アルファベットの識別や書写(複写)にはそれほど大きな問題を抱えていないと考えられる。だが、日本の子どもにとってアルファベットの識別や書写は大問題である。シンセティック・フォニックスはこの問題に対応できるだろうか?
A4:
シンセティック・フォニックスの特徴の一つは体系性であり、例えば最初はアルファベットの小文字とその「音読み」しか扱わないし、その導入順序にもさまざまな工夫が凝らされている。
また、先ほどの質問にあったアルファベットの名前読みと音読みの間での混同を避けるためもあって、名前読みの導入は、小文字とその発音について十分に習熟した後に、大文字を教え始めた時に行うなどもしている。
もちろん日本の子どものアルファベット識別や書写に対する十分な配慮は必要だが、それはよく考えぬかれたカリキュラムにより対応できるのではないか。
Q5:
今回の講演ではシンセティック・フォニックスの多感覚性を強調し、子どものさまざまな個性には、さまざまな感覚で子どもに訴えかけていることがわかり、私もそれは実践上有効だと思う。
だが、それは言ってみるなら"multisensory integration"であるべきであり、文字・音・単語・生活・身体実感などが統合的になっていないと、子どもによっては多彩な刺激にかえって混乱してしまうこともあるのではないか?
A5:
それもその通りで、私も授業では毎回活動の順番を決めて、場合によってはその順番を黒板に書き、生徒にそれぞれの活動に集中させて学習の狙いを達成するようにしている。シンセティック・フォニックスの中でもJolly phonicsは多感覚やストーリーなどを取り込む点で非常に優れているので、それらを統合的に豊かに学んでほしいと思っている。
質疑応答の概要は以上です。大変勉強になった講演会と討論会でした。討論会には特別支援の研究者や英国教育事情の研究者も来ていたので、そういった方々の発言からもいろいろと学べました。
上記の質問からもわかるように、私は外国の教授法をそのまま輸入するだけで物事がすべてうまくゆくとは思っていませんが、これだけ英国で評価が高い方法から日本の英語教育界が学ばない手はないと思います。これからシンセティック・フォニックスに注目してゆきたいと思います。
追記 (2015/06/02)
山下佳世子先生も広大での講演の様子についてブログ記事を書かれました。どうぞお読みください。
追追記 (2015/11/16)
上記講演会の資料が公開されました!
『多感覚を用いたシンセティック・フォニックスと特別支援教育』の資料が公開されました
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/11/blog-post_16.html
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