2018年7月3日火曜日

Kim, M., et al.,(2018) A political economic analysis of commodified English in South Korean neoliberal labor marketsのまとめ


以下は、来る8/9(木)のLET全国大会パネルディスカッション「大学入試改革は、高校英語教育での四技能統合を推進するのか?」 (http://www.j-let.org/let2018/page_20180222024053)  の準備の一環として作ったお勉強ノートです。読んだ論文は


Kim, M., et al.,
A political economic analysis of commodified English in South Korean neoliberal labor markets,
Language Sciences (2018),

です。

いつものように選択的・恣意的なまとめになっていますので、もしこの論文にご興味がある方は、必ず上記のURLから原典にあたってください。


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■ タイトルについて
タイトルでは  "commodified English" とありますが、論旨からすると正確には  "commodified English test scores" であるべき。その上でタイトルを訳すなら「韓国の新自由主義的労働市場における商品化された英語テスト得点についての政治経済的分析」となる。

■ 韓国の労働市場における英語
ホワイトカラーの職を得ようと思えば、たとえその職では実は英語が使われることがなくとも、応募者は何らかの英語技能 (English skills) の力を示さねば職を得ることができない。(p. 1)
※ 日本の大学入試の状況もほぼこれと同じようになってきている。たとえ進学希望先の学部や講座では英語がほとんど必要ないとしても、入試では英語が必須となる。

■ 英語は社会的流動性の鍵
英語はもやは教科やコミュニケーション手段というよりは社会的流動性の鍵 (a gate-keeper for social mobility) として機能している。 (p. 2)

■ 人的資本としての価値を高めるために英語テストに投資
就活者は人的資本 (human capital) としての自らの経済的価値 (economic value) を高めるために英語テストに投資 (invest) する。就活者は自分という人的資本の企業家 (entrepreneur) になっている。 (p. 2)

■ 数量化され標準化されたスペックを示す
多くの韓国の若者は自分たちの経済的価値を電気製品の "specification" になぞらえて「スペック」 (Spec) と呼ぶ。スペックによって、数量化され標準化された人的資本 (quantified and standardized human capital) としての自分の能力 (competence) を一目で企業に示すことができる。 (p. 3)

■ テスト得点が測定基準によって価値を定められた商品となる
就活者が自らの人的資本の価値を高めるために企業家的な努力をする中で、テスト得点は英語技能の数量的測定基準 (quantified metrics of English skills) となり、商品 (commodity) となる。 (p. 3)

■  英語教育は、就活者にテスト高得点を供給するビジネスとなった
就活者は商品化された英語テスト得点を生み出す労働者 (worker) であると同時に自分の人的資本を増やそうとする企業家でもある。英語技能の数量的測定 (quantified measurements) としてのテスト得点こそが労働市場で重要であり、英語教育 (teaching English) はテスト高得点への需要を満たすビジネスとなった。 (p. 3)

■  特定の試験が公的認定価値を与える
韓国ではTOEICとTOEIC Speaking testsが、英語力の妥当性と信頼性を兼ね備えた測定基準 (valid and reliable performance metrics) であることを売りにして (self-promoting) 、就活者の英語熟達力 (English proficiency) に公認価値を与え (valorize) 、就活者と企業を関係づける媒体となった (mediate the relationship between jobseekers and employers)。 (p. 3)

※ 日本の2020年テスト改革では、ケンブリッジ英語検定、TOEFL iBTテスト、IELTS、TOEIC、GTEC、TEAP CBT、実用英語技能検定の8種類のテストに公認価値が与えられることになります。
関連記事: 南風原朝和(編) (2018) 『検証 迷走する英語入試―スピーキング導入と民間委託』岩波書店
http://yanaseyosuke.blogspot.com/2018/06/2018.html

※ この種の議論でよく出てくる "valorize" という語は訳しにくい語ですが、辞書では次のように定義されていますので、上では「公認価値を与える」と訳しました。

Merriam-Webster (https://www.merriam-webster.com/dictionary/valorize)
1 : to enhance or try to enhance the price, value, or status of by organized and usually governmental action
2 : to assign value or merit to

Oxford Dictionaries (https://en.oxforddictionaries.com/definition/us/valorize)
1 Give or ascribe value or validity to (something)
More example sentences
1.1 Raise or fix the price or value of (a commodity or currency) by artificial means, especially by government action.

Dictionary.com (http://www.dictionary.com/browse/valorize)
to provide for the maintaining of the value or price of (a commercial commodity) by a government's purchasing the commodity at the fixed price or by its making special loans to the producers.

■ 商品、使用価値、交換価値についての説明
商品は商品価値をもつが、それには使用価値 (a use value) と交換価値 (an exchange value) の二つの側面がある。使用価値は商品の有用性 (utility) であり、交換価値は「ある使用価値と別の使用価値を交換する際の数量的関係・割合」 ("the quantitative relation, the proportion, in which use values of one kind exchange for use values of another kind" (Marx, 1976, p. 126)) である。 (p. 3)

■ 潜在的交換価値の追求
資本主義者的経済体制 (a capitalist economy) では、利益を求めるため潜在的 (potential) 交換価値をめぐって商品生産が行われる。

※ ここで少し解説すると、資本主義者的経済体制では、資本 (capital) として有している貨幣 (M: Money) で商品 (C: Commodity) を購入しそれを活用・売却するなどして新たに貨幣 (M') を得て、その際に資本として投下した貨幣よりも多額の貨幣が得られるようにすること (M → C → M', where M < M') が大原則となる。ただ、必ず「投下資本 < 利益」(M < M') となるかはわからないため、資本投下時の商品の交換価値は潜在的なものとなる。

関連記事:マルクス商品論(『資本論』第一巻第一章)のまとめ
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/08/blog-post_14.html

関連記事:モイシェ・ポストン著、白井聡/野尻英一監訳(2012/1993)『時間・労働・支配 ― マルクス理論の新地平』筑摩書房
https://yanaseyosuke.blogspot.com/2012/10/20121993.html

関連記事:Moishe Postone (1993) Time, Labor, and Social Domination (Cambridge University Press)
http://yosukeyanase.blogspot.com/2012/10/moishe-postone-1993-time-labor-and.html


■ 第一の矛盾:テスト得点は重要ではないが、高い得点が必要とされている。
このように労働市場の中でテスト得点が使われていることにより二つの矛盾が生じている。
第一の矛盾は、英語テストスコアは就活全体の成功のせいぜい10-30%ぐらいに関係しているだけなので決定的に重要 (crucial) というわけではないのだが、人文社会系専攻の学生が一流企業に入ろうとすれば「安心できる」基礎得点 (a baseline to "stay safe") としてTOEICの900点という高得点を取らなければならないことだ。だがTOEICで高得点を取ったとしてももちろん就活の成功が保証されているわけではない。ある調査協力者(就活者)は「英語テストの得点は最初の関門を突破するために使うだけの価値しかないので、TOEIC900点を超えたら英語の勉強はやめようと思った」と述懐している。 (p. 5)

■ 第二の矛盾:テストは英語能力を測定しているはずなのだが、テスト得点は実際の能力を反映していない。
すべての調査協力者(就活者・企業人事部)は、TOEIC得点と英語熟達力を、必ずしも互いに関連しているわけではない二つの別物とみなしていた (The jobseekers and HR managers interviewed all treated TOEIC scores and English proficiency as two separate, not necessarily related entities)。 (p. 6)
※ ただここでのTOEICとはリーディングとリスニングの2技能型のもの。

■ 塾では英語学習とテスト対策をはっきり区別し、後者に専念している。
調査に協力したある就活者は、TOEICは労働市場で評価される勤勉さという交換価値を測定するための「必要悪」であり (describing the TOEIC as a "necessary evil" that measures one's diligence, which has an exchange value in labor markets) 、「ことばとしての英語」はグローバルコミュニケーションのための道具であるという 使用価値をもつ、と述べた。

※ ここでは "hakwon" を単に「塾」と訳している。
Wikipedia: hakwon
https://en.wikipedia.org/wiki/Hagwon

調査に協力した企業人事部の人々もTOEIC高得点は短期間の詰め込みで獲得されたものであり、そういった詰め込みのテスト対策勉強は (the cramming, test-oriented method of studying) は「職場での英語コミュニケーション技能」 (workplace English-language communication skill) を高めることはないと考えている。人事部もTOEICは勤勉さを測るテストであり、高得点を取るためにどれだけ勉強したかを測定しているものだとみなしている (The TOEIC is a test of diligence, measuring the work that went into producing the high score)。 (p. 6)


■ スピーキングテスト導入についての肯定的意見と否定的意見
こういった認識もあり、最近はTOEIC Speaking TestやOPIc (Samsungの子会社が運営)といったスピーキングテストが導入され始めている。

ある就活者は、TOEIC Speaking Test対策で詰め込んだ英文を覚えこんで、状況に応じてそれを少し修正して話すことにより英語を話すことへの不安を克服できたと、スピーキングテスト導入に対して肯定的な意見を述べた。

※ ただこのExcerpt 8の英語発話には英語ミスが散見されるので、彼の英語力はそれほど高くない模様。

しかし別の就活者はTOEIC Speaking Testに対して自分は悲観的 (pessimistic) だと述べた。彼女も、TOEIC Speaking Test対策はひな形 (a template) を覚えてそれをテストで再生するだけであり、こういったことは自分のスピーキング技能の発展とは何の関係もない (it had absolutely no relationship with my development of speaking skills) と述べた。 (p. 7)

※ これら二人の考える「スピーキング技能」の概念には大きな差があるように思えます。私なりに推測して補いますなら、前者の就活者は、とにかく発話パターンを覚えて、さらにそれを少し修正することができればスピーキング技能としては十分だと思っています。それに対して後者の就活者は、相手と自分との関係性に合わせて(言語形式だけではなく)会話の話題も適宜選択し相互修正しながら会話を発展させることがスピーキング技能だと思っているようです。

Widdowson (1983) の用語を修正してさらに説明するなら、前者は一定の定められた話題に関する発話パターンをKnowledgeとして覚え、そこから言語形式を選択し文法的に配列するというLinguistic Capacityを獲得できたらスピーキング能力はあると考えているようです。しかし後者は、そういったKnoweldgeとLinguistic Capacityはスピーキング能力のために必要ではあるが十分ではなく、自分に忠実でかつ相手との関係性の中で適切な話題を適宜選ぶTopical Capacityも備えて会話を発展できなければスピーキング能力とは言えないと考えているように思われます。

このあたりのコミュニケーション能力論を来る8/9(木)のLET全国大会パネルディスカッションで少し語りたいとも思っています。それはBachmanのモデルの再解釈という形を取るかもしれません。

※ ちなみに、Widdowsonが使った用語はcompetenceとcapacityだけです。上の私の用語法は彼の考え方を換骨奪胎したものです。

■ 現状ではテスト得点と英語力の乖離は避けがたい
資本主義者的交換という体制で、塾がテスト対策を徹底させて短期間でテスト得点を上げることに専念し就活者がそれを利用するなら、スピーキングテストのテスト得点もコミュニケーション能力を十分に反映したものではないという状況は続くだろう。 (p. 7)

■ 学習者の阻害
この体制では、テスト作成者、テスト対策本の著者、塾講師がコミュニケーションの手段 (the means of communication) を管理 (control) している。学習者は自ら正統なコミュニケーション手段を創り出す機会がない。(The jobseekers themselves do not have access to creating legitimate means of communication) 学習者は、労働市場により英語学習の正統な対象化とみなされているものを生み出すだけであり、自らの学びを享受することはない。これにより学習者は自らの学習から阻害される。 (the jobseekers in this study work to produce what counts as a legitimate objectification of their English learning rather than their own consumption, which alienates them from that learning)  (p. 8)

■ テスト得点はフェティシズムの対象となる
労働市場での交換価値のためにテスト得点を得ようとする限り、テスト得点は物神化され使用価値から阻害される。 (As the test score is sought for its exchange value in labor markets, it is fetishized and alienated from its use value.)  スピーキングテストを導入してもこの状況は変わらないだろう。(p. 9)

■ 英語教育産業とテスト産業の共生関係
テスト得点を資本主義者的に生産する中で (in the capitalistic production of test scores) 、塾といった英語教育産業 (English teaching industry) とテスト産業 (testing industry) が共生関係 (symbiotic relationship) にあることについても今後注目していかねばならない。



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以上が私のまとめです。私も2014年にマルクス経済学の枠組みで英語および英語テストについて分析した文章を一般書に書きました。そこでは、11500字(400字詰め原稿用紙約29枚)という分量で書くことができましたし、無料のブログではなく有料の(商品としての!)書籍に掲載する文章として書きましたので、少しはわかりやすい解説になっているのではないかと思います。

以下、その一部を小見出しをつけた上で抜粋します。もしご興味のある方は、この本をお求めいただけたら幸いです。


■ すべての価値を一元的に測る貨幣
貨幣 (money、つまりお金) とは実は不思議な媒体だ。それは単なる金属片や紙片にすぎないのだが、それはすべてを購入し、すべての価値を一元的に測ることができる媒体だとみなされている。

■ 貨幣で測れる商品価値は「真価」ではない。
貨幣を媒介にして、さまざまなモノやサービスが次々に商品化されるグローバル資本主義社会に住む私たちは、あらゆるものの喜ばしさは、貨幣で測れる「価値」(value) あるいは「商品価値」 (commodity value) として測れるし、そう測るべきだと錯覚する。そうして何かを行うことの喜ばしさという真価 (worth) を忘れてしまう。これが資本主義的発想だ。

■ 大規模標準テストの点数は客観的な一元的測定のように見える
ここで英語を、ますます貨幣のように、一見したところ中立で客観的計測が可能な唯一無二の媒体に見せかけているのが、昨今ますます普及している英語力の大規模標準テスト(例えば、英検・TOEFL・TOEICなどの試験)である。

■ 大規模標準テストの点数はコミュニケーション能力の真価を測れない
標準テストが、どれだけ国内・国際的に制度化され、「客観的」な測定が意図されているにせよ、テストが英語でのコミュニケーション能力を十全に測っているというのは幻想に過ぎない。それが幻想であるのは、貨幣が、仮に商品とされたすべてのモノやサービスに価格という一元的な価値を与えることができたにせよ、それぞれに込められた真価を測ることができないのと同じ理由による。

■ 貨幣やテストの限界を知り乱用を防ぐべき
私は「この世から貨幣を一掃しろ」とか「すべてのテストを廃止しろ」といった非現実的な青臭い主張をしているのではない。貨幣やテストなしに近代社会が円滑に動くとは思えない(逆に言うと、そのように私たちの営みを変えていったのが近代化である)。私が言いたいのは、貨幣は私たちの営みの商品価値を数値化することはできても、真価(喜ばしさ)を計測することはできないということ、そして、テストは私たちの教育・学びを商品としてとらえた際の価値を数値化することはできても、教師や学習者がそれぞれに感じる英語の教育・学びの真価(喜ばしさ)をとらえきれないということである。



 


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