2016年9月15日木曜日

井上智洋 (2016) 『人工知能と経済の未来』 (文春新書)



この記事は学部1年生向けの授業「英語教師のためのコンピュータ入門」の資料の一つとして作られました。以下、■印の文は私なりの本書のまとめで、○はそれに基づく愚見です。


■ 21世紀に入ってから、米国では労働生産性やGDPは上昇するものの、雇用者数や家計所得(中央値)が伸びないという状況が顕著になってきた(The Great Decopuling of the US Economy)。(p.33)


http://andrewmcafee.org/2012/12/the-great-decoupling-of-the-us-economy/ より転載)


このグラフを作成したAndrew McAfee氏は、上のサイトでこの乖離の重要な要因の一つとして技術の進歩  (technological progress) をあげている。

Our argument, in brief, is that digital technologies have been able to do routine work for a while now. This allows them to substitute for less-skilled and -educated workers, and puts a lot of downward pressure on the median wage. As computers and robots get more and more powerful while simultaneously getting cheaper and more widespread this phenomenon spreads, to the point where economically rational employers prefer buying more technology over hiring more workers. In other words, they prefer capital over labor. This preference affects both wages and job volumes. And the situation will only accelerate as robots and computers learn to do more and more, and to take over jobs that we currently think of not as ‘routine,’ but as requiring a lot of skill and/or education.
http://andrewmcafee.org/2012/12/the-great-decoupling-of-the-us-economy/

この分析からするなら、現在の雇用の多くがますます機械によって奪われると考えられる。

○ もちろんまだ日本の格差はアメリカの格差ほどではないが、このアメリカの傾向が今後日本でも見られるのではないだろうか(少なくともそれに反論する材料を私はもたない)。


■ オックスフォード大学のフレイとオズボーンの研究(「雇用の未来」)は、様々な職業がコンピュータによる自動化で消滅する確率を出している。(p.37) 日本版の結果は、野村総合研究所が公開している。

日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に

○ 「人工知能やロボット等による代替可能性が低い100種の職業」の中に、「小学校教員」は入っているが、中高大あるいは塾の(英語)教師はどうだろうか?機械に代わった方がいいと思えるような(英語)教師はいないだろうか?(そもそもサテライト授業は、ある程度の機械代替であると考えられる。また、教育のICT化も人間のコミュニケーションより情報伝達を主とするものも少なくないのではないだろうか?)


■ これからの仕事のコンピュータ化・機械化の中核は人工知能 (Artificial Intelligence: AI) であるが、AIは「特化型AI」と「汎用型AI」に分けられる。現在のAIはすべて特化型AIで、例えばSiriは音声でのiPhone操作に特化している。(p.77)  今年 (2016年)は、Alpha Goがプロ囲碁棋士を破り話題となったが、これも特化型AIである。

○ Siriはもちろん英語でも日本語でも実現されている。少なくとも機能を限定した特化型AIなら、携帯などによる機械翻訳も遠くない将来に実用化されると考えられる。つまり「旅行用英会話」などだけなら人間が習得する必要はない。そうなった時、英語教育(外国語教育)はどのように進化すべきだろうか(それとも絶滅するべきだろうか)。私には私なりの考えがあるが、まずは皆さん一人ひとりで考えてほしい。


■ ちなみに国立情報学研究所は、2016年度までに大学入試センター試験で高得点をマークすること、また2021年度に東京大学入試を突破することを目標に研究活動を進めている(Todai Robot Project)。2015年の結果では、AIはセンター試験(ベネッセ進研模試)で偏差値57.8(受験者総数44万人)を獲得している。(http://21robot.org/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%AD%A9%E3%81%BF/)

○ 「やっぱり受験は大切」とは(一部の)高校教師の好きな台詞だが、そういった受験学力は、遠くない将来に簡単に機械で実現されるようなものになるだろう。そういう時代が来た時に、受験勉強しかできない人間の社会的価値はどうなるのだろうか。


■ 汎用型AIは、特定の機能だけに知性を働かせるのではなく、人間のようにさまざまな状況に応じて考えることができる。チェスもできれば、試験も解けるし、人間と会話を楽しむこともできる。(p.77)

■ 汎用型AIを実現するには、全脳アーキテクチャか全脳エミュレーションの方法が考えられる。全脳アーキテクチャは、脳の各部位の機能をプログラム(モジュール)として再現し、後で結合する方法である。全脳エミュレーションは、脳の神経系のネットワーク構造のすべてをスキャンするなどしてコンピュータ上で再現する方法である。(p.78)

■ 本書の「図3-1 経済システムと産業の変遷」によれば、人類史は以下の「革命」によって大転換をとげたし、とげるだろうと予想される。(p.103)


(i) 定住革命:紀元前1万年

(ii) 第一次産業革命(蒸気機関):1760年頃

(iii) 第二次産業革命(内燃機関・電気モータ):1870年頃

(iv) 第三次産業革命(パソコン・インターネット):1995年頃

(v) 第四次産業革命 (汎用AI・全脳アーキテクチャ):2030年頃

?? 全脳エミュレーション:2100年頃


○ 若い皆さんが技術革新に対してどのような思いをもっているかわからないが、私は大学に入ってコピー機に驚き、就職してファックスに驚いたと思ったら、続いてemailに仰天した。「ポケベル」が最高にイケていた時代はすぐに終わり、やがては携帯の時代が来たが、いつのまにかスマホが普及しかっこよかったはずの携帯は「ガラケー」と呼ばれ始めた。個人ブログやYouTubeの初期のウェブ上の発信者は限られていたが、SNSま瞬く間に普及した。これからどんな変化が来るのだろう?(参考:ムーアの法則


■ それぞれの革命は、「汎目的技術」(General Purpose Technology: GPT) によってもたらされた。(p.111)

■ 汎目的技術は、「技術的失業」 (technological unemployment) をもたらす。技術的失業は、「摩擦的失業」(労働者が新しい職につくまでに時間がかかるから生じる失業)と「需要不足による失業」(そもそも就く職がないことから生じる失業)がある。(pp.134-135)

○ 自分自身が、あるいはあなたが未来に教える生徒が「摩擦的失業」状態にいることを想像してみよう。「需要不足による失業」状態の想像はできるだろうか?


■ 近代社会の成果の一つとして、人間の労働には最低賃金が法律で認められているが、ロボットにはそのような法律がない。ロボットによる労働の値段が、人間の最低賃金以下になるならば、汎用AI・ロボットが生産活動に全面的に導入されるような経済(「純粋機械化経済」)が到来する可能性がある。(p.171)

■ ちなみにソフトバンクのロボットPepperのレンタル価格は一時間1500円(ただしPepperのサポート要員の給料などは考慮せず)であり、東京都の最低賃金900円との差は600円しかない。(p.171)

■ マルクスが描写したように、第二次産業革命の機械化により一部の労働者は失業し、資本家ばかりが反映する格差が増大したが、第四次産業革命では一部の労働者ではなく多くの労働者が失業するかもしれない。(p.198)(上記の「雇用の未来」と「需要不足による失業」を併せて考えよ)

○ 「ボクは英語を教えるセンセイになりたいのだから、マルクスなんて関係ない」などと無教養な台詞を得意気に語らないでほしい。もし現代日本の英語教師の多くが英語を一種の「商品」のようにみなして教えているのなら、「商品」についても考察してほしい。また、英語学力という商品の未来についても考えてほしい。

以下は、著者(経済学者)が、資本主義の特質を踏まえて、教育について述べたことである。経済学が教育学と関係などとは言わないでほしい。

そもそも、自分が必要とされているか否かで悩むことは近代人特有の病であり、資本主義がもたらした価値転倒の産物です。しかも、価値転倒が起きたことすら意識できないくらいに、私たちは有用性を重んじるような世界に慣れ親しんでしまっています。有用性を極度に重視する近代的な価値観は資本主義の発展とともに育まれてきました。(p.239)

その観点 [=教育は人的資本に対する投資であるという考え方] からすれば、小学校に上がってから退職するまでの人生は、投資期間とその回収期間として位置づけられます。受験勉強のための塾通いは多くの場合まさにこの観点からなされています。子供の時間は未来の富のために捧げられているのです。
資本主義の発達にともなって、学術は真実を探求するもの、あるいは人間を自由にするものとしての価値を失ってきました。「知識は、それ自身だけで善いものとみられず、また一般的にいって、ひろくて情味豊かな人生観を生み出す方法としては考えられず、単なる技術の一要素とみなすようになって来ている
のです。 (p.240)

参考記事
マルクス商品論(『資本論』第一巻第一章)のまとめ
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/08/blog-post_14.html
モイシェ・ポストン著、白井聡/野尻英一監訳(2012/1993)『時間・労働・支配 ― マルクス理論の新地平』筑摩書房
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/10/20121993.html


■ 著者は次のことばをもって本書を終えている。

「もしBI [= Basic Income:ベーシックインカム]のような社会保障制度がなければ大半の人々にとって、未来の経済は暗澹たるものになりかねません。BIなきAIはディストピアをもたらします。しかし、BIのあるAIはユートピアをもたらすことでしょう。」(p.235)


○ 私はこの主張に説得力を感じたが、皆さんはどうだろう。自分で読んで考えてほしい。(読むだけで考えなくては駄目だし、考えるばかりで読まないのもいけない)。

しかし、このような人工知能の発展を考えると、これからの教育には、人間の生物的感性に基づいた芸術的側面や、人間の複数性に基づいた社会的側面、そしてそれらを活用した創造性が大切であるように思える。

関連記事
人間の複数性について: アレント『活動的生』より
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html

また、人工知能の発展の経済的帰結を考えると、国民一人ひとりがきちんと社会科学的素養を身につけないならば、おそらくは資本家・権力者の巧みなメディアコントロールなどで、BIなどの制度の実現は阻まれるだろう。(もしう私が代々にわたっての資産家で強欲な人格なら、おそらくBIには反対するだろう)。

こうなると、後に懸命に否定しようとしたものの、かつて文部科学省までが言った「これからの大学には、人文社会系の学問はいらないのではないか」といった言説は、無知ゆえの妄言というより、陰謀的な言説ではないかとすら思える(いや、陰謀ほどに自覚的でない、権力者による直観的な自己防衛・自己増殖言説なのだろうか)。

大学時代には幅広く読書して思考力を身につけてほしい。教養も思考力もない教師に教えられる児童・生徒は不幸だからだ。




追記
  本日(2016/09/16)の毎日新聞の報道によりますと、みずほ銀行とソフトバンクは、利用者がスマートフォンで申し込むと、AIが審査し、利用者が将来稼ぐお金などを予測して貸し出す形の個人向け融資事業を始めると発表しました。
  こういったFin Tech (Financial technology) を利用すると、コストが抑えられ低金利での融資が可能とのこと。AIを活用した機器・システム全体の国内市場規模は現在の3.8兆円から2020年に23兆円に達するとの試算もあるそうです。
http://mainichi.jp/articles/20160916/ddm/008/020/118000c











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