2017年8月25日金曜日

ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル、高橋睦子、竹端寛、高木俊介 (2016) 『オープンダイアローグを実践する』日本評論社



以下は、ヤーコ・セイックラトム・アーンキル高橋睦子竹端寛高木俊介 (2016) 『オープンダイアローグを実践する』の中で、特に私にとって印象的だった項目をまとめたお勉強ノートです。→の後に書かれている文は私見です。この本にご興味をお持ちになった方は必ずご自身でこの本をお読みください。


■ 変わるのは誰か?

オープンダイアローグでは、家族も対話の中に入ってもらうが、これは家族を治療者にするのでなく、家族も当事者や専門家と共に市民社会的共同体をつくるという思想がある。(p.3)

→変わるのは、問題を抱える治療者だけではない。まわりの人間、つまり家族も専門家も共に変わり、しばしばその後者の変化こそが重要な時もある。


■ 人間性と専門家性の両立

オープンダイアローグでは、当事者の語りに心動かされて専門家が思わず涙を流すことすらある。だが同時に、専門家は専門家であり、専門家としての責任がある立場でもある。 (p.17)

→従来の専門家のイメージなら、専門家が自らの感情を自然に表明することは忌避もしくは抑圧されていたが、オープンダイアローグでは人間として自然な感情の発露は抑制しない。だが、同時に専門家が専門家としての職業的責任をもっていることは忘れてはいけない。このあたりの専門家性の強調は、もともと職業的専門家がいない状況でも行われうる当事者研究とは異なるのかもしれない。


■ なぜ専門家が主観的であってはいけないのか?

時に、「専門家は主観的であってはいけない」との批判があるが、トム・アーンキルは、人間が自らの主観性を捨て去ることなどそもそも可能なのか、主観性を捨てなければ客観的になれないとしたら誰もその意味での客観性は達成できないし、もし達成できるとしたらその人はもはや人間ではなくなってしまう、と再反論する。(p.20)

→このあたりの「客観性」をめぐる議論については以下の論考にまとめています。

「英語教育実践支援研究に客観性と再現性を求めることについて」の論文第一稿


■ 「ベストメソッド」をこの場にもちこむな

ヤーコ・セイックラは、これまでの自分の知識や経験で自分がこれこそは「ベストメソッド」(最善の技法)だと信じている方法を今・ここの場に持ち込んで、その場を支配するようなことはしてはならないと考えている。「なぜならもっと優れたものが次に出てくるはずだ」「しゃべらず、耳を傾けよ!」とヤーコ・セイックラは言う。 (p.22)

→専門家あるいは経験豊かな人が心がけなければならないことは、自分の信条を押し付けないこと。だからといって、自分の信条やその基になった知識や経験をすべて忘れなければならないということではない(そもそもそのようなことは人間にはできない)。そうではなく、決めつけることなく謙虚に観察をする中で、どこからともなく、その場にもっとも適した方法が生じてくるはずであり、その際には自分のこれまでの知識や経験も活きるはずだから、まずは対話の流れに身を任せることが重要。

ちなみにこのあたりの考え方はボームの対話論に通じている。

David Bohmによる ‘dialogue’ (対話、ダイアローグ)概念

感受性、真理、決めつけないこと -- ボームの対話論から

ボームの対話論についての学生さんの感想


■ 既定のゴールに対話を導いてはならない。

専門家はしばしばある既定のゴールを問題解決のための結論であると想定しつつ、先回りしながら他の人の発言を聞くが、それは傾聴とはいえない。傾聴するためには、今・ここにいなければならない。そのための一つの方法は繰り返し(リピート)であり、「あなたの言っていること・感じていることはこういうことなのですか?」と反復しつつ尋ねてみることである。(p.35)

治療に関するミーティングにおいて専門家は常にクライアントのストーリーを聞くことから始めるべき。何をするべきかを専門家が考えるのはミーティングが終わるときでよい。 (p.42)

→「繰り返し(リピート)」といっても、これは文字通りの繰り返し(オウム返し)ではなく、聞き手なりの理解とことばに基づく言い換えによる問いかけのように思える。もちろん、聞き手が自分の考えに引き寄せて強引な言い換えをしてしまえば話し手は話す気を失ってしまうだろうが、聞き手ができるだけ忠実に聞き手を理解しようとした上で言い換えたことばによって謙虚に問うならば、話し手も自らの発言に新たな理解を見出し、意味はそれだけ豊か(=新たな展開をより生み出す)になるだろう。(このあたりについてはバフチンは何か言っているのだろうか?私はバフチンを四半世紀前に読んだきりなので再び勉強しなければならない)。


■ 「思想はきっちりと、実践はおおらかに」

高木俊介は自らのモットーとして「思想はきっちりと、実践はおおらかに」を掲げる。「逆だったら大変ですよね」とも彼は言う。 (p.86)

→これは私が非常に共感したことば。しかし英語教育の世界ではほとんど「思想がほぼ皆無、実践は厳格に」といった状態であるようにも思えるので、このモットーに共感する人が増えるようにきちんとした文章を書かねばならないと反省(汗)。



関連サイト

オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン
https://www.opendialogue.jp/

竹端寛 「「病気」から「生きる苦悩」へのパラダイムシフト : イタリア精神医療「革命の構造」」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009551596






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ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル、高橋睦子、竹端寛、高木俊介 (2016) 『オープンダイアローグを実践する』日本評論社
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