2017年8月7日月曜日

Natural Second Language Pedagogy? Dwight Atkinson教授の講演から



迂闊なことに、このブログではお知らせし忘れていて、「広大教英ブログ」だけでのお知らせとなってしまったのですが、7/21(金)に広島大学教育学部で開催したDwight Atkinson教授 (the University of Arizona)の講演内容は非常に示唆深いものでした。このまま記憶が薄れることを怖れ、ここに私の解釈を含んだ備忘録的記録を残しておきます。




仲良くさせていただいているのでファーストネームで呼ばせていただきますが、Dwightの講演は、当日は、Natural Second Language Pedagogy?  (Are humans & maybe even some animals natural born teachers?)と少し変更されましたが、私が理解する限り、その要旨は、Kline (2015)の枠組みに基づき、第二言語教育を、人間および他の動物が進化の過程で獲得してきた5つの類型の行動から再解釈するものでした。(5つの類型についての詳しい説明は、下の論文をお読みください)。

1. Teaching by social tolerance
2. Teaching by opportunity provisioning
3. Teaching by stimulus or local enhancement
4. Teaching by evaluative feedback
5. Direct active teaching


Kline, M. (2015). How to learn about teaching: An evolutionary framework for the study of teaching behavior in humans and other animals. Behavioral & Brain Sciences, 38, 1-17.



ここからは私の単なる思いつきになりますが、おそらくは人間が他人に何かを教える際も、もっとも「自然な」1からもっとも人為的な5へという順番で基本的に進めるべきなのではないでしょうか。それなのに、近代社会で人工的に設計された要素を多くもつ学校では、教えることを5から始めてしまっているので、「自然に」学ぶことができず、いわば「学校秀才」ともいうべき、近代の人工的学習環境に慣れた人たちだけがもっぱら成功していると考えることはできませんでしょうか。

外国語教育にしても、すぐに5. Direct active teachingで表現を直接的に教え、その成果をすぐに4. Teaching by evaluative feedback、つまり小テストや口頭での修正でチェックするという形が、日本の英語教育での主流であるPPP (Presentation - Practice - Production) でも取られているように思えます。

3. Teaching by stimulus or local enhancementのような工夫も、英語を表情豊かに即興的に表現できる英語教師のみに限られ、日本の英語授業では頻繁には見られません。さらに、2. Teaching by opportunity provisioningは、TBLT (Task-based Language Teaching)でもない限りあまり与えられず--与えられたとしてもすぐに評価という褒賞・懲罰の枠組みに組み込まれ--、 1. Teaching by social toleranceという興味に応じて言語使用を参画的に観察する機会もほとんど与えられず、すぐに教材を与えられるのが日本の英語教育の典型ではないでしょうか。

この前提を問い直すことを私としても試みたいと思います。




追記 (2017/08/10)

Dwightの上記の講演の基になった論文は以下で読むことができます。


Homo Pedagogicus: The evolutionary nature of second language teaching
DOI: https://doi.org/10.1017/S0261444816000458 







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