2017年3月24日金曜日

希望をつなぐということ (教英卒業式・修了式挨拶)






以下は、昨日の教英卒業式・修了式で私が行った挨拶の元原稿です。

卒業生・修了生のご健康とご多幸を心からお祈りしております。折があれば、また大学に寄ってください。


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皆さん、ご卒業・ご修了おめでとうございます。

皆さんの多くは社会に出て、お金をかせぐ生活に入ります。

皆さんが皆さんであるという理由だけでお金をくれるのはおそらく親などの家族だけです。ですから、お金をかせぐということは家族や(お金が絡まない)友人とはまったく別の社会的関係に入ることです。これは大きな変化ですから、皆さんの中にも不安に思っている人もいるかもしれません。

最初に楽観的なことを言っておきますなら、大抵の人は何とかやっているのですから、皆さんも何とかなります。私のようにうつ病になったり、中高年になって三回もおたふく風邪を患ったり、髪の毛を失ったりしても何とかなります。

しかし悲観的なことを言うなら、仕事で疲れ果ててしまう人や倒れてしまう人もいます。逆に金銭や権力の亡者になってしまう人もいます。教師生活においても、学ぶ意欲にあふれた生徒と理解のある保護者ばかりというわけでは必ずしもありません。一般就職にしても、新自由主義の台頭と共に経済格差ひいては社会的格差がどんどん大きくなってきています。それに加えて、今後の人工知能の発展で格差がますます拡大し、ほとんどの中間層が没落するなどという予想も出てきています。未来予想というのはだいたいそのとおりにはならないものですが、このような現状に皆さんが不安を感じたとしても不思議はありません。


そう悲観的に考えるなら、どうやって希望をつなげばいいのか、と思うかもしれません。

私がしたり顔で言うべきことではありませんが、そんな時は皆さんが「ヒロシマ」という固有名詞がついた大学・大学院を卒業したということを思い出してください。







昨年末に映画化され有名になった作品に『この世界の片隅に』というものがあります(ちなみに原作者のこうの史代(ふみよ)さんは、広島大学の理学部を中退された方です)。私は彼女の作品を『夕凪の街 桜の国』(上の画像の作品です)で最初に知り、その表現力に驚嘆したものでしたが、『この世界の片隅に』というもう一つの名作も世間ではほとんど知られていない状況でした。

しかしその原作に惚れ込んだ片渕須直(かたぶちすなお)監督は映画化を決意します。しかし、お金がありません。そこで取った方法は「クラウドファンディング」、つまりインターネット経由で資金を調達することでした。最終的には全国47都道府県の3374人から3912万円あまりの支援金を得たそうです。単純な割り算をすれば一人一万円強の支援ですからものすごい金額の支援というわけではありません。

そこから長年の制作の苦労を経てようやく完成した映画ですが、最初は知名度が低いので、全国で63館しか映画上映されませんでした。さらに一説によりますと、主役の声優をしたのんさん(旧名 能年玲奈(のうねん・れな)さん)の芸能事務所との関係でテレビはNHKを除いてはほとんどこの映画のことを取り上げませんでした。だからなかなか話題になりませんでした。

それでもこの原作の良さを知る人、そして何より映画を見てよかったと思う人たちの口コミで少しずつこの映画は人々に認知されました。ロングランとなり、数々の映画賞ももらいました。いや、観客動員数や数多くの受賞といった権威でこの映画を語るべきではありません。私も含めた多くの人たちが、この映画を心からよいと思い、人生の宝としました。それがこの映画の語り方だと私は思います。


クラウドファンディングをした人、口コミでこの映画のことを語った人々は、皆、社会的に見れば無名の人々です。しかしその無名の人々の連鎖が大きな流れを作り出しました。その流れは海外にも伝わっています。


ですが、それ以上に大切なことは、この映画で描かれている物語が、人々が絶望的な状況でいかに希望をつないでいったかということです。


物語について詳しくは語りませんが、これは1945年前後の広島県呉市の市井の人々の物語です。戦争と原爆で人生を言語を絶するぐらいに滅茶苦茶にされた人々の物語です。

しかし登場人物は、戦争中も家族で冗談を言ったりします。困窮生活の中でも小さな喜びを大切にしたりします。原爆投下直後の地獄絵図のような状況でも無償の親切をしたりします。生命のはかなさを、そして人生の哀しみを知るからこそ、小さな喜びを大切にします。

本当は(映画挿入歌にもありますように)「悲しくてやりきれない」のです。しかし、人は自分の身体の心臓が動いている限りその生命を大切にします。温かいその身体を大切にします。そして心も温かくしようとします。

生き残った人には、人生の喜びをすべて奪われるような深刻な傷を負う人もいます。でもその人たちも、時に怒りを爆発させたり時に慟哭したりしながらも、自分の身体と心の温かさを保ち続けようとします。そして同じように体温をもつはかない存在である隣人を大切にしてゆきます。これこそは動物としての人間がもつ自然 -- human nature --なのかもしれません。

自分の体温を慈しむこと。そんな毎日を続けること。そして同じように体温をもつ他人をも慈しむこと。無理のない範囲で温かさを周りに伝えてゆくこと -- 希望というのはそうやってつながれるのではないかと思います。

実は最近の私にとっての、もう一つの映画の収穫であった『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』でも同じテーマが描かれていました。希望をつなぐのは、少数の英雄ではありません。一見、そう思えるとしても、それはその少数の人々を、圧倒的大多数の名も無き人々が支えているからです。名も無き人々の小さな行いの無数の連鎖こそが希望をつないでいるのです。英雄も名も無き数多くの人々がいなければ何もできません。


「絶望的な状況で何ができるのか?どうやったら希望をつなぐことができるのか?」


快刀乱麻の解決法はありません。

ひょっとしたらあなた一人では、希望をつなげないかもしれません。

かといって、どこかの英雄が、希望を与えてくれるのでもありません。

あなたは途方にくれるかもしれません。


でもその時には、自分の体温を感じて下さい。自分の呼吸を感じて下さい。自分の温かな生命を感じて下さい。神あるいは自然から与えられ、保護者や善意の人々によって育まれた自分の生命に宿る温かさを感じて下さい。

辛い時は、感性が損なわれがちです。だからこそ感性を大切にしてください。まずは身体の温かさを感じて下さい。そしてそれを大切にしてください。そして心のなかに温かさを灯して下さい。

希望がつながれるのは、私たちのような数多くの、社会全体からすれば「名も無き人々」の一人ひとりが、平凡な毎日を温かく暮らすからこそだと私は思っています。

その温かさが人から人へと伝わり、それが連鎖となって社会に広がるからこそ希望がつながれるのではないでしょうか。


皆さん、もし仕事に疲れたら、あるいは仕事によって人格が変わりそうになってしまったら、どうぞ自分の体温を感じてください。その温かさを大切にしてください。

あえて言うなら、炎のような情熱も要りません。マグマのような意志も必要ありません。

体温のような温かさ、いや、体温の温かさだけで十分です。


あなたの身体の温もりを大切にして下さい。そして心の温かさを失わないでください。かなうことなら、その温かさを小さな毎日の行為の中で周りに伝えていってください。


人類の偉大さは、そうやってこれまで生き延びてきたことにあると私は考えます。

皆さんも新しい環境で、数多くの名も無き人々の一人としてその偉大な人類の伝統を引き継いでいって下さい。

温かさを保ち、それを周りに伝えることが人間の偉大さだと私は考えます。


皆さんのご健康とご多幸を改めてお祈りします。




※ この原稿を作成するにあたり、細かな数字などはウィキペディアの「この世界の片隅に (映画)」のページを参照しました。










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