私は著者として到底納得できないあるアマゾンレビュー(下記の記事(1)参照)に対してコメントを寄せたところ、そのコメントは掲載直後すぐに削除されました。
記事(1)
あるアマゾンレビュー(『小学校からの英語教育をどうするか』)に対する私のコメント
抗議の手段を断たれた私としては、異例ではありますが著者として、レビューに2015年6月6日にアマゾンレビューを投稿しました。すると、私が問題視したレビュアーはそのレビューを6月7日までには撤去したようです。
その撤去に伴い、私は問題視したレビュアー様のお名前を完全匿名化(○○様)とした上で、アマゾンレビューシステムが悪用されうることを問題提起するために、私が以下の内容で、アマゾンレビューを編集し残しておきました。
ですが、先ほど(6月9日夜)確認したところ、そのレビューは、アマゾンによって削除されておりました。
アマゾンレビューは、本来は商品のレビューであるわけですから、特定の商品に対するレビューがきっかけになったものの、一般的な問題提起の文章になった私のレビューをアマゾンが削除するのは極めて妥当なことだと私も考えます。
といいますより、アマゾンは私が問題視したレビュアーがそのレビューを撤去してから、少なくとも2日間は、私の問題提起レビューを掲載していたので、それは良心的対応だったと考えるべきなのかもしれません。
ですが、私としては自分の行った問題提起を記録として残しておきたいので、敢えてここにそのコピーを掲載しておきます。
ついでながら書きますと、今回の件をきっかけに、私はさまざまな方々から情報やご意見をいただきました。それらの方々からのご一報を、そのまま「アマゾンに関する事実」として結論づけるわけにはまいりませんが、アマゾンユーザーの中にはこのような見解をもつ方々もいるということを示すために掲載します。
現代文化に多大な影響力を与え続け、その勢いがとどまることを知らないようなアマゾンおよびウェブ文化一般に対しての問題提起をするための掲載としてご理解ください。
○ 日本アマゾンレビューでは理不尽なレビューやコメントが少なくない。
○ 受け狙いのネタ投稿や、読者を煽りその反応を楽しむ様な愉快犯、レビューにもなっていないレベルの投稿などが多く見られるが、これはアマゾンだけというより、日本のネット全体の傾向であるように思える。
○ レビュアーが自分のアマゾンレビューを削除すると、(下記ブログ記事(2)で推定したように)コメントを抹消することができる。
○ アマゾンレビュー界には多数の業者が紛れ込んでおり、組織的に最高評価や最低評価(時には削除要請)を集中的に与えることがあるように思える。
○ アマゾン自身がVineメンバーという制度をもっているらしく、その制度では高額商品の無料提供の代わりにレビュアーがレビューを寄稿しているらしい。
○ アマゾンの検閲基準にも首をかしげることがある。
○ 米国アマゾンにも、理不尽なレビューやコメントが見られる。
私は今回の件を通じて、匿名発言に対する不信感が高まりました。一見、無料で自由な発言に見えても、その背後には「勘定と感情」が深く関与していることも多いのかと思います。
20世紀末からのウェブ文化の流れは、旧来の有料活字文化を「古い文化」として駆逐せんばかりにも見えていましたが、私はそろそろ、表現者が実名で書き、出版社がその存在をかけて編集して有料の商品として読者に購入してもらう旧来の書籍・雑誌・新聞などを見直す潮時が来ているのではないかとも思います。
なお、以下にコピーする削除された私のレビューの内容は、上記の記事(1)と下記の記事(2)とは重複する箇所がとても多いことを予め述べておきます。
記事(2)
アマゾンレビューシステムの悪用法
これらの記事を既にご参照の皆様は、特に下のコピーをお読みになる必要はないかと思いますことを付け加えておきます。
*****
以下、アマゾンから削除された私のレビュー
(コピー転載に伴い、読みやすさのために一部レイアウトを変更)
星印3つ
著者として○○様のレビューにあえてコメントします 2015/6/6
投稿者 柳瀬陽介
昨日、以下のレビューを掲載しましたが、本日(2015/06/07)見た限り、私が問題視していたレビューは削除されておりました。下にも書いておりましたように、私はそのレビュアー様をことさらに敵視しているわけではありませんので、本日、レビュアー様のお名前はすべて匿名化し、「○○様」としました。
とりあえず今のところは問題のレビューが消えているので、私のこのレビューも削除することも考えましたが、私としては今回の件で、アマゾンユーザーの皆様に一つの問題提起をしたく思いました。したがって以下に文章を追加し、昨日のレビューはその問題提起の背景事情説明として残しておくことにします(以下の文章には本日最初の投稿に一部修正を加えております)
私の問題提起を簡単にまとめておきますと、レビュアーは、一般読者に知られないようにアマゾンレビューシステムを操作し悪用することが可能かもしれないということです。
より具体的に言いますと、レビュアーは「編集」でなくわざと「削除」機能を使ってレビューを書き換えることによって、自分のレビューに寄せられた不利なコメントや「いいえ」を抹消し、自分の錯誤や偏りを隠したままにしておくことができると考えられます。
この悪用法により、レビュアーは自分のランキングを上げ続ける(少なくとも下げない)ことが可能になると考えられます。
断定はできませんが、ひょっとしたら「トップレビュアー」とされている人の中にもこの悪用法に手を染めている人がいるかもしれません。
レビュアーが悪用法に手を染めているかどうかを判定方する法は、今のところ3つ考えられます。
(ア) レビューの固定リンクが変わっていないか記録観察する。
(イ) レビューについた「はい」「いいえ」の数が変わっていないか記録観察する。
(ウ) 批判的なコメントが消されないか記録観察する。
これらの判定法とて絶対ではありませんが、これらの判定法にしばしばひっかかるレビューがあれば、そのレビュアーはアマゾンのレビューシステムを悪用している可能性があります。
現代日本の読書文化に対してアマゾンは巨大な影響力をもっています。そのアマゾンに掲載されるレビューおよびレビュアーのランキングは、書籍購買にも大きな影響を与えます。また、これからの批評文化やウェブ文化を形成する核の一つになるとも考えられます。こういった影響力を踏まえての問題提起であることをご理解いただけたらと思います。以下、お読みいただけたら幸いです。
また、悪用法はこんな単純なものだけでなく、もっと込み入ったものがあるのかもしれません。それらはわかり次第ここでもお伝えしますが、現時点では、私が複数の人間の複数の経験から推定できる限りのことを下で報告します。この推定に間違いがあることが判明したら、その際は速やかに内容を訂正します。
■■■ アマゾンレビューシステムの悪用法 ■■■
■ アマゾンレビューシステムの仕組み(推定)
自他合わせた複数者の経験から現時点で推定できるのは、アマゾンのレビューシステムでは、レビュアーがいったん掲載した自分のレビューをわざと「レビューを削除」の機能を使って削除してから、新たにレビューを再投稿することによって、次のことが自動的に生じるようになっているらしいということです。
ちなみに、「レビューを削除」の機能を使うには、通常の書籍トップページからではなく、いったんわざわざ自分のレビューの固定リンクページに行く必要があります。
レビュアーが通常のように「編集」モードでレビューを書き換えるのではなく、わざとレビューを一度「削除」した上で、新たにレビューを再投稿すると、
(1) 新レビューに新しい固定リンクURLが付与され、旧レビューの固定リンクは無効化される。
(2) 旧レビューにつけられていたコメントが抹消される。
(3) 旧レビューの評価(「このレビューは参考になりましたか?」への「はい」か「いいえ」の数もゼロに戻され抹消される。
ようになることが推定される。
以上の(1)-(3)は、レビュアーが自分のレビューを普通に「編集」するだけでは可能になりません(これは私が試して確かめました)。
(1)-(3)は、あくまでもレビュアーがわざといったん固定リンクページに行き、「レビューを削除」して、新たにレビューを投稿してはじめて可能になると推定されます。
私はまだそういった実験を行っていませんが、常識的に考えてこの推定はおそらく間違っていないと思います。
もしこの推定が正しいとすると、アマゾンのレビューシステムは以下のやり方で悪用することができます。
■ 悪用法
あくまでも一般論であり理論的に可能な仮定として読んでください。仮に、レビュー活動を、読書文化・批評文化・ウェブ文化を豊かにするためではなく、レビュアーとしての自分のランキングを上げるために使うことばかりに執心している人がいたとしましょう(その執心が、功名心からくるのか実利からくるのかそれとも複雑な心理的葛藤からくるのかは、私にはわかりません)。
そんな人が気にしているのはもちろんレビューアランキングですが、その決定アルゴリズムは一般には知られていません。しかし、どう考えても、そのアルゴリズムは、レビューに寄せられた「このレビューは参考になりましたか?」への「はい」と「いいえ」の絶対数とそれらの比などを重視しているはずです。
■ 悪用の具体的手順
もし以上の想定が正しいなら、以下の(a1)-(a5)のような方法でアマゾンレビューシステムを悪用(abuse)することができます。
(a1) 流麗な修辞法などを駆使した目立つレビューを、次々に量産し、多くの「はい」を得て、ランキングを上げる。
(a2) もし自らのレビューの錯誤や偏りを指摘するコメントが来たら、まずそのレビューを削除してしまう。
(a3) その旧レビューの削除により、旧レビューへ寄せられた批判的コメントの存在自体を抹消してしまう。
もちろん削除により、旧レビューで得られた「はい」の数は失われるが、批判コメントにより今後増えるかもしれない「いいえ」の数は未然に防ぐことができる。
(a4) 削除の直後に新しいレビューを投稿するが、それはレビューの細部だけを書き換えたものにしておく。
一般読者は、古いレビューの固定リンクURLを知っていない限り、そのレビューにはいわばマネー・ロンダリングのような(a3)の操作がされていることに気づかない。新しいレビューは、通常のように書籍情報のページからアクセスすれば、前と同じように表示されるからそうやって一般読者の目をごまかす。
もしそのレビューに付けられた「はい」と「いいえ」の数の記録を注意深く取っている読者がいれば、その数が変わったことに疑問をもつかもしれないが、レビューの細部が変更されているので、一般読者は、レビューは細部が編集されたため数が変わったと思い込む(一般読者はそれほどアマゾンレビューシステムについて知識をもっているわけではない)。
(a5) このように自らの錯誤や偏りを隠したまま、知らぬ顔のまま(a1)の活動を続け、さらに自分のランキングを上げる。
悪用の具体的手順は以上の通りです。
こうすればレビュアーは自分の目的を首尾よく達成することができるでしょう。
しかし、もしこのような悪用法がはびこれば、そのレビュアーに(誤解に基づいた)酷評をされた著作の著者および出版社は少なからぬ精神的苦痛を覚えます。また、本来は得られたかもしれない読者を得られないという文化的・経済的損害も生じます。
また、もしそのレビュアーに(誤解に基づいた)絶賛された本を買ったアマゾンユーザーは無駄な出費をしたと後悔するかもしれませんが、上記の悪用法によってそのレビューへのコメントや「いいえ」の批判は抹殺されます。
おそらく唯一の抗議方法はユーザーが自らレビューを書くことかもしれません(さすがにそのレビュアーも他人が書いたレビューを消去することはできません)。
ですが、多くの人はそこまでしません。レビューの目的を取り違えた自称「レビュアー」は、しばしば他のレビュアーを攻撃します。そして、字数の限られたウェブ空間での匿名者とのコミュニケーションは不毛な水掛け論となり、憔悴してしまうだけのことが多いからです。
私たちはこのような悪用法がありうることに対する警戒を高めなければならないのではないでしょうか。
■ 今後のアマゾンレビュー文化のために
私はこのように悪用法を公開しましたが、これは上でも述べましたように、レビューに対する皆様の関心と注意力を高め、言ってみるなら私たちの「レビューリテラシー」を向上するようお互い努力すべきだと考えたからです。一人の人間ができることには限りがありますが、多くの人々が良識に基づいた行動をすればその力は計り知れないからです(それこそが文化の力です)。
以下、三つの対抗策 (A)-(C)を提示します。システムを悪用する人に対抗するためには、こちらもしたたかである必要があります。
(A) 固定リンクURLを電子記録
もしあやしいレビュアーがいれば、その人のレビューの固定リンクURLを記録しておいてください。変わっていたら、システムを悪用している可能性があります。
(B) 「はい」と「いいえ」の数を電子記録
あやしいレビュアーが書くレビューの「はい」と「いいえ」の数に注目しておいてください。証拠を得ようと思ったら、Evernoteや他の手段で電子記録(画像)をとっておくことが有効でしょう。もし「はい」と「いいえ」の数が変わるレビューがあれば、それを書いたレビュアーは、レビューシステムを悪用している可能性があります。(もっとも、アマゾンサーバーのトラブルのために「はい」と「いいえ」の数が変わったという可能性は排除できません。念のため付け加えておきます)。
(C) コメントを出してその掲載を電子記録
もし自分がコメントを出したのに、そのコメントが消えてしまっているレビューがあれば、それも怪しいと思ってください。(レビュアーは自分のレビューにコメントがつけば、すぐにそれを電子メールで通知してもらうシステムを利用することができますので、否定的なコメントはすぐに抹消されることがあります)。ですからおかしなレビューにコメントを寄せた方は、ぜひそのコメントの電子記録(画像)もとっておいてください。
読む対象が活字からウェブへとどんどん移行するにつれ、いつのまにか私たちはウェブでの短文の断定口調に慣れきってしまうかもしれません。そんな時、流麗な修辞で武装された断定的レビューは非常に魅力的に思えるかもしれません。ですが私たちはむしろ、そんなレビューをレビューする、つまりはレビューを冷静に観察することが必要なのかと思った次第です。
また、ランキングは、顔を付きあわせての信頼関係から 作られるのではなく、単にアルゴリズムで作られます。アルゴリズムは悪用できます。ランキングを無批判に信用するのも考えものでしょう。もしかするとその人は、システムを悪用し続けることによりランキングを上げているのかもしれません。
ただ、上に述べましたように、この報告は私がなしうる最上の推定として書いているものです。錯誤があるかもしれません。もし修正や加筆をするべき箇所があれば、それは後日訂正します。この件について、より確実な情報をお持ちの方は、このレビューへのコメント欄でお知らせいただけたら幸いです。
また、ひょっとしたら、後日、私のこのレビューに対して上記の悪用法を適用し、上の推定が正しいかどうかを実験するかもしれません。その実験を終えたらそのことを報告しますが、その際は、このレビューの固定リンク・「はい」「いいえ」・コメントが変わっているかもしれないことをご承知おきください。
アマゾンを利用する皆様への問題提起として書きました。長文にもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございました。
■■■以下、2015/06/06の投稿内容(レビュアー様の名前を匿名化しました)■■■
本書(『小学校からの英語教育をどうするか』)の著者の一人です。実名で投稿しています。
本書に対する○○様のレビュー(注)が、極めて残念ながら、本書をきちんと読まないまま書かれているように思え、かつ○○様(略称をお許しください)が「殿堂」「トップ10」のレビュアーであるのでその影響力を看過できないと考え、ここに投稿することにします。
もちろん○○様のレビューのコメント欄に投稿することもできますし、実際、私は昨晩コメント欄に投稿しました。ですが、そのコメントはすぐに消えました。
この消失に関しては、少なくとも二つ理由が考えられますが、現時点ではどちらの理由によるものか特定できません。しかし、もしそのうちの一つの理由が正しければ、私が○○様のレビューのコメント欄に再投稿してもそれが再び消える可能性がありますので、消えることがないように、ここにレビューとして投稿します。
なおこのレビューでの星印は3としておりますが、これは付けないと投稿できないから、真ん中をとって3としたものです。著者は自著に5(最高点)をつけるべきではないでしょうし、かといって1(最低点)にするのもおかしな話と思ったので、3とさせていただいたことをご理解ください。
○○様への反論を具体的かつ丁寧に書いたため、私のコメントは長文になってしまいました。ですから、その全文は、私のブログに掲載しています。
“英語教育の哲学的探究2” と “柳瀬陽介”
で検索してくだされば同名のブログが出てくると思います。その2015年6月5日の記事です。アマゾンのレビューではURLの掲載が禁止されているようなので、あえてこのような周りくどいお知らせをしています。
アマゾン・ユーザーの皆様におかれましては、もし可能でしたら、上記のブログ記事のコメント全文をご参照の上、○○様のご主張と私の主張のどちらが公正か、それぞれにご判断いただけたら幸いです。
ですが、お忙しいユーザーの皆様の便益のため、私のコメントの概要を次の三点にまとめておきます。
*****○○様のレビューに対する著者としてのコメントの概要*****
(1) ○○様のレビューは、本書の複数箇所で具体的に書かれている記述を、読み落としたり言及していなかったりしているもので、そのことからすれば、○○様は、本書を斜め読み・速読し、本書の論証方法自体をご理解されていないまま、「実施計画」だけを参照し、本書を再読・再参照なさらずにレビューを書いたものと思われます。
[この論点を、本書の記述とページ数を具体的に指摘しながら示しました。その結果、○○様の「この著者は、英語教育を語る以前に日本語の読解力の勉強をやり直した方がいい」というご主張(現時点でのレビューのタイトル)は、著者としては納得しがたく思っていることを表明しました]
(2) 雑誌メディアや他のウェブでの書評を見ても、○○様がおっしゃるように本書が誤読と曲解にみちたものであるといった指摘・批判は、私が知るかぎりありません。
[逆に、例えば大修館書店『英語教育』(2015年7月号)の書評では、元文部科学省官僚の方が「この書は単なる批判に終わらせず、小学校英語教育を含む英語教育が依拠するべき理念を示そうとしている」との評価をしてくださっています。もし本書が文科省の文書を○○様がおっしゃるほどに誤読し曲解したものでしたら、元文科省官僚の方はまっさきにそれを指摘するはずです]
(3) アマゾンが現代日本の読書文化・批評文化・ウェブ文化に対して与えている影響力の大きさを考えれば、「殿堂」「トップ10」レビュアーなどの称号を得られている方々には、その称号にふさわしいレビューを期待しております。
[私は、アマゾンのトップ・レビュアーがその称号にふさわしい見識と品格でもって、すべてのアマゾン・ユーザーから敬意をもたれている文化を望んでおります。アマゾン・レビュー全体が、新しい公共メディアとして健全な発展をすることが私の願いです]
*****著者としてのコメントの概要終わり*****
なお、私は○○様の今回のレビューには納得いきませんが、ことさらに○○様を敵視しているつもりはございません。
私は一人のアマゾン・ユーザーとして、トップ・レビュアーを尊敬したく思っています。ですが、残念ながら今回はそれがかないませんでしたので、ここに投稿した次第です。○○様が「殿堂」「トップ10」レビュアーでなければ、ここまでのことはしなかったと思います。私としては○○様、および他のトップ・レビュアーの皆様が、その称号にふさわしい活動ですべてのアマゾン・ユーザーからの敬意を受けることを願い、その意味での○○様の今後のご活躍を祈念します。
(注)ここでいう「○○様のレビュー」は、5/18から6/6昼にかけて私が時折閲覧・電子記録したものです。○○様は、時々、レビュー内容を書き換えられておられるので付記しておく次第です。なお○○様が書き換えられた内容は、ブログ記事に記載しています。
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