以下は、本日、私が教英追いコンの席で挨拶として述べたことです(実際の口調は非常に柔らかくしましたが)。
その後の追いコンは、まさに抱腹絶倒の場で、皆、心から楽しみました。
このような場を作り、発展し続けている教英の学生を私は心から誇りに思っています。
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卒業・修了予定者の皆さん、おめでとうございます。
本日は楽しみましょう。
私も含めた教員も、動画で今日を楽しい一日にすることを試みています。
後で大笑いしましょう。
ですが、私は一応教員で、かつ、卒業・修了予定者の皆さんにお話できる機会がほとんどなくなってきたので、大学教員の一人としてぜひとも伝えておきたいことを少しだけお話させてください。
短くまとめるなら、それは「本読め、新聞読め、英語読め」ということです(笑)。
これから社会に出て何らかの形でお金を稼ぐ皆さんは、そのお金と引き換えに社会的責任を担います。
今までお金は基本的に親が送金してくるもの、奨学金という形で銀行口座に振り込まれるものだったかもしれません。
しかしこれからは(ほとんどの家庭で)親はあなたに送金してくれません。奨学金は負債という真の姿を示し皆さんは毎月一定額を返済していかなければなりません(給付型奨学金が日本ではあまりに貧困であることに対して私たちは怒るべきですが、それは今は別の話とさせてください)。
今までは適当に単位を取れば、後は気ままに楽しむだけだったかもしれませんが、その時期はもうすぐ終わりです。"Party's over"です。
新しい社会人としての皆さんに私が一層勧めておきたいのは、本を読むこと、新聞を読むこと、英語を読むこと、です。これは私が大学教師として常に皆さんに促していることですが、未だ、十分にそのメッセージが伝わっているとは残念ながら思えません。ですから、今日、繰り返している次第です。
本を読むこととは、吟味されたことばで表現された思考や情感を通して、深く考え深く感じることです。これまで皆さんは、せいぜい学校で出される底の浅い問題にしか接してきませんでした。しかし社会が、あるいは人生が、皆さんにこれから突きつけてくる問題は、解の公式など存在しない深いものです。それに対処するには深い思考と情感が必要です。どうぞ皆さん本を読んで下さい。
新聞を読むこととは、社会について広く知ることです。これまで皆さんは、せいぜい自分の周りのことだけについて配慮していればよかっただけかもしれません。しかし、教師になれば、様々な社会的・経済的・文化的背景をもった生徒とその保護者に対する十分な配慮が求められます。その背景はより広い状況につながっていることもすぐに気づくでしょう。皆さんは社会人として、自分身の回りを超えた広い社会のあり方について知る責任が生じます。日本の新聞については私も批判したいことはたくさんありますが、民主主義社会は、おそらく自発的に支払う購読料という信頼に応えて社会的責任を果たそうとする批判的ジャーナリズム抜きには維持できません。どうぞみなさん、きちんと新聞を読んで下さい(そして新聞に対しても批判を続けてください)。
英語を読むこととは、一つの言語文化圏にとらわれずに、より自由に考え、感じることです。残念ながら私がまともに読める外国語は英語ぐらいでドイツ語はほとんど使い物になりませんが、それでも日本語以外に英語(そしてごくわずかながらのドイツ語)が読めると、日本語だけでは考えられなかったこと、感じられなかったことを経験することができます。トランプ大統領の選出という派手な出来事によって多くの人々が感じ始めたように、今は、世界史的な転換点にいるのかもしれません。世界は連動しています。これがグローバリズムの一つの意味です(グローバリズムとはお金儲けのことだけを意味することではないことは十分ご理解下さい)。皆さんは教英を卒業・修了するのですから、ぜひ英語を読んでその読んだことから社会について考え感じることを習慣化してください。そうやって人生で英語を活かすことができないなら、私はその人がいくらTOEICで満点を取ろうが英検1級をもっていようが、そんな人は残念ながら、単なる優等生、あるいは英語オタクか自分のコンプレックスを資格試験自慢で解消しようとしているだけの人としか思えません。"Read words to read the world"とも言いますが、どうぞ日頃から英語を読んで、この世界について少しでも多角的な視点を得て下さい。
以上で「本読め、新聞読め、英語読め」という私の話は終わりです。教師の悪癖でお説教を、私の悪癖で辛口でしてしまいましたが、本日のお説教はこれで終わりです(さらに、卒業・修了すれば私のお説教も聞かなくて済みます)。
その意味も込めて申し上げましょう。「おめでとうございます」。
本日は楽しみましょう。
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