2015年11月16日月曜日

統合情報理論 (Tononi 2008) において、意味について言及されている箇所の翻訳



以下は、統合情報理論 (Integrated Information Theory) についてまとめられた Tononi (2008) のうち、意味 (meaning) に関する箇所 (p.218とpp.238-239) を私なりに翻訳したものです。意味、意識、情報といった基礎概念を整理するために役立つのではないかとも考えました。(翻訳からのリンクは、私が加えたものであり、原文に存在するものではありません)。

いつものように、私の誤解・誤読・誤訳を怖れます。間違いがあればご指摘ください。すぐに修正します。


Giulio Tononi (2008)
Consciousness as Integrated Information:
a Provisional Manifesto
(Biol. Bull. December 2008 vol. 215 no. 3 216-242)






p.218 

  このこと [ フォトダイオードとあなたは似たようなことをしているように見えるが、実は異なることをしているということ ] を理解することは簡単だ。スクリーンが光るか暗くなるかだけである代わりに、スクリーンが赤色、緑色、青色と変わり、次には、次から次へと、これまで作成されたすべての映画の画面を映し出すと想像してみよう。フォトダイオードは、それぞれの画面の光の量が閾値を超えているかいないかについて信号を出し続けるしかない。フォトダイオードにとって、物事は二つの状態のうちのどちらか一つでしかありえない。したがってフォトダイオードが「光っている」と報告するとき、それが意味していることは、「こうである」「ああである」において「こうである」ということだけである。しかし、あなたにとっての光っているスクリーンは、単に暗いスクリーンと異なるだけでなく、その他の多数の映像とも異なっている。だからあなたが「光っている」と言うとき、その報告が本当に意味しているのは、「この特定の状態である」「無数の状態である」において「この特定の状態である」ということ、たとえば、赤色のスクリーンでも、緑色のスクリーンでも、青色のスクリーンでも、ありとあらゆる映画の映像の中でもこの映画の映像でもあの映画の映像でもない、ということである(映像に伴っている音、匂い、思考、およびそれらのあらゆる組み合わせについても同様であることは、言うまでもないだろう)。明らかに、あなたにとってはどの映像も違って見える。このことから、あなたの脳内のあるメカニズムが、あなたが見ている映像を、他のすべての映像とは区別することができるに違いないと思われる。だからあなたが「光っている」と言うとき、あなたがそのことについて考えていようといまいと (普通は考えていないものだが)、あなたは、多数の可能な事態の中での区別を行ったわけである。ということは、あなたは大量のビット数の情報を生み出したわけである。

  この論点は、単純すぎてかえってわかりにくいかもしれないので、フォトダイオードは光の検知に関しては私たちと同じように思えるのに、なぜ私たちのように光を見て理解することがまったくできないのか、-- 実際のところ、フォトダイオードは「見て理解する」ことがまったくできない -- についてもう少し詳しく考えておくことが有益かもしれない。うまくゆけば、フォトダイオードに欠けているものを実感することによって、光を意識的に「見て理解する」ことを私たちに可能にしているものが何なのかについてよくわかるようになるかもしれない。

  ここで重要なのは、私たちにはできるがフォトダイオードにはできないたくさんの区別が、今問題になっている明暗の区別の意味にどのような影響を与えているか、ということを実感することだ。たとえば、フォトダイオードには、有色光と無色光を区別するメカニズムがなく、有色光の中でもどの色の光かを区別することなどおよびもつかない。その結果、フォトダイオードにとっては、どんな光もある一定の閾値を超えているかぎり同じである。だからフォトダイオードにとって「光」が、有色光ではない無色光であることを意味することはまったくできないし、ある特定の色であることを意味することができないことについては言うまでもない。また、フォトダイオードには、均質な光と、暗い背景に浮かび上がった明るい形  -- 明るくて見えている形なら何でもよい -- を区別するメカニズムをもたない。だからフォトダイオードにとって、光が、ある形 -- もちろん無数の特定の形のうちの任意の形 をとらない均質な光を意味することはまったくできない。さらに悪いことには、フォトダイオードは、自分が視覚的属性(光の「視覚性」)を検知していることを知らない。フォトダイオードには、明暗といった視覚的属性を、たとえば熱量や重量や音量といった非-視覚的属性から区別するメカニズムがないからだ。私たちが知る限り、フォトダイオードはサーミスタと変わりない。フォトダイオードは、自分が明暗の知覚をしているのか熱冷の知覚をしているのかを知るすべがない。

  まとめるなら、フォトダイオードができる唯一の特定は、これかあれか、だけである。それ以外の特定はできない。それ以外の特定をするためのメカニズムがないからである。したがってフォトダイオードが「光」を検知するときの「光」が、「光」が私たちに意味していることとおなじことであることはとうていありえない。フォトダイオードにとっての「光」は、それが視覚的属性であるということも意味していない。これに対して、私たちが「光」を十分に意識しながら見て理解するとき、私たちはひそかにずっと特定的である。私たちは、ああでなくこうである(暗でなく明である)と特定しているのと同時に、私たちが区別しているものが何であれ、それは無色(どんな特定の色をもたない)であり、無形(どんな特定の形ももたない)であり、聴覚的・嗅覚的・触覚的でもなく思考的でもない視覚的なものである等などの特定をしている。つまり、私たちにとって光ははるかに豊かな意味をもったものであるが、それはまさに、私たちが「光」と呼ぶこの特定の事態を、多数の他の可能な事態と区別するメカニズムをもっているからである。

  統合情報理論によるなら、いかにして私たちが純粋な光を他の可能な事態から区別しているかということによってひそかに付け加えられたこの意味こそが、意識のレベルを上げているのである。この大切な論点は、「引き算」か「足し算」によってよくわかっていただけるかもしれない。引き算によって、私たちが「光」を意識していることのレベルが、段々と下がり -- 無色性を失い、無形性を失い、視覚性までも失い --、意味がどんどんと剥奪され、フォトダイオードと同じように「二つのうちの一つの状態」になってしまうことを実感できるかもしれない。足し算によって、同じように「光」を見ながらも、その光が他の無数の可能な事態と異なるかを特定することにより、意味がどんどんと増していくことを実感できるかもしれない。どちらにせよ、統合情報理論が言っていることは、メカニズムが純粋な光と、そうでないものをより多く区別すればするほど(光が何を意味するかより多く特定すればするほど)、意識のレベルは上がるということである。









pp.238-239

意識と意味

  統合情報という考え方、もっと一般的に言うなら、あるクオリアを構成している情報の関係性の集合は、意味の考え方、もっと一般的に言うなら、意味論と関係している。ここでは短いながらも、意味がどのように情報を統合することができるシステムを要求するのか、さらに具体的に言うなら、意味がどのように概念によって獲得されるのか、について論考したい。

  統合情報理論にとっては、意味を生成するのはメカニズムである。さらに言うなら、意味を生成できるのは、ある単一の複合体の中にあるメカニズムだけである。メカニズムは確率分布(メカニズムが適用される前後関係)を違う確率分布に変更し、そのことにより、ある情報の関係性を特定する。要は、メカニズムはある状態をありえないとして排除し、ある状態をありうるとして取り入れるということである。ここに意味論との平行関係がある。意味論では、文の意味がその文が真か偽となる可能世界によって意味の特定がなされるからである。また、意味論と同様に、メカニズムが作動する前後関係によって意味は変わってくる。しかし統合情報理論にとっては、意味が意味をもつのは、複合体の中だけである -- 互いに接合していない複合体に属している複数のメカニズムが意味を生成することはない。実際のところ、意味があるというのは、一人ひとりの個人が経験することであり、その意味はその意味のクオリアによって完全にかつ一義的に特定される。たとえば、単一のq矢印を生み出しているフォトダイオード22はほとんど何も意味しない(つまり特定しない)が、大きく複合的なクオリアははるかに多くを意味する(つまり特定する)。統合情報理論は、考慮すべき可能世界についても精確である。可能世界とは、複合体の最大エントロピー分布によってもたらされる状態である。異なる主体の「頭の中」の意味が、どのように外的世界を指示しているかは別の問題であり、内的関係性と外的関係性を合わせることについての考察が必要である(後述)。

  概念とは、ある一定の事態を一緒にまとめている複数のもつれたq矢印であり、そのまとめかたはより単純なまとめかたの合計に分解することはできないということを思い出してほしい(Feldman, 2003も参照のこと)。図10が示しているのは、それぞれ四つの入力要素(センサー S)と四つの出力要素(検知器 D)から構成される二つのシステムである。「コピー」システム(図10A. 2左のカメラの例に似ている)では、それぞれの出力要素は異なる入力要素と結合されており、それぞれのセンサーと検知器の対は、 “S = D”という関数を実行している。コピーシステムは、全部で4ビットの情報を伝えているが、そのシステムは四つの別々の複合体に分解できるので、このシステムは統合情報を生成してはいない。それぞれのセンサーと検知器の対は1ビットの搭乗情報と単一の情報の関係性 q矢印)を生成しているが、これは可能なもっとも単純な概念に相当している。物事はああでなくこうであるだけだ(図1のフォトダイオードと同じである)。

  今度は「概念的」なシステムについて考えてみよう(図10B)。このシステムでは、それぞれの出力要素は、四つすべての入力要素と結合しており、さきほどよりも複合的なブール関数で入力に対して作用する。23  たとえば、出力要素5は「平衡」関数を四つの入力要素に対して実行しうる(奇数個の入力がオンだったらオンになり、そうでなかったらオフになる)。要素6は「対称」関数(オンとオフの入力配列が対称的だったらオンになる)、要素7は「隣接」関数(オンかオフの入力要素が、同種の入力要素と隣接していたらオン)、要素8が「等量」関数(オンとオフの入力要素の数が同じならオン)である。24 このシステムでは、それぞれの出力要素(求心的な結合)によって生成されるq矢印がもつれており、四つの求心的結合が協働して生成する情報は、それぞれの結合が独立して生成する情報の和よりも大きい(たとえば、平衡関数が計算されるのはすべての入力が同時に考慮されたときだけである)。前述したように、もつれたq矢印はQにおける概念を構成するが、ここでは単一の出力要素がすべての四つの入力要素を包括的に統合していることで [ 概念が ] 具現化している。さらにこのシステムでは、四つの出力要素は異なる概念を特定しており、それゆえ一連の入力の異なる側面についての情報を生成している。25 したがって、最初の出力要素がオフであることは「偶数」の入力を意味し、二番目がオンであることは「対称」を、三番目がオフであることは「非隣接性」を、四番目がオンであることは「等量性」を意味している。出力要素へのすべての求心路が一緒になって生成されたq矢印ももつれており、すべての求心的結合が協働的に生成した情報は、それぞれの出力要素への求心路が独立して生成した情報の和よりも大きい。26 これが意味することは次のようにまとめられる。事態はこのあり方 -- 偶数で対称的で非隣接的で等量 -- であり、多くの他のあり方ではない。概念的システムは文字通り一連の入力に意味を加えた。さらに、概念的システムはこの概念を単一体の存在物 --高い統合情報をもつ複合体 -- として実現したのであり、それぞれが部分的な概念しか実現しないより小さな存在物の集まりとして実現したのではない。

  本当のところ、まさに意味は見るものの目に宿る。一連の入力自体に意味はないが、それが(高いΦに相当する)豊かな概念構造をもつ複合体によって「読まれた」瞬間に意味をもつ。さらに、たくさんの異なる概念をもつ複合体は、何に対しても意味を「読み込む」。言うまでもないことだが、環境を解釈するために意味があるような概念をもつように複合体を形成することはいい考えである(たとえば、そういった概念は未来の入力を予測するのに役立つ)。最後に、システムがより多く概念化すればするほど、そのシステムはより多く「理解」する。もしくは、もしシステムが環境を予測するように作られたなら、そのシステムはそれだけ「知って」いる。あなたが中国語を知らないのに、たくさんの中国語の文字を提示されたと想像してみよう。概して、あなたはそれらの文字を「中国語の文字に違いない」というカテゴリー(概念)にまとめるだろう。どの文字もあなたにとっては同じだからである。しかし中国語を習ったなら、それぞれの文字は、新しい個別の意味を獲得するだろう(この文字はこの意味で、あの文字はあの意味) -- 入力は同じだが、意味は大きくなった。27





 図10 意味


(A) 「コピーシステム」。それぞれの出力要素は、異なる入力要素と結合しており、それぞれのセンサー (S) と検知器 (D) の対に対して “D =S” という関数を実行している。コピーシステムは入力の4ビット情報をすべて伝えるが、このシステムは四つのバラバラの複合体に分解できるので、統合情報は生成していない。センサーと検知器のそれぞれの対は1ビットの統合情報と一つの情報の関係性 q矢印)を生成しているが、これは可能なもっとも単純な概念に対応している。物事はああでなくこうであるということである(図1のフォトダイオードと同じ)。

(B) 「概念的」システム。それぞれの出力要素は、四つの入力要素すべてと結合しており、入力に対してより複合的なブール関数を作用させている。それぞれの出力要素(つまり、求心的な結合)によって生成されたq矢印はもつれている(四つの求心的結合によって協働的に生成された情報は、それぞれの結合が独立して生成した情報の和よりも大きい)。もつれたq矢印は概念を構成する。ここでは、最初の出力要素がオフであることは「偶数」の入力を意味し、二番目がオンであることが「対称」を、三番目がオフであることが「非隣接性」を、四番目がオンであることが「等量」を意味している。出力要素へのすべての求心路をまとめて考えて生成された情報ももつれており、次のような意味をもっている。物事はこのあり方 -- 偶数で対称的で非隣接的で等量の入力 であり、他のたくさんの他のあり方ではない。概念的システムが一連の入力に文字通り意味を加えたのである。さらに、概念的システムはこの概念を単一体の存在物 --高い統合情報をもつ複合体 -- として実現したのであり、それぞれが部分的な概念しか実現しないより小さな存在物の集まりとして実現したのではない。





脚注
22
ただ一つだけのq矢印からなるクオリアを生成しているフォトダイオードもしくは他の複合体。

23
ここでは、複合的なブール関数をもっと基礎的なメカニズムに分解する問題は割愛している。

24
これらの関数はそれぞれ、(記述の長さが最短で、最小の複合性しかもたない)最小の式にしたがって実行されたと考えられるべきであることに注意したい。明らかに、四つの入力をもつ最小式は、入力を一つしかもたない式よりも複合的である(たとえば、平衡関数は圧縮できないことで有名である)。

25
ここに記述された概念の組み合わせは、平衡、対称、隣接、等量がよく知られているから選ばれたものであり、情報の効率性で選ばれたものではないが、統合情報の観点から「最適」の概念集合を実現するブール関数を構想することはできる。たとえば、四つの関数をうまく選んで、平均すると四つの出力要素の集合が協働的に最大の統合情報を生成するようにし、一つの入力つながりに対して理論的最大値である4ビットのΦを生成するようにもできるかもしれない(これに対して、「コピーシステム」は入力の4ビットの伝えてはいるものの、1ビットの統合情報を四回生成しているだけである)。明らかに、たくさんの一連の入力の集合に対して最適に反応するシステムを作るのは(それがもし可能なことだとしても)非常に困難である。そのようなシステムを単純なブール関数を構成部品として使うことを考えると、その困難性は一層明らかである。

26
ここでも、入力の情報のすべて(ここではすべての一連の入力に対して4ビットの統合情報)を保つ最適概念システムを作ることは困難である。

27
極端な例としてあげられるのが、テレビ画面に現れる「砂嵐」ノイズのパターンを見ることである。「テレビの砂嵐」の概念に含まれ、同じものとして扱われるテレビ画面は非常に多い。しかし、もし最適概念システムがあれば、それはどの画面も独自の種類の画面として概念化するだろう(たとえば第17番目の対称性と第11番目の対称をそれぞれ一定量示して、第6種目の隣接性をもっている、など)。ある意味で、どのノイズ画面も驚くほど深く豊かで意味がある独自のパターン、おそらくは芸術作品として読まれることだろう。










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