この記事は、前の記事(「
オープンダイアローグの詩学 (THE POETICS OF OPEN DIALOGUE)について」)に引き続き、齋藤環(2015) 『オープンダイアローグとは何か』(
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=87749)に翻訳が掲載された論文のごく一部を私なりに訳してみたものです。私としては、翻訳することによってこの論文が表現しようとすることをよく考えることと、その後の私にとっての一種の作業メモを作るという二つの目的をもってこの記事を書きました。信頼できかつ読みやすい翻訳を読みたい方は、ぜひ齋藤先生の本をご参照ください(翻訳だけでなく、各種の解説や訳注などがとても充実しています)。
今回私がその一部を翻訳した論文は、以下からアクセスできます(上掲書では第三論文です)。
Seikkula J and Trimble D. (2005)
Healing elements of therapeutic conversation: dialogue as an embodiment of love
Family Process, 44(4):461-75.
以下の■印に続く太字部分は、私が適当につけた見出しです。翻訳はかなり意訳になっております。
⇒印に続く文章は、私の蛇足です。
以下に私が翻訳した部分は、オープンダイアローグの実践上の原則やオープンダイアローグにおける情動 (emotion) と身体性 (embodiment) の重要性を述べた部分だと私は理解しています。
*****
■ 傾聴と対応と反照
専門家たちはどの当事者の発言にも丁寧に耳を傾け、敬意をもった対応をします。専門家たちは情動が表現されるように心がけます。専門家自身もありのままの人間として正直に真摯な対応をします。当事者の感情に心が動かされたことを正直に表すようになった専門家にとっての課題は、集まりで生じてきた強い情動的な状況を容認することです。また、専門家同士は当事者たちの目の前で語り合うこともしますが、この専門家による語り合いは、「リフレクティングチーム」(反照班)としての機能を果たします。この語り合いを聞くことにより、当事者たちは自分たちの経験の意味を理解する新たな可能性を得ることができます。治療の初期段階では特に結論を出すことは差し控えられます。結論を出すよりも、会話を広げ深めて、当事者と専門家の全員が一つのシステムとなって、極度のストレス状況での一義的な答えのない状態を容認できるようにすることが望まれているのです。このことによって、困難な状況に対して働きかけるための複数の新しい考えが浮かんでくるようになります。
Everyone's utterances are listened to carefully and responded to respectfully. Team members support the expression of emotion. They respond transparently and authentically as whole persons. Transparent about being moved by the feelings of network members, the team members' challenge is to tolerate the intense emotional states induced in the meeting. Their conversations among themselves in the presence of the network serve the function of a reflecting team, expanding the network members' possibilities for making sense of their experiences. Particularly in the beginning phase of treatment, decisions are deferred in favor of expanding and extending the conversation, enabling the system to tolerate ambiguity in the context of extreme stress. This makes it possible to entertain new ideas for addressing the troubled situation. (p. 462)
⇒私は以下の論文でも「異なるが対等」という原則を大切にしましたが、ここでの専門家は当事者と対等な人間として自らの情動に対して正直に向き合いつつ、当事者とは違った機能を果たすべき専門家として、当事者の報告(ルーマン的な言い方をするなら「一次観察」)を反照 (reflect) する「二次観察」を当事者の目の前で開示します。この二次観察を当事者はさらに二次観察(あるいはこういう言い方の方がお好きなら三次観察)をして、さらに語り合いは続くわけですが、私としてはこの「異なるが対等」な関係性が重要なのではとも思っています。
柳瀬陽介 (2014) 「人間と言語の全体性を回復するための実践研究」
(『言語文化教育研究』第12巻. pp. 14-28)
■ 新たに分かち合われる言語と人格的な共同体
初期段階に専門家たちは、当事者が日常的に使っている言語を自分たちの発言の中にも織り込んで使うよう配慮します。専門家たちが当事者一人ひとりのことばと感情を敬意をもって注意深く引き出してくるにつれ、会話は展開しはじめます。当事者たちが専門家たちを仲間とみなしはじめるにつれ、専門家たちと当事者たちの間で新たに分かち合う言語が現われ、新たな意味が現われてきます。このプロセスの劇的な部分は、専門家の華々しい介入にあるのではありません。当事者たちが、専門家たちも受け入れつつ、情動的なやり取りを行い、互いを大切に思い合う人格的な共同体を創出あるいは再生させることが劇的なのです。
At the beginning, team members are careful to incorporate the familiar language of the network members into their own utterances. As team members respectfully and attentively draw out the words and feelings of each network member, the conversation shifts. As the original network incorporates the team into its membership, new meanings emerge when new shared language starts to emerge between the team and members of the social network. The drama of the process lies not in some brilliant intervention by the professional, but in the emotional exchange among network members, including the professionals, who together construct or restore a caring personal community. (p.462)
⇒当事者が専門家の権威的で権力的な専門用語に圧倒されてしまい自らの主体性を失ってしまうことは防ぐべきだといった洞察は当事者研究(このページの最下部参照)でも重視されていることかと思いますが、専門家が当事者なりの表現を大切に扱い、両者が共にお互いに納得できることば遣いを見出すことはとても大切だと私も考えます。教育現場では、学習指導要領の用語などが、いわば問答無用の聖句のように引用されると、そこで思考が止まってしまうこともしばしば見受けられます。私はこれは悪い習慣だと思い続けていますので(下の本もご参照ください)、このオープンダイアローグには学んでゆきたいと思います。
■ 当事者の発言の間合い (rhythm) とやり方 (style) の尊重
専門家が当事者に対して投げかける問いの形式は予め決められていません。そうではなく、発言者一人ひとりに丁寧に気持ちを寄り添わせることで、専門家の長は、直前の応答から次の問いを創りだします(例えば、直前の応答を問いを出す前に丁寧に繰り返すとか、直前の応答で使われたことばを問いの中に織り込むといったやり方です)。ここで決定的に大切なことは、この過程がゆっくりと進み、参加者それぞれの語りの間合いとやり方が保たれ、誰もが居場所をもち、自分が発言することを求められそのための支援も受けていると感じることができることです。
The form of the questions is not preplanned; on the contrary, through careful attunement to each speaker, the leader generates each next question from the previous answer (e.g., by repeating the answer word for word before asking the question or by incorporating into the language of the next question the language of the previous answer). It is critically important for the process to proceed slowly in order to provide for the rhythm and style of each participant's speech and to assure that each person has a place created in which he or she is invited and supported to have his or her say. (p.462)
⇒これは私自身反省するべきところです。私は教育現場にしばしば「専門家」として招かれいろいろしゃべりますが、そのしゃべり方は「言語強者」として一方
的なものになりかねません。まずは当事者の間合いと語り方を尊重し、そして少しずつお互いの間合いと語り方を見出すことが重要かと思います。間合いといっ
た概念については
木村敏先生の著作がとても啓発的です(私は以前木村先生の著作を集中的に読んだことがあるのですが、ノートにまとめていないので、今は正確な引用をすることができません。)
■ 対象ではなく、同じ主体として
対話とは相互的な行為ですから、心理療法の一つとして対話に注目をすることによって、療法家の立ち位置は変化します。療法家はもはや介入者としてではなく、相互に発言し対応する過程への参加者として行為します。当事者を対象として見ずに、療法家自身が主体間の関係性の一部となるのです。
Dialogue is a mutual act, and focusing on dialogue as a form of psychotherapy changes the position of the therapists, who act no longer as interventionists but as participants in a mutual process of uttering and responding. Instead of seeing family or individuals as objects, they become part of subject-subject relations (Bakhtin, 1984). (p. 465)
⇒ 私たちは人間科学における「客観性」という概念についてもっと真剣に考えるべきかと思います。(私自身もいつかきちんと教育現場に即した文章をまとめたいです)。以下は以前のブログ記事の一部です。
量的研究の源泉の理解のために ― フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第一部と第二部の簡単なまとめ
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
フッサール『危機』書(第三部)における「判断停止」についてのまとめ ― 質的研究の「客観性」を考えるために ―
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/05/blog-post_17.html
C.G.ユング著、林道義訳 (1987) 『タイプ論』 みすず書房
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/05/cg-1987.html
「質的な実践研究における非合理性・自己参照性・複合性」のスライドとレジメ
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2015/05/blog-post_27.html
■ 対応において大切なこと
「ことば(ということはひいては人間)にとって、まったく対応されないことほど恐ろしいことはない」というのがバフチン (1975) の考え方です。発話は対応を受けてはじめて意味をもつという対話の原則を尊重し、専門家たちは当事者が言ったこと対して応答しようと努力します。応答は必ずしも説明や解釈を与えることではありません。応答とは、むしろ、当事者が言ったことに注目したということを反応で示すことであり、可能ならば、その発言に関する新たな視点を開示することです。応答は、反応するために無理やり会話を中断させることではありません。応答とは、自分のことばを会話の中で自然に生じてきた間合いに合わせることです。専門家たちは自分の心と身体のすべてでもって、同じ部屋にいる一人ひとりが言わずにはいられないことに対して嘘偽りのない興味をもって反応します。誰かの発言は間違いだといったほのめかしは避けます。この過程で当事者は自分の声を見出し、かつ、自分自身への反応者にもなります。発言者は、自分の発言に対する感想という応答を受け止め、改めて自分のことばを聞くことによって、自分が言ったことをより深く理解することができます。専門家が問いかける時には、当事者がなじんでいる日常のことばを使います。そのことによって、ありふれた細かなことも、再び語られた出来事における苦しい情動のどちらも含む物語が語られるようになります。ある当事者が語ったことに対して他の当事者がどのような感想をもったかを尋ねます。そうやって、出来事が多声性にみちたものとして描かれます。
From Bakhtin's (1975) perspective, “for the word (and consequently for a human being) there is nothing more terrible than a lack of response” (p. 127). Respecting the dialogical principle that every utterance calls for a response in order to have meaning, team members strive to answer what is said. Answering does not mean giving an explanation or interpretation, but rather, demonstrating in one's response that one has noticed what has been said, and when possible, opening a new point of view on what has been said. This is not a forced interruption of every utterance to give a response, but an adaptation of one's answering words to the emerging natural rhythm of the conversation. Team members respond as fully embodied persons with genuine interest in what each person in the room has to say, avoiding any suggestion that someone may have said something wrong. As the process enables network members to find their voices, they also become respondents to themselves. For a speaker, hearing her own words after receiving the comments that answer them enables her to understand more what she has said. Using the everyday language with which clients are familiar, team members' questions facilitate the telling of stories that incorporate the mundane details and the difficult emotions of the events being recounted. By asking for other network members' comments on what has been said, team members help create a multivoiced picture of the event. (p. 466)
⇒オープンダイアローグは
バフチンの哲学に大きな影響を受けています。バフチンに関しては私は20年ぐらい前に集中的に読みましたが、これもノートを作成しなかったので、きちんと論考することができません。時間を見つけてもう一度読み直したいと思います(ただ、私はロシア語がまったくできませんので、日英の翻訳書を読めるぐらいなのですが・・・)。人文系として、英語以外の外国語に弱いことは本当に恥ずかしいことだと思っています。
■ 当事者の語り方への注目
当事者たちにとって最初に重要に思えるのは会話で何が語られたかでしょうが、専門家たちが最初に焦点をあてるべきは、その内容がどのように語られたかということです。どんな方法論的な決まりごとよりも大切なのは、その瞬間瞬間を大切にして存在することであり、対話が展開するにつれ生じることに適った行為を行うことです。
Although the content of the conversation is of primary importance for the network members, the primary focus for the team members is the way that the content is talked about. More important than any methodological rule is to be present in the moment, adapting their actions to what is taking place at every turn in the dialogue. (p. 467)
⇒専門家が当事者の身体について具体的に注意を払うべきことは他所でも書かれてますが、長くなりますので、ここだけにとどめました。しかしダマシオや野口三千三のように、身体の動きがことばになると考えると、ことばを出しにくい状況にある人の身体に注目しなければならないことは自明のことだと思われます。ただ、その自明なことが軽んじられていることが残念です。
■ 早急な結論を控える
専門家は早口でしゃべることや結論に急ぐことを避けなければなりません。既成の答えや解決策のない状況を容認することによって、当事者は自分の中にある心の潜在力を活用することができるようになります。様々な複数の声が相互に補い合うようにしながら状況を共有すれば、新しい可能性が生まれてきます。ですが、これらの可能性が、どうするべきかという問いに対する一義的な最適解として現れることはめったにありません。
Team members avoid speaking too rapidly or moving toward conclusions. Tolerating a situation in which no ready-made responses or treatment plans are made available enables network members to make use of their own natural psychological resources. As multiple voices join in the sharing of the situation, new possibilities emerge. These possibilities seldom emerge as a single unambiguous response to the question of how to go on. (p. 467)
⇒複合性の観点からしても、現実世界の問題に一義的な最適解が一つだけ見つかると仮定する方が間違いだと思いますが、いわゆる「学問をした人」というのは、一義的な最適解を見つけるのが大好きですから、この複合性の中の多声性、あるいは複数の異なる人間の共存による力の発見を疎んじます。疎んじるだけならまだしも「学問をした人」はやたらと現場に対して権威を振りかざし権力を行使することが好きですから、しばしば現場は「学問をした人」に荒らされてしまいます。こういったことを防ぐ対抗策として、オープンダイアローグといった実践を理論的に考えておくことは重要だと思います。
ちなみにデューイが『民主主義と教育』の13章(The Nature of Method)で論じていることをまともに読んだら、方法論の良さを比較実験の手法で示そうとしている研究者は深刻な打撃を受けてしまうと私は思っています。よかったら、下の解説ページもぜひお読みください。
■ 互いに相補う言語
専門家と当事者は一緒になって、互いに相補いながら言語を使ってゆく空間を作りあげてゆきます。この状況の中で参加者が自分なりのことばの使い方でことばを使うことを認め合います。このように互いに相補って使われる言語は、対話の参加者の間に現れ、参加者が出来事とその中での情動の経験をどのように共有しているかを表現します。
Together, team and network members build up an area of joint language in which they come to agreements about the particular use of words in the situation. This joint language, emerging in the area between the participants in the dialogue, expresses their shared experience of the incidents and the emotions embedded in them. (p. 472)
⇒ここは私が第一論文での"joint understanding"を重要概念として理解しているので、 "joint language"について書かれている箇所を敢えて翻訳してみました。。この第三論文では "shared language" (分かち合う言語・共有言語)という用語の方が多く使われていますが、私はそれと "joint language"(互いに相補う言語・互助相補的言語)はやはり区別されるべきではないかと思っています。もちろん、これは私の読みこみ過ぎで、原著者は二つの表現をほぼ同義として使っているのかもしれませんが・・・
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