2012年12月28日金曜日

井上ひさし『宮沢賢治に聞く』(文春文庫)





■科学と宗教、そして文学(あるいは芸術)



教育学が何よりも子どもたちの幸福と成長を願うものなら、人類知の最先端の一角としての科学を取り入れるべきことには異論もありようがない。だがその取り入れが高じて科学あるいは科学の体裁をまとった考察しか教育学として認めないとなると話は違う。

「いや、そんな極端なscientismを主張する者があろうか」と認めないむきもあるかもしれないが、ためしに英語教育学界で、科学の用語では語れない「倫理」ということばを発するがいい。「はぁ、リンリ?」と珍しい外来語でも聞いたような反応が返ってきてもおかしくはないと私は思っている。(かつて教育学には心理学と倫理学が不可欠とされていたが、そのような言説は最近とくと聞かない)

もとより倫理や道徳を語ることの危険は私も重々承知している。倫理や道徳を迷わず説教して回る人々が、どれほどに非道なことをなしうるか、どれほどにその枠からはみ出る者を排斥しうるかは、古今東西人々に知られている。どんな人間も倫理や道徳の完全なる代弁者たりえない(ましてや倫理や道徳の科学的証明などありえない)。だが、言語とテクノロジーで過剰に武装してしまった人間という動物には、倫理や道徳を問い続ける責務がある。問い続けのないところでは、言語やテクノロジーを巧みに操る者が、その他の者を抑圧し続けるだけだろう。私たちは慣習的な合意としての道徳、さらにその道徳を問いなおす倫理を必要とする。

いや、道徳や倫理を超えて宗教を必要とするのかもしれない。道徳や倫理の人為を超えて、この世は展開する。健やかに生まれる者がいれば、病とともに生まれる者もいる。愛情に包まれて育つ者がいれば、どこにも寄る辺を見出だせないままの者もいる。高い知性に恵まれた者がいれば、どうあっても頭の回りが悪い者もいる。金満に溢れる者もいれば、貧困にあえぐ者もいる。眉目秀麗もいれば、誰もが外見については多くを語らない者もいる。幸福な偶然に恵まれる者がいれば、悲運の連続にあえぐ者がいる。努力が実る者がいれば、努力しようにもそれすらできない者がいる ―― この世とはいったい何なのか。己が幸せであればそれでいいのか。それとも、己が世界の不幸を一身に背負ったような表情をしていればいいのか。神や仏がいるとすれば、それは何なのか。いないとすれば、私たちは何なのか・・・そんな根源的な問いは、毎日を仕事で忙しくし、たまの享楽でその憂さを晴らそうとしている私たちに、目を覚ませとばかりに浴びせられる冷水のようで、私たちの多くはそれを望まない。しかし、その覚醒を人は心のどこかで必要とはしないのだろうか。

いや、人をそう追い詰めてはならない。覚知したと思った次の瞬間、世事にとらわれ肉欲にそそられるのが私たちだからだ。善くあろうと欲しながら、悪事をしでかし、そのことを悔いながらも巧みに自己弁護して、とりあえず自分の食い物と寝床だけは確保しようとするのが人間だからだ。宗教をもつ私たちには文学がいる。科学も宗教も認めた上で、それらからはみ出てしまう人間を正直に描く文学がいる。

だからこう結論してしまおう。教育が、人間が人間を育てようとする、高貴で不遜な営みならば、私たちは科学と宗教と文学を必要とする。三つのどれもを肯定し、三つのどれをも排斥せず、相互に矛盾させながら私たちの中に共存させることを必要とする。

しかし科学と宗教と文学を、一身に共存させる人間はいたのか。科学は宗教の理想と文学の猥雑さの否定により成立するのではないのか。宗教は、科学の非情と文学の正直を捨て去ることを必要とするのではないのか。文学は、科学の合理と宗教の清明さを罵倒せずにはいられないのではないのか。生身の人間で科学と宗教と文学を我が身に共存させる者などいるのか。

いる。それはむしろ市井の人々の中にいる。肩書きはなくとも権勢はなくとも成熟とともに日々の暮らしを営む者の中にいる。私たちは世評の虚構に振り回されてそれらの人々を見出だせなくなっているだけだ。成熟した名も無き無数の人びとのおかげで、この世界は暴走から免れている。

無論、名のある人の中にも成熟した人はいる。科学の精神、宗教の魂、文学の心を、その生涯に活かし続けた有名人もいる。



宮沢賢治がその代表だ、と作家の井上ひさしは考える。

賢治は科学者でした。けれども科学が独走するとろくなことにはなりません。そのことはどなたもよくごぞんじです。科学がはしゃぎたてるのをだれかがいましめなければなりません。賢治のなかで、その役目をはたしたのは宗教者としての部分でした。
この関係は逆にしても成り立ちます。宗教だけにこりかたまると独善の権化のようになってしまいます。そこで宗教者としての部分を客観的にみて、かたよったところを改めるために科学的精神を活用するわけです。科学と宗教は、大雑把にいってしまえば、それぞれ反対の方角を目指しています。どちらへ行きすぎてもよくない結果がうまれます。ところが賢治のなかでは、このふたつのものがたがいのお目付け役をつとめていたように思われます。そしてこのふたつのものの中間に、文学がありました。
三者のこの関係を私は忘れないようにしたいと思います。 (3-4ページ)


井上は、賢治の作品世界を、科学・宗教・文学の三つの世界観が相争わずに一つに融合している世界と考える。文学をことばの芸術と考え、文学の代わりに芸術ということばを使って、井上は科学者であり宗教家であり芸術家であった賢治について次のように語る。

芸術家賢治の、熱に浮かされて独りよがりな部分を科学者賢治が冷静に批判する、冷たい理論だけを尊しとして暴走する科学者賢治を宗教家賢治がたしなめる、そして宗教家として教条的、独善的になるところを芸術家賢治の情熱と洞察力とが和らげる。三つの世界観が互いにせめぎ合い、かつ励まし合って出来たのが賢治の作品世界で、これはじつに予言的です。 (276ページ)


井上は、賢治を礼賛してしまうことを恐れながらも、彼をこれからのあるべき人間像の一つとして考える。

しかし、それではその賢治の文学作品とはどのようなものだったのか。



■宮沢賢治の言葉

生まれて初めて自分の意志で金を出して買った本が賢治の「どんぐりと山猫」であった井上は、賢治作品を読んだときの衝撃を次のようにまとめている。

わたしたちは日課のように裏山へ出かけてゆき、枝をわたる風の音や、草のそよぐ音や、滝の音を頭のどこかで聞きながら遊んでいました。ところがわたしたちはまだ幼くて、風が「どう」という音で吹き、草が風にそよぐときは「ざわざわ」で、栗の実は「ぱらぱら」と落ち、きのこが「どつてこどつてこ」と生え並び、どんぐりのびっしりなっているさまを音にすれば、それは塩がはぜるときの「パチパチ」と共通である、とは知らなかったのです。それからわたしたちは、秋の晴れた日の山のすがたを、(なんともいえずいいものだ、とても気分がいいものだ)とは思っていましたけれど、その気分を「まはりの山は、みんなたつた今できたばかりのやうに、うるうるともりあがって、まつ青な空の下にならんでゐました」というように、しっかりと言葉でとらえることができると思っていませんでした。(なんともいえずいいもの)だからなんともいえない、つまり言葉ではつかまえられないのだ、と考えていたのです。しかし、ここに、わたしたちがなんといっていいかわからなかったものに、ちゃんと言葉を与えている人がいる! そのことに感心し、ぼうぜんとなったのです。むろん小学六年生のときに、はっきりこのように考えたわけではありません。あなたの『どんぐりと山猫』をはじめて読んだときの感動を、大人になったいま、整理して表現すればそんなことになるのではないでしょうか。 (21-22ページ)


「なんだ擬態語か。賢治文学の魅力は擬態語か。それは言語学からすれば本質から遠く離れた末端の些事ではないか」と思われる方々もいるかもしれない。然り。だが、言語学、しかも近代言語学だけが物事の見方ではない。物事は、いやことばだけですらも、近代言語学の枠組みだけで見てはならないというのが、良識というものだろう。実際、竹内敏晴野口三千三なら、いやひょっとするならダマシオレイコフとジョンソンですら、擬態語の身体性を、ことばにとっての根源として高く評価するかもしれない。繰り返すが、この世の物差しは一つではない(あるいは一つにしてはならない)。

詩人であり、宮沢賢治全集の校訂者でもある天沢退二郎は、賢治文学の魅力をその声に見出す。

私は、小学校二、三年の時までに、代表的な賢治童話のほとんどを読みましたが、その当時一体何に魅力を感じていたのかと考えなおしてみました。それは声の魅力です。実に魅力的な声が聞こえてくるわけです。濃い緑色の、なんか青黒いような世界の声で、これは他にはとりかえがきかない声だったような気がします。 (196ページ)


「声」というのも質的なもので、容易に標準化して記号や数字に還元できそうもない。業績に追われる科学者ならまずもって避けるトピックだろう。だが、私たちは科学者の中に宗教家と芸術家を同居させるべきだということを確認したばかりだった(少なくとも、その科学が教育にかかわるものならば)。だから私たちも天沢にならって、賢治文学から聞こえてくる声に耳を澄ますべきだろう。


宮澤賢治の詩や童話を読んでいるとまず多彩な声が聞こえてくる。しかも、大きな特徴は、読みはじめるとすぐに声が聞こえてくることです。だからこそ、我々はすぐ賢治の魅力にひきずりこまれてしまうのです。 (197ページ)


考えてみれば声というのも、英語教育で軽んじられていることだ。なるほど標準的な発音に拘る人はいる(拘らない人の方ががもっと多いのだが)。だが、その発音された英語が、その人の心と身体と状況に即したものか、そういった観点から英語の発声を大切にする人は少ない。だから教科書CDの朗読の多くはとんちんかんだし、教師はそれすらも自分の発音よりましだとして自ら発声することを厭う。これでことばが身につくものか。



■社会運動家としての宮沢賢治

しかし教師ばかりを悪く言うものではない。そもそもこれを書いている私が大学の教員養成の当事者で、教員養成が悪いから朗読のことを考えずましてやできもしない英語教師が世に出るのだ。教師の過酷な労働条件も問題だ。荒涼とした教室で生徒の信頼を取り戻すには、授業を面白くわかりやすくすることが一番と熟知しながらも、教師は数々の事務仕事や書類提出あるいは部活活動管理に追われ、自己研修はおろか授業準備もままならない。しばらくならば睡眠時間を削っても自らの学びを確保しようとするが、無理は続かない。やがては身体を病み、心を痛め、ひどい場合は教壇を去る。一時的に、あるいは永久に。

教師が、科学的でもあり、宗教的でもあり、芸術的でもある授業ができるよう、私たち教育関係者は務めなければならない。「金がない。人がいない」の断言に沈黙することなく、「金はいる。人もいる。時間はいる。私たちにまともな仕事をさせてくれ」と訴えなければならない。教育行政者に、政治家に、一般市民に(そして残念なことに一部のヤル気を失った同僚教員に)。教師の個人的努力が不可欠なことは言うまでもないが、それを超えて、私たちは社会的に努力する必要がある。

賢治は、農民の生活向上にも熱心だった。井上のこの本には、「賢治はモーツアルトにあまり関心がなく、ベートーベンを聴くのが大好きだったそうである。(186ページ)」とあり、賢治の童話からモーツアルトを、詩からドビュッシーを連想していた私はちょっと驚いてしまったが、考えてみれば、賢治には羅須地人協会で書いた「農民芸術概論綱要」という文章もある。これなど読むと、なるほど、賢治はベートーベンが(も)好きだったのだなとわかる。

以下、その「農民芸術概論綱要」の一部を抜粋する。「農民」を「教師」に読み替えて読み進めてほしい。

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか


多くの教師は、できのいい子だけを育ててよしとしない(と、私は思いたい)。「世界がぜんたい幸福に」とは大きな言い方だが、できるだけ多くの子に、いやすべての子に笑顔をもたらしたいと思うのが教師という種族である。すくなくとも教師が「明るく生き生きと生活をする」のは、そんな信念をもったときである。

だが、教師は、今や必ずしも教師の信念に即さない数値目標や書類作成に追われている(いや「振り回されている」のだと言う者も多い)。

授業には、芸術的とでも言いたいぐらいの創造の瞬間がある。生徒の思わぬ一言に、教室がおおっという声に包まれ、一斉に眼が輝き始めるときである。宗教的とでも言える瞬間もある。教室で、人が生きるということの奥深さがかいま見えるときである。

だがそういった授業の個性は、今や「科学的」という(実はうそ臭い)お墨付きをもらった標準的な教授法で放逐されない勢いだ。「この教授法には」とお役人は、あるいはお役人の先棒を担いで全国を旅回る研究者は言う、「統計で実証された効果があるのです。どこそこで行われた実験ではその効果が認められたのです。さらに重要なことには、この教授法は国の定めた方針でもあるのです。だから従いなさい、余計なことなど考えずに」。かくして教師の創意工夫の幅は大きく制限される。

「どうして私のこの現場を知らない人が、あんなに偉そうに断言できるのだろう」と少なからずの者が思う。「偉そうに振る舞えるのも一種の才能かしら。だったらその才能は自分にはないわ」とあなた。「俺もそうだし、ああはなりたくない」と同僚。「まあ、言われたようにやっていれば文句はないんでしょう」とあなたはつぶやく。それを聞きつけた教頭はすかさず「そうそう、そうやって前向きに考えなきゃ」と懐柔する。「前」とはどっちの方向なのかあなたにはよくわからないが、もう疲れて、考えることをやめる。

想像力の翼はもがれ、あなたは撒かれた餌の方向にヨチヨチ歩む。「前とは、餌が撒かれている方向さ」とあなたは自分に言い聞かせる(「鳥には最初から翼なんてなかったんだ」と思えばこんな暮らしも悪くない)。今・ここを超える宗教、精神の躍動である芸術などもういらない。私は「科学」に従うだけだ。えっ、「何をもって『科学』とあなたは判定するのか」だって?これ以上私に考えさせるのは止めてくれ。偉い人が仰ることが科学に決まっているじゃないか。

私の悪い癖で、またも表現は悲観的になってしまった。だが私には、なんだか世の中が、教育の個性、芸術性、宗教性をどんどんと否定していっているように思える。そうして芸術や宗教とのつながりを失ってしまった教育の「科学」は、どんどんと管理のためのテクノロジーになってきているようにすら思う。何のための・誰のための管理?もちろん時の権力者のために決まっているじゃありませんか、何をおっしゃっているんですか、あなたは、いまさら。

賢治はかつてこう言っていた。

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ


私たち教育関係者は、自らの仕事に美を見出しているのだろうか。
私たちが行うべきは「灰色の労働」なのだろうか(あの壇上でしゃべっているのが『モモ』の灰色の男なのだろうか)。

--いやいや、こんなブログの文章に心惑わされてはいけない。この作者は教育学部の大学教師だそうだが、こういった輩こそ科学を疎んじ、自ら宗教家・芸術家の振りをし、実は真善美を独占しようとする愚劣な人間ではないのか。--



あなたはあなたの美を創らねばならぬ。

そしてそれが美であるならば、それはあなたを超えて、他の人々にも光とならねばならぬ。それこそが美の創造である。

だが、私たちに美を求める心はまだ残っているのだろうか・・・



宮澤賢治に聞いてみよう。










関連記事

矢野智司 (2008) 『贈与と交換の教育学 』東京大学出版会
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2012/09/2008_27.html





追記

以下は、上記の井上氏の本に出ている詩人・仏文学者の天沢退二郎氏の宮沢賢治観です。ついでながら引用しておきます。

私は、小学校二、三年の時までに、代表的な賢治童話のほとんどを読みましたが、その当時一体何に魅力を感じていたのかと考えなおしてみました。それは声の魅力です。実に魅力的な声が聞こえてくるわけです。濃い緑色の、なんか青黒いような世界の声で、これは他にはとりかえがきかない声だったような気がします。 (井上, 2002, p. 196)

宮澤賢治の詩や童話を読んでいるとまず多彩な声が聞こえてくる。しかも、大きな特徴は、読みはじめるとすぐに声が聞こえてくることです。だからこそ、我々はすぐ賢治の魅力にひきずりこまれてしまうのです。 (井上, 2002, p. 197)

2 件のコメント:

mikarin さんのコメント...

元公立学校教師、鳥山敏子さんが創設した、NPO法人「東京賢治の学校」では、宮澤賢治の世界観・精神を拠りどころとして設立され、HPには、「農民芸術概論綱要」序論が、引用されています。高木仁三郎さんも、宮澤賢治のことばに出会い、市民科学者の道を選んだと言われています。今、賢治の精神に触れることは、私たち自身が「銀河を包む透明な意志」に気づかされることなのかも知れません。

柳瀬陽介 さんのコメント...

mikarin さん、

コメントをありがとうございます。
鳥山敏子さんや、高木仁三郎さんという名前がずいぶん懐かしく聞こえます。

短期で声高な人ばかりが、教育までも支配しようとする現状に、私は抵抗し続けようと思っています。

「銀河を包む透明な意志」という賢治の表現は、いかにも大げさに聞こえるかもしれませんが、私はそれを感じられる人間になりたいと思います。

2013/04/15
柳瀬陽介