2018年1月8日月曜日

伊藤穰一、ジェフ・ハウ著、山形浩生訳 (2017) 『9プリンシプルズ:加速する未来で勝ち残るために』早川書房



 私は最近、「情報革命」という今では古びてしまったようなことばの意味を再認識していますが、そのきっかけとなったのがこの本です。買って数度読み返し、原著もチェックしました。以下は、私なりのこの本のまとめと蛇足(⇒印)です。まとめにも私の見解(そして誤解)が混入していますので、この本に興味をもたれた方はぜひご自身でこの本をお読みください。


■ この本の前提

 無意識・前意識の想定や信念の集合(エピステーメーやパラダイム)がそれぞれの時代を特徴づけている。現在は、技術(特にムーアの法則のペースで高度化する大規模集積回路と、あらゆるものをつなごうとするインターネット)の進展が私たちの社会的理解を追い越してしまった時代であり、絶え間ない変化が続く時代なのでこれまでとは異なった新しい考え方が必要となっている。

 現在は、「複合性」 (complexity) 、「非対称性」 (asymmetry) 、 「不確実性」 (uncertainty) という条件のもとで変化が生じ続けている。ますます高度化する技術のおかげで、複雑に絡まりあった関係性の中で(複合性)、小さな存在でも大きな存在を脅かすような変化を起こしうる(非対称性)など、誰にとっても先が見通せない時代となっている(不確実性)。未来は予測できないという前提で、組織やキャリアを再構築するには、本書で述べる9つの原則などを理解することが重要だ。

 著者の一人の伊藤穰一は、MITメディアラボの所長であるが、この本の9つの原則はそこで共有されているものである。だがその9つの原則以前の前提は、「教育よりも学習を優先させる」 (putting learning over education) ことである。他人からの働きかけを待つのではなく、自分で動くということだ。

⇒現代を特徴づけることばとして、VUCA (Volatality, Uncertainty, Complexity, Ambiguity) もあるが、要は、世の中ががますます複合的になり(複合性)、短期間のうちに小が大をひっくり返すことも珍しくなくなり(激変性)、先行きはますます不透明になっている(不確実性)ということだろう。

関連記事
山口周 (2017) 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』 光文社新書
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2017/09/2017.html

しかし、状況が大きく変わってもなかなか変わらないのが人間の基本的な考え方・行動様式である ("Old habits die hard)。別にこの本が真理を告げているわけでもないが、私たちは自分たちの常識や前提を根底的に疑う必要があるだろう。言い換えるなら、哲学を実践することが必要ということだ。



1 権威よりも創発 (emergence over authority)

 創発は、ネットワークでつながった大量の小さな個体が単純な基本的な選択を行う時にネットワーク全体で示す、どの個体の能力も超える性質であり、その例は粘菌、バクテリア、神経細胞、人々と枚挙にいとまがない。これまでの組織論では、権威ある指導者が指令を出して、成員はそれに従うといった考え方が強かったが、これは創発の考え方とはまったく異なる。権威主義的なシステムは漸進的な進歩しかできないが、創発システムは急速な変化に素早く対応できる非線形イノベーションを育みうる。

⇒創発概念に関して、私は20年ぐらい前に、ハイエクの自生的秩序 (spontaneous order) の概念に非常に啓発された。以下は今から10年以上前の2006年に出版していただいた本の中の一節です。この中で、私は英語教育の新しい形は、創発させるべきと主張しています。その主張は近日中に紹介するシンポジウムの中でも繰り返し語っています。

英語教育界を、(義務教育以上の)各学校をエージェントとする自己組織的あるいは自生的秩序的なシステムにしてしまうわけです。

 これは日本の英語教育界全体を一つの統合的な「組織」とする従来の発想とは異なると私は考えています。この「組織」(organization)とはハイエクの概念(理念型)で、ある特定の目的のために設計された命令体系を持った秩序のことです 。組織の典型例は企業ですが、私の主張したいのは、英語教育界というのはいまやあまりに巨大で複雑でありすぎるので、もはや特定の目的だけで全てを指令するのは困難であり、そもそも従来もそのような指令体系は十分には持っていなかったということです。中高の英語教員は約6万人ですが、その英語教育界が、例えば従業員数(単独)65,994人のトヨタ自動車株式会社 と同じような規模と機能の指揮命令体系を持っているとは私にはとても思えません。ですから日本の英語教育界を、文部科学省を頂点に抱く「組織」と考えるよりも「自生的秩序」として考えようというのが私の意見です。

 「自生的秩序」(spontaneous order)とは、同じくハイエクの概念で、誰もその結果を予見することも設計することもなかった進化過程の所産です。それは異なる多様な目的を首尾よく追求することを可能にし、かつそのように複数の異なる目的が様々に追求されることによって成立する秩序です。この秩序の典型例は社会です。私の主張は、英語教育界を組織より自生的秩序の側に近づけて認識しようというものです。

(中略)

ですから私としては、英語教育界全体はあくまでも自生的秩序として、全体計画は最小限の公共的なものに抑えて、しかし(義務教育以上の)各学校はそれぞれが組織として、その自律性を高め、それらが相互影響を与え合うなかで、英語教育界が進化してゆくという認識を明示的に共有するべきと考えます。英語教育の原理は各学校内外の関係者のコミュニケーションによって決められ修正されてゆくものであるという合意こそが英語教育が目指すべき道だと私は考えます。






2 押し出す力よりも引き出す力 (pull over push)

 これまで集団を組織する場合は、集団成員を囲い込みその成員に指揮命令を与える(=「押し出す」)アプローチが主だったが、ネットワーク時代には、さまざまにつながった不特定多数の人々から、必要なものを必要な時に「引き出す」アプローチの方が効率的である(典型例が3.11の震災の後の日本政府の対応とSAFECASTの働きの差)。変化の激しい現在においては囲い込んで抱え込んだ資産は管理維持ばかりにコストがかかる負の資産になるかもしれない。やはり時代はストックからフローの時代へと変化しているのだろう。

 ネットワークの中で弱いつながりをもつ人々からは思いもかけない提供が得られる、強いつながりをもつ人々からは運動を確固たるものにする働きが得られる。そのためには日頃から探究的で好奇心に満ちあふれて開かれたネットワーク構築に力を注ぎ、自分が他人から何かを「引き出す力」(社会関係資本と言い換えていいのだろうか?)を育てておく必要がある。

⇒この章はことさらに面白く、深いことを語っているようなので、私は今、この章で再三引用された The Power of Pull: How Small Moves, Smartly Made, Can Set Big Things in Motionを読んでいるところです。






3 地図よりも方位磁石 (compasses over maps)

 予測不能な世界では、目標地点までの最適経路を記した詳細な地図を作るコストが非常に高くなる、というより事実上不可能なため、大まかな方向を示す方位磁石を頼りに、その都度その都度に道を見つけ出して、目標地点あるいは予想外のすばらしい地点にたどり着く方が合理的である。

 メディアラボのメンバーは、「比喩的に言えば、独自のアルゴリズムを走らせていて、相互に、さらには各種の内外システムと相互作用」し、全体として「ありえないほど複合的でとてつもなく活発で、最終的には自己適応的になるシステム」 (an impossibly complex but very vibrant and, in the end, self-adapting system) を作り出す。メディアラボのどの部分も全体をすべて理解することもコントロールすることもないが、みんなだいたい同じ方向には向かっている。メディアラボのメンバーは「独自性、インパクト、魔法」 (Uniqueness, Impact, and Magic) という基本原則を共有しているだけである。

 伊藤穰一は、頭がよく好奇心に満ちたメンバー全員を理解したり予測したりすることは不可能だということを受け入れた上で、所長としてはルールや戦略でなく文化を、ミッションステートやスローガンではなく独自の神話体系 (a system of mythologies) をむしろ大切にしている。

⇒いかなる組織もこの原理で運営されるべきとまでは言いませんが、少なくとも創造的であるべき研究組織(ゼミ、講座、学会など)はこのようにありたいと思います。その際に大切なのは文化であり、その文化をどのように伝えるか(メール、ブログ、イベント、音楽など)という伊藤氏のことばは洞察にみちていると思います。組織の文化・神話体系をどう活性化させるかという身体的な側面に私たちはもっと注目するべきでしょう。



4 安全よりリスク (risk over safety)

 中国のシンセン (Shenzhen) は、今や世界のものづくりの最先端都市である。実験や失敗といったリスクの許容度がアメリカよりもはるかに大きい文化をもつことがシンセンを最先端都市にした。今やシンセンはシリコンバレーと同様に独自の生態系をもっているといえる。

⇒これについては、オーディオに興味がある私としては以下の記事を興味深く読んだ。シンセンで「機器の概要を伝えて設計を頼むと、3、4日後にはプロトタイプになって送られてくるのだという。そんなスピード感で仕事ができる人はほかに知らないし、日本のメーカーに頼んだりすると、そもそもその仕事を受けるかどうかの議論だけで数週間が経過するといった具合で、話にもならない」という。

深圳のエンジニア社長から感じた、中国オーディオメーカーが持つ強さの理由
https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1094812.html



5 コンプライアンスよりも不服従 (disobedience over compliance)

 言い切ってしまうなら、「言われた通りにする、あるいは誰かの青写真にしたがうことでノーベル賞をとった者はいない」 (Nobody has ever won a Nobel Prize by doing what they're told, or even by following someone else's blueprints)し、「市民不服従なくしてアメリカの公民権運動は起こらなかった」 (the American civil rights movements wouldn't have happened without civil disobedience) のだ。ナイロンやスコッチテープは、研究所の上司の管理を巧みにかいくぐった反抗的な科学者によって発明された。こういった科学者は不服従という道を選んでも、自由に研究することの情熱を絶やさなかった。また、インターネットの先駆者はだれもビジネスプランなどもたなかったし誰かに許可を求めることもしなかった。

 こういった人々に、予め上司が、何が「正解」でどうすれば「合格」なのかを伝えるようなことをしてはならない。また、不服従を選びながら何かに熱中している人は、ただ口先だけで上司の批判をしている人とは異なり、実際に手を動かして何かを創造しようとしていることも忘れてはならない。

⇒このあたりに関しては、山口周氏による『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』で紹介されるエピソードが圧倒的に面白い。私は山口周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』以来、山口氏の著作に注目しています。哲学(美学)とビジネス経験に裏打ちされた山口氏の論考はとても現実的で、私はいろいろ学ばせてもらっています。


 
6 理屈よりも実行 (practice over theory)

 変化が加速する時代では、理屈を立てている暇があればとにかく実行してその経験(成功や失敗)から学んだ方が早い。理屈に基づいた計画がなければ、許可を待つこともないし修正変更をすることにも躊躇はいらない。理屈に基づいて予め定められた数値目標 (metrics) が重視されると、漸進主義 (incrementalism) だけになりイノベーションの芽がつまれる。

 また、現在、プログラミング教育で計算機的思考能力を育む試み実を結びつつあるが、そういった能力は標準化テスト (standardized tests) で測定することは容易ではないことも忘れてはならない。だが、ほとんどのアメリカの学校は標準化テストで管理されている。

⇒ 上の論点は、私が今年の8月9日に登壇させていただくLET全国大会パネルディスカッションにも関わるので、興味ある箇所の拙訳を以下に掲げる。


「このままでは、金持ちのための学校と貧乏人のための学校という二種類の学校制度に分かれてしまうかもしれない」と、言語学者・教育者・ゲームデザイナーのジェイムス・ジーは語る。貧乏人向けの学校はテストのための教育をして、共通カリキュラムに即したままで、「基礎は保証するが、子どもをサービス職向けの人材にしてしまう」。これに対して金持ち向けの学校では問題解決やイノベーションや新たな知識を生み出すための技能が強調される。「こちらの子どもはグローバルシステムでうまくやってゆけるようになるだろう」。

Ito, Joi. Whiplash: How to Survive Our Faster Future (p.164). Grand Central Publishing. Kindle 版.


 教育と学習を区別した上で学習について語る際に私たちが伝えたいのは、伝統的な一方向でトップダウンの知識伝達システムを、活動的に他人とつながりながら学ぶことを学習者に教えるシステムに変えようということだ。教育とは他の人があなたに対してなすことであり、学習とはあなたが自分自身に対して行うことだ。

 学習を志向するシステムは、学習者の興味に価値をおき、学習者が自分の興味を発見し追求するために必要なツールを与える。生徒に、自分用のカリキュラムを作成し自分にあったメンターを探し出して友だちと知識を共有することを許すなら、制度化された教育機関でもエビデンスに基づいて教育の方法と順序を決めるアプローチを使いながらこのシステムを導入することができる。

 学習者を夢中にするためには、学習志向システムの社会的な側面がことさらに重要である。ジョン・デューイはおよそ1世紀前にこのことに気づき (14)、学習者の生活と学習を綻びなく統合することを求めた。これまでに多くの研究が、人がもっとも学ぶのは、学習内容を、自分の興味や自分の個人的な人間関係や自分が追求したい機会に合わせた時であるといことを明らかにしてきた。しかし、アメリカを始めとした多くの国々でいまだに伝統的な教育システムが、数値目標を基盤として学習者を孤立させるアプローチを採択している。このアプローチは、12年間ほど十分に厳しい教育を与えれば子どもは急速に変化する社会・経済環境において卓越できる技能を身につけるだろうと想定しているが、これは時代遅れのモデルである。(15)

(14) John Dewey. (1913) Interest and Effort in Education.
https://en.wikisource.org/wiki/Interest_and_Effort_in_Education
https://archive.org/details/interestandeffor00deweuoft
(15) The educational value of creative disobedience
https://blogs.scientificamerican.com/guest-blog/the-educational-value-of-creative-disobedience/
Ito, Joi. Whiplash: How to Survive Our Faster Future (p.167). Grand Central Publishing. Kindle 版.

 このモデルは丸暗記と個人ベースのテスト受験をいまだに重視しているが、これはインターネットにアクセスできない山頂にHBの鉛筆だけもたせて座らせていることと同じだ。しかしこれからの数十年でもっとも成功するのは、自分のネットワークから自分が必要とすることを学習して、生じてくる新たな課題に対応できる人である。ここで「教育よりも学習」という原則が、「押し出す力よりも引き出す力」という原則と重なり合う。学習者に知識をストックさせるよりも、学習者に権力を与えて自分のネットワークから自分が必要とするものを必要とする時に引き出させるべきだ。そうすれば学習者は、生涯を通じて自分を助けてくれる自分の社会的ネットワークを成長させ豊かにしたうえでうまく使いこなすために必要な技能も育てることができるだろう。

Ito, Joi. Whiplash: How to Survive Our Faster Future (p.168). Grand Central Publishing. Kindle 版.


7 能力よりも多様性 (diversity over ability)

専門家が寄ってたかっても解けない問題がある場合は、その種の専門家とはまったく違った能力をもった部外者を招いた方が快活する場合が多い。しかしその際に重要なのが多様性である。クラウドソーシングの効力は、クラウドの多様性の関数 (a function of the diversity that naturally occurs in any large group of people) とも言われている。能力は重要だが、全体的に考えるなら能力は収穫逓減となる (Ability matters. But in the aggregate it offers diminishing returns: Scott E. Page.)。

参考記事
The Value of Openness in Scientific Problem Solving
https://hbswk.hbs.edu/item/the-value-of-openness-in-scientific-problem-solving
Scott E. Page The Difference: How the Power of Diversity Creates Better Groups, Firms, Schools, and Societies.
https://press.princeton.edu/titles/8757.html



8 強さより回復力 (resilience over strength)

 変化の激しい時代には、強さを求めて予めさまざまな資源を確保し手続きを整備しておいたり失敗を否定したりすることよりも、失敗を受け入れて素早く対応しやり直すことの方が合理的である。著者の一人のジェフ・ハウのことばを引用するなら「勝とうとすることによって、必ず負けてしまう。成功をおさめようとすれば、勝ち負けなどはなく、展開する出来事がありそれに対する反応のあり方だけがあるのだということを受け入れなければならない」 (By trying to win, I’ll always lose. Only when I accept that there will be no winning or losing, just events unfolding and the way I chose to react to them, do I succeed. (p.213)) のである。

⇒研究は、もちろん確かな知識を伝える活動で、その成果は論文や本といった完結した形で結晶化されるべきだろうが、その一方で、どんどん仮説を提示しては修正してゆく形の活動も重要になっていくだろう。ケヴィン・ケリーの考え方にもつながるが、そもそも研究の「成果」とは、論文や本などの「結果」である以上に、変化生成してやまない活動の「過程」つまりは文化と考えることも可能だろう(冒頭に述べたように私は今、常識や前提を疑うという実験を行っている。そもそもこのブログという活動もそのような実験なのだが)。



9  モノよりもシステム (systems over objects)

 現実世界問題を解決するためには、しばしばモノを供給するだけでは不十分で、その現場にシステムを作らなければならないことが多い。このアプローチの発展形が参加型デザイン (participatory design) やコデザイン (codesign) であり、そこでは関係者全員がシステムのデザイン(構築・運営)に何らかの形で携わる。このシステムも複合的な自己適応的システムであり、誰もその結果を予測することもコントロールすることもできないが、それぞれの参加者は自分たちの介入を認識し理解し責任を負うことはできる。これはロボットや車のデザインではなく、子どもを育ててその発達に影響をもたらすことに似ている。

Participatory design
https://en.wikipedia.org/wiki/Participatory_design

⇒これはとても深い洞察だし、現実の諸問題を見ていてもその通りだと思う。学校現場にしても、何かの新しい機械や教授法を導入しただけで問題が改善することなどほとんどない。私たちは、当該共同体という社会システムに入り込み、そこでその中の複合性・不確実性・激変性を身体で感じながら、相互作用の網を作り上げてゆかねばならない。共同体を単純系と考え、自らが外部者としてあるモノをそこに投入するだけでその共同体を思うように変化させることができるというのは、fatal conceitなのかもしれない。


■ 結論

現在私たちが必要としている新しい考え方への移行は、四足動物が二足歩行を学ぶことに匹敵するほどの認知的進化 (cognitive revolution) なのかもしれない。

⇒この比喩は秀逸。少なくともインターネット以前の私たちの知的生活と、現在の知的生活は、徒歩とバイクぐらいには異なるだろう。私たちの知的な行動範囲は桁違いに広がっている。もっともその行動範囲がネコ動画やゴシップに向かっているだけなのかもしれないし、徒歩で旅していた頃の方が考えが深かったのかもしれないが・・・



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山形浩生×伊藤穰一「面白いものは探しに行くのではなくて、フィルターを外すと見えてくる」:『9プリンシプルズ』インタヴュー
https://wired.jp/2017/08/01/yamagata-joi/

バラク・オバマと伊藤穰一の対談(書き起し翻訳)
https://wired.jp/special/2016/barack-obama/

YouTube動画:バラク・オバマ×伊藤穰一 on WIRED (日本語字幕付き)





 






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