今年の修士課程後期の授業では、John Dewey (1916) Democracy and Educationを読みます。私はDeweyに関しては長年「まあ、常識的なことを言っている人だよね」ぐらいの(恐ろしいほどの)短見しかもたず、きちんと読まないでいましたが、LakoffやJohnsonがあまりにも言及するので、とりあえずDemocracy and Educationを読んでみたところ、これがめっぽう面白かった。公教育で、言語コミュニケーションを教えるのなら、この本は非常に重要だと思い、授業の教科書に選ぶことにしました。
日本語訳は数種類出ていて、岩波文庫版が廉価で入手しやすいですが、翻訳語や文体が少し古すぎます(もちろんDeweyの英語自体も100年前のもので、少し古さを感じさせるものですが)。ですから、翻訳は日本語としての読みやすさを優先した私自身のものを使うことにします(乞うご批判)。
この本は著作権が切れており、ネットで自由に文章を引用できますから、授業ではProject Gutenbergを使うことにします。
Gutenberg
もちろん携行や読書の便を考えると印刷本をもっている方が便利です。私はDover editionの本を使っていますので、もし印刷本を買うならこれに合わせていただくと何かと便利かと思います。
授業の回数は限られていますから、授業では以下の章だけを扱います(ですが、もちろん本は通読することをお勧めします)。予習用のブログ記事は出来次第、以下からリンクをはります。
Chapter One: Education as a Necessity of Life
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/09/education-as-necessity-of-life-chapter.html
Chapter Two: Education as a Social Function
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/09/education-as-social-function-chapter-2.html
Chapter Three: Education as Direction
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/10/education-as-direction-chapter-3-of.html
Chapter Four: Education as Growth
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/10/chapter-four-education-as-growth.html
Chapter Eight: Aims in Education
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/10/aims-in-education-chapter-8-of.html
Chapter Ten: Interest and Discipline
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/11/interest-and-discipline-chapter-10-of.html
Chapter Eleven: Experience and Thinking
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/11/experience-and-thinking-chapter-11-of.html
Chapter Twelve: Thinking in Education
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2013/12/thinking-in-education-chapter-12-of.html
Chapter Thirteen: The Nature of Method
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/01/the-nature-of-method-chapter-13-of.html
Chapter Fourteen: The Nature of Subject Matter
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/01/the-nature-of-subject-matter-chapter-14.html
Chapter Eighteen: Educational Values
http://yanaseyosuke.blogspot.jp/2014/01/educational-velues-chapter-18-of.html
Chapter Twenty-one: Physical and Social Studies: Naturalism and Humanism
Chapter Twenty-five: Theories of Knowledge
繰り返しますが、リンク先の予習用ブログ記事では本文を多く引用します。しかしこれは著作権切れの本の引用ですので、法的な問題はありません。念のため。
この記事に関して、ある友人からメールをいただきました。その友人の許可を得て、ここにそのメールを転載します。
返信削除*****
ブログのデューイの項目、面白く拝読させていただきました。
デューイは行動主義とは異なると考えます。彼はジェームズのプラグマティズムの立場に立っています。
行動主義は、オペラント行動に代表されるものと考えます。
ご承知かと存じますが、教育学をはじめて作ったヘルバルトの理論が世界に広がり、それに対抗する形で、各地で新教育運動が起こり、アメリカの代表としてデューイが現われました。彼は、ヘルバルトの教育学はほとんど完璧だけれど、一点、人間を情意を含めた存在として扱っていない点を批判しました。デューイは心理学も展開しましたが、そこで参考となったのがジェームズだったようです。
なお、デューイの弱点は、系統的学問や学力を保証するに信頼できるteaching materialがない点であるようです。(これは新教育運動全体に言えるようです。だからこそ、同時代のヴィゴツキーがその点を修正しました。ただ、ヴィゴツキーを読むと、モチベーションの低い学習者をどうするかという点で、ずいぶん悩んでいたように思います。)
行動主義心理学やタキソノミーが現われ、スプートニックショックが起こると、デューイの理論は衰退していきました。しかし、そうした社会的環境のみならず、もう一つ、有名なデューイの理論「経験の五段階」が社会的に無効となっていった時代(社会=労働の場が、オートメーション化されていった)であったこともあります。いまや、家庭の場、つまり人生全体がオートメーション化、言い換えれば、一旦身を預ければ自動的に保護してくれるシステム(たとえば、保険とか)の中で暮らす現代において、「経験の五段階」はますます社会において不要なものとなってきましたが、しかしながら、ローティーが指摘しているように、そうであればこそ、「人間の成熟」をはかるべく、学校では「経験の五段階」を学習者に行ってもらう必要がますますあるという位置づけになっているようです。
なお、student-centered educationは、デューイに影響を受けたカール・ロジャーズが作ったものですが、ロジャーズとデューイの違いは、デューイが理論的には児童を対象としていた一方(「児童中心教育」と呼ばれます)、ロジャーズは高等教育を対象としていた点(両者とも、それ以外の年齢層にも適応可能ですが)、また、デューイが「学習者を社会との関連から考えて、社会へ向けていく」ことを目指した一方、ロジャーズは、「学習者の内側から学びを見て、何が必要かを考え、その方向へ、全人的な観点から学びと人格を促進していく」点であるようです。以上は、英語教育を考える桑村テレサさんの博士論文、および「日本デューイ学会紀要49号」で詳しく論じられています。