2013年5月8日水曜日

三木谷浩史(2012)『たかが英語!』講談社



自民党教育再生本部が大学入試などをTOEFLにするべしとの提言を出しましたが、その背後には経済同友会の提言があると言われています(「大学入試にTOEFL」の黒幕は経済同友会(江利川研究室ブログ))。



実用的な英語力を問う大学入試の実現を
~初等・中等教育の英語教育改革との接続と国際標準化~

2012年度 教育改革による国際競争力強化PT
委員長 三木谷 浩史 (楽天 取締役会長兼社長)

http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2013/130422a.html



この記事では、日本英文学学会シンポジウム・「文学出身」英語教員が語る「近代的英語教育」への違和感 ― 大学の英文学教育は中高英語教員に何ができるのかの一環として、上記提言のプロジェクト・チーム委員長である三木谷浩史氏の著書である『たかが英語!』に見られる氏の考え方を私なりにまとめてみます。





■楽天の社内公用語英語化とは?

楽天が社内の公用語を英語にした過程については同書に詳しく述べられていますが、ここでは下記の特徴を取り上げます。


・社内での英語使用を昇進や降格と結びつける

三木谷氏が社内公用語英語化の方針をはじめて社員に明らかにしたのは2010年の年頭スピーチだったそうですが(1ページ)、その頃はその方針の実施に対して社員も半信半疑だったそうです。そんな社員の「尻に火がついた」のが4ヶ月後に明らかにされた、「2年以内に、役職ごとに設定されたスコアをクリアしなければ(中略)、昇進できないどころか降格する可能性」すらあることが正式に発表されてからのことだったそうです(2ページ)。楽天での英語使用(そしてそのための英語学習)は、まさに「生き残り」のためです。


・徹底した数値管理

楽天はこれまでも組織運営の方法論として、 Key Performance Indicators (KPI -重要業績評価指標)を取り入れてきたそうですが、社内での英語公用化においてもこのKPIを駆使し、進捗状況を徹底して「見える化」しました(52ページ)。KPIにはさまざまなものが使われましたが、その主なものはTOEICスコアです。


・競争原理の導入

三木谷氏が取ったTOEICのスコア・アップのための二大戦略の一つは競争原理の導入です。三木谷氏は進化論を引き合いに出し、次のように述べます。

他の種と競い合い、勝利した種が生き残る。それによって生物は進化してきたが、この生物界の掟は、企業にもあてはまる。社員同士の競い合いが企業を進化させるのだ。(58ページ)


しかしこういった適者生存・優勝劣敗の発想で強者の論理となりがちな発想は生物学的な進化論ではなく、生物学的進化論をヒントにつくられた社会観である「社会進化論」とみるべきです。生物学的な進化論は「適応、種分化、遺伝的浮動など進化の様々な現象を説明し予測する多くの理論の総称」であり、進化とは「生物の遺伝的形質が世代を経る中で変化していく現象」ウィキペディア(汗w):進化論だと考えられているからです。生物の進化は価値観を伴った勝利や優等化いうより、価値感を伴わない単なる適応や変化と考えるべきでしょう。(そういえば映画『ウォール街』でもマイケル・ダグラス演ずる主人公のゲッコーが社会進化論をぶちまけていたなぁ。あのゲッコーのキャラクターは強烈だった。"If you need a friend, get a dog."なんてすごい台詞だった)。

しかし、三木谷氏が促進した「社員同士の競い合い」とは、社員単位の競い合いではなく、事業部単位の競い合いであることは覚えておくべきでしょう。「チームとして課題に取り組むとき、人は大きな力を発揮できる。そのことを僕はこれまで何度も経験してきたからだ。また、ゲーム性を持たせて楽しみながら英語化を進めるという意図もある」(58-59ページ)と三木谷氏は説明します。ただ、後日三木谷氏が知るように、社員(特に多忙なエンジニア)には不満と困惑があった(69ページ)わけですから、いくら「事業部単位の競い合い」とはいえ、最終的には圧力は個々人にもくることは確かでしょう。


・情報の共有

もう一つの戦略は、情報の共有(楽天での言い方なら「ヨコテン」(=横展開))です。TOEIC得点を劇的に上げた社員の成功例をヒアリングし整理した上で、社員間で共有したそうです (p. 60)。


・仕事としての英語学習 

三木谷氏は、最初は英語学習を社員の自主性にまかすべきだと考えていました。実際、自分で時間と機会を必死の努力で捻出した社員もいましたが、やはりそれは例外的な存在です。やがて三木谷氏は英語学習(というよりTOEIC対策)を「仕事の一部であることを示さねばならない」(78ページ)と考え、基準点を達成できなかった新人社員を英語学習に集中させたりもしました。Eラーニング教材なども導入しました。その他の手段も整備しました。

しかし、この英語学習はあくまでも「仕事」です。ですからビジネス的な分析手法を使い、TOEIC得点を上昇させるためのウィークポイントが語彙力であると結論づけます。そこで英語化プロジェクトチームが導入したのは「TOEIC最頻出英単語の暗記テスト」です(79ページ)。

私は上述の日本英文学会シンポの記事で、新自由主義的な発想(まあ「新自由主義」ということばを出さずとも、近代的競争の考え方と言ってもいいのかもしれませんが、それはさておき)の典型として、以下のような思考回路をあげました。

1 数値目標の設定

2 その目標への最短路の確定

3 その最短路での一斉競争

4 一元的な「勝ち組」と「負け組」の決定



この楽天の試みも、この思考回路で整理できます。

1 重要業績評価指標(KPI)をTOEICにする。

2 ウィークポイント対策として最頻出英単語の暗記テストを実施。

3 進捗状況を「見える化」して競わせる。

4 テストの成績順に席替えをし、基準点を満たしたものから職場に配置する。


ある時、ビジネスマン向けの英語トレーナーが、中学教師と初めて対談し、次のようにしみじみと語りました。「いやぁ、勉強になりました。中学校の先生というのは、ボトム [=もっともできない生徒] を伸ばそうとするんですね。ビジネスの現場ではボトムは切りますから、今日は発見でした」。楽天促進する英語学習法は、まさにビジネスの手法だと、教育サイドの私としては思わざるをえません。





■三木谷氏の英語観

本書のタイトルは「たかが英語!」ですが、三木谷氏は以下のような英語観を本書で表明しています。


・英語は単なるツール

今や「読み・書き・そろばん」は「読み・パソコン・英語」に置き換わっている。(110ページ)

ツールという意味では、英語とパソコンの間に、たいしてちがいはない。経営者が社員全員に「今後、業務にパソコンが必須なので、パソコンの操作を覚えてください」と通達するのと、「今後、業務に英語が必須なので、英語を使えるようにしましょう」と通達するのはまったく同じレベルの話なのだ。(131ページ)



もちろん、三木谷氏は他所で、日本語で「私は賛成しません」とは言いにくいが、英語では "I don't agree..."とは言いやすい(130ページ)などと述べており、英語をまったく「透明な」 [=人間の認識や行動を変えることがない] ツールとみなしているわけではありません。しかし、次の主張からしても、三木谷氏が英語をきわめて単純な仕事の手段とみなしていることは明らかでしょう。


・英語の会話のニュアンスは邪魔

三木谷氏は、外交交渉や恋愛といった目的のためには「非常に高度で複雑な言語能力が必要になるだろう」(34ページ)と述べた後、次のようにビジネス目的の英語について語ります。

しかし、ビジネスは別だ。会話の中の微妙なニュアンスは、むしろ邪魔になると僕は考えている。

企業対企業のハイレベルな交渉においては、外交交渉と同じように、曖昧さを残した交渉もあり得るため、高度な英語力を有するしかるべき人間があたることになるが、[楽天のように] 一つの企業の中で、曖昧さを残すようなコミュニケーションは必要がない。むしろ、あってはならない。 (34-35ページ)




・英語化を推進すると、「英語屋さん」が目立たなくなる

このように英語を徹底的にビジネスのための道具とみなし、英語化を進めてきた三木谷氏は、英語化プロジェクトを進めるうちにわかってきたこととして、「それまで英語が得意で目立っていた人も、周囲に埋もれて目立たなくなってしまう」(109ページ)ことをあげます。英語力が特殊能力でなくなってくるので、英語だけを売り物にしていたいわゆる「英語屋さん」の価値が急落するわけです。

英語コミュニケーション能力のおかげで、うわべをつくろってきた人は、英語ができる人ばかりの環境では、通用しなくなるだろう。うわべははがされ、仕事の実力によって評価されるようになる。(109-110ページ)


三木谷氏にとって、大切なのはあくまでもビジネスであり、英語ではないこと(英語は、パソコンと同じようなビジネスのための一手段にすぎないこと)がこの引用からもうかがえます。





■三木谷氏の英語学習・英語教育観

そんな三木谷氏は、英語学習や英語教育について以下のような考え方をしています。


・翻訳をするな

三木谷氏は、自身の留学前のリスニング学習経験も踏まえながら、「とにかく訳さない」こと、「耳に入ってくる英語を、キーボードでパソコンに入力するように、頭の中で英単語をただひたすら並べていく」ことが、英語を英語のまま理解できるようになるために必要であることを強調します(168ページ)。

実際、リスニング、いやそれだけでなく英語使用全般において、英語を英語のまま使用することの重要性は誰も否定できないでしょう。

しかし、英語を英語のまま使用することに加えて、英語を母国語に翻訳すること(およびその逆)も重要だと考える人もいます(私もその一人です)。そんな翻訳に対して三木谷氏は次のように言います。

翻訳文化の発達のおかげで、日本はこれまで世界中の知識を取り込んできた。しかし、翻訳には一定の時間がかかる。最先端の情報にいち早くアクセスできなければ、競争力を失ってしまう現在のビジネス環境では、翻訳による時間的ギャップは致命的だ。(169ページ)


ここでもあくまでも三木谷氏にとっての英語は、ビジネス、特に資本主義がほぼ地球上を覆い、かつ世界各地が高度な輸送力と瞬時の情報伝達力によって結び付けられたグローバルなビジネスにとってのものであることがわかります。三木谷氏の英語学習論や英語教育論は、あくまでもグローバルなビジネスのためのものであるといえましょう。


・受験英語をTOEFLに

大学をビジネス人材の供給所と考えているのか、三木谷氏は以下のように述べます。

しかしそれ [=大学の秋入学] よりも前にすべきことがある。大学受験英語の改革だ。受験英語をTOEFL、あるいはTOEFLそのものでないにせよ、それになるべく近い形の試験にすべきだ。(174ページ)


これが、経済同友会および自民党教育再生本部の主張につながっていると思われます。

・英語を話せない英語教師はクビに

三木谷氏は日本の英語教育について次のように語ります。

日本の英語教育の根本的な誤りとは何か。その一つは、英語教師が英語をしゃべれないことだ。

少なくとも中学校、高校の英語教師はすべて、外国人か、英語がペラペラの日本人と入れ替える必要がある。それだけで日本の英語教育は劇的に良くなる。

授業では、日本語は一切使わず、英語だけを使うべきだ。最初はぎこちないやりとりになるかもしれない。しかし、ジェスチャーを交えて、言いたい内容を伝えることはじゅうぶんできる。(165-166ページ)


ここでは三木谷氏が、「日本の英語教育」を語る際に、ほぼいわゆる「英会話」のことだけを話題にしているのが気になります。いわゆる英会話の技術は大切ですが、そこから例えばTOEFL受験に例示されるような学術的な文章を理解すること(ましてや産出すること)には大きな差があるからです。しかし、三木谷氏の力点はあくまでも「日本語モードから英語モードへ切り替える」(166ページ)のようです。

さらに念の為につけくわえておきますと、「外国人か、英語がペラペラの日本人と入れ替えるだけで日本の英語教育は劇的に良くなる」というのは、「楽天」的発言以上の誇張表現というべきでしょう。「外国人か、英語がペラペラの日本人」による授業で、失敗している例や表面はなんとかうまくいっているように見えるが、実は英会話力も学力もついていない例はたくさんあります。

しかし、次のことばは、やはり英語教育関係者はかみしめるべきでしょう。厳しいビジネス界で生き抜いている人からすれば当然の主張です。

英語の話せない英語教師には別の科目に移ってもらったほうがいいだろう。彼らを教育し直すのは時間と金のムダだ。

いや、本当は、英語の話せない教師は即刻クビにすべきなのだ。雇用保障があるから解雇は現実には難しいのだろうが、率直に言って、日本の将来を担う子供たちを任された英語教師が、英語をしゃべれなくてもクビにされないなんて、僕には納得できない。(167-168ページ)


ただ、現在の若い世代の英語教師で露骨に英語をしゃべれない者はほとんどいないはずです(少なくとも私の知る範囲では)。ただ「英語をしゃべれる」といっても、その質には大きな差があります。英語教師に求められることはただ単に「英語をしゃべる」ことでなく、「質の高い英語を使って、学習者の意欲を育み学びを支援する」ことでしょう。声のトーンから語りの間、表現の選択幅の広さから最適の表現を選べる鑑識眼など、もはや英語教師の英語は「質」が問われるべきです。仮に世間の焦点がまだ「英語教師が英語を話せるのか」であっても、英語教育関係者の焦点は、学びを育む教師としての英語の「質」であるべきです。





■三木谷氏の世界認識

このように楽天で社内公用語を英語にし、積極的に英語教育に発言する三木谷氏はもちろん英語ができることが現在の「私たち」に不可欠と考えているからです。

三木谷氏が本書第一章冒頭であげる数字はゴールドマン・サックス・グループ経済調査部の"More Than An Acronym (2007)から出たもので、そこでは日本のGDP比率が2006年で世界の約12%だったものの、2020年には8%、2035年には5%、2050年には3%に落ちるだろうという推計でした(15ページ)。

三木谷氏は2035年の推計である5%を取り上げ、「世界のマーケット規模の20分の1ということは、逆に考えれば、世界には日本の20倍の市場が存在することになる」(18ページ)と述べます。

楽天は、衰退していく日本の中で、それなりに強いプレーヤーとしての地位に甘んじるのか、それとも真のグローバル企業となるのか。それが、楽天に突きつけられた問いだった。(19ページ)


こういった思いから、日本の英語教育改革にまで言及をする三木谷氏ですが、その場合の「私たち」(あるいは他の主語)とは、あくまでも資本主義という成長(=資本の増加)を定められた世界の、しかも徹底的な拡大志向をもったグローバル企業の話であるように思えます。しかし永久に「成長」するという資本主義の前提が今問われているのも事実です。内田樹氏もしばしば言いますように、グローバル企業と国民国家の論理は異なります(例えば「朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿」を参照)。グローバル企業の論理はグローバル企業の論理であるにせよ、それが他の営みにも侵食していいのかについては問いなおす必要があります。

また、三木谷氏の「英語は不可欠」という認識には、楽天の主要業務であるインターネット・コンピュータサイエンスの領域では圧倒的に英語が強く、「コンピュータサイエンスの専門書が『英語以外』で読めるのは、恐らく日本だけ」(まつもとゆきひろ 『日経ビジネス』2010年9月13日号)という状況が、日本のIT技術にとって足かせとなりかねないという懸念もあるようです。(121ページ)





■三木谷氏の人生観

三木谷氏の人生観は、以下のような箇所に表現されています。

ハードルの高い目標が、社員の個々の潜在能力を最大限引き出す。できない言い訳を考えるのではなく、できる方策を考え、チャレンジすること。それによって人は高みに上ることができるのだ。生ぬるい目標を掲げていては、人も組織も育たない。(86ページ)



かくして三木谷氏は以下を「究極のゴール」とします。

グローバル化した楽天が世界で成功を収めること。日本人の意識が変わり、日本の英語教育が変わること。そうして日本人の競争力が上がり、日本が繁栄すること。

それが、僕の究極のゴールだ。 (183ページ)


大学入試などへのTOEFL導入に賛成するか反対するかも、この競争力と繁栄という「究極のゴール」に、まったく疑いをもたずに賛成するか、それともこれが耐久年数に近づいた価値観ではないのかと感じるかによって異なるのかもしれません。

教育が、グローバル企業を中心とした財界(そして財界の意向をくむ政界)によって左右されている以上、教育関係者はグローバルビジネスに携わる人びとの意見、そして、さらに重要なことですが、その意見に潜んでいる論理や前提を明らかに理解しておく必要があります。その理解なしに教育関係者がいくら反論しても、その反論は財界人の耳に届かないでしょう。そしてもしマスメディアも企業として財界人的な世界観に親和的で、一般市民の多くもそのマスメディアが提供する世界観に深く影響を受けているとすれば、そんな市民の耳にも届かないでしょう。











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