昨日、たまたまNHK-FMをつけたら吉田秀和さんの声が流れてきた。今年5月22日に逝去された吉田さんの、とりわけNHK-FM番組「名曲のたのしみ」での40年余りの貢献に感謝しての特別番組だった。
懐かしかった。ちょっとかすれたあの声の質を、私がこれほど好きだったことに初めて気がついた(何かを失わないとその真価を理解できないのは凡人の常である)。声の質だけではない。語りのテンポ、その揺らし方がいい。抑揚の高低も、それに伴う強弱も節度があり、それでいながら吉田さんの心の動きがそのまま伝わってくる自由がある。ことばは慎重に練られたものだが ―吉田さんは放送の随分前から放送原稿を書き上げていた―、時折それに挿入される即興的な口語表現が、また滋味を感じさせた。
一言で言うなら、品があった。吉田秀和さんには品性というものがあった。それが率直に飾らずに出ているのが吉田秀和さんの人となりだった。
「名曲のたのしみ。吉田秀和」という、そっけない入り方から始まるのが「名曲のたのしみ」という番組だった。音楽家を、そして演奏家を、丁寧に理解しようとする時間だった。その中で私たちも思考を深め、感性を新たにできる番組だった。番組最後に「それじゃ、また」という吉田さんの声は、心なしか少しほっとしたような声で、その声もなんとも言えずよかった。
だが、私は必ずしもこの番組の熱心な聴取者ではなかった。今思うと悔やまれる限りである(私はどうしようもないほど凡人だ)。
24歳で父親を亡くして、その動揺からなんとか立ち直るのに半年ほどかかった私を助けてくれたのはクラシック音楽だった。最初は黒田恭一さんや砂川しげひささんの本を手助けに、膨大な量のクラシック音楽から私は自分が聞くべき音楽を定めていったが、やがて私は吉田秀和さんの本をもっぱら読むようになった。しかも繰り返し。私は吉田さんの本で、まだ聞いたことがない音楽の有様を想像し、そしてCDを購入しては私の想像と音楽の実感を比べたりしていた。そしてしばしば吉田さんの表現力に感嘆していた。
当時大学院生だった私は、生意気さも手伝って、人文系の大学人が「研究」と称している活動は、言語を他の言語に言い換えているだけの作業ように思っていた。もちろん、言い換えも、真剣な翻訳となれば、それは原作者に対する翻訳者の倫理的な行為だともいえるが(参考:『外国語学』)、生意気な私が選択的に目をとめていたのは、ある本の内容をいいかげんに要約した文章を小器用に多く並べたような「論文」だった。ことばをことばに小器用に(そして不誠実に)変換することはとてもつまらないことに思えた。
その点、吉田さんの文章は、音楽そして音楽の経験という、ことばでない現象を、ことばで表現していた。私はこの創造的な表現力に驚嘆していた。さらにはその文章自体が、音楽のような響き、流れ、うねり、抑揚をもっていることにも驚いていた。だから私は何度も吉田さんの文章を読んだ。一時期は古い時期の本も読むため、大学図書館の地下書庫にまで降りていったことを今でも覚えている。
私は最初にはもっぱら音楽について知りたくて吉田さんの本を読んでいたが、吉田さんの文章は音楽について語っていても、美術に文学にと、話は展開していった。時には政治についても社会についても話題が広がっていった。最初私はそういった広がりを、余計なことと考えていたが ―何しろ私は自らの心を鎮めてくれる音楽を切に求めていた―、そのうち、それらの展開や広がりは、音楽を語るために必要であることがわかってきた。
音楽とは、私たちの暮らしの中での営みである。暮らしの中の営みである以上、それは他の営みへと自然とつながる。暮らしの中で行われる以上、私たちの暮らしに影響を与える社会のあり方、暮らしを直接に左右する政治のあり方は、音楽と無関係ではない。
音楽も美術も文学も、社会も政治もそして経済も、すべて同根である。人の営みである。このつながりを失ったまま、「専門的」に語られる音楽は(専門的に語られる美術や音楽、あるいは社会や政治や政治と同様)、知的に見えて、浅薄だ。いや浅薄だけでなく、根本のところで冷酷である。「専門的知識」を共有しない人びとを排除し、自らの営みだけを特権化するからだ。むろんその特権意識的冷酷さは、社会を大きく動かす政治や経済において著しいが、芸術分野の特権意識的冷酷さもまた別種の残酷さをもっている。
吉田さんは、そんな冷酷さや残酷さとは無縁な人だった。それゆえの品性だったのだろうか。
吉田さんの知性は、音楽以外に開かれていただけでなく、感性と理性という人間の別種の働きに対しても開かれていた。日常生活の中でふと気がつくことの感性の動きは、音楽に関する吉田さんの知的な文章の中に流れ込んでいた。さまざまに異なる知性の主張は、吉田さんの理性によって大きく流れを整えられていたように思えた。吉田さんの文章、そしておそらくは生き方において、感性と知性と理性は調和していたように思えた ― この調和こそが美なのだろう。
ひるがえって、私たちに調和はあるか。ことに私たちの知性は、感性や理性から切断されていないか。
私の仕事は英語教育だが、教師や生徒がふと感じることを、「研究者」という人種は、自ら言うところの「知性」で否定していないか。「うーん、そういうことを言われても、実証的に立証もできないし数値化もできないんですよね」と語る研究者は少なくない。かくして教師も生徒も感じたことをそのままことばにしようとはしなくなる。それでも語り続けようとする者に、一部の研究者はこのように囁く。
「あのね、そんなことばかりにこだわっていちゃ、どうしようもないですよ。あなたの欲しいのは地位?それともお金?
地位なら研究者や行政者が好むような書き方・考え方をしなくっちゃ。とにかく数字にしてしまうこと。数字にしてしまえば、あとはいくらでもそれを学術論文ぽく見せることはできるんだから。
お金が欲しいなら、予算決定者の説明責任の代わりとなるような書類を書かなくっちゃ。予算決定者は馬鹿じゃないけど、すべてをわかっているわけじゃないし、わかろうとしているわけでもないのだから。予算決定者があなたに予算を配分する判断の責任を感じないで済むように、書類をコピーすればそのまま会議で通るように書類を書かなくっちゃ」。
あるいは「研究者」の「知性」は、理性とつながっているのだろうか。「こうすればTOEICの点数を上げられる」、「こうすれば学習者を動機づけられる」、「こうすれば留学希望者を増やせる」という「知的な」発見が次々に学会で報告されるが、こういった知性は、理性的に反省されているのだろうか。私たちはどこへ向かおうとしているのだろう。私たちは知性を何のために使おうとしているのだろう。
感性と理性から切り離された知性、というより感性と理性とのつながりを拒む知性が跋扈していないか。たまたまさきほど読んだブログ記事で知ったことだが、新たな「文部科学副大臣」がおそろしく貧困な教育観と伝統文化観を表明していた( 「怖くない先生」が「怖い」と感じていること)。私からすれば教育をおよそ歪曲化し、日本の伝統文化を侮辱しているようにすら思えるこの見解も、「文部科学副大臣」という地位から表明されれば、制度的権力をもつのだろう。
そんな見解に基づく「知的」な論文も今後、書かれるのかもしれない。「○○すれば(副大臣のおっしゃる通り)××になります」という主張の論文ならば、いかにも予算が獲得できそうではないか。シンポジウムのパネリストとして招待されそうではないか。だが、こういった知性とは、もちろん感性とも理性とも切り離された冷酷な知性に過ぎない。感性がささやいてくれること、理性が指示してくれることに、耳を閉ざし目をそむけることで成立している一面的な事象の報告に過ぎない。
もちろん悲観する材料ばかりではない。これも先ほど読んだブログ記事だが、内田樹さんの文章は味わい深かった。
私たちは、浅薄な知性を ―本来は知性の名前に値しない一面的な主張を― 暴走させてはならない。知性を感性に根ざさせ、理性で導かねばならない。知性を感性と理性と調和させなければならない。その調和こそは美だ。美を知り、慈しむことが、私たちの暴走を防ぐとは言えないか。
そんな意味で、日本はまだまだ吉田秀和さんを必要としていた。
改めて、吉田秀和さん、安らかにお眠りください。
私たちは美を忘れませんので。
あなたが示してくれた品性を忘れませんので。
調和の感覚を忘れませんので。
吉田秀和さんがいなくても、日本が品位ある国でありますように。
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