2012年10月19日金曜日

佐藤学×秋田喜代美 「これからの学び」を考える




知性と感性に優れた二人の研究者が、教室という統制不可能な状況で複合的な問題に対応する教師という人間に真正面から向きあい、近代的な学問のあり方を問い直しながら、教育学そして心理学を再構築してきたこれまでを語り合った90分間の対話。

二人ともに、典型的な近代学問の論文量産体制に従事していれば、莫大な業績を生み出していただろう近代的知性をもちながらも、それに違和感を覚える感性を兼ね備えており、かつ、その違和感を抑圧することなく大学で研究活動を続けているだけに、発言の一つひとつが深い。

二人は、相互信頼関係にもとづいて、時におどろくほど率直かつ大胆、そして納得できる発言をする。書籍などではなかなか語られない内輪話も、二人の語りのトーンと共に知ることができることもありがたい。


軽やかに語る二人のこの対談の重さを受け止めることを回避する教育学研究者、そもそも感じられない心理学者などを、私は信頼したくない。二人が提起する論点の一つには身体論もあるが、それも含めた論点を、研究上必須のものとして理解できない英語教育学者ばかりが集まる学会などに私は参加したくない。

というより、私は、教育現場で奮闘している現場教師に届くことばを語れる研究者(のはしくれ)でありたい。いやそれ以上に、現場教師のつぶやきを聴き取り、つぶやき以前の仕草を感知し、現場教師から学べる研究者でありたい。そして現場教師と共に、児童・生徒・学生という若い世代と協調しよりよい社会を作れる人間でありたい。



というわけで、教育を研究しようとする皆さん、ぜひ、以下の動画をご覧いただければと思います。もちろんこの「皆さん」とは、大学という制度で守られた研究者だけではなく、現場で奮闘しながら自らの実践を少しでも振り返り理解しようとする現場教師、および学部生・大学院生も含んだ表現です。

いや、むしろ既存の研究体制にまだあまり取り込まれていない方々の方が、この動画の意味合いをよく理解できるのではないかと思います。小中高の先生方、この動画を見るなどして教育言説に対する批評眼を高め、どんどん大学教員にプレッシャーを与えて下さいね(笑)。学生の皆さん、「査読に通る論文書き」の文化に取り込まれる前にこんな動画を見てね(笑)。


教育学、教育心理学、英語教育学などの学問も、いかなる学問と同様、未完の試み、いや構築し始めたばかりの試みであり、部分的自己破壊と自己再構築を必要としています。この動画はそのための一つの重要なきっかけとなるかと思います。





この対談は、秋田喜代美先生の新刊『学びの心理学 授業をデザインする』の出版を記念して行われたもののようですが、私は、これに先立つ佐藤学先生の『教育の方法』を久しぶりに読み返してから、この秋田先生の新刊を読みたいと思います。













4 件のコメント:

  1. 柳瀬先生 今晩は。
    両先生のお話、深くて心にしみます。
    ここのところ、自分はいろいろな学級に補欠に入り、いろいろな事を感じて、腹が立つやら情けないやら、複雑です。子ども達と共にいられて、彼らの様々な成長の瞬間や沸き立つようなはじけるようなみずみずしい感情の発露の瞬間に立ち会える、教師と親にだけ許される特権と幸せを、どうしてこんなにも台無しにしてしまうのか。そういう同僚や保護者に接する苦痛です。
    どんな教師をも信頼する。
    丸ごと引き受ける。
    ああ、そうなんだ。これが自分に足りないところなんだ、と一方では思うけれど、もう一方では、ムリと思う自分がいます。

    トップダウンで来る、行政側からの様々な要求にもウンザリしています。行政側も、その他様々な関係機関も、『変えたい』という意志や必要性を強く持っているのだとは理解できますが。理論や数字で表すことが難しい、我々教師自体の感性や身体的感覚を信じて任せてもらえないと、どんどん細分化、点数化、データ化、序列化して子どもをとらえる事で、ますます学校という場と教育の営みを壊していってしまうのではないか。そんな危惧も覚えます。

    これも自分の新たな課題であり、学ぶ機会なのだと受け止めるしかありませんが。
    若い時に五十代の先輩教師がこんなことを言ってくれたのを思い出します。「教師集団の中で、それぞれの年代の教師には、それぞれ別の役割がある。」

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  2. ポッピーママ さん、

    コメントをありがとうございました。
    やっぱりこの動画を深く理解するのは、「英語教育学者」よりも
    現職の教員の方々かと思います。(そもそも私がこの動画の存在
    を知ったのも、現職教員の方を通じてでした)。

    この動画のような話、あるいはそもそも佐藤学・秋田喜代美といった
    固有名詞にすら興味をもたない方々が「英語教育学界」の主流では
    ないかと私は悲観しています。

    興味をもたないだけでなく、このような話を積極的に潰そうとする
    方々も残念ならがいらっしゃいます。私は最近ますますそんな
    「英語教育学者」の方々や「英語教育学界」のあり方について、
    失望の念を強くしています。

    ・・・と、書きながら、この私の態度はまさに「どんな同僚教員も信頼する」
    に反していると気づきます(汗)。

    「どんな教員も信頼する」ことは、「どんな生徒も信頼する」こと
    と同様に、私たちが理想として掲げなければならないことかと
    思います。

    理想ですから、きっと私たちはそれを達成できません。
    しかし到達不可能ながらもそちらを目指し続けるところに
    私たち自身の成熟があるのかもしれません。

    それにしてもポッピーママ さんのおっしゃる「細分化、点数化、
    データ化、序列化」の進行には私も懸念をいだきます。
    これらの流れを助長する近代のあり方に関する本を実は今
    読んでいるのですが(『時間・労働・支配』)、本日は久しぶりに
    一日勉強ができるので、少しでもそれをまとめたいと思います。

    今後共、どうぞご意見をお寄せ下さい。

    2012/10/20
    柳瀬陽介

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  3. 柳瀬さん,佐藤学先生×秋田喜代美先生の対談ビデオ,見つけてくださり,ありがとうございました。
    「心理学捨ててますから」とか「学校に入ってしまうとやばいよね」とサラリと言い放っていらっしゃるお二人はすごいですね。最近,佐藤学先生の著作を読み直して,書いてあることの意味がやっと分かってきた感じがしています(15年以上かかっとる)。リアリティとアクチュアリティの問題は,真剣に考えてみたいものです。

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  4. tyoshidaさん、
    この前は御世話になりました。
    確かに私も佐藤先生がおっしゃっていることが
    最近ようやくわかり始めてきているのかも
    しれません。

    話をまったく個人的なレベルにしてしまう
    のですが、私はこのように十年単位で
    ようやく理解できるような本をこれまで
    読んできて本当によかったと思います。

    「すぐにわかって、すぐに使える本」
    しか読まないのは、人生長い目で見ると
    本当にもったいないと思います。

    と、またジコチュー的になってきたので、
    本日はこれにて。

    またお会いしましょう。

    2012/10/28
    柳瀬陽介

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