この本はスペインのメネンデス・ペラヨ国際大学での一週間の夏期集中講義をもとにしているだけに、明解な構成、平明な記述となっています。以下、各章ごとに(私が重要と思った)要点をまとめます。
第一章 世界システム分析の史的起源
■「二つの文化」の制度化
18世紀後半から哲学と科学が分離(あるいは「離婚」)し始めた。「科学」の立場を防衛しようとする者は、経験的観察からの帰納に立脚し、他の科学者によって再現・検証できる理論化こそが「真理」に至る唯一の方法だとし、自らを「哲学者」と呼ばれることを拒み始めた。(22ページ)
■近代的な大学の誕生
中世の大学は、神学、医学、法学、哲学の四学部から構成されていた。19世紀には哲学部は、諸「科学」を受け持つ学部と、他の「人文学」(あるいは「学芸」(arts)、「教養」(letters))を受け持つ学部の二つの別々の学部に分割された。(23ページ)
■社会科学の誕生
1789年のフランス革命以降、政治体制の変化が常態化し、「主権」は"people"(注)にあるという考えが広まった。これにより政治変化やpeopleに関する研究--後に「社会科学」と呼ばれるようになった研究が生まれ始めた。しかしこの新しい研究は、「純粋科学」と「人文学」の狭間にあり、次第に二方向へ分裂していった。(25-26ページ)
(注)翻訳書では"people"と"nation"に「国民」という訳語を与え、英語を付記していますが、混乱しやすいのでここでは「国民」という語は使いません。
■歴史学
歴史学はもちろん古くからある学問であるが、19世紀のランケ(Ranke)の影響により、歴史学は臆断や作り話を排した、より科学的なものとなることが目指され、出来事が起った時に書かれた文書を探すという方法を歴史学の新しい常識とした。そのような文書を公文書を備えている国であるフランス、イギリス、アメリカ合衆国、後にドイツとなる諸地域、そして同じくのちにイタリアとなる諸地域で歴史学は栄えたが、これはナショナリズム感情の強化にも役立ったため、歴史学は国家の支援を受けやすくなった。(26-30ページ)
■経済学・政治学・社会学
過去を対象とする社会科学(歴史学)だけでなく、現代を対象とする社会科学も要請され、おおきく三つの個別科学(discipline)が現れてきた。経済学、政治学、社会学である。この三分法は、19世紀の支配的なイデオロギーであるリベラリズムが、近代性を、市場と国家と市民社会との三つの社会的領域への分化と定義したことに基づいている。(30ページ)
■人類学と東洋学
しかし以上の社会科学は、「近代」の外部を扱い得なかった。したがって「未開」の「部族」を研究する人類学、ヨーロッパ外部の「高等文明」(中国、インド、ペルシア、アラブ世界など)を扱う東洋学が誕生した。(32-35ページ)。
■地域研究と個別科学の境界の溶解
1945年からアメリカ合衆国が覇権大国になると、「道教の古典を解読できる学者よりも中国共産党の勃興を分析できる学者」が求められるようになり、地域研究(area studies)が始まった。大学は拡大し、多くの博士号が出されるようになったが、個々の個別科学に属する研究者は、それまで他の個別科学に属していたテーマを、自らの研究対象として切り取ってくるようになり、次第にそれまでの個別科学の間での境界が溶解し始めた。東洋学者も歴史家になり、人類学者も自らの文化を対象にするようになった。(37-41ページ)。
■世界システム分析
1970年代から世界システム分析が明示的に語られはじめた。世界システム分析は、分析の単位をそれまでのように国民国家とするのではなく「世界システム」とした。(52-53ページ)
Wikipedia: World-systems approach
■世界システム
「世界システム」(world-system)は、サブカテゴリーとして「世界=経済」(world-economy)と「世界=帝国」(world-empire)を持つ。これらの表現にあるハイフンは、世界システム分析があつかっているのは世界全体ではなく、「それ自体が世界であるような(しかし、必ずしも地球全体を覆うものではなく、じっさいふつうはそうではない)システム」を扱っていることを強調している。(注)
(注)世界システム以前の「史的システム」としては「ミニシステム」がある。
ウィキペディア:世界システム論
■近代世界システム
近代世界システム("modern world-system")は「長い16世紀」から始まるものであるが、これは「世界=経済」の形態を取っている。「この近代の世界=経済は、史上最初の世界=経済ではないが、世界=経済として長期にわたって持続・繁栄した最初の世界=経済であり、その持続性は、完全に資本主義的な世界=経済となることによってはじめて得られたものであった」。(54ページ)
■史的社会科学
世界システム分析は、長期持続(ロング・デュレ)にわたるトータルな社会システムの分析を行なうものであり、個別科学(discipline)の境界を認めず、多学科協働的(multidisciplinary)を超えて、統一学科(unidisciplinary)である。(58ページ)
第二章 資本主義的世界=経済としての近代世界システム
■世界=経済の政治構造
世界=経済のひとつの規定的特徴は、それが単一の政治構造によって境界づけられていないことである。近代世界システムは国家間システム(interstatesystem)においてゆるやかに結び合わされている。(68ページ)
■無限の資本蓄積を優先するシステムとしての資本主義
資本主義のシステムとは、無限の資本蓄積を優先するシステムであり、この定義によるなら近代世界システムだけが資本主義的なシステムである。(69ページ)
第三章 国家システムの勃興
■近代国家
近代国家は主権的国家である。主権とは完全に自律的な国家権力ということであるが、実際の近代国家は国家間システムの中に存在している。主権は他国によって承認されなければほとんど意味を持たない。(109-113ページ)
■国民国家
国家がその権威を強くする一つの方法は、その住民を"nation"(「国民」)にすることである。「国民国家」(nation-state)は、すべての国家が目指しているものである。これは「他民族」国家を標榜している国家とて例外ではない。ソ連は多民族国家であることを主張しながら、同時に「ソヴィエト的」人民という考え方を喧伝したし、カナダやスイスについても同じようなことが言える。(136-137ページ)
■ナショナリズムを創り出す様式
国家がナショナリズムを創り出す様式は、主に、国家による学校システム、軍隊における勤務、公的儀式の三つである。(137ページ)
■世界=帝国の挫折
「世界=帝国は、システム全体が単一の政治的権威のもとにあるような構造をもつ世界システム」である。その第一の例は16世紀のカール五世(神聖ローマ皇帝)、第二の例は19世紀はじめのナポレオン、第三の例は20世紀半ばのヒトラーであったがいずれも挫折している。(143ページ)
■世界=経済での覇権の獲得
一方、以下の三国は、覇権(hegemony)を獲得したと考えられるが、これらの国は世界=帝国を目指したのではなくて、国家間システムの中で世界=経済を支配したものである。第一の例は17世紀半ばの連合州(United Provinces)(現代のオランダ)、第二の例は19世紀半ばの連合王国(United Kingdom)、第三の例は20世紀半ばのアメリカ合衆国(United States)である。(144ページ)
■世界=経済は世界=帝国に転換できない
なぜなら、世界=帝国には、無限の資本蓄積を優先する資本主義的行動を抑えつけることができる政治組織があるからである。(144-145ページ)
■覇権は永続しない
覇権大国は、基礎となる生産の効率性の優位を保たなければならないが、覇権国家としての政治的・軍事的役割はその国を疲弊させる。やがてその国が実際に軍事力を行使するようになると、それはその国の経済的・政治的な土台を掘り崩してしまう(145-146ページ)
第四章 ジオカルチュアの創造
■イデオロギー
イデオロギーとは、「社会的領域において、そこから具体的な政治的結論が引き出せるような一貫性のある戦略」である。イデオロギーは、単なる観念、理論、道徳的立場表明、世界観にはとどまらない。フランス革命以降、保守主義、自由主義、急進主義という三つのイデオロギーが現れた。(150ページ)
■保守主義
保守主義とは反革命であり、慣習や規則は、革命によって急激に変化するべきでなく、伝統的諸制度の権威を回復・維持したまま、そういった制度で責任ある人々によって慎重に変えるべきであるとした。(152-153ページ)
■自由主義
旧体制(アンシャン・レジーム)への回帰は望ましくないとした人々は、世界は「善き社会にむけて永遠に進歩する世界であるがゆえに、変化は単に常態であるというだけでなく、不可避である」と主張した。彼/彼女らは、「機会の平等」や「能力主義」といった考え方で、社会的流動性を高めようとした。(154ページ)。
■急進主義
1848年の「世界革命」以降、保守主義と自由主義という二項対立に、急進主義が加わった。(157ページ)
■「国民」(nation)の創出
「国民」(nation)は、ナショナリズムを説くことで創られるが、その過程で「他者」は市民権(citizenship)から排除される。(162ページ)
■単一の「国語」
「19世紀の初め、ヨーロッパにおいて、単一の国語を有する国は事実上ほとんどなかった。しかし19世紀末には、大半の国が単一の国語を有するようになった」。これはナショナリズム創出の三大装置(学校、軍隊、国民的祝典)のうちの学校(特に初等教育)の成果と見るべきであろう。(162ページ)
第五章 危機にある近代世界システム
■危機
危機とは、当該システムの枠組みのなかでは解決しえない困難である。われわれが生きている近代世界システム、つまり資本主義的な世界=経済は、現在危機にあり、これにより今後さらに25-50年ほどは様々な構造や過程の激しい動揺に直面するかもしれない。(184-185ページ)。
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以上が私なりのまとめです。英語教育研究を「個人心理学」にしてしまうのではなくて(cf「学会誌のあり方について」 )、大きな枠組みで総合的に考える営みにしようとすると、どうしても上のような考察が重要になってきます(さもないと、英語教育研究は、単なる床屋談義になってしまい、これなら個人心理学の方がまだましだったとなります)。
「英語教育学というプロレス」という駄文をかつて私は書きましたが、そこで私が言いたかったのは、英語教育の研究をやる人間は「プロレス」ではなく「総合格闘技」を目指すべきだということです(格闘技ファンでない方、わかりにくく野蛮なメタファーをお許し下さい)。一知半解を怖れながら、また時には専門家にそのレベルの低さを笑われながらも、少しずつ勉強を重ねてゆきたいと思います。
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