2008年5月14日水曜日

「高度知識社会でますます希少資源となりつつあるのは何か?」

それは時間です。(これはドラッカーの言葉でしたっけ?)

ですから私たちはコンピュータなどの情報処理システムに自分のお金と時間そのもの(!)を投資し、できるだけ短時間で、できるだけ良質の知識が得られるように自分というシステムを組み上げてゆきます。

逆に情報の送り手の方からすれば、自ら表現したいと思うことを、可能な限り的確にわかりやすく表現する必要があります。情報の受け手は爆発的に増大する情報に接しているのですから、そうしなければまず読んでもらえません。読んでもらえたとしても、最初の数行だけで読み捨てられてしまいます。

他人に読まれないメッセージとは存在しないも同然です。


こうなりますと、現在、大切な力は

(1)短時間に良質の知識を得ることができる情報収集・処理能力
(2)受け手に最短の時間で的確にメッセージを伝えることができる表現能力

となります。


仮に情報収集・処理・表現のメディアを言語だけに限定します。
(1)と(2)は明らかに関連します。
"The better you write, the better you read."とも言われます(Craft of Research)。
Outputすなわち書くこと(あるいは話すこと)を前提として、精読をできるだけ短時間に行う訓練が重要となります。


そうやって情報収集・処理・表現能力を高めておかないと実社会では大変な損をします。
実際、膨大な情報に接する私たちは、どれだけの情報を切り捨てていることでしょう。
速く精確に読めないと大切な情報を知らないままになってしまいます。
的確に短く書けないと本当に訴えたいことも読んでもらえません。


特に書く能力、あるいは書き言葉のように整然と話す能力の欠如は死活問題になりかねません。

この世の中で本当に痛切なメッセージがあるのに、表現力がないために存在を知られない事例は数多くあると思います。
ですが表現力がないならば、きわめて残念ながらその問題は無視されがちです(もちろんそれなりに訴える方法はありますが、それは別記事で)。


とりあえず私は言語系の教師なので、言語を通じての情報収集・処理・表現能力には学生に対して厳しく訓練したいと思います。

残念ながらそうした力がなければ、切り捨てられかねないのが、私たちが生きている高度知識社会そして高度資本主義社会なのですから。

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