以下は2008年8月9日(土)の13:30~ 16:00 に開催される 問題別討論会(全国英語教育学会 於:昭和女子大)のために柳瀬が提出を考えている予稿です。文字指定があるためにわかりにくい記述になっているかもしれませんので、この予稿を書くためにまとめたノートもこのブログに掲載しました(前の記事にさかのぼってください)。
【問題別討論会】
「学習者の成長欲求に英語教育はどのように応えるか―より効果的に英語力を養うために」(中部地区主催)
コーディネーター: 三浦孝 (静岡大学)
提案者:三浦孝 (静岡大学)、犬塚章夫(愛知県総合教育センター)、茶本卓子 (神戸市立葺合高等学校)柳瀬陽介 (広島大学)
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現代社会における英語教育の人間形成について
―社会哲学的考察―
柳瀬陽介(広島大学)
キーワード:人間形成、目的、システム合理性
1 要旨
英語教育も教育の一環である以上、人間形成を目指すべきである。しかし現状では、英語教育の目的が、教育システムの外部から「政治」的に決定されることも多くなった。数値目標や資格試験、あるいは説明責任などに振り回される現場も多い。だが、現場を振り回している「目的・目標」、「システム」、「政治」などの概念は、実はおそろしく単純で粗雑なものである。私たちは複雑な現場を単純な知性から守らなければならない。他方、「人間形成」という概念も、一歩間違えば、単なる個人的な価値観の押しつけや、通俗的な思い込みの凡庸な刷り込みになる。私たちはこれらの概念に関して、適切な理解をもつ必要がある。
本発表では、このような問題意識に基づいて、(1)「人間」概念、および (2) 「目的」概念を社会哲学的に問い直す。その問い直しにより、現代社会における英語教育の人間形成の現実的な道筋を明らかにする。その過程で「政治」、「システム」などの概念も再検討される。
「人間」概念に関しては、世界史的考察を踏まえ、「人間」をあくまでも「複数性」の観点からとらえ(アレント)、差異を前提としたコミュニケーションを接続することを現代社会での人間形成の課題としてとらえる(ネグリとハート)。「目的」概念の議論では、そういった「政治」的で長期的・抽象的であるべき方針は「目標」であり、それは単純で測定可能で固定的な「目的」概念と区別されるべきことを指摘する(アレント)。さらにルーマンのシステム合理性の議論を導入し、単純な目的合理性にのみとらわれて学級や学校といった「システム」の存続問題を軽視するなら、その計画は破綻しかねないことを論ずる。目的とはシステムにとっての変数の一つであり、システムに関しての調整を一般化するものにすぎず、修正可能なものであることを明らかにする。これらの社会哲学的概念検討を通じて、近年横行している単純だがそれだけに強力な通念的理解を批判し、現場の健全な常識を学術的に深めた上で再提示することがこの発表の目的である。
2人間概念の再検討
明治以降日本は「西洋化」を目指し、現代日本は「グローバル化」の課題に直面している。英語教育はその中で重要な役割を果たしている。したがって「西洋」(特に近代ヨーロッパ)および「グローバリゼーション」とは何かを見極め、それらの中で「人間」概念がどのように捉えられているかを明らかにすることが、英語教育における人間形成を考察するためには必須の課題である。
2.1 「西洋化」と人間概念
近代ヨーロッパの人間概念を考えるには、世界のどの地域の人間よりも啓蒙されて理性的であったはずのヨーロッパの人間が、なぜ第一次世界大戦、第二次世界大戦、ファシズムとコミュニズムの全体主義国家という最悪の人災を起こしてしまったのかという問いを持つことが重要である。ポスト・モダニズム、ポスト・コロニアリズム、ポスト構造主義などの知的な流れもこの問いを大きな源流としている。
アレントは西洋の学問が、単数形の人間 (Man, Mensch) ばかりを考察の対象とし、人間を複数性 (plurality, Pluralität) において考えることができず、それゆえ複数の異なる人間が共存する「政治」において決定的な誤りに導かれたのではないかと論ずる。
2.2 「グローバル化」と人間概念
ルーマンは差異 (difference, Differenz) を彼の理論の中心概念の一つとし、コミュニケーションも、それは合意(差異の解消)に終焉することを目指すべきものではなく(ハーバマスとの論争)、限りなく生じる差異によって接続され再生産されるものだと論じた。このルーマンに影響を受けたのがネグリとハートであり、彼らはグローバリゼーションの進行する現代を、脱中心的・脱領土的に私たちがつながり合い、そのつながりが大きな力となった時代と規定する。「私たち」という存在は、一般的意志を共有する「人民」(people)でもなく、まとめてコントロールされうる「大衆」(mass)でもなく、無秩序な乱衆(mob)でもなく、烏合の群衆(crowd)でもない。私たちは「単一の同一性には決して縮減できない無数の内的差異」、「多数多様性」、つまり「単一の同一性には決して縮減できない無数の内的差異」を持つ「マルチチュード」(multitude)であり、それぞれが、自らの特異性を肯定しながら、様々につながりあっていることをグローバル化の事態だと認識している。
以上の考察から、西洋化を経てグローバル化の中にある日本の英語教育も、特定の時代・地域・状況・前提で単独的に認められている人間像を追求するのではなく、差異ある複数の他者と、差異を活かしながら接続し合い共存できる人間を目指すべきだという価値観が導出される。コミュニケーションにおいても前提あるいは目的とされるものは合意でなく、差異である。「私たち」とは「一にして多」、「多にして一」というマルチチュードであるという認識が現代的人間理解なのではなかろうか
3 目的概念の再検討
3.1 目標概念と目的概念の区別
「マルチチュード」といった概念も、これは歴史的考察に基づいた「政治」的概念であり、抽象的な指針である。こういった長期にわたる方針は「目標」(goal, aim, Ziel) と呼ばれるべきであり、単一の視点からの計測が可能で具体的・短期的である「目的」 (end, objective, Zweck) と区別されるべきである。「目標」概念はCEFRやACTFLにも見られる。
「目的」概念の横行が「目標」概念を駆逐することは日本の益にはならない。
3.2 システム合理性による目的概念の再検討
計測可能・具体的・短期的な「目的」概念に関しても再検討が必要である。古典的組織科学では、組織とはあくまでも目的を達成するためだけに設計され存在するシステムだと把握されてきた。しかしここには、システムとは、システムの外の「環境」 (environment, Umwelt) の複雑性の影響を縮減し自ら存続させているものだという洞察がない。また、システムの外(「環境」)だけでなく、システムの内にも複雑性が存在し、それにより予測しがたい事態がシステム内外に生じうるという現実の知恵が無視されている。システムが目的を達成するためにも、システムはまず自らが崩壊せずに存続しながら、その条件下で目的を達成しようと試みることができるだけである。目的合理性がシステムの基礎ではなく、システム合理性がシステムの基礎である。目的はシステム合理性の中で、(a)事態の主観的観念化、(b)体験処理の制度化、(c)外部環境の分化、(d)システム内部の分化、(e)システム構造の無規定化、のいくつかあるいは全てを同時に行う、処理できない複雑性を縮減させるためのシステム戦略である。このように複数の機能をもつ目的は、システムの唯一の基礎あるいは目的として捉えるべきではなく、システムの存続と機能を調整する変数と考えられるべきである。組織も、目的によって/のために存在するのではなく、目的と共に、内外の複雑性に対処しながら自己再生産しているシステムと考えられるべきである。外部から「目的」を与え、その達成ばかりをシステム(組織)に過剰に要求するのは、単純すぎる知性により複雑な現実の営みを破壊する試みであるといえる。
4 結論
「人間形成」は英語教育の「目標」であるが「目的」ではない。「目的」の過剰な追求により「目標」が忘れ去られたり、教育の営みというシステムが破壊されたりすることは、全体主義(=単一知性の支配)という歴史の過ちを小規模で繰り返す愚行である。単純な単一の知性というのは、そのわかりやすさゆえに大衆的人気を得ることがあるが、複雑な現場に携わるものは、それに警戒し、実践的にだけでなく、必要に応じて学術的にも単純な単一の知性に抵抗しなければならない。
主要参考文献
アレント著、高橋勇夫訳(2008)『政治の約束』筑摩書房
ネグリ、ハート著、、水島一憲、酒井隆史、浜邦彦、吉田俊実訳(2003/2000)『<帝国>』以文社
ルーマン著、馬場靖雄・上村隆広訳 (1990) 『目的概念とシステム合理性』勁草書房
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